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外国人の人権(4-3)公務就任権1

【・最大判平成17年月26日 外国人公務員東京都管理職選考受験訴訟】

【裁判官滝井繁男の反対意見】

 1 私も,外国籍を有する者が我が国の公務員に就任するについては,国民主権の原理から一定の制約があるほか,一定の職に就任するにつき日本国籍を有することを要件と定めることも,法律においてこれを許容し,かつ,合理的な理由がある限り,認めるものである。しかしながら,上告人のように,多数の者が多様な仕事をしている地方公共団体において,その管理職に就く者が,その職務の性質にかかわらず,すべて日本国籍を有しなければならないものとすることには,その合理的根拠を見いだすことはできない。したがって,上告人が管理職選考において日本国籍を有することを受験資格とした措置は,在留外国人である職員に対し国籍のみによって昇任のみちを閉ざしたものであり,憲法14条に由来し,国籍を理由として差別することを禁じた労働基準法3条の規定に反する違法なものであると考える。以下,その理由を述べる。

 2(1) 国民主権の原理の下では,統治に参加することができるのはその国に帰属する者だけであって,参政権を保障されているのはその国民だけである。そして,国民は統治の担い手となる者を自由に選び得るのであるが,国の主体性の維持及び独立の見地から,統治権の重要な担い手になる者については外国人を排除すべきものとされているのである。

 (2) 憲法15条1項は,公務員を選定し,及びこれを罷免することは,国民固有の権利であると定めているが,これは,国民主権の原理に基づいたものであって,権利の性質上この規定による保障は我が国に在留する外国人には及ばないものと解されているのである。

 (3) 憲法93条2項は,地方公共団体の長,その議会の議員及び法律の定める公務員についてもその地方公共団体の住民が直接選挙すると規定しているが,ここで権利を保障されているのも日本国民に限られている。

 我が国実定法も,これに基づいて公務員の選定に関する規定を置いており,地方公共団体についていえば,地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権,被選挙権を国民に限定する(地方自治法11条,18条,19条)ほか,国民にのみ,議会解散請求権,議会の議員,長,副知事若しくは助役,出納長若しくは収入役,選挙管理委員若しくは監査委員又は公安委員会委員並びに教育委員会委員の解職請求権などを認めているのである(同法13条)。

 しかしながら,我が国憲法は,住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務についてはその地方の住民の意思に基づいて,地方公共団体で処理することを保障していることから,我が国に在留する外国人のうち,その居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つ者については,その意思をその地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるため,法律によって,地方公共団体の長,その議員等に対する選挙権を付与することを禁止しているものではないのである(最高裁平成5年(行ツ)第163号同7年2月28日第三小法廷判決・民集49巻2号639頁参照)。

 すなわち,我が国実定法は,一定の公務員に関する選挙権及び被選挙権については日本国民に限定してこれを付与しているが,そうであるからといって,参政権の側面を持つ権利のすべてについて,国民主権の原理からの帰結として当然に,その保障が日本国民に限られることになるというものではないのである。

 (4) 本件で問題になっているのは,選挙権,被選挙権のように,その憲法上の保障が日本国民に限られることが国民主権の原理から帰結される権利ではなく,ある公務に就くことができるかどうかの資格である。すべての公務員の選任は,終局的には国民の意思に懸かるべきものであって,その意味でその選任に参政権的な側面があるとしても,すべての公務員に就任するについてその職務の性質を問うことなく,国民主権の原理の当然の帰結として日本国籍が求められているというものではないのである。

 私は,地方行政においては,国民による統治の根本へのかかわり方が国政とは異なることを考えれば,国民主権の見地からの当然の帰結として日本国籍を有する者でなければならないものとされるのは,地方行政機関については,その首長など地方公共団体における機関責任者に限られるのであって,その余の公務員への就任については,憲法上の制約はなく,立法によって制限し得るにしろ,立法を待つことなく性質上当然のこととして日本国籍を有する者に制限されると解すべき根拠はないものと考える。

 (5) 多数意見は,そのいうところの公権力行使等地方公務員は,その職務の遂行が住民の生活に直接間接に重大なかかわりを有するものであるから,国民主権の原理に基づき,その統治の在り方について日本国の統治者としての国民が最終的な責任を負うべきものであることに照らし,原則として日本国籍を有しない者がこれに就任することは本来我が国の法体系の想定するところではないというのである。

 しかしながら,我が国の地方公共団体にはその意思決定機関として議会が置かれている一方で,執行機関は,地方公共団体の事務を自らの判断と責任において誠実に管理し,執行する義務を負うとされているところ(地方自治法138条の2),法規定上,その名において執行する権限を有するのは,知事,市町村長等の長又は行政委員会だけであって,副知事,助役,その他の補助職員は長を補助するにとどまるものである(同法161条以下)。

 もっとも,長は,実際の事務をしばしば補助機関に委任したり,代理させたりしており(地方自治法152条,153条),また,一つの行政決定は,補助機関の検討を経て最終的に行政庁の名で表示されるというのが通例であるから,地方公共団体の行政運営,組織運営にかかわる重要な事項が実務的には補助機関において行われているとみるべきことは事実である。しかしながら,これらの者は長の指揮監督の下でその職務を行うものであって(同法154条),その職務を遂行するに当たって,法令,条例,地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い,かつ,上司の職務上の命令に忠実に従わなければならないものである(地方公務員法32条)。すなわち,これらの者は,法規定上,地方公共団体の長がその判断と責任において行う事務の執行を補助するものとしてその任に当たっているのである。したがって,その関与する仕事が重要なものであっても,主権の行使との関係でみる限りは,補助機関の地位は,長のそれとは質的に異なるものである。憲法93条2項が,地方公共団体の長に限り,住民の公選によることを保障し,その余の公務員については公選によることにするかどうかを立法政策にゆだねているのも,その性質の相違によるものである。その職務の住民生活へのかかわり方に重要性があるからといって,補助機関への就任について,長への就任と同じく日本国籍を要求することを国民主権の原理から当然に法体系が想定しているとまでいうことはできないと考える。

 3 このように,外国人が地方公共団体の長の補助機関に就任するについては,国民主権の原理に基づく制約はない。昇格等を伴う補助機関に昇任することができる資格は労働基準法3条にいう労働条件に当たるから,既に職員に採用された者は,同条の適用により上記の資格を有する。職員に採用された外国人についても,これと別異に解する理由はない。

 しかしながら,国民主権の原理に基づく制約がない職であっても,そのすべてについて外国人が当然にその職に就任することができる資格を認めなければならないというわけではない。一定の職について日本の国籍を有する者だけが就任することができるとすることも,法律においてこれを許容し,かつ,合理的な理由がある限り,許される。すなわち,執行機関は地方公共団体の事務を誠実に管理し,執行すべきところ,それが適切に行われることについては,住民の理解と支持を得ることが必要であって,公務における外国人の影響の排除を求める住民の一般的規範意識や公務員観からみて,法律によって,ある種の職に就任するについては日本国籍を有することを要件と定めることはできると解される。

 のみならず,ある職にどのような人材を配するかは,その仕事の内容と職員の資質を勘案し,個別具体的に検討し決定されるべきものであって,その判断は法律に反しない限り,使用者の広い裁量にゆだねられているところである。したがって,地方公共団体がある種の公務,例えば,高度な判断や広範な裁量を伴うもの,あるいは直接住民に対して命令し強制するものについて,住民の理解と信頼という観点から日本国籍を有する者のみを充てることとすることには合理性を認め得るのであって,そのような措置を執ることは地方公務員法が許容していると解されるから,そのような措置を執ったことをもって合理的理由に基づかない差別ということはできない。

 4(1) しかしながら,上告人は,管理職の職務の内容等を考慮して一定の職への就任につき資格を制限したというのではなく,すべての管理職から一律に外国人を排除することとしていたのである。本件で問題となるのは,そのような上告人の措置に合理性があるかどうかである。

 職員の昇任における不平等な取扱いもそのことに合理的な理由があれば差別となるものではないが,その合理性は使用者において明らかにすべきところ,本件において上告人はそれを明らかにしているとはいえない。なぜならば,仮に地方公共団体の長の補助職員の中に法体系上日本国籍を有することを要件とすることが想定される職のあることを是認し得るとしても,そのことからすべての管理職を日本国籍を有する者でなければならないとすることにまで合理性があるとし,管理職選考において一律に外国人である職員を排除することもできると解するのは相当でなく,ほかに,上記の措置を執らなければ任用制度の適正な運用ができないことなどは明らかにされていないからである。

 (2) 一般に管理職というとき,それは,部下を掌握し管理する地位にある者をいい,部長,課長などの組織上の名称を付されていることが多いが,部下の管理監督を行わない者も,処遇の均衡上管理職と同じ扱いを受けていることがある(そのほかに,重要な行政上の決定を行い又はそれに参画する地位にある職員及び他の職員に対し監督的地位に立つ職員を,職員団体の組織等に制約を受ける管理職員とするという制度も採られている。)。このような管理職は,各地方公共団体が具体的な任用制度を構築するに当たり,民主的効率的な公務員制度や人事行政を実現することなどの見地から設けたものであって,ある職の就任から外国籍の者を排除する必要があるかどうかについて基準となるべき主権の行使への関与の度合いの高いものを選び出して定めたというようなものではない。

 (3) 多数意見は,公権力行使等地方公務員の職を公務員の中での上級公務員として位置付けた上で,これに昇任するのに必要な職務経験を積むために経るべきものとして下位の管理職を設けるなどして,その一体的な管理職任用制度を構築し,人事の適正な運用を図ることも地方公共団体はその判断ですることができ,そのためにすべての管理職に昇任することのできる者を日本国籍を有する職員に限定しても,そのことによって国籍を理由とする不当な差別をしたことにはならず,労働基準法3条に違反したことにはならないというのである。

 確かに管理職に就いた者に特定の職種の職務だけを担当させるという任用管理をしないことは,それなりの合理性を持つものと考えられる。しかしながら,ここで問題とされるべきことは,管理職に昇任すれば,公権力行使等地方公務員に就くことがあり得ることを理由に,すべての管理職の資格として日本国籍を要件とすることの当否である。

 住民の権利義務を形成するなどの公権力の行使に当たる行為を行い,若しくは地方公共団体の重要な施策に関する決定を行い,又はこれらに参画する地方公務員という限定は,それだけでは必ずしもその範囲を明確にし得るものではなく,際限なく広がる可能性を持つものであるが,私は,その中で国民主権の原理に基づいて日本国籍を有する者のみが就任することが想定されているものとして説明し得る職は,仮にそれを肯定するとしても,高度な判断や広範な裁量を伴うもの,あるいは直接住民に対して命令し強制するものなどに限られるのであり(3の末尾を参照),その数がそれほど多数になることはないと考える。

 今日,地方公共団体の扱う職務は私企業のそれと差異のみられない給付行政的なものに拡大し,本来的には非権力的行政といわれるものが多くみられるようになってきており,職務全般における権力性は減少しているため,公務員職の概念にも変容がみられるのであって,今日の国民の規範意識に照らせば,国民主権の見地から,その能力を度外視して外国人であるというだけの理由で排除しなければならないと考えられる職は限られたものであると考える。したがって,相当数ある管理職の中には日本国籍を有する者に限って就任を認め得るものがあるとしても,そのために管理職の選考に当たって,すべて日本国籍を有する者に限定しなければその一体的な任用管理ができないとは到底考えられないのである。

 (4) 上告人の職員の中で,多数意見のいう公権力行使等地方公務員の数がどれだけのものになるのか必ずしも明らかではない。しかしながら,原判決の認定するところによれば,上告人の平成9年4月1日現在の一般管理職(警視庁及び消防庁を除く。)の総数は2500に及ぶというのであって,その中には,相当数の公権力行使等地方公務員以外のものが含まれていると思われるのである。しかるに,上告人は,課長級の職は,事案の決定権限を有するか,その決定過程に関与するものであり,公の意思形成に参画するものであるとし,そのことを理由に管理職選考において日本国籍を要求することは合理性があると主張するのみで,管理職全体の中で上級の管理職と位置付けられ,日本国籍を要件とすることが法体系上想定されていると考え得る管理職がどの程度いるのかについて明らかにしていないのである。

 しかしながら,そのような管理職の数が相当数に及ぶこと,そして,終始特定の職務だけを担当させるという任用管理をしていないため,下位の管理職にも日本国籍を有することを要件としなければ一体的な任用制度の運用ができないことを明らかにすればともかく,そうでなければ,あらゆる管理職について日本国籍を有することを選考の受験資格とすることの合理性を明らかにしたものということはできない。

 結局,上告人は,管理職選考に当たって一律に日本国籍を要件とすることが不合理な差別ではなく,違法でないといえるだけの合理性を明らかにしておらず,上告人の執った措置は外国人である職員に対し違法な差別をするものといわざるを得ないのである。

 (5) また,管理職に就くことの適否は,職員本人の資質,能力等によって決せられるべきところ,上告人においては,管理職選考に合格し,任用候補者名簿に登録された後,最終的な選考を経て管理職に任用されるのは数年後のことであるというのであって,その間に合格した職員が管理職としての資質等を備えているかどうかについては十分観察し,吟味する機会があるのである。

 したがって,本件で問題となった管理職選考は,管理職に昇任する候補者の選考の段階ともいうべきものであって,管理職としての適性の有無を判定するという見地からみても,日本国籍を有しないことを理由に一律に排除するまでの必要性は認められないのである。

 (6) 今日,人間の経済文化活動はその活動領域を国境を越えて広げてきており,一般的にいって,国民と外国人との観念的な差異を意識することは減少しつつあるといってよい。特に地方公共団体では,外国籍を有する者もその社会の一員として責務を果たしている以上,国民と同等の扱いを求め得るということ(地方自治法10条参照)に対する理解は広がりつつあって,公務員としての適性は,国籍のいかんではなく,住民全体の奉仕者として公共の利益のために職務を遂行しているかどうかなどのことこそが重要性を持つということが,改めて認識されるようになってきているのである。そして,管理職選考に合格した職員がそのような観点からみて管理職としての適性を備えているかどうかの判定は,管理職選考に合格された後の勤務の実績等をみた上ですることもできることであって,国籍もその一つの判断の材料になることがあり得るにしろ,外国籍であることをこのような管理職選考の段階で絶対的障害としなければならない理由はないのである。

 付言するに,記録によれば,被上告人は日本人を母とし,日本で生まれ,我が国の教育を受けて育ってきた者であるが,父が朝鮮籍であったことから,日本国との平和条約の発効に伴い,本人の意思とは関係なく日本国籍を失ったものである。我が国の場合,被上告人のように,この平和条約によって日本国籍を失うことになったものの,永らく我が国社会の構成員であり,これからもそのような生活を続けようとしている特別永住者たる外国人の数が在留外国人の多数を占めているところ,本件のような国籍条項は,そのような立場にある特別永住者に対し,その資質等によってではなく,国籍のみによって昇任のみちを閉ざすこととなって,格別に過酷な意味をもたらしていることにも留意しなければならない。このような見地からも,我が国においては,多様な外国人を一律にその国籍のみを理由として管理職から排除することの合理性が問われなければならないものと考えるのである。

 (7) 以上のとおりであるから,日本国籍を有しないというだけで管理職選考の受験の機会を与えず,一切の管理職への昇任のみちを閉ざすというのは,人事の適正な運用を図るというその目的の正当性は是認し得るにしろ,それを達成する手段としては実質的関連性を欠き,合理的な理由に基づくものとはいえないと考えるのである。

 5 したがって,上告人が,日本国籍を有しないことのみを理由として被上告人に管理職選考の受験の機会を与えなかったのは,国籍による労働者の違法な差別といわざるを得ない。また,このような差別が憲法14条に由来する労働基準法3条に違反するものであることからすれば,国家賠償法1条1項の過失の存在も肯定することができるので,被上告人の請求を認容した原判決は結論において正当であり,本件上告は棄却すべきものと考える。