憲法重要判例六法F

憲法についての条文・重要判例まとめ

憲法目次Ⅱ

 

憲法目次Ⅰ

憲法目次Ⅱ

憲法目次Ⅲ

憲法目次Ⅳ

15 [公務員の選定及び罷免の権、公務員の本質、普通選挙の保障、秘密投票の保障] 

① 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。         

② すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。              

③ 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。       

④ すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

 

選挙権・被選挙権の性質

選挙権・被選挙権の性質(1)【最大判昭和30年2月9日】

選挙権・被選挙権の性質(2)【最大判昭和43年12月4日】

 

連座制の合憲性

連座制の合憲性 最判平成9年3月13日

選挙権の保障

選挙権の保障(1-1)・札幌地裁小樽支昭和49年12月9日

選挙権の保障(1-2)最判昭和60年11月21日(在宅投票制度廃止訴訟)

在外選挙権違憲訴訟

選挙権の保障(2-1)最大判平成17年9月14日(在外国民選挙権訴訟)

選挙権の保障(2-2)最大判平成17年9月14日(在外国民選挙権訴訟)確認の訴えについて・国家賠償について

選挙権の保障(2-3)最大判平成17年9月14日(在外国民選挙権訴訟) 裁判官福田博の補足意見

選挙権の保障(2-4)最大判平成17年9月14日(在外国民選挙権訴訟) 裁判官横尾和子,同上田豊三の反対意見

選挙権の保障(2-5)最大判平成17年9月14日(在外国民選挙権訴訟) 判示第4についての裁判官泉徳治の反対意見


 

選挙の公平

選挙の公平(1) 最判昭和56年6月15日(戸別訪問規制の合憲性)

選挙の公正(2)・最判平成2年4月17日 雑民党事件


衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟


衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟の合憲性(3-1)最大判平成11年11月10日 事実関係・要旨1

衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟の合憲性(3-2)最大判平成11年11月10日 判旨・要旨2

衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟の合憲性(3-3)最大判平成11年11月10日 裁判官河合伸一、同遠藤光男、同元原利文、同梶谷玄の反対意見

衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟の合憲性(3-4)最大判平成11年11月10日 裁判官福田博の反対意見前半

衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟の合憲性(3-5)最大判平成11年11月10日 裁判官福田博の反対意見後半

衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟の合憲性(3-6)最大判平成11年11月10日 裁判官河合伸一、同遠藤光男、同福田博、同元原利文、同梶谷玄の反対意見

 

選挙制度

【最大判平成11年11月10日(衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟)】 平成11(行ツ)8 民集53巻8号1577頁

【最大判平成16年1月14日・参議院非拘束名簿式比例代表制の合憲性】

            

16  [請願権] 

 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

 

 

17  [国及び公共団体の賠償責任] 

 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。  

 

国家賠償請求権

国家賠償請求権(1-1) 最大判平成14年9月11日・郵便法違憲訴訟

国家賠償請求権(1-2)最大判平成14年9月11日・郵便法違憲訴訟 補足意見・意見等

 

立法行為に対する国家賠償訴訟

最大判平成17年9月14日 (在外国民選挙権訴訟)(1)

最大判平成17年9月14日 (在外国民選挙権訴訟)(2)

最大判平成17年9月14日 (在外国民選挙権訴訟)(3)補足意見

最大判平成17年9月14日 (在外国民選挙権訴訟)(4)反対意見

 

18  [奴隷的拘束及び苦役からの自由] 

 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。            

 

 

19  [思想及び良心の自由] 

 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。              

 

重要判例

【最大判昭和31年7月4日 謝罪広告事件】(1-1)

【最大判昭和31年7月4日 謝罪広告事件】(1-2) 裁判官栗山茂の意見・裁判官入江俊郎の意見

【最大判昭和31年7月4日 謝罪広告事件】(1-3)裁判官藤田八郎の反対意見・裁判官垂水克己の反対意見

思想良心の自由(2)【最判平成8年3月19日 南税理士会政治献金事件】

思想良心の自由(3-1)【最判平成19年2月27日 君が代ピアノ伴奏職務命令拒否戒告処分事件】
思想良心の自由(3-2)【最判平成19年2月27日 君が代ピアノ伴奏職務命令拒否戒告処分事件】【裁判官那須弘平の補足意見】
思想良心の自由(3-3)【最判平成19年2月27日 君が代ピアノ伴奏職務命令拒否戒告処分事件】【裁判官藤田宙靖の反対意見】

思想及び良心の自由(4)【最判昭和63年7月15日 麹町中学校内申書事件】

思想良心の自由(5)【最判昭和63年2月5日  東京電力塩山営業所事件】

 

20  [信教の自由] 

① 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。     

② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。              

③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。              

 

信教の自由

信教の自由(1)【最判平成8年3月8日 エホバの証人剣道受講拒否事件】

信教の自由(2)【最決平成8年1月30日 主教法人オウム真理教解散命令事件】

信教の自由(3-1)【最大判昭和63年6月1日 殉職自衛官合祀事件】

信教の自由(3-2)最大判昭和63年6月1日 殉職自衛官合祀事件・補足意見】

信教の自由(3-3)最大判昭和63年6月1日 殉職自衛官合祀事件 補足意見2】

信教の自由(3-4)最大判昭和63年6月1日 殉職自衛官合祀事件 意見】

信教の自由(3-5)最大判昭和63年6月1日 殉職自衛官合祀事件 反対意見】

政教分離

【政教分離(1-1)最大判昭和52年7月13日 津市地鎮祭事件】

【政教分離(1-2)最大判昭和52年7月13日 津市地鎮祭事件・反対意見】

【政教分離(1-3)最大判昭和52年7月13日 津市地鎮祭事件・反対意見2】

【政教分離(2-1-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟】

【政教分離(2-1-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟2】

【政教分離(2-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・補足意見】

【政教分離(2-3)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・補足意見2】

【政教分離(2-4)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・補足意見3】

【政教分離(2-5-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見1-1】

【政教分離(2-5-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見1-2】

【政教分離(2-6-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見3-1】


最判平成5年2月16日   忠魂碑・慰霊祭

最大判平成22年1月20日 砂川政教分離訴訟・空知太神社事件

 

 

21  [集会・結社・表現の自由、通信の秘密] 

① 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。     

② 検閲(けんえつ)は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 

表現の自由(1)煽動・性表現・広告

煽動

最判平成2年9月28日(渋谷暴動事件)

 

性表現

最大判昭和32年3月13日(チャタレー事件)

最大判昭和44年10月15日(悪徳の栄え事件)

最判昭和55年11月28日(四畳半襖の下張)

最判平成元年9月19日  (岐阜県青少年保護育成条例事件)

 

広告

最大判昭和36年2月15日

 

表現の自由(2)表現内容中立規制

最大判昭和43年12月18日(大阪市屋外広告物条例事件)

最判昭和62年3月3日   (大分県屋外広告物条例事件)

 

最判昭和57年11月16日(エンタープライズ寄港阻止佐世保闘争事件)

 

最判平成20年4月11日 (立川反戦ビラ入れ事件)

 

表現の自由(3)集会の自由

最判平成7年3月7日(泉佐野市民会館使用不許可事件)

最大判昭和29年11月24日(新潟県公安条例事件)

最大判昭和50年9月10日 (徳島市公安条例事件)

 

表現の自由(4)取材・報道の自由

放送の自由

最判平成16年11月25日 訂正放送請求事件

 

取材の自由

最決昭和53年5月31日  外務省機密漏洩事件

 

証言拒絶権

最決平成18年10月3日

 

最大判昭和44年11月26日 博多駅取材フィルム提出命令事件

 

最判平成13年12月18日 情報公開条例による本人情報開示請求事件

 

 

表現の自由(5)

検閲・事前抑制

最大判昭和59年12年12月(税関検査事件)

 

名誉棄損

最判昭和56年4月16日(月刊ペン事件)

最判平成14年1月29日(ロス疑惑共同通信社事件)

最判平成元年12月21日(長崎教師批判ビラ事件)

 

プライバシー権

東京高判平成13年2月15日(石に泳ぐ魚事件第2審判決)

最判平成15年3月14日  (長良川リンチ殺人事件)

 

名誉棄損

最大判昭和61年6月11日 (北方ジャーナル事件)

 

             


 

 

憲法目次Ⅰ

 

憲法目次Ⅰ

憲法目次Ⅱ

憲法目次Ⅲ

憲法目次Ⅳ


前文

日本国憲法前文

 

第1章 天皇・国民主権

日本国憲法第1章 天皇

日本国憲法第1章 天皇 第7条 天皇の国事行為・7条解散等

 

第2章 戦争放棄

日本国憲法第2章 戦争の放棄 第9条 (1)自衛権・戦争放棄の範囲

日本国憲法第2章 戦争の放棄 第9条 (2)砂川事件判決・百里基地訴訟

 

第3章 国民の権利及び義務

第1 人権総論

人権享有主体性

日本国憲法 第3章国民の権利及び義務 外国人・大判昭和53年10月4日 マクリーン事件

 

法人

日本国憲法 第3章国民の権利及び義務 法人の人権享有主体性・最大判昭45年6月24日 八幡製鉄事件・最判平成8年3月19日 南九州税理士会事件等

法人の人権享有主体性(2) ・最判平成8年1月30日 宗教法人オウム真理教解散命令事件 ・最大決昭和44年11月26日 博多駅取材フィルム提出事件


私人間効力

日本国憲法第3章 国民の権利及び義務 私人間効力(1)最大判昭和48年12月12日 三菱樹脂本採用拒否事件等

第3章 国民の権利及び義務 私人間効力(2)・最判昭和49年7月19日 昭和女子大事件・東京地裁判平成7年3月23日等

 

公務員の人権

第3章 国民の権利及び義務 公務員の人権(1)公務員の労働基本権・第1期 政令201号事件・三鷹事件

第3章 国民の権利及び義務 公務員の人権(2)公務員の労働基本権・第2期 全逓東京中郵事件 最大判昭和41年10月26日・最大判昭和44年4月2日 都教組事件

第3章 国民の権利及び義務 公務員の人権(3)公務員の労働基本権・第2期・全司法仙台事件 最大判昭和44年4月2日・最大判昭和48年4月25日 全農林警職法事件

第3章 国民の権利及び義務 公務員の人権(4)公務員の労働基本権・第3期 ・最大判昭和52年5月4日 全逓名古屋中郵事件・最大判昭和51年5月21日 旭川学力テスト事件

第3章 国民の権利及び義務 公務員の人権(5)猿払事件・国公法世田谷事件

第3章 国民の権利及び義務 公務員の人権(5-2)国公法世田谷事件補足意見

第3章 国民の権利及び義務 公務員の人権(5-3) 国公法世田谷事件 反対意見

第3章 国民の権利及び義務 公務員の人権(5-4) 堀越事件

第3章 国民の権利及び義務 公務員の人権(5-5) 堀越事件・補足意見

第3章 国民の権利及び義務 公務員の人権(5-6) 堀越事件・意見

第3章 国民の権利及び義務 公務員の人権(6)寺西判事補事件・最大決平成10年12月1日

第3章 国民の権利及び義務 公務員の人権(7)・最判平成7年7月6日 陸上自衛隊三二普通科連隊等(懲戒免職)事件・最判昭和55年12月23日 全逓プラカード事件

第3章 国民の権利及び義務 刑事施設被収容者の人権(1)最大判昭和58年6月22日・よど号ハイジャック新聞記事抹消事件等

第3章 国民の権利及び義務 刑事施設被収容者の人権(2)・受刑者の信書発信の自由 最判平成18年3月23日等

 

外国人の人権

日本国憲法 第3章国民の権利及び義務 外国人・大判昭和53年10月4日 マクリーン事件

外国人の人権(2)法の下の平等・最判平成4年4月28日 台湾人元日本兵戦死傷補償請求事件 ・最判平成13年4月5日在日韓国人元日本軍属障害年金訴訟 

外国人の人権(3)国政・地方選挙権 ・最判平成5年2月26日 定住外国人の国政選挙に関する選挙権・最判平成7年2月28日 定住外国人地方選挙権訴

外国人の人権(4-1)公務就任権 ・最大判平成17年1月26日 外国人公務員東京都管理職選考受験訴訟

外国人の人権(4-2)公務就任権・最大判平成17年1月26日 外国人公務員東京都管理職選考受験訴訟 裁判官金谷利廣の意見・裁判官上田豊三の意見

外国人の人権(4-3)公務就任権・最大判平成17年月26日 外国人公務員東京都管理職選考受験訴訟・裁判官滝井繁男の反対意見

外国人の人権(4-4)公務就任権・最大判平成17年1月26日 外国人公務員東京都管理職選考受験訴訟・裁判官泉徳治の反対意見

外国人の人権(5-1)社会権・最判平成元年3月2日 塩見訴訟

外国人の人権(5-2)社会権・ 最判平成16年1月15日 外国人と国民健康保険の被保険者資格

外国人の人権(6)外国人の指紋押捺・平成71215日 外国人指紋押なつ拒否事件最判平成10年4月10日

外国人の人権(7)外国渡航の自由・最大判昭和33年9月10日・最大判昭和32年12月25日・最判平成4年11月16日等

外国人の人権(8) 戦後補償・最判平成16年11月29日 / 亡命者・政治難民の保護・最判昭和51年1月26日

 

未成年者の人権


未成年者の人権(1) 在学関係・在校関係 ・最判昭和49年7月19日 昭和女子大事件

未成年者の人権(2)・熊本地裁昭和60年11月13日 丸刈り訴訟

未成年者の人権(3)高松高裁平成2年2月19日・東京高裁平成4年3月19日・最判平成8年7月18日


国民の要件
10条 国民の要件 国籍法・最大判昭和36年4月5日 国籍存在確認請求(1)
10条 国民の要件 ・最大判昭和36年4月5日 国籍存在確認請求(2) 【最大判昭和36年4月5日】補足意見等
10条 国民の要件 ・最大判昭和36年4月5日 国籍存在確認請求(3) 【最大判昭和36年4月5日】補足意見等

国民の要件 父系優先血統主義について・東京地判昭和56年3月30日
国民の要件 父系優先血統主義について(2)・東京地判昭和56年3月30日(続)
国民の要件 父系優先血統主義について(3)東京高判昭和57年6月23日


国籍法3条1項
国籍法3条1項の合憲性(1) 最大判平成20年6月4日・国籍法違憲判決
国籍法3条1項の合憲性(2) 最大判平成20年6月4日・国籍法違憲判決・裁判官泉徳治の補足意見・裁判官今井功の補足意見
国籍法3条1項の合憲性(3) 最大判平成20年6月4日・国籍法違憲判決・裁判官田原睦夫の補足意見・裁判官近藤崇晴の補足意見
国籍法3条1項の合憲性(4) 最大判平成20年6月4日・国籍法違憲判決・裁判官藤田宙靖の意見
国籍法3条1項の合憲性(5) 最大判平成20年6月4日・国籍法違憲判決・裁判官横尾和子,同津野修,同古田佑紀の反対意見
国籍法3条1項の合憲性(6) 最大判平成20年6月4日・国籍法違憲判決・裁判官甲斐中辰夫,同堀籠幸男の反対意見

第11条・第12条
11条 国民の基本的人権の享有、基本的人権の永久不可侵性

第13条
個人の尊重
13条 個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉
13条 個人の尊重(1) ・最大判昭和23年3月24日・東京地判昭和39年9月28日・大阪高判昭和50年11月27日・札幌地裁平成9年3月27日
13条 個人の尊重(2)山口地裁下関支部平成10年4月27日
個人の尊重(3)・東京高裁平成11年8月30日
個人の尊重(4)最判平成12年2月29日 エホバの証人・宗教的理由による輸血拒否訴訟
個人の尊重(5-1) 【熊本地裁平成13年5月11日(ハンセン病訴訟事件)】(1)
個人の尊重(5-2) 【熊本地裁平成13年5月11日(ハンセン病訴訟事件)】(2)
個人の尊重(5-3)【熊本地裁平成13年5月11日(ハンセン病訴訟事件)】(3)
個人の尊重(5-4)【熊本地裁平成13年5月11日(ハンセン病訴訟事件)】(4)

幸福追求権・新しい人権
幸福追求権(1)・最大判昭和25年11月22日・最大判昭和45年9月16日・喫煙禁止訴訟・最判平成15年12月11日・ストーカー規制法

新しい人権 【最大判昭和44年12月24日 京都府学連事件】【最大判昭和61年6月11日 北方ジャーナル事件】【最判平成7年12月15日 指紋押捺制度の合憲性】

プライバシー権
プライバシー権(1)東京地判昭和39年9月28日 宴のあと事件・東京高決昭和45年4月13日 エロス+虐殺事件・最判昭和56年4月14日 前科照会事件
プライバシー権(2) 最判平成6年2月8日・ノンフィクション逆転事件・最判昭和63年7月15日 麹町中学校内申書事件
ライバシー権(3)最判平成15年9月12日・早稲田大学江沢講演会名簿提出事件・最判平成15年3月14日 長良川リンチ殺人事件報道訴訟
プライバシー権(4-1)最判平成20年3月6日・住基ネット訴訟・高裁の判断
プライバシー権(4-2)最判平成20年3月6日・住基ネット訴訟・最高裁の判断
プライバシー権(5)最判平成13年12月18日 レセプト情報公開請求事件・最判昭和63年12月20日 囚われの聴衆 伊藤正巳補足意見
プライバシー権(6)最判平成14年9月24日 石に泳ぐ魚
プライバシー権(7)・大阪高裁平成12年2月29日 堺通り魔殺人事件名誉毀損訴訟
プライバシー権(8)・東京高裁平成13年7月18日
プライバシー権(9) 指紋押捺 最判平成9年11月17日 再入国不許可処分取消等請求
プライバシー権(10)東京地裁平成5年11月19日・大阪高裁平成11年11月25日
プライバシー権(11)東京高裁平成12年10月25日・最判平成7年9月5日

自己決定権
自己決定権 最判平成8年7月18日修徳高校パーマ退学訴訟等

人格権
人格権 最大判昭和44年12月24日 京都府学連事件等

肖像権
肖像権 最判平成17年11月10日等

環境権
環境権(1) 最判平成18年3月30日
環境権(2) 大阪高裁昭和50年11月27日・大阪国際空港公害訴訟鹿児島地裁昭和47年5月19日
環境権(3)最大昭和56年12月16日・金沢地裁平成3年3月13日・小松基地騒音差止請求等
環境権(4)女川原発訴訟・仙台地裁平成6年1月31日・仙台高裁平成11年3月31日
環境権(5)長良川河口堰建設差止訴訟・古屋高裁平成10年12月17日・岐阜地裁6年7月20日

14条 平等権
14条 法の下の平等・貴族の禁止・栄典 平等権総論
法の下の平等の意味 最大判昭和25年10月11日・最大判昭和39年5月27日・最大判昭和39年11月18日

1 人種による差別
1 人種による差別(1) 外国人登録例・名古屋高裁昭和46年4月30日・トヨタ自工純血訴訟事件・東京高裁昭和60年8月26日・台湾人元日本兵戦死傷補償請求事件控訴審判決等
1 人種による差別(2)最判平成元年3月2日・障害福祉年金国籍要件違憲訴訟上告審判決・東京高裁昭和61年8月25日・外国人登録法違反被告事件
1  人種による差別(3) 最判平成17年1月26日・最判平成16年11月29日・札幌地裁平成14年11月11日 等

2 信条による差別
2 信条による差別 最判昭和30年11月22日レッドパージ事件・最判昭和48年12月12日・三菱樹脂事件・大阪地裁昭和44年12月26日・日中旅行者事件

3 性別による差別
性別による差別(1)刑事法関係 最判昭和28年6月24日・刑法177条・最判昭和37年12月18日・買収防止法
性別による差別(2)最判昭和56年3月24日・日産自動車事件・東京地判昭和41年12月20日・住友セメント事件
性別による差別(3)京都地裁平成22年5月27日
性別による差別(4)女性の再婚禁止期間・国籍法・入会権

4 社会的身分による差別
社会的身分による差別(1) 社会的身分の意義

 尊属殺
社会的身分による差別(2-1)尊属殺重罰規定の合憲性
社会的身分による差別(2-2)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官田中二郎の意見
社会的身分による差別(2-3)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官下村三郎の意見・裁判官色川幸太郎の意見
社会的身分による差別(2-4)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官大隅健一郎の意見
社会的身分による差別(2-5)尊属殺重罰規定の合憲性・裁判官下田武三の反対意見

【政教分離(2-6-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見2-2】

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【政教分離(2-1-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟】

【政教分離(2-1-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟2】

【政教分離(2-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・補足意見】

【政教分離(2-3)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・補足意見2】

【政教分離(2-4)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・補足意見3】

【政教分離(2-5-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見1-1】

【政教分離(2-5-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見1-2】

【政教分離(2-6-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見3-1】

 八 次に、多数意見の掲げる考慮要素の「3」「当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度」についてみることとする。この点につき多数意見は、考慮要素「2」検討に該当する箇所において、一般人が本件の玉串料等の奉納を社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難いとした上で、そうであれば、玉串料等の奉納者においても、それが宗教的意義を有するものであるという意識を大なり小なり持たざるを得ないのであり、このことは、本件においても同様というべきである、とした。

 玉串料等の奉納は、D神社又は県E神社の挙行する恒例の祭祀中でも重要な意義を有するものと位置付けられ、或いは最も盛大な規模で行われる祭に際し、神社あてに拠出されるものであるから、宗教にかかわり合いを持つものであることは当然で、玉串料等の奉納者においても、それが宗教的意義を有するものであるという意識を大なり小なり持たざるを得ないことは勿論であろう。問題は、その意識の程度である。玉串料等の奉納が儀礼的な意味合いを持つことは、後に多数意見の説示自体にも現れる。曰く、「確かに、D神社及びE神社に祭られている祭神の多くは第二次大戦の戦没者であって、その遺族を始めとする愛媛県民のうちの相当数の者が、県が公の立場においてD神社等に祭られている戦没者の慰霊を行うことを望んでおり、そのうちには、必ずしも戦没者を祭神として信仰の対象としているからではなく、故人をしのぶ心情からそのように望んでいる者もいることは、これを肯認することができる。そのような希望にこたえるという側面においては、本件の玉串料等の奉納に儀礼的な意味合いがあることも否定できない」と。

 長年にわたって比較的低額のまま維持された玉串料等の奉納が慣習化した社会的儀礼としての側面を持つことは、多数意見の右の説示をまつまでもなく、社会生活の実際において到底否定し難いところであり、玉串料等の奉納者においても、それが宗教的意義を有するという意識を「大なり小なり持たざるを得ない」とする説示は、あたかも、この間の消息を物語るもののようにも感ぜられる。なお、多数意見は、本件の玉串料等の奉納に儀礼的な意味合いがあることも否定できないとした上で、たとえ相当数の者がそれを望んでいるとしても、そのことのゆえに、地方公共団体と特定の宗教とのかかわり合いが、相当とされる限度を超えないものとして憲法上許されることになるとはいえないとするが、これは既に違憲と決めつけた上での駄目押しにすぎず、この項で論じているのは、「相当とされる限度を超える」か否かの判断に資するために定立された目的・効果基準を具体的に適用するにあたり、検討すべき考慮要素の一々についてであるから、右の多数意見についてはこれ以上の言及をしない。多数意見が「戦没者の慰霊及び遺族の慰謝ということ自体は、本件のように特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくてもこれを行うことができると考えられる」云々と説示する点についても同様である。

 ところで、考慮要素「3」にいう、当該行為者が当該行為を行うについての意図・目的についてはどうであろうか。この点につき、多数意見は「本件においては、県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれないのであって、県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持つたことを否定することができない」と判示した。その表現はさりげなく、その文章は短いが、その意図するところは大きい。考慮要素「3」にいう当該行為者が当該行為を行うについての意図・目的の検証をこれで一挙に完結させようとするものであるからである。

 被上告人B1らの主張及びこれに副う書証・人証等によれば、D神社の例大祭、みたま祭や県E神社の慰霊大祭以外にも、愛媛県は公金を支出して来た。H戦没者墓苑における慰霊祭には、同墓苑の創設された昭和三四年以来ずっと公金を支出し、東京事務所長らが出席している。支出金は一万五千円(昭和六〇年)で、D神社や県E神社に対する年間支出金額と大差ない。全国戦没者追悼式に際しても、毎年供花料として一万円を支出している。沖縄には愛媛県出身戦没者のための慰霊塔「愛媛の塔」(昭和三七年一〇月建立)があり、遺族会は毎年慰霊塔の前で仏式慰霊祭を行って来たが、この慰霊塔の維持管理のため、毎年公金(約二〇万円)を支出している、という。県の公金支出は宗教的目的のためではなく、目的はあくまで戦没者の慰霊や遺族の慰謝にある、というのである。H戦没者墓苑における慰霊祭、全国戦没者追悼式、「愛媛の塔」の前での慰霊祭を挙行しているのは、なるほど宗教団体ではない。しかし、千鳥ヶ淵も、全国追悼式も、「愛媛の塔」も、D神社も、県E神社も、公金の支出はすべて戦没者の慰霊、遺族の慰謝が目的であると主張されている案件において、D神社と県J神社のみが宗教団体といえるものであることを捉えて、「県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれない」との理由付けで、「県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができない」とするのは、判断として公正を欠くとの譏りを免れないであろう。これまで特定の宗教団体とのかかわり合いとされて来たのが、ここで俄かに「特別の」かかわり合いとされたことに注目すべきであろう。

 九 最後に、多数意見の掲げる考慮要素の「4」「当該行為の一般人に与える効果、影響」についてみることとしよう。いわゆる目的・効果基準の二要件のうち、当該行為の憲法適合性を判断するための最も重要な要件に関するものである。考慮要素「4」につき多数意見の述べるところは少ない。曰く、「地方公共団体が特定の宗教団体に対してのみ本件のような形で特別のかかわり合いを持つことは、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ない」と。

 多数意見がH戦没者墓苑における慰霊祭、全国戦没者追悼式、「愛媛の塔」前の仏式慰霊祭の例を度外視し、これら慰霊の行事の主催者が宗教団体でない点を捉えてした立論が当を得ないことはさきに指摘したとおりで、これを根拠として、「地方公共団体が特定の宗教団体に対してのみ本件のような形で特別のかかわり合いを持つ」ことの是非を論じたのは、その前提に誤りがあるものといわなければならない。しかも、この前提の上に立って、多数意見が考慮要素の「4」当該行為の一般人に与える効果、影響として述べるのは、「一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすもの」であるというに尽きる。

 甚だ抽象的で具体性に欠け、援助、助長、促進との観念上のつながりを手探りしているかの感があるが、この点はむしろ一審判決の方が分かり易い。一審判決は次のようにいう。県がD神社に対して支出した金額は通常の社会的儀礼の範囲内に属するといってよい額である。しかし、一回一回の支出が少額であっても毎年繰り返されて行けば、県と神社との結び付きも無視することができなくなり、それが広く知られるときは、一般人に対しても、D神社は他の宗教団体とは異なり特別のものであるとの印象を生じさせ、或いはこれを強めたり固定したりする可能性が大きくなる。結論として、玉串料等の支出は、県とD神社との結び付きに関する象徴としての役割を果たしているとみることができ、玉串料等の支出は、経済的な側面からみると、D神社の宗教活動を援助、助長、促進するものとまではいえなくとも、精神的側面からみると、右の象徴的な役割の結果としてD神社の宗教活動を援助、助長、促進する効果を有するものということができる、と。県E神社への供物料についても同旨である。

 一審判決は、県とD神社、県E神社との間に具体的な結び付きの実体がないにもかかわらず、両者の「結び付きに関する象徴」としての役割を論じたところに無理があった。或いは結び付きの実体がないからこそ、「結び付きの象徴」として精神的側面を端的に強調したものとも考えられよう(合衆国判例における「象徴的結合」とは、事案も内容も異なる)。

 津地鎮祭大法廷判決によって定立された目的・効果基準の適用にあたって、当該行為の効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるか否かの判定は、このような専ら精神面における印象や可能性や象徴を主要な手がかりとして決せられてはならない。このように抽象的で内容的に具体的なつかみどころのない観念が指標とされるときは、違憲審査権の行使は恣意的とならざるを得ないからである。多数意見は、一審判決のいう「結び付きに関する象徴」云々の表現を用いなかったが、その判旨の内容は実質的に異なるものではない。

 一〇 以上、津地鎮祭大法廷判決の定立した判例法理に従うとして、多数意見が考慮要素の「1」ないし「4」について説示するところをみて来たが、論理に従ってその文脈を辿ることは著しく困難であるといわざるを得ない。考慮要素の「1」はそもそも本件において機能し得ず、また考慮要素の「2」ないし「4」については十分な説明も論証もないまま、多数意見は、目的・効果基準を適用して、本件支出行為と宗教とのかかわり合いが「相当と認められる限度を超えるもの」と論断した。

 しかし、すでにみたように、玉串料等の奉納行為が社会的儀礼としての側面を有することは到底否定し難く、そのため右行為の持つ宗教的意義はかなりの程度に減殺されるものといわざるを得ず、援助、助長、促進に至っては、およそその実体を欠き、徒らに国家神道の影に怯えるものとの感を懐かざるを得ない。

 本件玉串料等の奉納は、被上告人B1が知事に就任する以前から、通算二十数年の長きにわたり、一審判決の表現によれば「通常の社会的儀礼の範囲に属するといってよい額」を細々と長々と続けて来たものにほかならない。訴訟において関係人の陳述を指して…は何々である旨縷々陳述するが…と評することが多いが、縷々とは細く長く絶えず続くことの意味である。本件玉串料等の支出はまさしくそれに当たる。そして、この細く長く絶えず続けられた玉串料等の支出が、多数意見によって「相当とされる限度を超えるもの」とされるとき、私は今は故人となった憲法学徒の次の言葉を想起させられるのである。曰く、「民間信仰の表現としての地蔵や庚申塚が公有地の隅に存することも容認しないほど憲法は不寛容と解すべきであるのか」(小嶋和司「いわゆる『政教分離』について」ジュリスト八四八号)と。

 一一 本件支出の合違憲性についての私の所見は、基本的に以上に述べたところに尽きるが、私は本件支出は違憲でないとの結論をとるので、憲法二〇条のみならず八九条についても言及する必要がある。

 多数意見はこの点につき、D神社及び県E神社は憲法八九条にいう宗教上の組織又は団体に当たることが明らかであり、本件玉串料等をD神社又は県E神社に奉納したことによってもたらされる県とD神社等とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと解されるから、本件支出は、同条の禁止する公金の支出に当たり、違法というべきであるとした。

 憲法八九条は、行政実務上の解釈困難な問題規定の一つであり、多数意見が津地鎮祭大法廷判決の定立した目的・効果基準に従い、本件支出の憲法八九条適合性を判断した態度は是認されよう。津地鎮祭大法廷判決は、次のように述べている。

 曰く、本件起工式[地鎮祭]はなんら憲法二〇条三項に違反するものではなく、また、宗教団体に特権を与えるものともいえないから、同条一項後段にも違反しないというべきである。更に、右起工式の挙式費用の支出も、本件起工式の目的、効果及び支出金の性質、額等から考えると、特定の宗教組織又は宗教団体に対する財政援助的な支出とはいえないから、憲法八九条に違反するものではなく、地方自治法二条一五項、一三八条の二にも違反するものではない、と。

 津地鎮祭大法廷判決においていう「当該行為」とは津市当局の主催した地鎮祭の挙行であり、本件においては、玉串料等の奉納という支出以外に「当該行為」と目すべきものは存在しないから、右の先例の判文をそのままなぞって本件に翻訳することはできないが、要するに、玉串料等の奉納という本件支出の目的、効果、支出金の性質、額等から考えると、特定の宗教組織又は宗教団体に対する財政援助的な支出とはいえないから、憲法八九条に違反するものではない、というに帰着しよう。

 一二 憲法八九条についての戦後の論議は、実り豊かなものではなかった(旧帝国議会での審議当時、宗教関係者が最も怖れたのは、明治政府によつて国有化された、名義上の国有財産である神社・寺院の境内地等が、この規定を根拠にして全面的に取り上げられるのではないか、ということであった)。そして、その条文は、その規定に該当する限り一銭一厘の支出も許されないかの如き体裁となっている。そこで忽ち問題となるのが、津地鎮祭大法廷判決の判文にも現れる「特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成を」することは、憲法八九条に違反することにならないか、ということである。

 この点は、他の私学への助成金(公金)の支出が許されるのに、特定宗教と関係のある私学への助成金(公金)の支出が許されないとすれば、平等原則の要請に反するから…と説明されるのが通常である。しかし、憲法解釈上の難問に遭遇したとき、安易に平等原則を引いて問題を一挙にクリヤーしようとするのは、実は、憲法論議としての自殺行為にほかならないのではあるまいか。

 一方において、宗教関係学校法人に対する億単位、否、十億単位をもってする巨額の公金の支出が平等原則の故に是認され得るとすれば、そして、もしそれが許されないとすれば即信教の自由の侵害になると論断されるのであれば、その論理は同時に、他の戦没者慰霊施設に対する公金の支出が許されるとすれば、同じく戦没者慰霊施設としての基本的性質を有する神社への、五千円、七千円、八千円、一万円という微々たる公金の支出が許されないわけがない、もし神社が「宗教上の組織又は団体」に当たるとの理由でそれが許されないとすれば、即信教の自由の侵害になる、との結論を導き出すものでなければならない。宗教関係学校法人への巨額の助成を許容しながら微細な玉串料等の支出を違憲として、何故、論者は矛盾を感じないのであろうか。すべて、戦前・戦中の神社崇拝強制の歴史を背景とする、神道批判の結論が先行するが故である。

 戦前・戦中における国家権力による宗教に対する弾圧・干渉をいうならば、苛酷な迫害を受けたものとして、神道系宗教の一派である大本教等があったことが指摘されなければならない。

 一三 悪の芽は小さな中に摘みとるのがよく、憲法の理想とするところを実現するための環境を整える努力を怠ってはならない。しかし、国家神道が消滅してすでに久しい現在、我々の目の前に小さな悪の芽以上のものは存在しないのであろうか。 憲法八九条に関連して一例を挙げれば、宗教団体の所有する不動産やその収益と目すべきものにつき、これを課税の対象から外すことは、宗教団体に対し積極的に公金を支出するのと同様の意味を持つ。これが政教分離原則との関係において合衆国判例において論ぜられて久しい。

 我が国において、これらの点に関連して論ぜられるべき問題状況は果たして存在しないのであろうか。何故これらの点がまともに論ぜられることなく、かえって、細く長く絶えず続けられた本件玉串料等の支出の如きが、何故かくも大々的に論議されなければならないのであるか。これが疑問とされないのは何故であるかを疑問とせざるを得ないのである。

 

【政教分離(2-6-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見3-1】

憲法目次Ⅰ

憲法目次Ⅱ

憲法目次Ⅲ

憲法目次Ⅳ

 

【政教分離(2-1-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟】

【政教分離(2-1-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟2】

【政教分離(2-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・補足意見】

【政教分離(2-3)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・補足意見2】

【政教分離(2-4)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・補足意見3】

【政教分離(2-5-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見1-1】

【政教分離(2-5-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見1-2】

【政教分離(2-6-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見3-1】

 判示第一についての裁判官可部恒雄の反対意見は、次のとおりである。

 一 本件第一審判決(松山地裁平成元年三月一七日判決)は、いわゆる津地鎮祭大法廷判決(最高裁昭和五二年七月一三日大法廷判決)を先例として掲げて被上告人B1(元愛媛県知事)の行為を違憲とし、その控訴審である原審判決(高松高裁平成四年五月一二日判決)は、同じく右大法廷判決に従って元知事の行為を合憲とし、当審大法廷の多数意見は、同じく右大法廷判決を先例として引いて元知事の行為を違憲であるとする。私は、津地鎮祭大法廷判決の定立した基準に従い、その列挙した四つの考慮要素を勘案すれば、自然に合憲の結論に導かれるものと考えるので、多数意見の説示するところと対比しながら、以下に順次所見を述べることとしたい。

 二 本件は、被上告人B1が愛媛県知事として在任中の昭和五六年から同六一年にかけてD神社の春秋の例大祭に際して奉納された玉串料各五千円、みたま祭に際して奉納された献灯料各七千円又は八千円、愛媛県E神社の春秋の慰霊大祭に際し県遺族会を通じて奉納された供物料各一万円の公金からの支出が憲法二〇条三項、八九条に違反するや否やが争われた事件であるが、多数意見は、本件支出の適否を判断するにあたり、「政教分離原則と憲法二〇条三項、八九条により禁止される国家等の行為」との標題を掲げて、次のように説示した。

 1 まず、政教分離規定がいわゆる制度的保障の規定であること、現実の国家制度として国家と宗教との完全な分離を実現することは実際上不可能に近いこと、政教分離原則を完全に貫こうとすればかえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを挙げて、

 2 国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があり、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、制度の根本目的(信教の自由の保障の確保)との関係において、そのかかわり合いの許否の限度を論ずべきであるとし、

 3 このような見地から考えると、政教分離原則は、国家の宗教的中立性を要求するものではあるが、国家と宗教とのかかわり合いを全く許さないものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的・効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものである、と結論づけた。

 三 右にいう「我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするもの」というのは、表現それ自体としては、いわば、適法とされる限度を超える場合には違法となるとするの類いで、もとよりその内容において一義的でなく、それ自体としては、当該行為の合違憲性の判断基準として明確性を欠くとの非難を免れないが、多数意見は、以上に続いて次のように述べている。

 「憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである」と。いわゆる目的・効果基準であり、さきにみた「相当とされる限度を超えるもの」というおよそ一義性に欠ける説示の内容が合違憲性の判断基準として機能することが可能となるための指標が与えられたものと評することができよう。

 しかしながら、具体的な憲法訴訟として提起される社会的紛争につき右の基準を適用して妥当な結論に到達するためには、更により具体的な考慮要素が示されなければならない。多数意見は、この点につき、「1」当該行為の行われる場所、「2」当該行為に対する一般人の宗教的評価、「3」当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、「4」当該行為の一般人に与える効果、影響の四つの考慮要素を挙げ、ある行為が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するかどうかを検討するにあたっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、右の「1」ないし「4」の考慮要素等諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断しなければならない旨を判示した。

 以上、多数意見の説示するところが津地鎮祭大法廷判決の判旨に倣ったものであることは、その判文に照らして明らかである。そこで、以下に津地鎮祭大法廷判決の事案及びその判旨と対比しつつ、多数意見に賛同し得ない理由を述べることとする。

 四 津地鎮祭大法廷判決が判例法理として定立した目的・効果基準とは、()該行為の目的が宗教的意義を持つものであること、及び()その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為であること、の二要件を充足する場合に、それが憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」として違憲となる(その一つでも欠けるときは違憲とならない)とするもので、この点、合衆国判例にいうレモン・テストにおいて、a目的が世俗的なものといえるか、b主要な効果が宗教を援助するものでないといえるか、c国家と宗教との間に過度のかかわり合いがないといえるか、の一つでも充足しないときは違憲とされることとの違いがまず指摘されるべきであろう。

 本件において県のしたさきの支出行為が目的(宗教的意義を持つか)効果(宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等となるか)基準の二要件を充足するか否かを、四つの考慮要素を勘案し、社会通念に従って客観的に判断するためには、まず、津地鎮祭大法廷判決の事案を眺め、それと本件玉串料等支出の事案との異同を識別しなければならない。

 津地鎮祭大法廷判決の事案は、次のようなものである。津市体育館の建設にあたり、その建設現場において、津市の主催による起工式[地鎮祭]が、市職員が進行係となって、神職四名の主宰のもとに、所定の服装で、神社神道固有の祭祀儀式に則り、一定の祭場を設け、一定の祭具を使用して行われ、これを主宰した神職自身、宗教的信仰心に基づいて式を執行したものと考えられるが、その挙式費用(神職に対する報償費及び供物料)を市の公金から支出したことの適否が争われたというものである。

 そして、右大法廷判決は、ある行為が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するかどうかを検討するにあたっては、「当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど」当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、前述の四つの考慮要素等諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断しなければならない、としたのである。

 津市長個人を被告とする住民訴訟の形式で争われたのは、地鎮祭の挙式費用としての公金支出の適否であるが、津地鎮祭大法廷判決が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するか否かを論じたのは、いうまでもなく、津市の主催した地鎮祭(その主宰者は専門の宗教家である神職で、神社神道固有の祭祀儀式に則って行われたもの)そのものについてである。同判決は、地鎮祭の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど、地鎮祭の外形的側面のみにとらわれることなく、「1」地鎮祭の行われる場所、「2」地鎮祭に対する一般人の宗教的評価、「3」地鎮祭主催者である市が地鎮祭を行うについての意図・目的、宗教的意識の有無・程度、「4」地鎮祭の一般人に与える効果・影響等、四つの考慮要素を勘案し、社会通念に従って客観的に判断すべきであるとした。

 以下に、I事件との対比において、本件において、〝当該行為〟が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するか否かを決するにあたり、検討されるべき考慮要素とは何か、についてみることとする。

 五 本件において、多数意見が憲法適合性の論議の対象として取り上げるのは、前述のように、D神社の春秋の例大祭に際して奉納された玉串料、みたま祭に際して奉納された献灯料、県E神社の春秋の慰霊大祭に際して県遺族会を通じて奉納された供物料、の公金からの支出行為自体であって、それ以外にない。

 さきのI事件において憲法適合性が論ぜられたのは津市の主催する地鎮祭であるが、本件において多数意見の言及する右の例大祭、みたま祭、慰霊大祭の主催者は、D神社や県E神社であって、もとより県ではない(慰霊大祭についてはその主催者が県E神社であるか遺族会であるかの争いがあるが、その実態からみて両者の共催であるとしても、主催者が県でないことに変わりはない)。

 D神社についていえば、被上告人B1の委任に基づき県東京事務所長の決するところにより、同事務所の職員が、例大祭やみたま祭に際し、多くはその当日ではなく事前に、通常の封筒に入れて玉串料や献灯料を社務所に届けたものであり、知事は勿論、職員の参拝もなかった。

 県E神社についていえば、遺族会の要請により春と秋の彼岸に近接した日に行われる慰霊大祭に際し知事である被上告人B1が(老人福祉課長の専決処理により)遺族会会長である被上告人B1に対し供物料を支出した後、遺族会会長名義の供物料として奉納したものである(一審判決によれば、春秋の慰霊大祭の行事中に知事又はその代理者の参列についての記述がみられる)。

 六 I事件と本件との事案の相違の最も顕著な点は右のとおりであるが、まず、検討すべき考慮要素の「1」「当該行為の行われる場所」についてみると果たしてどうであろうか。

 この点につき多数意見は、本件公金の支出は、D神社又は県E神社が各神社の境内において挙行した恒例の宗教上の祭祀である例大祭、みたま祭又は慰霊大祭に際し、玉串料、献灯料又は供物料を奉納するためになされたものであるとした上、神社神道においては、祭祀を行うことがその中心的な宗教上の活動であるとされていること、例大祭及び慰霊大祭は、神道の祭式に則って行われる儀式を中心とする祭祀であり、各神社の挙行する恒例の祭祀中でも重要な意義を有するものと位置付けられていること、みたま祭は同様の儀式を行う祭祀であり、D神社の祭祀中最も盛大な規模で行われるものであることは、いずれも公知の事実である、とする。これらの事実が果たして公知であるか否かは暫く措くとして、多数意見は、神社神道において中心的な宗教上の活動とされる祭祀の中でも重要な意義を有するものと位置付けられ或いは最も盛大な規模で行われる春秋の例大祭、みたま祭又は慰霊大祭が、各神社の境内で挙行されることを強調しているやに見受けられる(このことは、みたま祭において奉納者の名前を記した灯明が境内に掲げられる旨を特記する点にも表れている)。しかし、恒例の宗教上の祭祀である例大祭、みたま祭又は慰霊大祭が神社の境内において挙行されるのは、あまりにも当然のことであって(灯明の掲げられる場所が境内であることについても同様である)、問題とされた本件支出行為につき、津地鎮祭大法廷判決が例示し、本件において多数意見がこれに倣う考慮要素の一としての〝当該行為の行われる場所〟としての意味を持ち得るものではない。

 七 次に、多数意見の掲げる考慮要素の「2」「当該行為に対する一般人の宗教的評価」についてみることとする。この点につき多数意見は、一般に、神社自体がその境内において(ここで再び「境内において」と強調されるのは、考慮要素「1」とのかかわり合いであろう)挙行する恒例の重要な祭祀に際して右のような玉串料を奉納することは、建築主が主催して建築現場において土地の平安堅固工事の無事安全等を祈願するために行う儀式である起工式[地鎮祭]の場合とは異なり、時代の推移によって既にその宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているとまでは到底いうこということができず、一般人が本件の玉串料等の奉納を社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難いところである、という。

 元来、我が国においては、(キリスト教諸国や回教諸国と異なり)各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存して来ていることは、多数意見の述べるとおりであるが、さきの津地鎮祭大法廷判決は、この点の指摘とともに、多くの国民は、地域社会の一員としては神道を、個人としては仏教を信仰するなどし、冠婚葬祭に際しても異なる宗教を使い分けしてさしたる矛盾を感ずることがないというような宗教意識の雑居性が認められ、国民一般の宗教的関心は必ずしも高いものとはいい難い、と述べている。地域社会の一員としては、鎮守の杜のお社の氏子として行動し、家に帰っては、それぞれの寺院に先祖代々の墳墓を設け、葬儀も供養も仏式によって行うというのは、国民の間で広く受け容れられている生活の類型である。

 初詣には神社に参詣することが多いが、参詣者の大部分は仏教徒である。神社に参詣すれば通常はお賽銭を上げるが、履物を脱いで参殿し、神前に額づいて神職から格別の扱いを受ければ、玉串料を捧げることになる。七五三の行事は概ねこれによって行われる。式次第は神社神道固有の祭祀儀式に則って行われるが、それを受ける側の参詣者の多くは仏教徒その他神道信仰者以外の者であって、内心において信仰上の違和感を持たないのが通常であろう。

 国民が神社に参詣し玉串料等を捧げるのは、初詣や神前の結婚式や七五三や個人的な祈願のための行事の機会の外に、神社神道においてその中心的な宗教上の活動であるとされる恒例の祭祀の機会がある。D神社の春秋の例大祭、みたま祭、県E神社の春秋の慰霊大祭もその一つである。D神社や県E神社は、元来、戦没者の慰霊のための場所、施設である。戦後、占領政策の一環として宗教法人としての性格付けを与えられたが、そのために戦没者の慰霊のための場所、施設としての基本的性質が失われたわけではない。D神社の祭神は百五単位をもって数える戦没者が主体であり、県E神社のそれは愛媛県出身の戦没者が主体であるが、そのほかに、旧藩主、藩政に功労のあった者、産業功労者、警察官、消防団員、自衛官の公務殉職者等を含むとされる。祭神という言葉はいかめしいが、いわば神社神道固有の〝術語〟であり、神社に参詣する国民一般からすれば、今は亡きあの人この人であって、ゴッドではない。

 各県におけるE神社は、かつては招魂社と呼ばれた。その恒例の祭祀が招魂祭である。現に六〇歳代以上の年輩者には記憶のあることであるが、「招魂祭」とは戦没者の慰霊のための催しであるとはいえ、現在の政教分離原則の下で国家神道との関係が云々されるようないかめしいものではなく、招魂社の境内には綿菓子やのし烏賊を売る屋台が並び、それらの匂いの漂う子供心にも楽しいお祭り以外の何物でもなかった。

 県E神社についていえば、春秋二回の慰霊大祭に際し、「供物料 愛媛県」と書いたのし袋に一万円を入れて、県E神社の境内にある県遺族会事務所に届け、県遺族会から「供物料 財団法人F遺族会会長B1」と書いたのし袋に一万円を入れて、県E神社に奉納したものであり、D神社についても、県職員が多くは事前に通常の封筒に入れて玉串料(各五千円)や献灯料(七千円又は八千円)を社務所に届け、知事は勿論、職員の参列もなかったことは、前述のとおりである。金額が軽少であることが特に注目されよう。

 以上のように具体的に考察してみれば、神社の恒例の祭祀に際し、招かれて或いは求められて玉串料、献灯料、供物料等を捧げることは、神社の祭祀にかかわることであり、奉納先が神社であるところから、宗教にかかわるものであることは否定できず、またその必要もないが、それが慣習化した社会的儀礼としての側面を有することは、到底否定し難いところといわなければならない。

 しかるに多数意見は、地鎮祭の先例を引いて社会的儀礼にすぎないとはいえないとする。地鎮祭は、前述のとおり、津市の主催の下に、専門の宗教家である神職が、所定の服装で、神社神道固有の祭祀儀式に則って、一定の祭場を設け一定の祭具を使用して行ったものであるのに対し、本件はD神社又は県E神社の主催する例大祭、みたま祭又は慰霊大祭に際して、比較的低額の玉串料等を奉納したというのが実態であって、当該行為に対する一般人の宗教的評価いかんを判定するにあたり、前者は社会的儀礼にすぎないが、後者をもって「一般人が…社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難い」とするのは、著しく評価のバランスを失するものといわなければならない。

 多数意見がこのように性急に論断する理由は、「県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀にかかわり合いを持ったということが明らかである」ことにある。

 しかしながら、「政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ない」ことは、多数意見の自ら述べるとおりで、「そのかかわり合いが…相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを」違憲と判断するための目的・効果基準を定立し、その具体的適用にあたり検討すべき四つの考慮要素を掲げた。その考慮要素の「2」〝当該行為に対する一般人の宗教的評価〟を論ずるにあたり、「県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀にかかわり合いを持った」ことを理由に、当該行為が宗教的意義を持つとの一般人の評価が肯定されるというのでは、目的・効果基準を具体的に適用する上での考慮要素「2」は何ら機能していないものといわざるを得ない。

【政教分離(2-5-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見1-2】


憲法目次Ⅰ

憲法目次Ⅱ

憲法目次Ⅲ

憲法目次Ⅳ

【政教分離(2-1-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟】

【政教分離(2-1-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟2】

【政教分離(2-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・補足意見】

【政教分離(2-3)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・補足意見2】

【政教分離(2-4)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・補足意見3】

【政教分離(2-5-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見1-1】

【政教分離(2-5-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見1-2】

【政教分離(2-6-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見3-1】

 三 本件支出にかかる事実関係とその検討

 1 D神社に対する供与

 D神社に対する供与は、昭和五六年から同六一年までの間、春秋の例大祭に際し、玉串料名下に一回五〇〇〇円ずつ九回、七月のみたま祭に際し、献灯料名下に一回七〇〇〇円ないし八〇〇〇円ずつ四回供与したもので、その供与は合計七万六〇〇〇円である。

 右各供与は、恒例の宗教上の祭祀である春秋の例大祭及びみたま祭に際してされたものであり、しかも昭和三三年ころから毎年継続して行われてきたというのであるが、次の諸点が留意されなければならない。

 () 金員の供与がD神社の恒例の祭祀に際してされたことが問題とされている。しかしながら、現在のD神社の春秋の例大祭の日は、戦後の政教分離政策の実施とともに、それぞれ春分の日及び秋分の日を基に新旧暦で換算して定めたものであり、春分の日及び秋分の日は、国民生活において、彼岸の中日として、祖先など死没者の墓参りが行われる日である。また、みたま祭は、古来我が国で祖先などの霊を祀り、慰め、供養する日とされてきたお盆(もともと民間習俗であって、仏教に由来するものではないとされている。)の日にちなんで、戦後設定したものであり、お盆に帰ってくる祖先などの霊を迎えるため提灯を掲げる習俗に合わせ、D神社の境内にも、献灯料によって二万を超える提灯が掲げられるのである。すなわち、いずれも特に祭神に直接かかわりのある日を卜して定められたものではなく、我が国において多数を占める国民が日常生活の上で祖先などの追悼、慰霊の日としてきた日にちなんで定められた日であって、特定の宗教への信仰を離れても、戦没者の追悼、慰霊をするにふさわしい日といえる。

 春秋の例大祭及びみたま祭は、D神社の立場からすれば、いわゆる恒例祭として、重要な宗教的意義を持ち、外形的にも主要な宗教的儀式にほかならないけれども、二に述べたように、多くの国民は、D神社を戦没者の追悼、慰霊の中心的施設と意識しているのであって、祖先などの追悼、慰霊の日にちなんだ日に行われる例大祭やみたま祭については、多くの国民や遺族は、戦没者を偲び、追悼し、慰霊する行事との意識が強く、祭神を信仰の対象としての宗教的儀式という意識は、必ずしも一般的ではないといえる。憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動及び同八九条の禁止する公金の支出に当たるかどうかの判断は、多くの国民の側の意識を考慮してされるべきであって、D神社の立場に立ってされるべきではない。このことは宗教的儀式の二面性ともいうべきものであって、世俗的行事とされている地鎮祭のような宗教的儀式についてもいえる。すなわち、地鎮祭も、これを主宰している神職の立場からすれば、降神の儀により大地主神及び産土神をその場所に招いて行う厳粛な神儀であり、外形的にも宗教的儀式にほかならないが、ただ建築主その他の参列者を含む国民一般は、世俗的行事と意識しているということなのである。

 () 右各金員の供与は、いずれもD神社からの案内に基づき、あらかじめ愛媛県知事である被上告人B1から委任を受けていた愛媛県東京事務所長である被上告人B2が通常の封筒に金員を入れて同神社の社務所に持参し、玉串料又は献灯料として持参した旨を口頭で告げて、同神社に交付したというのである。この供与の機会あるいは例大祭やみたま祭の機会に、県知事自らが参拝した事実はないのみならず、東京事務所長その他の県職員が代理して参拝した事実もなく、通常の封筒に入れて玉串料又は献灯料と記載することもなく交付しているのであって、供与の態様は極めて事務的といえる。

 例大祭に際しては、交付に当たり「玉串料」と告げているが、玉串料とは、神式による儀式に関連して金員を供与するに当たっての一つの名目でもあり、葬儀が神式で行われる場合、香典の表書を「御玉串料」とする例も多いことは、周知のところであるし、例大祭において、県関係者による現実の玉串奉奠がされたこともない。それ故、玉串料という名目に、必ずしも供与する側の宗教的意図、目的を見い出すことはできず、また、必ずしも国民一般がこれを宗教的意義ある供与として意識するともいえないと思われる。ちなみに、前出最高裁昭和五二年七月一三日大法廷判決が世俗的行事であって憲法二〇条三項にいう宗教的活動に当たらないと判示した津市体育館の地鎮祭においては、神事として、津市長、同市議会議長らによって、現実に玉串奉奠が行われているし、最高裁昭和六二年(行ツ)第一四八号平成五年二月一六日第三小法廷判決・民集四七巻三号一六八七頁がそれへの参列は宗教的活動に当たらないとした忠魂碑前での神式による慰霊祭の神事においても、市長ら参列者により現実の玉串奉奠が行われているのである。

 みたま祭に際しては、交付に当たり「献灯料」と告げているが、境内に提灯が掲げられるのは、お盆に祖先を迎えるため提灯を掲げる我が国の習俗に由来すること、多くの国民はD神社を戦没者の追悼、慰霊の中心的施設と意識しているしと前述のとおりであることからすれば、多くの国民は、みたま祭の献灯をD神社の祭神にかかる宗教的儀式と結び付ける意識は薄く、戦没者の追悼、慰霊のためとの意識が強いということができる。そのための献灯料の供与に、必ずしも供与する側の宗教的意図、目的を見い出すことはできず、また、必ずしも国民一般がこれを宗教的意義ある供与として意識するともいえないと思われる。

 () 供与にかかる金員の額は、一般に冠婚葬祭などに際し、都道府県ないしその知事の名義で社会的儀礼として供与する金員として最低限度の額といえるものであることは明らかであるし、愛媛県の規模、予算その他からしても、逆にD神社のそれらからしても、極めて微少であって、金額からみれば、宗教とのかかわり合いは最低限度のものといってよい。金員供与が毎年の例大祭ないしみたま祭に際し継続的にされていることから、単に社会的儀礼の範囲にとどまるものとは評価し難いとする向きもあるが、右のように、例大祭やみたま祭に際しての金員の供与が、追悼、慰霊としての社会的儀礼の範囲内といえる程度のものであるならば、それが春秋ないし毎年の追悼、慰霊の機会に継続的にされたことは、あたかも死没者に対する毎年の命日ごとの追悼、慰霊のように、手厚い儀礼上の配慮がされたというべきものであって、継続的にされたことから、社会的儀礼の範囲を超えるものと評価することは当たらない。

 ちなみに、D懇報告書をふまえて、昭和六〇年の終戦記念日に内閣総理大臣がD神社の本殿に昇殿して、公式に参拝をしたが、その際、「内閣総理大臣何某」の名入りの花一対を本殿に供えた。その代金として公金から支出されD神社に交付された金員の額は、三万円であり、一国を代表する者としての戦没者の追悼、慰霊のための支出として、当然社会的儀礼の範囲内といえる額であるが、これとの対比においても、右各供与が社会的儀礼の範囲を超えるものでないことは明らかである。

 なお、判例をみると、地方公共団体が行う接待等については、一回の機会にかなりの金額を支出している場合にも、社会通念上儀礼の範囲を逸脱したものとまでは断じ難いとしており、奈良県の某町が、地元出身の大臣の祝賀式典の挙行等のために、三二六万余円の公金(同町の当時の歳出予算額の〇・一六パーセントを占める金額)を支出した事案で、「社交儀礼の範囲を逸脱しているとまでは断定することができず」と判示した(最高裁昭和六一年(行ツ)第一二一号平成元年七月四日第三小法廷判決・判例時報一三五六号七八頁)のは、その例である。戦没者の追悼、慰霊のための宗教とのかかわり合いが相当とされる限度を超えるかどうかが問題とされる場合のみ、微少な金額の支出についても、厳しく糾弾するのは、バランスを欠くとの感を否めない。

 2 宗教法人愛媛県E神社(以下、私の反対意見において、「愛媛県E神社」という。)に対する供与

 愛媛県E神社に対する供与は、昭和五六年から同六一年までの間、春秋の慰霊大祭に際し、供物料名下に一回一万円ずつ九回供与したもので、その供与は合計九万円である。

 右各供与は、恒例の宗教上の祭祀である春秋の慰霊大祭に際してされたものであり、しかも、昭和三三年ころから毎年継続して行われてきたというのであるが、次の諸点が留意されなければならない。

 () 金員の供与は春秋の慰霊大祭の際にされており、愛媛県E神社の恒例の大祭に際して供与されたことが問題とされる。しかしながら、春秋の大祭は、愛媛県E神社の立場からすれば、重要な宗教的意義を持ち、外形的にも主要な宗教的儀式にほかならないけれども、二に述べたように、多くの国民は、E神社を戦没者の追悼、慰霊の中心的施設と意識しているのであって、慰霊大祭の名の下に行われるこの行事については、()に後述するようにこの行事に深く関与している財団法人F遺族会(以下、私の反対意見において、「F遺族会」という。)を始めとし、多くの国民や遺族は、慰霊大祭の名に示されるとおり、正に戦没者を偲び、追悼し、慰霊する行事との意識が強く、祭神を信仰の対象としての宗教的儀式という意識は、必ずしも一般的ではないといえる。このことは、D神社の例大祭及びみたま祭について述べたと同じく、宗教的儀式の二面性として把握されるべきものであって、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動及び同八九条の禁止する公金の支出に当たるかどうかの判断は、多くの国民の側の意識を考慮してされるべきものであって、愛媛県E神社の立場に立ってされるべきではない。

 () 右各金員の供与は、以下のようにしてされた。すなわち、まずF遺族会ないし同会長の名義による愛媛県知事あての慰霊大祭の案内状が届き、愛媛県では、慰霊大祭の供物料として一万円を支出する手続をとり、「供物料、愛媛県」と表書したのし袋に入れ、通常は老人福祉課遺族援護係長がF遺族会の事務所に持参し、これを受領した同会は、慰霊大祭の日に、右一万円を「供物料、財団法人F遺族会会長B1」と表書したのし袋に入れ替えて、愛媛県E神社に交付した、というのである。

 このように、愛媛県からの金員供与は、直接的には、F遺族会に対してされ、同会において、同会会長名を表書した別ののし袋に入れ替えて、愛媛県E神社に交付しているのであるから、愛媛県から愛媛県E神社に対する金員の供与というべきであるかは著しく疑問で、むしろ、供物料を奉納するのはF遺族会であって、愛媛県は、遺族援護業務として、F遺族会に対し供物料を供与したものといえるのである。F遺族会が宗教上の組織又は団体に当たらないことはいうまでもない。仮に愛媛県から愛媛県E神社への供与とみることができるとしても、その供与は間接的というほかはない。

 表書は「供物料」となっているが、供物料とは、神式に限らず、神式又は仏式による儀式に関連して金員を供与するに当たっての一の名目でもあり、葬儀が神式で行われる場合、香典の表書を「神饌料」(「神饌」とは、神に供する酒食の意である。)とする例もあることは、周知のところである。それ故、供物料という名目に、必ずしも供与する側の宗教的意図、目的を見い出すことはできず、また、必ずしも国民一般がこれを宗教的意義ある供与として意識するともいえないと思われる。

 () 供与にかかる金員の額は、一般に冠婚葬祭などに際し、都道府県ないしその知事の名義で社会的儀礼として供与する金員として最低限度の額といえるものであることは明らかであり、愛媛県の規模、予算その他からしても、極めて微少であって、金額からみれば、宗教とのかかわり合いは最低限度のものといってよいことなどは、D神社に対する供与について述べたのと同様である。金員の供与が毎年春秋の慰霊大祭に際し継続的にされていることから、単に社会的儀礼の範囲にとどまるものとは評価し難いとする向きもあるが、D神社に対する供与について述べたのと同様に、金員の供与が追悼、慰霊としての社会的儀礼の範囲内といえる程度のものであるならば、それが継続されたことは、手厚い儀礼上の配慮がされたと評価すべきものであって、継続的にされたことから、社会的儀礼の範囲を超えるものと評価することはできない。

 四 本件支出の評価

 戦没者に対する追悼、慰霊は、国民一般として、当然の行為であり、また、国や地方公共団体、あるいはそれを代表する立場にある者としても、当然の礼儀であり、道義上からは義務ともいえるものであること、また、D神社やE神社は、多くの国民から、日清戦争、日露戦争以来の我が国の戦没者の追悼、慰霊の中心的施設であり、戦没者の御霊のすべてを象徴する施設として意識されており、現実の問題として、そのような施設は、D神社やE神社をおいてはほかに存在しないことは、二に述べたとおりである。また、本件支出にかかるD神社及び愛媛県E神社への供与は、右各神社の側からすれば、重要な宗教的意義を持ち外形的にも主要な宗教的儀式である恒例祭に際してされたものであるけれども、多くの国民や遺族にとっては、戦没者を偲び、追悼し、慰霊する行事に際してのことであること、D神社への供与は、その交付の態様は極めて事務的であること、愛媛県E神社への供与とされている供与は、遺族援護業務としてのF遺族会への供与ということができ、愛媛県E神社への供与と断ずべきものか著しく疑問であるのみならず、仮にそのような供与とみることができるとしても、その供与は間接的であること、玉串料又は献灯料と告げ、あるいは供物料と表書したことに、必ずしも供与する側の宗教的意図、目的を見い出すことはできず、また、必ずしも国民一般がこれを宗教的意義ある供与として意識するともいえないと思われること、供与の額は、一般に冠婚葬祭などに際し、都道府県やその知事の名義で社会的儀礼として供与される金員として最低限度の額といえるものであり、金額からみれば、宗教とのかかわり合いは最低限度のものといってよいこと、供与が毎年継続的にされたことから、社会的儀礼の範囲を超えるものと評価することはできないことなどは、三に述べたとおりである。

 以上に加えて、我が国においては、家に神棚と仏壇が併存し、その双方にお参りをし、さらに、家の中にはそれ以外の神仏の守り札も掲げられているといった家庭が多く、場合によっては、その子女はミッション系の学園で学んでいるといったこともみられる。また、前出最高裁平成五年二月一六日第三小法廷判決の事案にみられるように、同一の遺族会主催の下に毎年一回行われる同一の忠魂碑の前での慰霊祭が、神式、仏式隔年交替で行われている事例もある。すなわち、我が国においては、多くの国民の宗教意識にも、その日常生活にも、異なる宗教が併存し、その併存は、調和し、違和感のないものとして、肯定されているのであって、我が国の社会においては、一般に、特定の宗教に対するこだわりの意識は希薄であり、他に対してむしろ寛容であるといってよい。このような社会の在り方は、別段批判せらるべきものではなく、一つの評価してよい在り方であり、少なくとも「宗教的意識の雑居性」というような「さげすみ」ともとれる言葉で呼ばれるべきものではない。このような社会的事情も考慮に入れるれなければならず、特定の宗教のみに深い信仰を持つ人々にも、本件のような問題につきある程度の寛容さが求められるところである。

 これら諸般の事情を総合すれば、本件支出は、いずれも遺族援護業務の一環としてされたものであって、支出の意図、目的は、戦没者を追悼し、慰霊し、遺族を慰めることにあったとみるべきであり、多くの国民もそのようなものとして受け止めているということができ、国民一般に与える効果、影響等としても、戦没者を追悼、慰霊し、我が国や世界の平和を折求し、遺族を慰める気持を援助、助長、促進するという積極に評価されるべき効果、影響等はあるけれども、特定の宗教を援助、助長、促進し、又は他の宗教に対する圧迫、干渉等となる効果、影響等があるとは到底いうことができず、これによってもたらされる愛媛県とD神社又は愛媛県E神社とのかかわり合いは、我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるとはいえない。本件支出は、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動に該当せず、同八九条の禁止する公金の支出にも該当せず、また、同二〇条一項後段にも違反しないというべきである。

 五 付言

 1 本件支出をもって違憲ということができないことは、以上に詳述したとおりであるが、心の問題としては、わだかまるものがないではない。二に述べたとおり、公人が公人の立場で、過度に特定の宗教とかかわることのない限度で、戦没者の追悼、慰霊に尽くすことは、当然の礼儀であり、道義上は義務ともいえるのであるが、追悼、慰霊が特定の宗教とかかわりを持って行われる場合の支出は、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えないものに限られるのであるから、当然本件支出の金額程度にとどまる。そうだとすれば、心の問題としては、その程度の金員は、これを自己において支弁することに、より共感を覚える。けだし、自己において支弁する方がより心のこもった供与となり、追悼、慰霊の趣旨に一層かなうからである。しかし、このことは、本件支出が違憲かどうかにはかかわりがない。本件では、心の問題としての本件支出の相当性が問われているのではない。上述のような判断となった次第である。

 2 D神社やE神社と国や地方公共団体とのかかわりに関して、世上、国家神道及び軍国主義の復活を懸念する声がある。戦前の一時期及び戦時中において、事実上神社に対する礼拝が強制されたことがあり、右危惧を抱く気持は理解し得ないではない。しかしながら、昭和二〇年一二月一五日の連合国最高司令官からのいわゆる神道指令により、神社神道は一宗教として他のすべての宗教と全く同一の法的基礎に立つものとされると同時に、神道を含む一切の宗教を国家から分離するための具体的措置が明示され、さらに、昭和二二年五月三日には政教分離規定を設けた憲法が施行された。戦後現在に至るD神社やE神社は、他の宗教法人と同じ地位にある宗教法人であって、戦前とはその性格を異にしている。また、政教分離規定を設けた憲法の下では、国家神道の復活はあり得ないし、平和主義をその基本原理の一つとする憲法は、軍国主義の十分な歯止めとなっている。D神社の社憲二条にも、神社の目的として、「…万世にゆるぎなき太平の基を開き、以て安国の実現に寄与するを以て根幹の目的とする。」と定められているところである。D神社やE神社と国や地方公共団体との本件程度のかかわり合いにつき、そのような危惧を抱くのは、短絡的との感を免れず、日本国民の良識を疑っているものといわざるを得ない。戦後長い間に培われた日本国民の良識をもっと信頼すべきであろう。

 3 世上、D神社に一四人のA級戦犯も合祀されているしとを指摘する向きもある。今ここに東京裁判について論述することは、本件訴訟の争点と関係がないので、差し控えるが、A級戦犯が合祀されていることは、二四六万余にのぼる多くの戦没者につき、追悼、慰霊がされるべきであることとかかわりのないことであるし、まして本件支出が特定の宗教との相当とされる限度を超えるかかわり合いに当たるかどうかとは無関係の事柄である。D懇報告書にも、「合祀者の決定は、現在、D神社の自由になし得るところであり、また、合祀者の決定に仮に問題があるとしても、国家、社会、国民のために尊い生命を捧げた多くの人々をおろそかにして良いことにはならないであろう。」と指摘されているので、これを引用する。

 4 なお、本件のような問題は、本質的には、国内問題であることはいうまでもないが、右2及び3については、常に関係諸外国の理解を得るための努力も続けられなければならないところである。      

 

 

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