プライバシー権(5)最判平成13年12月18日 レセプト情報公開請求事件・最判昭和63年12月20日 囚われの聴衆 伊藤正巳補足意見

  目次

【最判平成13年12月18日 レセプト情報公開請求事件】

要旨

判示事項

公文書の公開等に関する条例(昭和61年兵庫県条例第3号)に基づき個人情報の記録された公文書の公開請求を本人及びその配偶者が共同でした場合に当該情報が個人情報に関する非公開事由を定めた同条例8条1号に該当するとしてされた非公開決定が違法とされた事例

裁判要旨

公文書の公開等に関する条例(昭和61年兵庫県条例第3号)に基づき個人情報の記録された公文書の公開請求を本人及びその配偶者が共同でした場合に,当該公開請求自体から本人自身による請求であることが明らかであり,同条例には自己の個人情報の開示を請求することを許さない趣旨の規定等は存在せず,当時,兵庫県では個人情報保護制度が採用されていなかったという事実関係の下においては,当該情報が個人情報に関する非公開事由を定めた同条例8条1号に該当するとしてされた非公開決定は違法である。

 

判旨

  事実の概要

 (1) 被上告人B1とその夫である被上告人B2は,平成5年9月7日,公文書の公開等に関する条例(昭和61年兵庫県条例第3号。以下「本件条例」という。なお,本件条例は平成12年兵庫県条例第6号により廃止された。)5条に基づき,本件条例の実施機関である上告人に対し,被上告人B1の平成5年5月7日の分娩に関する診療報酬明細書(以下「本件文書」という。)の公開を請求した(以下「本件公開請求」という。)。

 (2) 本件条例8条は,「実施機関は,次の各号のいずれかに該当する情報が記録されている公文書については,公文書の公開を行わないことができる。」とした上で,その1号において,「個人の思想,宗教,健康状態,病歴,住所,家族関係,資格,学歴,職歴,所属団体,所得,資産等に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)であって,特定の個人が識別され得るもののうち,通常他人に知られたくないと認められるもの」と規定している。

 (3) 上告人は,平成5年9月20日,被上告人らに対し,本件文書に記録されている情報は,個人の健康状態等心身の状況等に関する情報であって,特定の個人が識別され得るもののうち,通常他人に知られたくないものであり,本件条例8条1号に該当するとして,これを公開しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。

 (4) 本件処分がされた当時,兵庫県には,その機関が保有する個人情報を本人に開示する制度等を定めた条例はなかった(なお,その後,個人情報の保護に関する条例(平成8年兵庫県条例第24号。以下「個人情報保護条例」という。)が制定され,平成9年4月1日に施行された。)。

■ 最高裁の判断

 2 本件条例は,兵庫県においていわゆる情報公開制度を採用し,広く県民等に公文書の公開を請求する権利を認めることなどにより,地方自治の本旨に即した県政の推進と県民生活の向上に寄与することを目的として制定されたものである(本件条例1条)。一方,後に制定された個人情報保護条例は,同県において,いわゆる個人情報保護制度を採用し,個人情報の開示及び訂正を求める権利を認めることなどにより,個人の権利利益を保護することを目的として制定されたものである(個人情報保護条例1条)。上記の二つの制度は,本来,異なる目的を有するものであって,公文書を公開ないし開示する相手方の範囲も異なり,請求を拒否すべき場合について配慮すべき事情も異なるものである。そして,地方公共団体が公文書の公開に関する条例を制定するに当たり,どのような請求権を認め,その要件や手続をどのようなものとするかは,基本的には当該地方公共団体の立法政策にゆだねられているところである。したがって,広く県民等に公文書の公開を請求する権利を認める条例に基づいて公文書の公開を請求する場合には,本来は,請求者は,県民等の1人として所定の要件の下において請求に係る公文書の公開を受けることができるにとどまり,そこに記録されている情報が自己の個人情報であることを理由に,公文書の開示を特別に受けることができるものではない。

 しかしながら,情報公開制度も個人情報保護制度も,広く地方公共団体において採用され,又は近い将来における採用が検討されているものであって,兵庫県においても,昭和61年に本件条例が制定されて情報公開制度が採用され,平成8年に個人情報保護条例が制定されて個人情報保護制度が採用されたものであるところ,

 本件処分がされたのは,本件条例制定後個人情報保護条例制定前の平成5年のことであったというのである。このように,情報公開制度が先に採用され,いまだ個人情報保護制度が採用されていない段階においては,被上告人らが同県の実施機関に対し公文書の開示を求める方法は,情報公開制度において認められている請求を行う方法に限られている。また,情報公開制度と個人情報保護制度は,前記のように異なる目的を有する別個の制度ではあるが,互いに相いれない性質のものではなく,むしろ,相互に補完し合って公の情報の開示を実現するための制度ということができるのである。とりわけ,本件において問題とされる個人に関する情報が情報公開制度において非公開とすべき情報とされるのは,個人情報保護制度が保護の対象とする個人の権利利益と同一の権利利益を保護するためであると解されるのであり,この点において,両者はいわば表裏の関係にあるということができ,本件のような情報公開制度は,限定列挙された非公開情報に該当する場合にのみ例外的に公開請求を拒否することが許されるものである。これらのことにかんがみれば,個人情報保護制度が採用されていない状況の下において,情報公開制度に基づいてされた自己の個人情報の開示請求については,そのような請求を許さない趣旨の規定が置かれている場合等は格別,当該個人の上記権利利益を害さないことが請求自体において明らかなときは,個人に関する情報であることを理由に請求を拒否することはできないと解するのが,条例の合理的な解釈というべきである。もっとも,当該地方公共団体において個人情報保護制度を採用した場合に個人情報の開示を認めるべき要件をどのように定めるかが決定されていない時点において,同制度の下において採用される可能性のある種々の配慮をしないままに情報公開制度に基づいて本人への個人情報の開示を認めることには,予期しない不都合な事態を生ずるおそれがないとはいえないが,他の非公開事由の定めの合理的な解釈適用により解決が図られる問題であると考えられる。

  3 このような観点から,本件処分の適否を検討する。本件処分は,本件文書が個人の健康状態等心身の状況に関する情報であって本件条例8条1号に該当するとしてされたものであるところ,当該個人というのが公開請求をした被上告人B1であることは,本件公開請求それ自体において明らかであったものと考えられる。そして,同号が,特定の個人が識別され得る情報のうち,通常他人に知られたくないと認められるものを公開しないことができると規定しているのは,当該個人の権利利益を保護するためであることが明らかである。また,本件条例には自己の個人情報の開示を請求することを許さない趣旨の規定等は存しない。そうすると,当該個人が自ら公開請求をしている場合には,当該個人及びこれと共同で請求をしているその配偶者に請求に係る公文書が開示されても,当該個人の権利利益が害されるおそれはなく,当該請求に限っては同号により非公開とすべき理由がないものということができる。これらによれば,【要旨】個人情報保護制度が採用されていない状況においては,本件公開請求については同号に該当しないものとして許否を決すべきであり,同号に該当することを理由に本件文書を公開しないものとすることはできないと解さざるを得ない。本件処分が違法であるとした原審の判断は,結論において正当であり,原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

 

 

【最判昭和63年12月20日 囚われの聴衆 伊藤正巳補足意見】

 裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。

 私もまた、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、上告人の本訴請求を棄却すべきものとした原判決は是認することができると考える。しかし、本件は、聞きたくないことを聞かない自由を法的利益としてどのように把握するか、また地下鉄の車内のようないわば閉ざされた場所における情報伝達の自由をどのように考えるかという問題にかかわるものであるから、これらの問題について若干の意見を述べておくことにしたい。

 一 原判決の説示によれば、人は、法律の規定をまつまでもなく、日常生活において見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない自由を本来有しているとされる。私は、個人が他者から自己の欲しない刺戟によって心の静穏を乱されない利益を有しており、これを広い意味でのプライバシーと呼ぶことができると考えており、聞きたくない音を聞かされることは、このような心の静穏を侵害することになると考えている。このような利益が法的に保護を受ける利益としてどの程度に強固なものかについては問題があるとしても、現代社会においてそれを法的な利益とみることを妨げないのである。

 論旨(上告理由第一点)は、右の聞きたくない音を聞かない自由をもって精神的自由権に属するものとし、それが本件商業宣伝放送を行うという経済的自由権に優越するものであるにもかかわらず、原判決がそれを看過していることは憲法の解釈を誤ったものであるという。しかし、私見によれば、他者から自己の欲しない刺戟によって心の静穏を害されない利益は、人格的利益として現代社会において重要なものであり、これを包括的な人権としての幸福追求権(憲法一三条)に含まれると解することもできないものではないけれども、これを精神的自由権の一つとして憲法上優越的地位を有するものとすることは適当ではないと考える。それは、社会に存在する他の利益との調整が図られなければならず、個人の人格にかかわる被侵害利益としての重要性を勘案しつつも、侵害行為の態様との相関関係において違法な侵害であるかどうかを判断しなければならず、プライバシーの利益の側からみるときには、対立する利益(そこには経済的自由権も当然含まれる。)との較量にたって、その侵害を受忍しなければならないこともありうるからである。この相関関係を判断するためには、侵害行為の具体的な態様について検討を行うことが必要となる。右のような観点にたって、聞きたくない音を聞かない自由について考えてみよう。

 わが国において、騒音規制法が制定されており、工場や建設工事による騒音や自動車騒音について規制がされ、さらに深夜の騒音や拡声器による放送に係る騒音について地方公共団体が必要な措置を講ずるものとされている。しかし、一般的には、音による日常生活への侵害に対して鋭敏な感覚が欠除しており、静穏な環境の重要性に関する認識が乏しいことを否定できず、この音の加害への無関心さが音響による高い程度の生活妨害を誘発するとともに、通常これらの妨害を安易に許容する状況を生み出している。街頭や多数の人の来集する場所において、常識を外れた音量で、しかも不要と思われる情報の流されることがいかに多いかは、常に経験するところである。上告人の主張は、通常人の許容する程度のものをあえて違法とするものであり、余りに静穏の利益に敏感にすぎるといわれるかもしれないが、わが国における音による生活環境の侵害の現状をみるとき意味のある問題を提起するものといわねばなるまい。

 しかし、法的見地からみるとき、すでにみたように、聞きたくない音によって心の静穏を害されないことは、プライバシーの利益と考えられるが、本来、プライバシーは公共の場所においてはその保護が希薄とならざるをえず、受忍すべき範囲が広くなることを免れない。個人の居宅における音による侵害に対しては、プライバシーの保護の程度が高いとしても、人が公共の場所にいる限りは、プライバシーの利益は、全く失われるわけではないがきわめて制約されるものになる。したがって、一般の公共の場所にあっては、本件のような放送はプライバシーの侵害の問題を生ずるものとは考えられない。

 二 問題は、本件商業宣伝放送が公共の場所ではあるが、地下鉄の車内という乗客にとって目的地に到達するため利用せざるをえない交通機関のなかでの放送であり、これを聞くことを事実上強制されるという事実をどう考えるかという点である。これが「とらわれの聞き手」といわれる問題である。

 人が公共の交通機関を利用するときは、もとよりその意思に基づいて利用するのであり、また他の手段によって目的地に到着することも不可能ではないから、選択の自由が全くないわけではない。しかし、人は通常その交通機関を利用せざるをえないのであり、その利用をしている間に利用をやめるときには目的を達成することができない。比喩的表現であるが、その者は「とらわれ」た状態におかれているといえよう。そこで車内放送が行われるときには、その音は必然的に乗客の耳に達するのであり、それがある乗客にとって聞きたくない音量や内容のものであってもこれから逃れることができず、せいぜいその者にとってできるだけそれを聞かないよう努力することが残されているにすぎない。したがって、実際上このような「とらわれの聞き手」にとってその音を聞くことが強制されていると考えられよう。およそ表現の自由が憲法上強い保障を受けるのは、受け手が多くの表現のうちから自由に特定の表現を選んで受けとることができ、また受けとりたくない表現を自己の意思で受けとることを拒むことのできる場を前提としていると考えられる(「思想表現の自由市場」といわれるのがそれである。)。したがって、特定の表現のみが受け手に強制的に伝達されるところでは表現の自由の保障は典型的に機能するものではなく、その制約をうける範囲が大きいとされざるをえない。

 本件商業宣伝放送が憲法上の表現の自由の保障をうけるものであるかどうかには問題があるが、これを経済的自由の行使とみるときはもとより、表現の自由の行使とみるとしても、右にみたように、一般の表現行為と異なる評価をうけると解される。もとより、このように解するからといって、「とらわれの聞き手」への情報の伝達がプライバシーの利益に劣るものとして直ちに違法な侵害行為と判断されるものではない。しかし、このような聞き手の状況はプライバシーの利益との調整を考える場合に考慮される一つの要素となるというべきであり、本件の放送が一般の公共の場所においてプライバシーの侵害に当たらないとしても、それが本件のような「とらわれの聞き手」に対しては異なる評価をうけることもありうるのである。

 三 以上のような観点にたって本件をみてみると、試験放送として実施された第一審判決添付別紙(一)のような内容であるとすると違法と評価されるおそれがないとはいえないが、その後被上告人はその内容を控え目なものとし、駅周辺の企業を広告主とし、同別紙(四)の示す基準にのっとり同別紙(五)のような内容で実施するに至っているというのであり、この程度の内容の商業宣伝放送であれば、上告人が右に述べた「とらわれの聞き手」であること、さらに、本件地下鉄が地方公営企業であることを考慮にいれるとしても、なお上告人にとって受忍の範囲をこえたプライバシーの侵害であるということはできず、その論旨は採用することはできないというべきである。