環境権(2)

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【鹿児島地裁昭和47年5月19日・し尿処理施設増設禁止仮処分申請事件 】

要旨

憲法二五条一項・一三条一項から個人の環境権なる権利を認めることはできない。

 

判旨

 憲法第二五条一項、第一三条第一項の規定からただちに申請人らが主張するような内容の環境権なる権利を各個人が有するということには、各個人の権利の対象となる環境の範囲(環境を構成する内容の範囲、およびその地域的範囲)、共有者となる者の範囲のいずれもが明確でないという点を考えるとたやすく同調し難い。したがつて、本件増設施設によるし尿処理が申請人らの環境権を侵害することを理由として、本件増設工事の差止めを求めるという申請人らの主張は採用できない。

 

 

【大阪地裁昭和49年2月27日・大阪国際空港公害訴訟第一審判決】

要旨

憲法一三条・二五条の規定は、国の国民一般に対する責務を定めた綱領規定であるから、政府・公共団体が環境保全・公害防止の責務を有するとしても、住民に公害の私法的救済の手段としての環境権が認められるとはいえない。

 

判旨

 二 人格権および環境権について

 まず、原告らが、本件損害賠償請求において侵害された権利は人格権ないし環境権であると主張し、またこれらの権利をもつて本件差止請求の法的根拠としていることについて考察する。原告らの主張の骨子は、人格権ないし環境権は憲法一三条の生命、自由および幸福追求権、二五条の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利をその内容とする排他的支配権であり、その性質上これに対する侵害行為はいかなる理由があつても許されないから、公共性その他の要素について判断するまでもなく、被害の存在のみで違法性が肯認されるべきであり、殊に環境権については、人格権の外延を守るため、公害その他広範囲にわたる環境破壊が行われている現状に対処して、地域住民に具体的被害が発生する前段階で侵害行為を食い止めると共に、個々の住民の権利侵害とあわせて地域的な拡がりを持つ環境破壊を阻止できる有力な根拠となり得るというのである。

 思うに、個人の生命、自由、名誉その他人間として生活上の利益に対するいわれのない侵害行為は許されないことであり、かかる個人の利益は、それ自体法的保護に値するものであつて、これを財産権と対比して人格権と呼称することができる。そして、本件における航空機騒音の如く、個人の日常生活に対し極めて深刻な影響をもたらしひいては健康にも影響を及ぼすおそれのあるような生活妨害が継続的かつ反覆的に行われている場合において、これが救済の手段として、既に生じた損害の填補のため不法行為による損害賠償を請求するほかないものとすれば、被害者の保護に欠けることはいうまでもないから、損害を生じさせている侵害行為そのものを排除することを求める差止請求が一定の要件の下に認められてしかるべきである。この場合、差止請求の法的根拠としては、妨害排除請求権が認められている所有権その他の物権に求めることができるが、物権を有しない者であつても、かかる個人の生活上の利益は物権と同等に保護に値するものであるから、人格権についてもこれに対する侵害を排除することができる権能を認め、人格権に基づく差止請求ができるものと解するのが相当である。

 ところで、環境権については、実定法上かかる権利が認められるかどうかは疑問である。憲法一三条、二五条の規定は、いずれも国の国民一般に対する責務を定めた綱領規定であると解すべきであり、同条の趣旨は国の施策として立法、行政の上に忠実に反映されなければならないが、同条の規定によつて直接に、個々の国民について侵害者に対し何らかの具体的な請求権が認められているわけではない。原告ら指摘の如く、近時公害による環境破壊は著しく、良好な環境を破壊から守り、維持して行く必要があることは、何人といえども否定できないところであり、政府、公共団体が環境保全のため公害防止の施策を樹立し、実施すべき責務を有し、企業や住民も公害の防止に努めるべきことは当然であるけれども、このことから直ちに、公害の私法的救済の手段としての環境権なるものが認められるとするのは早計といわなければならない。また、環境が破壊されたことによつて個人の利益が侵害された場合には、不法行為を理由に損害賠償の請求をすることができ、違法性の有無を判断するに際し、被侵害利益の性質として環境破壊の点を考慮すべき場合があるとしても、環境権という権利が侵害されたかどうかを問題にするまでもないし、差止請求においても、物権のみならず人格権をその根拠とすることによつて救済の実をあげることができるのであつて、いずれにしても環境権を認めなければ個人の利益が救済できないという場面はないと考えられる。原告らによれば、環境権によつて具体的被害が発生する前に侵害を食い止め、また個々人の法益を越えて環境破壊を阻止することができるというが、かような役割を環境権に持たせようとするのであるならば、それは私法的救済の域を出るものであつて、実定法上の明文の根拠を必要とするといわなければならない。

 なお、環境権についてはその排他性から何等の利益考量も許されず、被害の存在のみで違法性が認められるという議論にも首肯しがたいものがある。具体的な事件においていかなる事情を基礎として違法性があると認めるべきかの判断は、被侵害利益が排他的な権利である場合にも省略することはできないのであり、かかる利益考量を経て初めて、具体的事案に即した妥当な救済方法を導き出すことが可能となるのである。

 ちなみに、本件において原告らは、航空機の騒音等により原告ら居住地域一般の環境が破壊されたことを強調してはいるけれども、これは結局のところ原告ら個人個人の生活上の利益の侵害に還元することができるものであるし、原告らは同時に個人の健康や生活利益に被害がもたらされていることをも個別的、具体的に主張しているのであるから、私法的救済の方法としては、殊更に環境権という概念を持ち出さなければその主張を維持できないわけでもないことに留意する必要がある。

 

 

【大阪高裁昭和50年11月27日・大阪国際空港公害訴訟】

要旨

憲法一三条から導かれる人格権に基づき、民事上の請求として一定の時間帯につき航空機の離着陸のためにする国営空港の供用の差し止めを求める訴は、適法なものと容認することができ、人格権侵害を根拠とする限り環境権理論の当否について判断する必要がない。

 

判旨

  1 原告らは、本件の被害をもつて、人格権ないし環境権の侵害であると主張し、これらの権利に基づき、被告に対し、本件空港における航空機の一定時間内における発着の禁止を請求する。

 ところで、原告らは、原告ら各人についてすでに被害が発生していることを主張しており、他方、原告らの主張によつても、環境権の意義は、被害が各個人に現実化する以前において環境汚染を排除し、もつて人格権の外延を守ることにあるというのであるから、判断の順序としては、まず人格権に基づく主張の当否を判断すべきものと解される。

  2 およそ、個人の生命・身体の安全、精神的自由は、人間の存在に最も基本的なことがらであつて、法律上絶対的に保護されるべきものであることは疑いがなく、また、人間として生存する以上、平隠、自由で人間たる尊厳にふさわしい生活を営むことも、最大限度尊重されるべきものであつて、憲法一三条はその趣旨に立脚するものであり、同二五条も反面からこれを裏付けているものと解することができる。このような、個人の生命、身体、精神および生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであつて、その総体を人格権ということができ、このような人格権は何人もみだりにこれを侵害することは許されず、その侵害に対してはこれを排除する権能が認められなければならない。すなわち、人は、疾病をもたらす等の身体侵害行為に対してはもとより、著しい精神的苦痛を被らせあるいは著しい生活上の妨害を来す行為に対しても、その侵害行為の排除を求めることができ、また、その被害が現実化していなくともその危険が切迫している場合には、あらかじめ侵害行為の禁止を求めることができるものと解すべきであつて、このような人格権に基づく妨害排除および妨害予防請求権が私法上の差止請求の根拠となりうるものということができる。

 被告は、このような差止請求の根拠としての人格権には実定法上の根拠を欠くと主張するが、右のとおり人格権の内容をなす利益は人間として生存する以上当然に認められるべき本質的なものであつて、これを権利として構成するのに何らの妨げはなく、実定法の規定をまたなくとも当然に承認されるべき基本的権利であるというべきである。また、従来人格権の語をもつて名誉、肖像、プライバシーあるいは著作権等の保護が論ぜられることが多かつたとしても、それは、人格的利益のそのような面について、他人の行為の自由との牴触およびその調整がとくに問題とされることが多かつたことを意味するにすぎず、より根源的な人格的利用益をも総合して、人格権を構成することには、何ら支障とならないものと解される。もつとも、人格権の外延をただちに抽象的、一義的に確定することが困難であるとしても、少なくとも前記のような基本的な法益をその内容とするものとして人格権の概念を把握することができ、他方このような法益に対する侵害は物権的請求権をもつてしては救済を完了しえない場合があることも否定しがたく、差止請求の根拠として人格権を承認する実益も認められるのであつて、学説による体系化、類型化をまたなくてはこれを裁判上採用しえないとする被告の主張は、とりえないところである。

 

 

【名古屋地裁昭和54年6月28日・場外馬券発売中止等請求事件】

要旨

憲法一三条・二五条は、いわゆる環境権の実定法上の根拠とはなりえないし、また、良好・便利な環境利益は、民法その他の法令に根源を有する私法上の権利の範ちゆうに属するものではないから、いわゆる環境権を私法上の差止または損害賠償の各請求権の根拠とすることはできない。

 

判旨

 一 環境権の主張について

 原告らは本訴差止(場外馬券発売禁止)及び損害賠償の各請求の根拠として、環境権の存在を主張する。

 まず、原告らは、環境権を「良き環境を享受し、かつ、これを支配しうる権利であり、更に、人間が健康で快適な生活を求める権利である。」と意義づけ、その実定法上の根拠を、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する旨規定した憲法二五条、幸福追求の権利を有する旨規定した憲法一三条に求めうるかのように主張するが、これらの規定は、右各条中の爾余の文言からも明らかなように、国の国民一般に対する政治、行政上の責務を定めた綱領的規定であつて、それ自体を所論の環境権の実定法上の規定と解し難いばかりでなく、文理上も右各規定が右環境権の権利概念を予定し、或は想定していると解するのは難しい。また、原告らは、右環境権を人格権の延長線にとらえうる一種の抵抗権としての性質をもつたもので、企業体に対して良き環境の確保を要求しうる権能を含んだ生存権的基本権の一面を有するとともに、右企業体からの環境侵害を守るための社会的基本権の側面をもつた実定法の予期しなかつた新しい基権であるとも主張するのであるが、右主張は、その論拠を理解し難いばかりでなく、憲法その他の実定法上の法理を飛躍した独自の見解であつて、とうてい首肯し難い。

 原告らは、環境権の性質、効果について、一つの環境を形成している一定地域の住民のすべてに平等に分配された地域住民全体の共有の権利であり、その環境破壊をもたらす侵害行為に対しては、具体的な損害の発生いかんにかかわらず、私法上の権利として予防ないし排除の請求をすることができる旨主張する。しかし、所論がここでいう「環境」とは、抽象的には住民をとりまく一定地域及びその周辺の物又は状態であり、それには道路・河川・建物・交通機関等公物、私物を含めた物的施設、水・大気・日照・海・山・動植物等の自然事象、更にはここに居住し、或はこれらを利用する人間関係などの一切が含まれるが、これらの要素にはそれ自体流動的なものがあるばかりでなく、この環境には具体的には当該住民にとつて良好、不良或は普通の三様があつて、必ず良好の環境とばかりいえないのみならず、その評価は、帰するところ多数の住民の個々の意思に待つべきものであるところからすれば、それら住民の年令・職業・思想・文化等による差異があつて一定でないのが通常であり、このような多様かつ不特定な事象に対して、評価も一定、普遍を保し難い個々の地域住民について全体に共通の共有による排他的支配権を与えようとする思考事態矛盾を含み、論理的でないといわざるをえない。所論は、前記のとおり人が幸福を追求し、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利があるとの憲法上の規定を理由に、良き環境に対してこれを利用、享受しうる権利がある旨主張するけれども、仮にその住民をとりまく一定地域の生活環境が良好、便利なものであつたとしても、それは前述の自然現象のほか、そこに備つた公共的な設備・施策、文化的資産等に由来するものであつて、いわばこれらによる反射的利益というべきもので、その利益は民法その他の法令に根源を有する私法上の権利の範疇に属するものではない。もとよりその利益が個々人にとつてかけがえのない財産上の利益であり、或は生活上、身体上の利益である場合も肯認しうるところであるが、それは、右個々人の財産権或は人格権上の利益として法的保護を与えれば足り、ことさら環境権なる権利概念を構成する必要を見ない。その他、所論が環境権に期待するところの不可侵的で絶対的な予防・排除の法的効力は、その権利概念が瞹眛・脆弱であるのに比して過大・強烈であり、現今の社会共同生活での法律関係を律するに妥当でないばかりでなく、法律の解釈としてもその域を脱し、かつ、本末転倒の議論との批判を免れず、とうてい左袒することができない。

 従つて環境権を私法上の差止及び損害賠償の各請求権の根拠とする原告らの主張は採用することができない。