目次


第3章 国民の権利及び義務 私人間効力(2)

 

【私人間効力】

・最判昭和49年7月19日 昭和女子大事件

要旨

一、私立大学において、その建学の精神に基づく校風と教育方針に照らし、学生が政治的目的の署名運動に参加し又は政治的活動を目的とする学外団体に加入するのを放任することは教育上好ましくないとする見地から、学則等により、学生の署名運動について事前に学校当局に届け出るべきこと及び学生の学外団体加入について学校当局の許可を受けるべきことを定めても、これをもつて直ちに学生の政治的活動の自由に対する不合理な規制ということはできない。

二、学校教育法施行規則一三条三項四号により学生の退学処分を行うにあたり、当該学生に対して学校当局のとつた措置が本人に反省を促すための補導の面において欠けるところがあつたとしても、それだけで退学処分が違法となるものではなく、その点をも含めた諸般の事情を総合的に観察して、退学処分の選択が社会通念上合理性を認めることができないようなものでないかぎり、その処分は、学長の裁量権の範囲内にあるものというべきである。

三、学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向の私立大学の学生が、学則に違反して、政治的活動を目的とする学外団体に無許可で加入し又は加入の申込をし、かつ、無届で政治的目的の署名運動をした事案において、これに対する学校当局の措置が、学生の責任を追及することに急で、反省を求めるために説得に努めたとはいえないものであつたとしても、他方、右学生は、学則違反についての責任の自覚歩うすく、学外団体からの離脱を求める学校当局の要求に従う意思はなく、説諭に対して終始反発したうえ、週刊誌や学外集会等において公然と学校当局の措置を非難するような行動をしたなど判示の事情があるときは、学校教育法施行規則一三条三項四号により右学生に対してされた退学処分は、学長に認められた裁量権の範囲内にあるものとしてその効力を是認すべきである。

 

 

判旨

右生活要録の規定は、その文言に徴しても、被上告人大学の学生の選挙権若しくは請願権の行使又はその教育を受ける権利と直接かかわりのないものであるから、所論のうち右規定が憲法一五条、一六条及び二六条に違反する旨の主張は、その前提において既に失当である。また、憲法一九条、二一条、二三条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障することを目的とした規定であつて、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和四三年(オ)第九三二号同四八年一二月一二日判決・裁判所時報六三二号四頁)の示すところである。したがつて、その趣旨に徴すれば、私立学校である被上告人大学の学則の細則として

の性質をもつ前記生活要録の規定について直接憲法の右基本権保障規定に違反する

かどうかを論ずる余地はないものというべきである。

 

 ところで、大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有するものと解すべきである。

特に私立学校においては、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによつて社会的存在意義が認められ、学生もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生としてもまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならない。

もとより、学校当局の有する右の包括的権能は無制限なものではありえず、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものであるが、具体的に学生のいかなる行動についていかなる程度、方法の規制を加えることが適切であるとするかは、それが教育上の措置に関するものであるだけに、必ずしも画一的に決することはできず、各学校の伝統ないし校風や教育方針によつてもおのずから異なることを認めざるをえないのである。

れを学生の政治的活動に関していえば、大学の学生は、その年令等からみて、一個の社会人として行動しうる面を有する者であり、政治的活動の自由はこのような社会人としての学生についても重要視されるべき法益であることは、いうまでもない。

しかし、他方、学生の政治的活動を学の内外を問わず全く自由に放任するときは、あるいは学生が学業を疎かにし、あるいは学内における教育及び研究の環境を乱し、本人及び他の学生に対する教育目的の達成や研究の遂行をそこなう等大学の設置目的の実現を妨げるおそれがあるのであるから、大学当局がこれらの政治的活動に対してなんらかの規制を加えること自体は十分にその合理性を首肯しうるところであるとともに、私立大学のなかでも、学生の勉学専念を特に重視しあるいは比較的保守的な校風を有する大学が、その教育方針に照らし学生の政治的活動はできるだけ制限するのが教育上適当であるとの見地から、学内及び学外における学生の政治的活動につきかなり広範な規律を及ぼすこととしても、これをもつて直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない。

 そこで、この見地から被上告人大学の前記生活要録の規定をみるに、原審の確定するように、同大学が学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向の私立学校であることをも勘案すれば、右要録の規定は、政治的目的をもつ署名運動に学生が参加し又は政治的活動を目的とする学外の団体に学生が加入するのを放任しておくことは教育上好ましくないとする同大学の教育方針に基づき、このような学生の行動について届出制あるいは許可制をとることによつてこれを規制しようとする趣旨を含むものと解されるのであつて、かかる規制自体を不合理なものと断定することができないことは、上記説示のとおりである。

 

 思うに、大学の学生に対する懲戒処分は、教育及び研究の施設としての大学の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律作用であつて、懲戒権者たる学長が学生の行為に対して懲戒処分を発動するにあたり、その行為が懲戒に値いするものであるかどうか、また、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格及び平素の行状、右行為の他の学生に与える影響、懲戒処分の本人及び他の学生に及ぼす訓戒的効果、右行為を不問に付した場合の一般的影響等諸般の要素を考慮する必要があり、これらの点の判断は、学内の事情に通暁し直接教育の衝にあたるものの合理的な裁量に任すのでなければ、適切な結果を期しがたいことは、明らかである(当裁判所昭和二八年(オ)第五二五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一四六三頁、同昭和二八年(オ)第七四五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一五〇一頁参照)。

 もつとも、学校教育法一一条は、懲戒処分を行うことができる場合として、単に「教育上必要と認めるとき」と規定するにとどまるのに対し、これをうけた同法施行規則一三条三項は、退学処分についてのみ四個の具体的な処分事由を定めており、被上告人大学の学則三六条にも右と同旨の規定がある。

これは、退学処分が、他の懲戒処分と異なり、学生の身分を剥奪する重大な措置であることにかんがみ、当該学生に改善の見込がなく、これを学外に排除することが教育上やむをえないと認められる場合にかぎつて退学処分を選択すべきであるとの趣旨において、その処分事由を限定的に列挙したものと解される。

この趣旨からすれば、同法施行規則一三条三項四号及び被上告人大学の学則三六条四号にいう「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものとして退学処分を行うにあたつては、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要することはもちろんであるが、退学処分の選択も前記のような諸般の要素を勘案して決定される教育的判断にほかならないことを考えれば、具体的事案において当該学生に改善の見込がなくこれを学外に排除することが教育上やむをえないかどうかを判定するについて、あらかじめ本人に反省を促すための補導を行うことが教育上必要かつ適切であるか、また、その補導をどのような方法と程度において行うべきか等については、それぞれの学校の方針に基づく学校当局の具体的かつ専門的・自律的判断に委ねざるをえないのであつて、学則等に格別の定めのないかぎり、右補導の過程を経由することが特別の場合を除いては常に退学処分を行うについての学校当局の法的義務であるとまで解するのは、相当でない。

したがつて、右補導の面において欠けるところがあつたとしても、それだけで退学処分が違法となるものではなく、その点をも含めた当該事案の諸事情を総合的に観察して、その退学処分の選択が社会通念上合理性を認めることができないようなものでないかぎり、同処分は、懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を否定することはできないものというべきである。

 以上の事実関係からすれば、上告人らの前記生活要録違反の行為自体はその情状が比較的軽微なものであつたとしても、本件退学処分が右違反行為のみを理由として決定されたものでないことは、明らかである。

前記()()のように、上告人らには生活要録違反を犯したことについて反省の実が認められず、特に大学当局ができるだけ穏便に解決すべく説諭を続けている間に、上告人らが週刊誌や学外の集会等において公然と大学当局の措置を非難するような挙に出たことは、同人らがもはや同大学の教育方針に服する意思のないことを表明したものと解されてもやむをえないところであり、これらは処遇上無視しえない事情といわなければならない。

つとも、前記()の事実その他原判示にあらわれた大学当局の措置についてみると、説諭にあたつた関係教授らの言動には、上告人らの感情をいたずらに刺激するようなものもないではなく、補導の方法と程度において、事件を重大視するあまり冷静、寛容及び忍耐を欠いたうらみがあるが、原審の認定するところによれば、かかる大学当局の措置が上告人らを反抗的態度に追いやり、外部団体との接触を深めさせる機縁になつたものとは認められないというのであつて、そうである以上、上告人らの前記()()のような態度、行動が主して被上告人大学の責に帰すべき事由に起因したものであるということはできず、大学当局が右の段階で上告人らに改善の見込がないと判断したことをもつて著しく軽卒であつたとすることもできない。

また、被上告人大学が上告人らに対してD同からの脱退又はそれへの加入申込の取消を要求したからといつて、それが直ちに思想、信条に対する干渉となるものではないし、それ以外に、同大学が上告人らの思想、信条を理由として同人らを差別的に取り扱つたものであることは、原審の認定しないところである。

これらの諸点を総合して考えると、本件において、事件の発端以来退学処分に至るまでの間に被上告人大学のとつた措置が教育的見地から批判の対象となるかどうかはともかく、大学当局が、上告人らに同大学の教育方針に従つた改善を期待しえず教育目的を達成する見込が失われたとして、同人らの前記一連の行為を「学内の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものであるとはいいがたく、結局、本件退学処分は、懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を是認すべきである。

 

・東京地裁判平成7年3月23日

要旨

ゴルフクラブの会員及び法人会員の登録者にいわゆる国籍要件を課すことは、ゴルフクラブが、私的かつ任意の団体であることを前提にしても、今日の社会通念の下では合理的理由を見出し難い

 

判旨

そもそも、ゴルフクラブは、娯楽施設としてのゴルフ場の利用を通じて、会員の余暇活動の充実や会員相互の親睦を目的とする私的かつ任意の団体であるから、その内部関係については、私的自治の原則か広く適用される場面であるということができる。しかし、他方、今日ゴルフが特定の愛好家の間でのみ嗜まれる特殊な遊技であることを離れ、多くの国民が愛好する一般的なレジャーの一つとなっていることを背景として、会員権が市場に流通し、会員募集等にも公的規制がなされていることなどからみれば、ゴルフクラブは、一定の社会性をもった団体であることもまた否定できない。そうすると、ゴルフクラブは、自らの運営について相当広範な裁量権を有するものではあるが、いかなる者を会員にするかという点について、完全に自由な裁量を有するとまでいうことはできず、その裁量には一定の限界が存すると解すべきであり、その裁量を逸脱した場合には違法との評価を免れないというべきである。

 そこで、本件についてみるに、前記認定事実によれば、本件ゴルフクラブでは日本国籍を有しない者は原則として会員及び法人会員の登録者となることができない取扱いをしていたところ、原告らは、法人会員である丸名工芸の登録者は原告であることの確認等を求める前訴を提起したが、原告がプレーイング・メンバーとして特典的施設利用を受けられる旨勧誘されて契約した経緯に照らして、原告のプレーイング・メンバーとしての地位を確認する本件和解が成立したものである。しかるに、丸名工芸は、登録者を武内からプレーイング・メンバーである原告に変更することを申請してきたため、本件ゴルフクラブの理事会は、本件和解成立以後特段の事情変更のないこと及び原告が日本国籍を有していないことを考慮して、右変更を承認しないとの結論に至り、被告がこれを拒否したものと認められる。

 右の不承認の理由であるが、まず、本件和解成立以後特段の事情変更がないとの点については、なる程、登録者が原告であることの確認等を求めて提起した前訴が、原告のプレーイング・メンバーとしての地位を確認する本件和解の成立により終了してから一年を経ずして、本件の登録者変更申請がなされたものであるから、いささか蒸し返しの感は免れないけれども、本件和解においてプレーイング・メンバーである原告を登録者へ変更申請することを封じたものであれば格別、先に判示したとおり、本件和解は将来同一法人内の登録者変更申請がなされる余地を残したものと認めざるを得ないことからすれば、本件和解成立以後特段の事情変更がなかったからといって、変更申請を不承認とする合理的理由になると解することはできない。

 次いて、原告が日本国籍を有しないとの点については、まず、憲法の法の下の平等の規定(一四条)は、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人間の法律関係に直接適用されるものではないと解すべきである。そして、私人間における権利の調整は、原則として私的自治にゆだねられるが、個人の基本的な自由や平等が侵害され、その侵害の態様、 度が右憲法の規定の趣旨に照らして社会的に許容し得る限界を超えるときは、民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等によって適切な調整が図られるべきである。

 この観点から本件をみるに、本件ゴルフクラブの会員及び法員会員の登録者の資格条件として日本国籍者であることを課すことについては、ゴルフクラブの前記特質を前提にしても、今日の社会通念の下ては合理的理由を見出し難く、いわゆる在日韓国人である原告の生い立ちと境遇に思いを至すとき、日本国籍を有しないことを理由に原告を登録者とする変更申請を承認しなかったことは、憲法一四条の規定の趣旨に照らし、社会的に許容し得る限界を超えるものとして、違法との評価を免れないというべきである。

 以上、要するに、本件の登録者の変更を認めなかった被告の判断には、裁量を逸脱した違法があると断ぜざるを得ない。

 

札幌池判平成14年11月11日

要旨

1 公衆浴場の経営会社が外国人の入浴を一律に拒否するという方法により外国人及び外国人に見える者の入浴を拒否することは,人種差別にあたるとして,前記経営会社の不法行為の成立が肯定された事例

2 前記入浴拒否が地方公共団体の地域内で行われている場合に,判示認定の諸活動を行った当該地方公共団体の不法行為の成立が否定された事例

 

判旨

(1) 原告らは,被告Aによる本件入浴拒否は,憲法14条1項,国際人権B規約26条,人種差別撤廃条約5条(f),6条及び公衆浴場法に反して違法である旨主張する。しかし,憲法14条1項は,公権力と個人との間の関係を規律するものであって,原告らと被告Aとの間のような私人相互の間の関係を直接規律するものではないというべきであり,実質的に考えても,同条項を私人間に直接適用すれば,私的自治の原則から本来自由な決定が許容される私的な生活領域を不当に狭めてしまう結果となる。また,国際人権B規約及び人種差別撤廃条約は,国内法としての効力を有するとしても,その規定内容からして,憲法と同様に,公権力と個人との間の関係を規律し,又は,国家の国際責任を規定するものであって,私人相互の間の関係を直接規律するものではない。そして,公衆浴場法は,公衆衛生を保持するために公衆浴場の配置基準を定め,公衆浴場業の営業を許可制とするものであって,本件入浴拒否のような,公衆浴場の公衆衛生の保持とは直接関係のない行為についての適法性を判断する根拠とはなりえない。したがって,原告らの上記主張は採用することができない。

(2) 私人相互の関係については,上記のとおり,憲法14条1項,国際人権B規約,人種差別撤廃条約等が直接適用されることはないけれども,私人の行為によって他の私人の基本的な自由や平等が具体的に侵害され又はそのおそれがあり,かつ,それが社会的に許容しうる限度を超えていると評価されるときは,私的自治に対する一般的制限規定である民法1条,90条や不法行為に関する諸規定等により,私人による個人の基本的な自由や平等に対する侵害を無効ないし違法として私人の利益を保護すべきである。そして,憲法14条1項,国際人権B規約及び人種差別撤廃条約は,前記のような私法の諸規定の解釈にあたっての基準の一つとなりうる。

これを本件入浴拒否についてみると,本件入浴拒否は,Oの入口には外国人の入浴を拒否する旨の張り紙が掲示されていたことからして,国籍による区別のようにもみえるが,外見上国籍の区別ができない場合もあることや,第2入浴拒否においては,日本国籍を取得した原告Jが拒否されていることからすれば,実質的には,日本国籍の有無という国籍による区別ではなく,外見が外国人にみえるという,人種,皮膚の色,世系又は民族的若しくは種族的出身に基づく区別,制限であると認められ,憲法14条1項,国際人権B規約26条,人種差別撤廃条約の趣旨に照らし,私人間においても撤廃されるべき人種差別にあたるというべきである。

ところで,被告Aには,Oに関して,財産権の保障に基づく営業の自由が認められている。しかし,Oは,公衆浴場法による北海道知事の許可を受けて経営されている公衆浴場であり,公衆衛生の維持向上に資するものであって,公共性を有するものといえる。そして,その利用者は,相応の料金の負担により,家庭の浴室にはない快適さを伴った入浴をし,清潔さを維持することができるのであり,公衆浴場である限り,希望する者は,国籍,人種を問わず,その利用が認められるべきである。もっとも,公衆浴場といえども,他の利用者に迷惑をかける利用者に対しては,利用を拒否し,退場を求めることが許されるのは当然である。したがって,被告Aは,入浴マナーに従わない者に対しては,入浴マナーを指導し,それでも入浴マナーを守らない場合は,被告小樽市や警察等の協力を要請するなどして,マナー違反者を退場させるべきであり,また,入場前から酒に酔っている者の入場や酒類を携帯しての入場を断るべきであった。たしかに,これらの方法の実行が容易でない場合があることは否定できないが,公衆浴場の公共性に照らすと,被告Aは,可能な限りの努力をもって上記方法を実行すべきであったといえる。そして,その実行が容易でない場合があるからといって,安易にすべての外国人の利用を一律に拒否するのは明らかに合理性を欠くものというべきである。しかも,入浴を希望した原告らについては,他の利用者に迷惑をかけるおそれは全く窺えなかったものである。

したがって,外国人一律入浴拒否の方法によってなされた本件入浴拒否は,不合理な差別であって,社会的に許容しうる限度を超えているものといえるから,違法であって不法行為にあたる。

被告Aは,原告らがOを訪れたのは,入浴拒否の事実をマスコミを通じて世間にアピールし,又は,被告Aに抗議するためであったから,原告らが本件入浴拒否により侵害された利益の実体に照らして被告Aの経済的自由と比較衡量すれば,本件入浴拒否が社会的に許容される限界を超えていたとまではいえない旨主張するが,原告らは,被告Aの入浴拒否に抗議し,その事実を社会に認知してもらうという目的をもっていたとしても,拒否されずに入浴することを望んでいたことに変わりはなく,本件入浴拒否によって不合理な差別を受けたことは否定できないから,原告らが上記のような目的をもっていたことによって本件入浴拒否の違法性がなくなるわけではない。

 

 

・最判平成3年6月21日修徳高校パーマ退学訴訟

要旨

(私立)高校間の在学関係を右のように解した場合、憲法の自由権的基本権保障規定の効力が右在学関係にも及ぶかが問題となるが、憲法の自由権的基本権保障規定は国又は公共団体と個人との関係を規律するものであるから、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものではないが、私立学校は、現行法制上、公教育の一翼を担う重要な役割を果たし、その公的役割にかんがみて国又は地方公共団体から財政的な補助を受けているのであるから、一般条項である民法一条、同法九〇条等に照らして同校の校則の効力を判断する際に、憲法の趣旨は私人間においても保護されるべき法益を示すものとして尊重されなければならない。

 しかし、それと同時に、子どもと親は私学選択の自由を有し、それに対応する私学設置の自由及び私学教育の自由が尊重されるべきことも法の要求するところであるから、両者の調和は、私立学校の性質、在学関係の性格、制約される利益の性質等に応じて具体的に検討する必要があるのであり、原告の主張が私立学校の在学関係においても国公立学校と全く同様の形で基本的人権保障の効力が貫かれるべきであるとの趣旨とすれば、それは採用できない。

 

 

判旨

() 裁判所の判断

 (1) 校則制定の法的根拠

 高等学校は、生徒の教育を目的とする団体として、その目的を達成するために必要な事項を学則等により制定し、これによって在学する生徒を規律する権能を有し、他方、生徒は、当該学校に入学し、生徒としての身分を取得することによって、自らの意思に基づき当該学校の規律に服することを承認することになる。勿論、学校設置者の右権能に基づく学則等の規定は、在学関係を設定する目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的なものであることを要し、学則等の規定の内容が合理的なものであるときは、その違反に対しては、教育上必要と認められるときに限り制裁を科すことができ(学校教育法一一条)、これによって学則等の実効性を担保することも許されるのであり、制裁が生徒の権利や自由を制限するというだけで、直ちに右規定が無効になるということはできない。

 本件においては、原告は、修徳高校に入学することで、包括的に自己の教育を同校に託し、その生徒としての地位を取得したのであり、修徳高校は、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによって在学する生徒を規律する包括的権能を有するものと解され、右包括的権能は、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的といえる範囲において認められる。

 (2) 私人間における憲法の自由権的基本権保障規定の効力

 原告、修徳高校間の在学関係を右のように解した場合、憲法の自由権的基本権保障規定の効力が右在学関係にも及ぶかが問題となるが、憲法の自由権的基本権保障規定は国又は公共団体と個人との関係を規律するものであるから、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものではないが、私立学校は、現行法制上、公教育の一翼を担う重要な役割を果たし、その公的役割にかんがみて国又は地方公共団体から財政的な補助を受けているのであるから、一般条項である民法一条、同法九〇条等に照らして同校の校則の効力を判断する際に、憲法の趣旨は私人間においても保護されるべき法益を示すものとして尊重されなければならない。

 しかし、それと同時に、子どもと親は私学選択の自由を有し、それに対応する私学設置の自由及び私学教育の自由が尊重されるべきことも法の要求するところであるから、両者の調和は、私立学校の性質、在学関係の性格、制約される利益の性質等に応じて具体的に検討する必要があるのであり、原告の主張が私立学校の在学関係においても国公立学校と全く同様の形で基本的人権保障の効力が貫かれるべきであるとの趣旨とすれば、それは採用できない。

 (3) パーマ禁止校則の効力

 パーマを掛けることを禁止する校則について検討するに、右校則の目的は、高校生にふさわしい髪型を維持し、また、非行を防止することにあると認められるが、修徳高校は、内外両面とも清潔・高潔な品性を備えた人物を育てることを目的とし、そのために清潔かつ質素で流行を負うことなく、華美に流されない生徒にふさわしい態度を保持することを目指しているのであるから、高校生にふさわしい髪型を確保するためにパーマを禁止することは、右目的実現に不必要な措置とは断言できず、右のような私立学校における独自の校風と教育方針は私学教育の自由の一内容として尊重されるべきである。

 もっとも、個人の髪型は、個人の自尊心あるいは美的意識と分かちがたく結びつき、特定の髪型を強制することは、身体の一部に対する直接的な干渉となり、強制される者の自尊心を傷つける恐れがあるから、髪型決定の自由が個人の人格価値に直結することは明らかであり、個人が頭髪について髪型を自由に決定しうる権利は、個人が一定の重要な私的事柄について、公権力から干渉されることなく自ら決定することができる権利の一内容として憲法一三条により保障されていると解される。しかし、右校則は特定の髪型を強制するものではない点で制約の度合いは低いといえるのであり、また、原告が修徳高校に入学する際、パーマが禁止されていることを知っていたことを併せ考えるならば、右髪型決定の自由の重要性を考慮しても、右校則は、髪型決定の自由を不当に制限するものとはいえない。

 右のとおり、一方、在学関係設定の目的の実現のために右校則を制定する必要性を否定できず、他方で、右校則は髪型決定の自由を不当に制限するものとまではいえないのであるから、これを無効ということはできない。

 (4) 運転免許取得制限校則の効力

 運転免許の取得を制限する校則について検討するに、右校則の目的は交通事故から生徒の生命身体を守り、非行化を防止し、もって勉学に専念する時間を確保するところにあると認められ、生徒が自ら死傷し、あるいは他人を死傷させた場合、在学関係設定の目的の実現に重大な支障をきたすことは明らかであり、しかも、運転免許の取得を制限すれば事故発生率が減少することは期待できるのであるから、在学関係設定の目的の実現のために、右校則を制定する必要性は否定できない。

 もっとも、普通自動車の運転免許を取得して、自動車を運転することは、社会生活上尊重されるべき法益ということができる。しかし、運転免許取得の自由と個人の人格との結びつきは間接的なものにとどまるのであるし、学校は就職希望者で免許の必要な者には個別的に免許を取得する余地を認め、また、原告は修徳高校に入学する際、運転免許取得につき制限があることを知っていたのであるから、右校則は運転免許取得の自由を不当に制限するものとはいえない。

 右のとおり、一方、在学関係設定の目的の実現のために右校則を制定する必要性を否定できず、他方で、右校則は運転免許取得の自由を不当に制限するものとはいえないのであるから、これを無効ということはできない。

 なお、原告は、道路交通法が一八歳以上の国民に運転免許を取得する権利を与えていることを理由に、修徳高校の運転免許の取得制限が越権的規制である旨主張するが、道路交通法規が一定の年齢以上の者に運転免許の取得を許容している趣旨は、道路における交通の円滑性と安全性を保持するためであるのに対し、本件の運転免許取得制限は、生徒の教育のためであって、両者の各規定は、規制の趣旨、目的を異にするものであるから、両者を同一に論ずることはできず、原告の主張は採用できない。

 (5) その他の原告の主張に対する判断

 原告は、生活指導の領域における決定は、第一次的には子どもと親が自己決定権の一内容として決定権限を留保しているのであり、また、生活指導は、教育実践の中で専門的能力を形成されていく教育活動であるから、教師による生活指導は基本的に指導助言活動でなければならないとの理解に立ち、生活指導の領域にわたる運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則の無効を主張し、加えて、運転免許取得制限校則については学校は校外生活を直接規制できないとして、その無効を主張する。

 確かに、運転免許取得制限及びパーマ禁止は、教育的専門事項ではなく、生活指導としての面を有するが、生活指導は生徒の人格の完成に資するものであり、かつ、家庭あるいは地域社会の教育機能が低下している今日においては、学校が家庭等での生活指導の不十分な面を補わざるを得ない面があることも否定できなのであるから、教科教育のみならず生活指導についても、子どもあるいは親の権能を不当に侵害しない限り、学校がそれを行う権限を有するものと解される。

 しかも、本件においては、原告及び原告の父親は入学に際し、内容は若干異なるにせよ運転免許の取得が制限されていること及びパーマが禁止されていることを認識していたのであるし、前記のとおり、本件運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則は運転免許取得の自由あるいは髪型決定の自由を不当に制限したものとはいえないから、右各校則が子どもあるいは親の権能を不当に侵害したとは認められず、したがって原告の主張は採用できない。

 また、専門的能力の観点からする生活指導の適格性については、生活指導が教育的専門事項ではないことは勿論であるが、学校内の事情に加え、生徒の家庭環境等を含む学校外の教育事情についても専門的な知識と経験を有する学校、教師にその適格性を認めることができる。

 原告は、生徒に対する懲戒は、当該行為が生徒集団に対する教育、指導の成立を危うくし、他の生徒の学習権を侵害するような場合及び当該行為を懲戒の対象とすることが本人の利益を確保するために必要な場合にのみ正当化され、後者の場合は何が本人の利益かの判断が困難であるから非強制的な助言指導により目的を達成すべきであるとの理解に立ち、本件運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則に違反することは、他の生徒の権利を侵害するものではないから、懲戒の根拠たり得ないと主張し、また、校則違反を懲戒処分に直結させていること自体が違法である旨主張する。

 しかし、懲戒処分及び事実上の懲戒は、学校の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律作用であるから、教育目的を達成するために必要かつ合理的な制約であるなら、右制約に違反したことを理由に懲戒を行うことができるというべきであって、前記のとおり、本件運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則は無効ということはできないのであるから、右各校則に違反することは、懲戒の根拠となり得るものというべきである。

 また、いかなる行為によって教育目的の達成が阻害されるかの判断は各学校の判断に委ねられ、学校の規律の弛緩自体がひいては生徒の学習権等を阻害することにつながるとの判断に立って、現実の学習権侵害等が発生する以前の段階において懲戒権を行使することも、同様に一つの選択として是認される。