13条 個人の尊重(2)山口地裁下関支部平成10年4月27日

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山口地裁下関支部平成10年4月27日

要旨

いわゆる慰安婦に対する救済立法の不作為を違法であるとして国に損害賠償が命じられた事例

 

判旨

 2 ところで、いわゆる立法不作為による国家賠償請求については、当事者双方が援用する最高裁昭和六〇年一一月二一日第一小法廷判決(民集三九巻七号一五一二頁)があり、同判決が法的判断の枠組みを規定するというべきところ

 (一) 同判決には

 国家賠償法一条一項は、公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責めに任ずることを規定するものであるから、国会議員の立法行為(立法不作為を含む。以下同じ。)が国家賠償法上違法となるかどうかは、国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題であって、当該立法の内容の違憲性の問題とは区別されるべきであるとの前提のもとに、国会議員が立法に関し個別の国民に対する関係においていかなる義務を負うかについては、憲法の採用する議会制民主主義の下においては、国会は、国民の間に存する多元的な意見及び諸々の利益を立法過程に公正に反映させ、議員の自由な討論を通してこれらを調整し、究極的には多数決原理により統一的な国家意思を形成すべき役割を担うものであり、国会議員は、多様な国民の意向をくみつつ、国民全体の福祉の実現を目指して行動することが要請されているのであって、議会制民主主義が適正かつ効果的に機能することを期するためにも、国会議員の立法過程における行動で、立法行為の内容にわたる実体的側面に係るものは、これを政治的判断に任せ、その当否は終局的に国民の自由な言論及び選挙による政治的評価にゆだねるのを相当とすること、立法行為の規範たるべき憲法についてさえ、その解釈につき国民の間には多様な見解があり得るのであって、国会議員は、これを立法過程に反映させるべき立場にあること、憲法五一条が、国会議員の発言・表決につきその法的責任を免除しているのも、国会議員の立法過程における行動は政治的責任の対象とするのにとどめるのが国民の代表者による政治の実現を期するという目的にかなうとの考慮によること、このように、国会議員の立法行為は、本質的に政治的なものであって、その性質上法的規制の対象になじまず、特定個人に対する損害賠償責任の有無という観点からあるべき立法行為を措定して具体的立法行為の適否を法的に評価するということは、原則的には許されないものといわざるを得ないと論決した上、結論として、「国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではないというべきであって、国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けないものといわなければならない。」

 以上のとおりの判示がある。

 一般に、国家がいつ、いかなる立法をすべきか、あるいは立法をしないかの判断は、国会の広範な裁量のもとにあり、その統制も選挙を含めた政治過程においてなされるべきであることは、日本国憲法の統治構造上明らかであるから、当裁判所もまた基本的には右最高裁判決と意見を同じくする。

  (2) しかし、右結論部分における「例外的な場合」についてはやや見解を異にし、立法不作為に関する限り、これが日本国憲法秩序の根幹的価値に関わる基本的人権の侵害をもたらしている場合にも、例外的に国家賠償法上の違法をいうことができるものと解する。

 まず、国会議員は、原則として、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負わないと結論づけるに当たって、同判決は、結局のところ、議会制民主主義が適正かつ効果的に機能することを期するためには、国会議員の立法過程における行動で、立法行為の内容にわたる実体的側面に係るものは、これを政治的判断に任せ、その当否は国民の自由な言論及び選挙による政治的評価にゆだねるのが相当であるとし、国会議員の立法行為は、本質的に政治的なものであって、その性質上法的規制の対象になじまないことを理由とするように思われる(なお、憲法解釈をいう部分は趣旨不明瞭であるし、いわゆる免責特権をいう部分は、違法と責任とを峻別する我が国の法制度のもとにおいてはほとんど論拠とならず、これらの説示にさして意味があるとは思われない。)。

 しかし、右のような議会制民主主義、選挙をも含めて究極的には多数決原理による議会制民主主義の政治が、その原理だけのもとでは機能不全に陥り、多数者による少数者への暴政をもたらしたことの反省に立って日本国憲法が制定されたはずである。そして、その日本国憲法の原理、議会制民主主義に立つ立法府をも拘束する原理が基本的人権の思想であり、むしろ端的に、基本的人権の尊重、確立のために議会制民主主義の政治制度が採用されたはずであって、その上に、さらにこれを十全に保障するために裁判所に法令審査権が付与されたはずである。したがって、少なくとも憲法秩序の根幹的価値に関わる人権侵害が現に個別の国民ないし個人に生じている場合に、その是正を図るのは国会議員の憲法上の義務であり、同時に裁判所の憲法上固有の権限と義務でもあって、右人権侵害が作為による違憲立法によって生じたか、違憲の立法不作為によって生じたかによってこの理が変わるものではない。ただ、立法権、司法権という統治作用ないし権限の性質上の差異や、国会、裁判所という機構ないし能力上の差異によって自ずとその憲法上の権限の範囲やその行使のあり方が定まり、裁判所にあっては、積極的違憲立法についての是正権限は右人権侵害以上に広く、消極的違憲の立法不作為についての是正権限は右根幹的価値に関わる人権侵害のごとく、より狭い範囲に限られることになると解されるのであるが、逆に、積極的違憲立法の是正については、当該法令のその事案への適用を拒否することによって簡明に果たされるのに対し、消極的違憲の立法不作為については、その違憲確認訴訟を認めることに種々の難点があることから、国家賠償法による賠償を認めることがほとんど唯一の救済方法になるともいえるのであって、その意味では、むしろ、立法不作為にこそ違法と認める余地を広げる必要もある。

 このように、立法不作為を理由とする国家賠償は、憲法上の国会と裁判所との役割分担、憲法保障という裁判所固有の権限と義務に関することがらであり、国会議員の政治的責任に解消できない領域において初めて顕在化する問題というべきであって、これが国家賠償法上違法となるのは、単に、「立法(不作為)の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行う(行わない)というごとき」場合に限られず、次のような場合、すなわち、前記の意味での当該人権侵害の重大性とその救済の高度の必要性が認められる場合であって(その場合に、憲法上の立法義務が生じる。)、しかも、国会が立法の必要性を十分認識し、立法可能であったにもかかわらず、一定の合理的期間を経過してもなおこれを放置したなどの状況的要件、換言すれば、立法課題としての明確性と合理的是正期間の経過とがある場合にも、立法不作為による国家賠償を認めることができると解するのが相当である。

 3 そこで、以上の見地に立って本件につき検討を加える。

 (一) 従軍慰安婦について

  (1) 慰安婦原告らが、いずれもその貧困のため、慰安所経営者と思われる人物の甘言に乗せられ、不任意に旧日本軍の関与する慰安所に連行され、監禁同然にして、長期間、慰安婦として旧日本軍人との性交を強要されたこと、同原告らが被った肉体的・精神的苦痛は極めて苛酷なものであり、帰国後もその恥辱に苛まれ、今なお心身ともに癒すことのできない苦悩のうちにあることは、前記事実問題においてみたとおりである。

 そして、この従軍慰安婦制度が、原告らの主張するとおり、徹底した女性差別、民族差別思想の現れであり、女性の人格の尊厳を根底から侵し、民族の誇りを踏みにじるものであって、しかも、決して過去の問題ではなく、現在においても克服すべき根源的人権問題であることもまた明らかである。

 例えば、甲一四(四五頁以下)に次の資料がある。

 昭和一三年三月、常州駐屯間内務規定、独立攻城砲兵第二大隊

 第九章 慰安所使用規定

  「単価

  使用時間は一人一時間を限度とす

  支那人 一円〇〇銭

  半島人 一円五十銭

  日本人 二円〇〇銭」

  「慰安所内に於て飲酒するを禁す」

  「女は総て有毒者と思惟し防毒に関し万全を期すべし」

  「営業者は酒肴茶菓の饗応を禁す」

  「営業者は特に許したる場所以外に外出するを禁す」

 慰安所という名の施設の「使用」規定であり、「使用」単価、料金であり、「使用」限度時間である。酒肴茶菓の饗応、接待もなく、ただ性交するだけの施設がここにあり、慰安婦とはその施設の必需の備付品のごとく、もはや売(買)春ともいえない、単なる性交、単なる性的欲望の解消のみがここにある。そして、前記事実問題でみた慰安所開設の目的と慰安婦たちの日常とに鑑みれば、まさに性奴隷としての慰安婦の姿が如実に窺われるというべきである。しかも、使用単価に現れた露骨な民族差別。希少性ないし需給法則のゆえに日本人の単価が高かっただけではあるまい。

  (2) ところで、日本国憲法は、その人権総論部分である一三条において、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」旨規定し、個人の尊重、個人の人格の尊厳に根幹的価値を置いている。そして、右に典型例をみたとおり、従軍慰安婦制度が女性の人格の尊厳を根底から侵すものであり、民族の誇りを甚だしく汚すものであったことも論をまたない。

 しかるに、従軍慰安婦制度は、日本国憲法制定前に設けられた制度であり、慰安婦原告らが慰安婦とされたのも日本国憲法制定前のことであって、これがいかに重大な人権侵害であろうとも、それだけを理由として、直ちに日本国憲法がその賠償立法を被告に命じていると解したり、あるいはこれに代わるべき救済を直接に裁判所が命じることができると解したりすることができないことは、先に「道義的国家たるべき義務」の検討においてみたとおりである。

  (3) しかしながら、従軍慰安婦に対する人権侵害の重大性と現在まで続く被害の深刻さに鑑みると、次のような解釈が可能と考える。

 従軍慰安婦制度は、その当時においても、婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約(一九二一年)や強制労働に関する条約(一九三〇年)上違法の疑いが強い存在であったが、単にそれのみにとどまらず、同制度は、慰安婦原告らがそうであったように、植民地、占領地の未成年女子を対象とし、甘言、強圧等により本人の意思に反して慰安所に連行し、さらに、旧軍隊の慰安所に対する直接的、間接的関与の下、政策的、制度的に旧軍人との性交を強要したものであるから、これが二〇世紀半ばの文明的水準に照らしても、極めて反人道的かつ醜悪な行為であったことは明白であり、少なくとも一流国を標榜する帝国日本がその国家行為において加担すべきものではなかった。にもかかわらず、帝国日本は、旧軍隊のみならず、政府自らも事実上これに加担し、その結果として、先にみたとおりの重大な人権侵害と深刻な被害をもたらしたばかりか、慰安婦原告らを始め、慰安婦とされた多くの女性のその後の人生までをも変え、第二次世界大戦終了後もなお屈辱の半生を余儀なくさせたものであって、日本国憲法制定後五〇年余を経た今日まで同女らを際限のない苦しみに陥れている。

 ところで、このような場合、法の解釈原理として、あるいは条理として、先行法益侵害に基づくその後の保護義務を右法益侵害者に課すべきことが一般に許容されている。そうであれば、日本国憲法制定前の帝国日本の国家行為によるものであっても、これと同一性ある国家である被告には、その法益侵害が真に重大である限り、被害者に対し、より以上の被害の増大をもたらさないよう配慮、保証すべき条理上の法的作為義務が課せられているというべきであり、特に、個人の尊重、人格の尊厳に根幹的価値をおき、かつ、帝国日本の軍国主義等に関して否定的認識と反省を有する日本国憲法制定後は、ますますその義務が重くなり、被害者に対する何らかの損害回復措置を採らなければならないはずである。しかるに、被告は、当然従軍慰安婦制度の存在を知っていたはずであるのに、日本国憲法制定後も多年にわたって右作為義務を尽くさず、同女らを放置したままあえてその苦しみを倍加させたのであり、この不作為は、それ自体がまた同女らの人格の尊厳を傷つける新たな侵害行為となるというべきである。

 そして、遅くとも従軍慰安婦が国際問題化し、国会においても取り上げられるようになった平成二年(一九九〇年)五、六月ころには、右不作為による新たな被告の侵害行為は、それ以前の多年にわたる放置と元慰安婦女性の高齢化、労働省職業安定局長による「民間業者が云々」との政府答弁(別紙一の第八の一5参照)、さらには、そのころまでには明確に自覚されるに至った女子差別の撤廃と性的自由の思想等々とあいまっていよいよその人権侵害の重大性と救済の必要性を増し、違憲的違法性を帯びるものとなったということができる。

  (4) しかして、《証拠略》によれば、内閣官房内閣外政審議室は、平成五年(一九九三年)八月四日、「いわゆる慰安婦問題について」と題する従軍慰安婦問題についての調査報告書を提出し、また、当時の河野洋平内閣官房長官も、「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」、「戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。」、「いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。」との慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話を発表していることが認められるところ、右調査報告書と内閣官房長官談話によれば、従軍慰安婦問題が、女性差別、民族差別に関する重大な人権侵害であって、「心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」べきものであり、かつ、「そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきもの」であることが表明されている。そして、これに加えるに、そのころまでには、ドイツ連邦共和国、アメリカ合衆国、カナダにおいて、第二次世界大戦中の各国家の行為によって犠牲を被った外国人に対する謝罪と救済のための立法等がなされた事実もまた明らかになっており(別紙一及び二のとおり、当事者間に争いがない。)、これら先進諸国の動向とともに従軍慰安婦制度がいわゆるナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害であって、これにより慰安婦とされた多くの女性の被った損害を放置することもまた新たに重大な人権侵害を引き起こすことをも考慮すれば、遅くとも右内閣官房長官談話が出された平成五年(一九九三年)八月四日以降の早い段階で、先の作為義務は、慰安婦原告らの被った損害を回復するための特別の賠償立法をなすべき日本国憲法上の義務に転化し、その旨明確に国会に対する立法課題を提起したというべきである。そして、右の談話から遅くとも三年を経過した平成八年八月末には、右立法をなすべき合理的期間を経過したといえるから、当該立法不作為が国家賠償法上も違法となったと認められる。

 なお、被告国会議員も、右の談話から右立法義務を立法課題として認識することは容易であったといえるから、当該立法をしなかったことにつき過失があることは明白である。

  (5) 以上によれば、慰安婦原告らは、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、被告国会議員が右特別の賠償立法をなすべき義務を違法に怠ったことによる精神的損害の賠償を求める権利があるというべきところ、その額については、将来の立法により被害回復がなされることを考慮し、各金三〇万円と算定するのが相当である。

 なお、慰安婦原告らは、請求の趣旨1の公式謝罪をも求めるけれども、いかなる方法による謝罪をするかについては、これこそ政治部門の独自の判断と裁量により決すべき事項であって司法裁判所の介入できるところでないから、そもそも右請求の適格性すら問題である上に、少なくとも現時点においては、その必要が認められない。