【政教分離(1-2)最大判昭和52年7月13日 津市地鎮祭事件・反対意見】

 

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憲法目次Ⅱ

憲法目次Ⅲ

憲法目次Ⅳ

 裁判官藤林益三、同吉田豊、同団藤重光、同服部高顯、同環昌一の反対意見(裁

判官藤林益三については、本反対意見のほか、後記のような追加反対意見がある。)

は、次のとおりである。

 

 一 憲法における政教分離原則

 信教の自由は、近代における人間の精神的自由の確立の母胎となり、自由権の先駆的な役割を果たし、その中核を形成した重要な基本的人権であり、現代の各国の憲法において、精神生活の基本原則として、普遍的に保障されているものである。わが憲法も、二〇条一項前段において「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」と規定して信教の自由を無条件で保障するとともに、同項後段において宗教団体に対する特権の付与及び宗教団体の政治権力の行使の禁止を、二項において宗教上の行為等に対する参加の強制の禁止を、三項において国及びその機関の宗教的活動の禁止を、また、八九条において宗教上の組織・団体に対する財政援助の禁止をそれぞれ規定し、あらゆる角度から信教の自由を完全に保障しようとしている。 そもそも信教の自由を保障するにあたつては、単に無条件でこれを保障する旨を宣明するだけでは不十分であり、これを完全なものとするためには、何よりも先ず国家と宗教との結びつきを一切排除することが不可欠である。けだし、国家と宗教とが結びつくときは、国家が宗教の介入を受け又は宗教に介入する事態を生じ、ひいては、それと相容れない宗教が抑圧され信教の自由が侵害されるに至るおそれが極めて強いからである。このことは、わが国における明治維新以降の歴史に照らしても明らかなところである。

 すなわち、明治元年(一八六八年)、新政府は、祭政一致を布告し、神祇官を再興し、全国の神社・神職を新政府の直接支配下に組み入れる神道国教化の構想を明示したうえ、一連のいわゆる神仏判然令をもつて神仏分離を命じ、神道を純化・独立させ、仏教に打撃を与え、他方、キリスト教に対しては、幕府の方針をほとんどそのまま受け継ぎ、これを禁圧した。明治三年(一八七〇年)、大教宣布の詔によつて神ながらの道が宣布され、同五年(一八七二年)、教部省は、教導職に対し三条の教則(「第一条 敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキ事 第二条 天理人道ヲ明ニスヘキ事 第三条 皇上ヲ奉戴シ朝旨ヲ遵守セシムヘキ事」)を達し、天皇崇拝と神社信仰を主軸とする宗教的政治思想の基本を示し、これにより、国民を教化しようとした。また、明治四年(一八七一年)、政府は、神社は国家の宗祀であり一人一家の私有にすべきでないとし(太政官布告第二三四号)、更に、「官社以下定額及神官職員規則等」(太政官布告第二三五号)により、伊勢神宮を別として、神社を官社(官幣社、国幣社)、諸社(府社、藩社、県社、郷社)に分ける社格制度を定め、神職には官公吏の地位を与えて、他の宗教と異なる特権的地位を認めた。明治八年(一八七五年)、政府は、神仏各宗合同の布教を差し止め各自布教するよう達し、神仏各宗に信仰の自由を容認する旨を口達しながら、明治一五年(一八八二年)、神官の教導職の兼補を廃し葬儀に関与しないものとする旨の達(内務省達乙第七号、丁第一号)を発し、神社神道を祭祀に専念させることによつて宗教でないとする建前をとり、これを事実上国教化する国家神道の体制を固めた。明治二二年(一八八九年)、旧憲法が発布され、その二八条は信教の自由を保障していたものの、その保障は、「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という制限を伴つていたばかりでなく、法制上は国教が存在せず各宗教間の平等が認められていたにもかかわらず、上述のようにすでにその時までに、事実上神社神道を国教的取扱いにした国家神道の体制が確立しており、神社を崇奉敬戴すべきは国民の義務であるとされていたために、極めて不完全なものであることを免れなかつた。更に、明治三九年法律第二四号「官国幣社経費ニ関スル法律」により、官国幣社の経費を国庫の負担とすることが、また、同年勅令第九六号「府県社以下神社ノ神饌幣帛料供進ニ関スル件」により、府県社以下の神社の神饌幣帛料を地方公共団体の負担とすることが定められ、ここに神社は国又は地方公共団体と財政的にも完全に結びつくに至つた。このようにして、昭和二〇年(一九四五年)の敗戦に至るまで、神社神道は事実上国教的地位を保持した。その間に、F教、G教団、H教育学会、I教団などは、厳しい取締・禁圧を受け、各宗教は国家神道を中心とする国体観念と矛盾しない限度でその地位を認められたにすぎなかつた。そして、神社参拝等が事実上強制され、旧憲法で保障された信教の自由は著しく侵害されたばかりでなく、国家神道は、いわゆる軍国主義の精神的基盤ともなつていた。そこで、昭和二〇年(一九四五年)一二月一五日、連合国最高司令官総司令部は、日本政府にあてて、いわゆる神道指令(「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」)を発し、これにより、国家と神社神道との完全な分離が命ぜられ、神社神道は一宗教として他の一切の宗教と同じ法的基礎のうえに立つこと、そのために、神道を含むあらゆる宗教を国家から分離すること、神道に対する国家、官公吏の特別な保護監督の停止、神道及び神社に対する公けの財政援助の停止、神棚その他国家神道の物的象徴となるものの公的施設における設置の禁止及び撤去等の具体的措置が明示された。

 憲法は、信教の自由が重要な基本的人権であり、その保障のためには国家と宗教との分離が不可欠であるにもかかわらず、前述のように旧憲法のもとにおいては、信教の自由の保障が不完全であり、国家と神道との結びつきにより種々の弊害が生じたにがい経験にかんがみ、神道指令の思想をも取り入れ、二〇条一項前段において信教の自由を無条件で保障するとともに、その保障を完全にするために前記の諸規定を設けるに至つたものと考えられる。

 以上の点にかんがみると、憲法二〇条一項後段、同条三項及び八九条に具現された政教分離原則は、国家と宗教との徹底的な分離、すなわち、国家と宗教とはそれぞれ独立して相互に結びつくべきではなく、国家は宗教の介入を受けずまた宗教に介入すべきではないという国家の非宗教性を意味するものと解すべきである。

 多数意見は、国家と宗教との完全な分離は理想にすぎずその実現は実際上不可能であり、政教分離原則を完全に貫こうとすればかえつて社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れないから、政教分離規定の保障による国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があり、わが憲法における政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いがわが国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないものであるとし、その意義を限定的に解しようとするのである。しかしながら、多数意見のいう国家と宗教とのかかわり合いとはどのような趣旨であるのか必ずしも明確でないばかりでなく、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものと認められる場合とはどのような場合であるのかもあいまいであつて、政教分離原則を多数意見のように解すると、国家と宗教との結びつきを容易に許し、ひいては信教の自由の保障そのものをゆるがすこととなりかねないという危惧をわれわれは抱かざるをえないのである。なお、われわれのような国家と宗教との徹底的な分離という立場においても、多数意見が政教分離原則を完全に貫こうとすれば社会の各方面に不合理な事態を生ずることを免れないとして挙げる例のごときは、平等の原則等憲法上の要請に基づいて許される場合にあたると解されるから、なんら不合理な事態は生じないのである。

 二 憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動

 憲法二〇条三項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定するが、上述の政教分離原則の意義に照らしてこれをみれば、ここにいう宗教的活動には、宗教の教義の宣布、信者の教化育成等の活動はもちろんのこと、宗教上の祝典、儀式、行事等を行うこともそれ自体で当然に含まれるものと解すべきであつて、多数意見のようにこれを限定して解すべきものではない。けだし、宗教上の祝典、儀式、行事等は宗教的信仰心の表白の形式であり、国又はその機関が主催してこれらを行うことは、多数意見のようにその及ぼす具体的な効果のいかんを問うまでもなく、前述の政教分離原則の意味する国家の非宗教性と相容れないことは明らかであるからである。もつとも、一応宗教的活動にあたると認められるようなものであつても、国若しくはその機関がこれを行わなければかえつて国民の信教の自由が制約される結果となるとき又は平等の原則等憲法上の要請に基づいて行われるときには、許される場合があることを否定するものではない。

 右のような見地に立つても、元来は宗教に起源を有する儀式、行事であつても時代の推移とともにその宗教性が稀薄化し今日において完全にその宗教的意義・色彩を喪失した非宗教的な習俗的行事は、憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動にあたらないというべきであるが、他方、習俗的行事化しているものであつてもなお宗教性があると認められる宗教的な習俗的行事は、右規定により禁止される宗教的活動に当然含まれると解すべきである。(なお、右のような非宗教的な習俗的行事にあたるかどうかの判断は、本来、右規定の解釈適用の問題であるから、原判決のいうような民俗学上にいう習俗の要件を充足しているかどうかによつて判断すべきものではない。)

 三 本件起工式の性質

 右の見地に立つて、本件起工式が憲法二〇条三項によつて禁止される宗教的活動にあたるかどうかについて検討する。

 () 本件起工式について、原審が確定した事実は、おおよそ次のとおりである。

 () 本件起工式の式場には、天幕が二つ張られ、手前の天幕の下には参列者用の椅子が並べられ、奥の天幕は、周囲に紅白の幔幕を張り、四隅に笹竹(斎竹)を立て、三方に注連縄が引きめぐらされて祭場が設けてあつた。そして、右祭場の奥正面には榊(神籬)をのせた白木の机の祭壇を設け、その前面に青物等の供物(神饌)をのせた三方がおかれ、祭壇に向つて左手前の机には玉串が、また右手前の机には榊、鎌、鍬の祭具がのせてあつた。更に左手前には枯草を植えた盛砂があり、その前方に起工式の式次第が掲示されていた。

 () 参列者は、それぞれ式場入口で市職員より奉書で柄をまき水引をかけた柄杓で手に水をそそがれ、身を清めるいわゆる「手水の儀」(神道における最小限度の禊の意味)をしたのち、式場に入つた。

 () 本件起工式は、津市職員のJを進行係とし、当日午前一〇時から開始されたが、土地の氏神にあたる宗教法人D神社の宮司Kが斎主、その他の三名の神職が斎員となり、いずれも所定の服装で、神社所有の祭具を用いて、次の神事が行われた。

 修祓の儀(神職が参列者一同の前に進み出て榊の枝を打ち振り、一同の罪穢をはらいのける儀式)、降神の儀(神職が祭壇の前へ出て礼拝し、祭壇の神籬に大地主神及び産土神である大市比売命等の神霊を招き降す儀式)、献饌の儀(神職が神饌である青物等の供物を供える儀式)、祝詞奏上(斎主が祭壇の前へ進み出て神霊に対し本件工事の無事安全を祈願する祝詞を読み上げる儀式)、清祓の儀(敷地をはらい散供を行う儀式)、刈初めの儀(市長が盛砂の上に植えてある枯草を鎌で刈る動作をし、荒地を切り開く儀式)、鍬入れの儀(工事責任者が盛砂に鍬を入れて荒地を平にする儀式)、玉串奉奠(市長、市議会議長らが順次祭壇の前に進み出て神職から渡された榊の枝(玉串)を奉つて拍手拝礼する儀式)、撤饌の儀(神饌を撤する儀式)、昇神の儀(神々に天に帰つてもらう儀式)

 そして、参列者一同拝礼して、午前一〇時四五分ころ、滞りなく儀式を終え、しかるのち、あらかじめ西隣りに設けられた祝賀会用天幕へ行つて祝宴(神道では直会という。)をした。

 () 右事実によれば、本件起工式は、神職が主宰し神社神道固有の祭式に則つて行われた儀式であつて、それが宗教上の儀式であることは明らかである。もつとも、一般に起工式そのものは名称はともかくとして古くから行われてきており、時代の推移とともに多分に習俗的行事化している側面のあることは否定することができないが、本件起工式目体は、前記の事実に徴すれば、極めて宗教的色彩の濃いものというべきであつて、これを非宗教的な習俗的行事ということはとうていできない。しかも、多数意見のようにその具体的な効果について考えてみても、地方公共団体が主催して右のような儀式を行うことは、地方公共団体が神社神道を優遇しこれを援助する結果となるものであることはいうまでもないところであつて、かような活動を極めて些細な事柄として放置すれば、地方公共団体と神社神道との間に密接な関係が生ずるおそれのあることは否定することができないのである。多数意見は、本件起工式を宗教とかかわり合いがあるものとしその宗教性を否定はしないものと考えられるが、その宗教的意義を軽視し、しかもその効果を過小に評価しようとするものであつて、その説くところに、われわれは、とうてい賛同することができない。われわれの見解によれば、本件起工式は、明らかに、憲法二〇条三項にいう宗教的活動にあたるものというべきである。しかも、本件起工式が許されるものとすべき前述の事由は全く認められない。よつて、本件起工式は、憲法二〇条三項に違反し許されないものといわなければならない。

 四 結論

 以上の次第で、本件起工式は憲法二〇条三項に違反するというべきであり、これと同旨の原審の判断は正当であるから、本件上告は棄却されるべきものである。