衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟の合憲性(3-4)最大判平成11年11月10日 裁判官福田博の反対意見前半

 

【最大判平成11年11月10日(衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟)】

平成11(行ツ)35・民集 第5381704

 

憲法目次Ⅰ

憲法目次Ⅱ

憲法目次Ⅲ

衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟の合憲性(3-1)最大判平成11年11月10日 事実関係・要旨

衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟の合憲性(3-2)最大判平成11年11月10日 判旨・要旨2

衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟の合憲性(3-3)最大判平成11年11月10日 裁判官河合伸一、同遠藤光男、同元原利文、同梶谷玄の反対意見

衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟の合憲性(3-4)最大判平成11年11月10日 裁判官福田博の反対意見前半

衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟の合憲性(3-5)最大判平成11年11月10日 裁判官福田博の反対意見後半

衆議院小選挙区比例代表並立制選挙無効訴訟の合憲性(3-6)最大判平成11年11月10日 裁判官河合伸一、同遠藤光男、同福田博、同元原利文、同梶谷玄の反対意見

 

【判示三3についての裁判官福田博の反対意見】は、次のとおりである。

 一 私は、裁判官河合伸一、同遠藤光男、同元原利文、同梶谷玄の反対意見に共感するところが多いが、憲法に定める投票価値の平等は、極めて厳格に貫徹されるべき原則であり、選挙区割りを決定するに当たり全く技術的な理由で例外的に認められることのある平等からのかい離も、最大較差二倍を大幅に下回る水準で限定されるべきであるとの考えを持っているので、その理由等につき、あえて別途反対意見を述べることとした。なお、国会議員選挙における投票価値の平等の問題は、衆議院議員選挙のそれと参議院議員選挙のそれとが相互に密接に関連しているところ、参議院議員選挙については、多数意見の引用する平成一〇年九月二日大法廷判決(以下「平成一〇年判決」という。)における裁判官尾崎行信、同河合伸一、同遠藤光男、同福田博、同元原利文の反対意見及び裁判官尾崎行信、同福田博の追加反対意見において詳しく見解を述べているので、適宜これを引用することとする。

 二 国会は、全国民を代表する選挙された議員で組織された国の機関であり、国権の最高機関である(憲法四一条、四三条)。国権の最高機関たる理由は、国会の決定は、国民全体の中の意見や利害が議員の国会活動を通じて具体的に主張されこれを反映した結果である公算が極めて高く、いわば国民全体の自己決定権の行使の結果とみなし得るからである。すなわち、全国民が平等な選挙権をもって参加した自由かつ公正な選挙により自らの代表として選出した議員で構成されていることこそが、憲法の定める国会の高い権威の源泉なのである。憲法は、選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は法律でこれを定めるとしている(四七条)が、そのような法律を策定する際に認められる国会の裁量権は、当然のことながら、憲法の定めるいくつかの原則に従うことが前提である。法の下の平等により保障される有権者の投票価値の平等の原則(以下「平等原則」という。)に従うことはそのような前提の一つであって、事務処理上生ずることが不可避な較差など明白に合理的であることが立証されたごく一部の例外が極めて限定的に許されるにすぎない。平等原則は、秘密投票の保障(一五条四項)など、自由、平等、公正な選挙を確保するために憲法が定める他のいくつかの原則と同様に重要なものであって、選挙区、投票の方法など国会議員の選挙に関する事項を法律で定める際には、当然かつ厳格に遵守されるべきものである。それが理想論ではなく十分に実現可能なものであることは、代表民主制を有する諸外国の近年における動向を見ても明らかである(後記九参照)。

 三 平等原則は、全国の選挙人数を議員総定数で除して得た数値を基準値として、この基準値ごとに一人の議員を割り当てることにより最もよく実現される。このことは、小選挙区、中選挙区、比例区すべてに当てはまる。もし、過疎の地域にもその地域からの議員選出の機会を与えたいというのであれば、それは、その実現方法が他の地域について平等原則を満たす場合にのみ許される。例えば、過疎の地域に代表を選出する機会を与えるために、過密の地域に対し割り当てられる議員定数を人口比に見合って増加するのも一つの方法である。議員の総定数を固定したままで「過疎への配慮」を行うことは、すなわち「過密の軽視」に等しく、それはとりもなおさず、有権者の住所がどこにあるかで有権者の投票価値を差別することになる。そのような差別は、身分、収入、性別その他を理由として一部の有権者に優越的地位を与えた過去のシステムと基本的発想を同じくするものであって、憲法の規定に明らかに反し、近代民主制の基本である平等な投票権者による多数決の原理をゆがめることとなる。

 四 戦後我が国の国会議員選挙制度が制定された際、参議院議員選出のための選挙区選挙において、都道府県を選挙区とする制度が導入され、当初から最大二・六二倍の較差の存在が容認されたことが、今日においても衆・参両院議員選挙における平等原則軽視の風潮をもたらす端緒となったことは否めない。当初大きな疑念も差し挟まれないまま容認されたこの較差は、宮城県と鳥取県との間で生じたものであって、「過疎への配慮」とはおよそ無縁のものであった。しかし、そのような較差の存在を容認したことは、その後の大規模な人口移動によって生じた都市部への人口集中に基づく全く違う種類の較差の問題を、過疎への配慮などの名目の下に、長年にわたり放置することにつながったといえる。そして、この傾向は、参議院議員選挙にとどまらず、衆議院議員選挙のそれにも拡散したのである。そして、この問題に対しては、司法も、選挙制度策定において国会の有する広範な裁量権の範囲にとどまるものか否かを判断すれば足りるとの考えの下に寛容な態度をとり続けた。その結果、最高裁判所による累次の判決は、衆議院議員選挙については最大三倍、参議院議員選挙のうち選挙区選出議員については最大六倍までの投票価値の較差は国会の裁量権の範囲内として許容されるとの考えに基づいて行われていると一般に理解されるに至っている。

 五 衆・参両院議員選挙について近年行われた公職選挙法の改正は、いずれも平等原則を十分に遵守するために必要な是正を行っていない。今回問題となっている改正公選法について見れば、個人の投票価値は他人のそれと同一であるにもかかわらず、選挙区選挙について最大較差が二倍以上にならないことを改正の基本方針としている点で、そもそも質的に不十分なものであること(最大較差二倍とは、要するに一人の投票に二人分の投票価値を認めるということである。)、そして、それを所与のものとして、いわゆる「一人別枠制」(それは、正に投票価値についての明白かつ恣意的な操作である。)を導入し、平成二年一〇月実施の国勢調査によっても三〇〇の選挙区中二八の選挙区において一対二を超える例外を当初から設けていることの二点において、憲法が定める代表民主制の基本的前提である平等原則を遵守していない。そして、次に述べるようにそれを正当化する理由は存在しないのである。

 第一に、憲法は、選ばれる者(議員)が選ぶ者(有権者)の投票価値を意図的に操作し差別することを認めていない。繰り返しになるが、選挙制度策定に当たっては「過疎への配慮」は「過密の軽視」を伴ってはならないのである。有権者数に見合った選挙区の統合又は議員総定数の増加などの工夫を行うことにより、投票価値の平等を実現することは、選挙に関する法律を制定する際の前提条件である(後者の方法は統治機構のスリム化の要請には反するであろうが、そのような要請は憲法の定める平等原則の重要性に比すれば質的に大きく劣後する。)。

 第二に、都道府県制をあたかも連邦制を採る国の州の地位に対比することによって、都道府県に依拠する選挙区割りの持つ重要性を平等原則に優先させて認めようとする考えがあるが、これも採り得ない。我が国が連邦国家でないことは明らかであり、基本的に行政区画である都道府県間において平等原則を劣後させ定数較差の存在を認めるようなことは憲法に何の規定も見いだせない。連邦制を採り成文の憲法を持つ国にあっては、各州に人口ないし有権者数と見合わない代表権を認める場合には、憲法にそれを認める明文の規定がある。そのような明文の規定は我が国憲法には存在せず、行政区画である都道府県制度に依拠して選挙制度を策定することが国会の裁量権の範囲内にあるという論理から平等原則に反する選挙制度も許されるとするのはしょせん無理である。

 第三に、地方議会において、その地方自治の持つ特性ゆえに、平等原則がやや緩やかに適用される例が皆無ではないことをもって、国会についても同様の配慮を認めよという議論も、国会が一部地域ではなく全国民を代表する議員で構成される国権の最高機関であるという憲法の規定に合致しないことは明らかである。

 六 我が国は、長年にわたって高度成長を続け、その中に内在する矛盾を基本的に解決しなくても各種の問題に対応していくことができた。しかし、そのような余裕のあった時代は去り、また、全く新しい重要課題への対応も迫られている。厳しい環境の中にあって、国の内外における新たな重大問題に的確に対応していくためには、民意を正確に反映した立法府の存在、すなわち憲法に定める平等原則を忠実に遵守する選挙制度で選出された議員により構成される国会の存在が以前にも増して格段に重要となってきている。もちろん代表民主制の下において、有権者及び選出された議員の選択する政策が常に最善のものであるとは限らず、見通しの甘さや誤りも往々にして存在する。しかし、代表民主制の強みは、有権者の考えが変われば、それが議員選出を通じて政策の変更に反映されやすいことにある。有権者は、投票の際、前回の選挙において自らが投票し選出された議員の選択した政策がもはや最善のものではないと考えるに至ったときには、その投票態度を容易に変更する。議員もそのことを十分に承知し、有権者の多数が選択する政策を推進しようと心掛ける。換言すれば、代表民主制の基本とするところは、選挙を通じて議員を交代させ又はその政見に影響を及ぼすことにより、より的確に多数の有権者の支持する政策が選択されることを可能ならしめるものである。代表民主制を採用しても、有権者の持つ投票価値が平等でないのであれば、そのような選挙を通じ選出された議員で構成される国会は選挙時点における民意を正しく反映しないゆがんだ構成になる。その場合には、国会において多数決で行われる決定も多数の民意を反映していないこととなる可能性を生じ、我が国の直面する内外の問題への対応に誤りを生ずる可能性もなしとしない。憲法の意図する代表民主制はそのようなものではない。平等でない投票価値に基づく選挙は、憲法の規定に反するほか、有権者の政治不信及び政治離れにもつながる危険を有する