【熊本地裁平成13年5月11日(ハンセン病訴訟事件)】(3)

 

 目次

個人の尊重(5-1) 【熊本地裁平成13年5月11日(ハンセン病訴訟事件)】(1)
個人の尊重(5-2) 【熊本地裁平成13年5月11日(ハンセン病訴訟事件)】(2)
個人の尊重(5-3)【熊本地裁平成13年5月11日(ハンセン病訴訟事件)】(3)
個人の尊重(5-4)【熊本地裁平成13年5月11日(ハンセン病訴訟事件)】(4)


第三 違法性及び過失の検討

 一 以上のとおりであって、遅くとも昭和三五年以降においては、すべての入所者及びハンセン病患者について隔離の必要性が失われたというべきであるから、厚生省としては、その時点において、新法の改廃に向けた諸手続を進めることを含む隔離政策の抜本的な変換をする必要があったというべきである。そして、厚生省としては、少なくとも、すべての入所者に対し、自由に退所できることを明らかにする相当な措置を採るべきであった。のみならず、ハンセン病の治療が受けられる療養所以外の医療機関が極めて限られており、特に、入院治療が可能であったのは京都大学だけという医療体制の下で、入院治療を必要とする患者は、事実上、療養所に入所せざるを得ず、また、療養所にとどまらざるを得ない状況に置かれていたのであるが(前記第二節第三の八1)、これは、抗ハンセン病薬が保険診療で正規に使用できる医薬品に含まれていなかったことなどの制度的欠陥によるところが大きかったのであるから、厚生省としては、このような療養所外でのハンセン病医療を妨げる制度的欠陥を取り除くための相当な措置を採るべきであった。さらに、従前のハンセン病政策が、新法の存在ともあいまって、ハンセン病患者及び元患者に対する差別・偏見の作出・助長に大きな役割を果たしたことは、前記第二節第四のとおりであり、このような先行的な事実関係の下で、社会に存在する差別・偏見がハンセン病患者及び元患者に多大な苦痛を与え続け、入所者の社会復帰を妨げる大きな要因にもなっていること、また、その差別・偏見は、伝染のおそれがある患者を隔離するという政策を標榜し続ける以上、根本的には解消されないものであることにかんがみれば、厚生省としては、入所者を自由に退所させても公衆衛生上問題とならないことを社会一般に認識可能な形で明らかにするなど、社会内の差別・偏見を除去するための相当な措置を採るべきであったというべきである。

 この点、厚生省は、特に、昭和五〇年代以降、非公式的にではあるが、外出制限規定を弾力的に運用するなど、様々な点で隔離による人権制限を緩和させていったことは一応評価できるが、新法廃止まで、新法の改廃に向けた諸手続を進めることを含む隔離政策の抜本的な変換を行ったものとは評価できない。また、厚生省は、新法廃止まで、すべての入所者に対し、自由に退所できることを明らかにするなどしたことはなく、療養所外でのハンセン病医療を妨げる制度的欠陥を取り除くことなく放置し、さらには、社会一般に認識可能な形でハンセン病患者の隔離を行わないことを明らかにするなどしなかったのであるから、前記の相当な措置等を採ったとも評価し得ない。

 伝染病の伝ぱ及び発生の防止等を所管事務とする厚生省を統括管理する地位にある厚生大臣は、厚生省が右のような隔離政策の抜本的な変換やそのために必要となる相当な措置を採ることなく、入所者の入所状態を漫然と放置し、新法六条、一五条の下で隔離を継続させたこと、また、ハンセン病が恐ろしい伝染病でありハンセン病患者は隔離されるべき危険な存在であるとの社会認識を放置したことにつき、法的責任を負うものというべきであり、厚生大臣の公権力の行使たる職務行為に国家賠償法上の違法性があると認めるのが相当である。

 そして、厚生大臣は、昭和三五年当時、前記第二の一及び二で指摘した<1>ないし<9>の各事情等、隔離の必要性を判断するのに必要な医学的知見・情報を十分に得ていたか、あるいは得ることが容易であったと認められ、また、ハンセン病患者又は元患者に対する差別・偏見の状況についても、容易に把握可能であったというべきであるから、厚生大臣に過失があることを優に認めることができる。

 二 これに対し、被告が反論する点については、既にそれぞれの箇所で検討・言及してきたところであるが、以下では、更に検討を加える。

  1 被告は、たとえ新法が違憲であっても、厚生大臣その他の職員が新法に従って行政を行った以上、国家賠償法上違法と評価されることはなく、少なくとも故意・過失は存しないと主張する。

 確かに、すべての入所者及びハンセン病患者について隔離の必要性が失われた事態を抜本的に解決しようとすれば、国会における新法の廃止が最も端的な方法ではあるが、新法の廃止は、国会のみの責任でのみ行なわれ得るものではなく、今回の平成八年の新法廃止の経過からみれば、厚生省の新法廃止に向けての作業が重要な役割を果たしていることは明らかであるところからみても、ハンセン病医療を所管し、国内外におけるハンセン病の専門的な医学的知見やより詳細な治療の状況に関する情報を入手することが可能である厚生省の新法廃止へ向けての積極的な作業が必要とされるのであって、本件のように隔離政策による患者の人権被害が甚大であり、隔離政策の誤りが明白となっている状況の下では、厚生省がそのような作業をしても国会で新法廃止の立法がなされなかった場合であればともかく、厚生省が右のような新法廃止に向けての積極的な作業を一切することなくこれを放置しておきながら、厚生省は違憲の法律であってもそれに従って行政を行なう以上国家賠償法上の違法性はなく、少なくとも故意・過失はないというような主張は採用できない。

 また、新法は、必ず隔離政策を維持・継続しなければならないと定めているわけではなく、むしろ、隔離の必要性の判断を、医学的知見の進展やハンセン病の蔓延状況によってその都度変更すべき場合があることを予定しているものとも解されるのであって、新法が存続していたことは、厚生大臣の行為の違法性及び過失を認めるに当たって、特に支障となるものではないというべきである。

  2 また、被告は、強制収容と法的に評価し得るのは物理的強制入所のみであるとの前提に立って、新法の下において物理的強制入所がなかったか、ほとんどなかったことをるる指摘する。

 しかしながら、たとえ、新法六条一項による勧奨による入所であっても、伝染させるおそれがあり、ハンセン病予防上必要があると認められる以上、同条二項の入所命令、同条三項の直接強制を受ける可能性があることを前提とした勧奨であるから、患者に入所を拒む自由は事実上ないというべきであり、また、入所後においては、退所を制限され、新法一五条による外出制限に服する点からみても、入所命令や即時強制による入所と異ならないのであって、物理的強制を伴わない入所を全くの任意入所のようにいうことはできない。原告らの入所形態や入所理由には様々なものがあるが、いずれにしても、外出制限等を伴う隔離状態に置かれていた点では変わらず、厚生大臣の行為を違法と評価することに支障となるものではない。

  3 さらに、被告は、遅くとも、昭和五〇年ころ以降は、菌陰性かどうかに関係なく、自由に退所することができたと主張する。

 そもそも、退所が可能かどうかの判断は、高度に医学的・専門的な事項であって、入所者自身において判断し得るものではないことに加え、新法に退所基準や退所の手続的規定が定められていないことをも考え合わせると、入所者から具体的な退所の申出がない限り、療養所側が何の対応もしなくてよいとするのでは、退所機会の保障という点で極めて不十分である。そして、前記第二節第三の三で指摘した事情、特に、厚生省が、新法廃止までに、だれでも自由に退所できるなどと公式に表明したことは一度もなく、昭和五七年の国会答弁でも、ハンセン病の対策の手を緩めるわけにはいかず、患者に対する一定の人権制限はやむを得ないと答弁していたこと、厚生省が昭和三一年に策定した唯一の退所基準である暫定退所決定準則は、極めて厳格なものであり、退所機会を適正に保障する内容のものとはいえないこと、しかも、右準則は、当初入所者に厳秘とされていたもので、後にその存在が全患協に知られるようになったが、この準則の退所基準が入所者らに広く周知されていたとは認められないこと、昭和三〇年代にいくつかの療養所で退所基準や退所手続規定が定められているが、これによっても、退所基準が緩やかになったとは評価し得ないこと、昭和五〇年代以降、多くの療養所において、退所を強く希望する入所者に対して是が非でも退所を許可しないということはなくなったが、そのような療養所の方針が公式に表明されたことはなく、入所者にだれでも自由に退所できることが周知されていたとは認められないことなどからすれば、入所者が認識可能な形で退所の自由が認められていたのでないことは明らかである。隔離状態が徐々に緩和されていったことは、損害論では十分斟酌すべき点ではあるが、隔離政策自体は緩やかながら新法廃止まで継続されていたと認めざるを得ず、隔離政策を継続したことについての違法性の判断そのものを左右するとまではいえない。

 三 以上のとおりであって、厚生大臣の公権力の行使たる職務行為には違法があり、厚生大臣の過失も優にこれを認めることができる。