【信教の自由(3-3)最大判昭和63年6月1日 殉職自衛官合祀事件 補足意見2】

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 裁判官高島益郎、同四ツ谷巖、同奧野久之の補足意見は、次のとおりである。 本訴は、これを法律的にみた場合には請求棄却を免れないものであり、我々もこの点において多数意見とその見解を一にするものであるが、本件合祀申請に至る過程において地連職員が県E会に協力してした行為やその後の地連職員の言動に関連して、若干の意見を補足しておくこととしたい。

 

 本件合祀申請はその名義どおり県E会単独の行為というべきであり、これを地連職員と県E会の共同の行為とし、地連職員も本件合祀申請をしたものと評価することはできないし、本件合祀申請に至る過程における地連職員の具体的行為はその態様等からみて憲法二〇条三項にいう宗教的活動とまでいうことができないことは、多数意見の述べるとおりである。

 

 しかしながら、憲法が政教分離規定を設けるに至つたのは、大日本帝国憲法二八条による信教の自由の保障が「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という制限を伴つていたこともあつて、同憲法下においては、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、ときとして、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられるなど種々の弊害を生じたことにかんがみ、新たに信教の自由を無条件に保障するとともに、さらにその保障を一層確実なものとしようとしたからにほかならない。元来、わが国においては、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきているのであつて、このような宗教事情の下で信教の自由を確実に実現するためには、単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず、国家といかなる宗教との結びつきをも排除するため、政教分離規定を設ける必要性が大であつたのである。これらにかんがみると、憲法は、政教分離規定を設けるに当たり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたものと解すべきである(前掲最高裁昭和五二年七月一三日大法廷判決参照)。

 

 

 してみれば、右判決が判示するように、国家が、社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するに当たつて、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れず、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近いことはいうまでもないのであるが、国又はその機関としては、前記諸施策を実施するに当たつても、それが憲法二〇条三項にいう宗教的活動に該当するかどうかにかかわりなく、必要以上の宗教とのかかわり合いを慎むべきであり、また、公務員としても、その職務遂行に当たつては、必要以上の宗教とのかかわり合いを慎んで宗教的中立性を堅持するとともに、宗教的少数者等から国又はその機関としての宗教的活動に当たるのではないかと疑われるような言動や特定の宗教に配慮を加えたと受け取られかねない言動を自粛し、いやしくもその宗教的中立性に疑惑を招くことのないようにすべきである。 本件合祀申請に至る過程において県E会に協力してした地連職員の行為は、その職務である遺族援護業務の一環としてされたものであつて、その意図には諒とすべきものがないではないが、たとえ間接的であるとはいえ宗教とかかわり合いをもつものであり、しかも専ら世俗的な目的をもつた習俗的宗教行事にかかる行為や社会的儀礼にかかる行為とも認め難いものであるから、より慎重であることが望ましかつたといわなければならない。

 

 

 また、県E会が本件合祀申請をしたのは昭和四七年三月三一日ころのことであるところ、被上告人が地連職員に対しXの合祀を拒否する態度を初めて明らかにしたのは同年四月五日のことであり、同月一〇日ころ地連職員は被上告人のこの意向を県E会のAc会長に連絡しているのであるから、地連職員においてXの合祀が被上告人の意向に反するものであることを認識しながらXの合祀申請手続を進めることに協力したとの非難は、当を得ていない。しかしながら、原審の判示するところによれば、同月一九日県護国神社によりXを含む殉職自衛隊員二七名の合祀がされた後、地連のある職員は、同年七月六日被上告人が電話で抗議し合祀の取下げを要請したのに対し、Xは国のために死んだのであるから県護国神社に祀るのは当然であるなどの趣旨を述べて、翻意するよう説得し、また、同月二二日被上告人が電話で合祀の意図を質したのに対し、殉職自衛隊員は忠臣と同じくらいの資格があり、遺族の宗教にはかかわりなく現職自衛隊員の死生に誇りをもたせるために奮起して祀つたなどと答え、さらに、同月二七日被上告人の意を体して合祀の取下げを要望したAo牧師に対しても、護国神社は公の宗教であり、日本人は家庭での宗教とは別に公には護国神社に祀られるのが当然である旨を答えた、というのである。これらはいずれも合祀がされて二か月余ないし三か月余を経た後の言動であつて、被上告人が本訴請求原因として主張する侵害行為とは直接関係のないものではあるが、宗教的中立性に疑惑を招きかねない言動であつて、行き過ぎの感を免れず、公務員としては自粛が求められるところといわなければならない。

 

 事案にかんがみ、一言意見を補足する次第である。