【政教分離(2-6-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見3-1】

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憲法目次Ⅱ

憲法目次Ⅲ

憲法目次Ⅳ

 

【政教分離(2-1-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟】

【政教分離(2-1-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟2】

【政教分離(2-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・補足意見】

【政教分離(2-3)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・補足意見2】

【政教分離(2-4)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・補足意見3】

【政教分離(2-5-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見1-1】

【政教分離(2-5-2)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見1-2】

【政教分離(2-6-1)最大判平成9年4月2日 愛媛玉串訴訟・反対意見3-1】

 判示第一についての裁判官可部恒雄の反対意見は、次のとおりである。

 一 本件第一審判決(松山地裁平成元年三月一七日判決)は、いわゆる津地鎮祭大法廷判決(最高裁昭和五二年七月一三日大法廷判決)を先例として掲げて被上告人B1(元愛媛県知事)の行為を違憲とし、その控訴審である原審判決(高松高裁平成四年五月一二日判決)は、同じく右大法廷判決に従って元知事の行為を合憲とし、当審大法廷の多数意見は、同じく右大法廷判決を先例として引いて元知事の行為を違憲であるとする。私は、津地鎮祭大法廷判決の定立した基準に従い、その列挙した四つの考慮要素を勘案すれば、自然に合憲の結論に導かれるものと考えるので、多数意見の説示するところと対比しながら、以下に順次所見を述べることとしたい。

 二 本件は、被上告人B1が愛媛県知事として在任中の昭和五六年から同六一年にかけてD神社の春秋の例大祭に際して奉納された玉串料各五千円、みたま祭に際して奉納された献灯料各七千円又は八千円、愛媛県E神社の春秋の慰霊大祭に際し県遺族会を通じて奉納された供物料各一万円の公金からの支出が憲法二〇条三項、八九条に違反するや否やが争われた事件であるが、多数意見は、本件支出の適否を判断するにあたり、「政教分離原則と憲法二〇条三項、八九条により禁止される国家等の行為」との標題を掲げて、次のように説示した。

 1 まず、政教分離規定がいわゆる制度的保障の規定であること、現実の国家制度として国家と宗教との完全な分離を実現することは実際上不可能に近いこと、政教分離原則を完全に貫こうとすればかえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを挙げて、

 2 国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があり、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、制度の根本目的(信教の自由の保障の確保)との関係において、そのかかわり合いの許否の限度を論ずべきであるとし、

 3 このような見地から考えると、政教分離原則は、国家の宗教的中立性を要求するものではあるが、国家と宗教とのかかわり合いを全く許さないものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的・効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものである、と結論づけた。

 三 右にいう「我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするもの」というのは、表現それ自体としては、いわば、適法とされる限度を超える場合には違法となるとするの類いで、もとよりその内容において一義的でなく、それ自体としては、当該行為の合違憲性の判断基準として明確性を欠くとの非難を免れないが、多数意見は、以上に続いて次のように述べている。

 「憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである」と。いわゆる目的・効果基準であり、さきにみた「相当とされる限度を超えるもの」というおよそ一義性に欠ける説示の内容が合違憲性の判断基準として機能することが可能となるための指標が与えられたものと評することができよう。

 しかしながら、具体的な憲法訴訟として提起される社会的紛争につき右の基準を適用して妥当な結論に到達するためには、更により具体的な考慮要素が示されなければならない。多数意見は、この点につき、「1」当該行為の行われる場所、「2」当該行為に対する一般人の宗教的評価、「3」当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、「4」当該行為の一般人に与える効果、影響の四つの考慮要素を挙げ、ある行為が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するかどうかを検討するにあたっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、右の「1」ないし「4」の考慮要素等諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断しなければならない旨を判示した。

 以上、多数意見の説示するところが津地鎮祭大法廷判決の判旨に倣ったものであることは、その判文に照らして明らかである。そこで、以下に津地鎮祭大法廷判決の事案及びその判旨と対比しつつ、多数意見に賛同し得ない理由を述べることとする。

 四 津地鎮祭大法廷判決が判例法理として定立した目的・効果基準とは、()該行為の目的が宗教的意義を持つものであること、及び()その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為であること、の二要件を充足する場合に、それが憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」として違憲となる(その一つでも欠けるときは違憲とならない)とするもので、この点、合衆国判例にいうレモン・テストにおいて、a目的が世俗的なものといえるか、b主要な効果が宗教を援助するものでないといえるか、c国家と宗教との間に過度のかかわり合いがないといえるか、の一つでも充足しないときは違憲とされることとの違いがまず指摘されるべきであろう。

 本件において県のしたさきの支出行為が目的(宗教的意義を持つか)効果(宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等となるか)基準の二要件を充足するか否かを、四つの考慮要素を勘案し、社会通念に従って客観的に判断するためには、まず、津地鎮祭大法廷判決の事案を眺め、それと本件玉串料等支出の事案との異同を識別しなければならない。

 津地鎮祭大法廷判決の事案は、次のようなものである。津市体育館の建設にあたり、その建設現場において、津市の主催による起工式[地鎮祭]が、市職員が進行係となって、神職四名の主宰のもとに、所定の服装で、神社神道固有の祭祀儀式に則り、一定の祭場を設け、一定の祭具を使用して行われ、これを主宰した神職自身、宗教的信仰心に基づいて式を執行したものと考えられるが、その挙式費用(神職に対する報償費及び供物料)を市の公金から支出したことの適否が争われたというものである。

 そして、右大法廷判決は、ある行為が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するかどうかを検討するにあたっては、「当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど」当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、前述の四つの考慮要素等諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断しなければならない、としたのである。

 津市長個人を被告とする住民訴訟の形式で争われたのは、地鎮祭の挙式費用としての公金支出の適否であるが、津地鎮祭大法廷判決が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するか否かを論じたのは、いうまでもなく、津市の主催した地鎮祭(その主宰者は専門の宗教家である神職で、神社神道固有の祭祀儀式に則って行われたもの)そのものについてである。同判決は、地鎮祭の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど、地鎮祭の外形的側面のみにとらわれることなく、「1」地鎮祭の行われる場所、「2」地鎮祭に対する一般人の宗教的評価、「3」地鎮祭主催者である市が地鎮祭を行うについての意図・目的、宗教的意識の有無・程度、「4」地鎮祭の一般人に与える効果・影響等、四つの考慮要素を勘案し、社会通念に従って客観的に判断すべきであるとした。

 以下に、I事件との対比において、本件において、〝当該行為〟が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するか否かを決するにあたり、検討されるべき考慮要素とは何か、についてみることとする。

 五 本件において、多数意見が憲法適合性の論議の対象として取り上げるのは、前述のように、D神社の春秋の例大祭に際して奉納された玉串料、みたま祭に際して奉納された献灯料、県E神社の春秋の慰霊大祭に際して県遺族会を通じて奉納された供物料、の公金からの支出行為自体であって、それ以外にない。

 さきのI事件において憲法適合性が論ぜられたのは津市の主催する地鎮祭であるが、本件において多数意見の言及する右の例大祭、みたま祭、慰霊大祭の主催者は、D神社や県E神社であって、もとより県ではない(慰霊大祭についてはその主催者が県E神社であるか遺族会であるかの争いがあるが、その実態からみて両者の共催であるとしても、主催者が県でないことに変わりはない)。

 D神社についていえば、被上告人B1の委任に基づき県東京事務所長の決するところにより、同事務所の職員が、例大祭やみたま祭に際し、多くはその当日ではなく事前に、通常の封筒に入れて玉串料や献灯料を社務所に届けたものであり、知事は勿論、職員の参拝もなかった。

 県E神社についていえば、遺族会の要請により春と秋の彼岸に近接した日に行われる慰霊大祭に際し知事である被上告人B1が(老人福祉課長の専決処理により)遺族会会長である被上告人B1に対し供物料を支出した後、遺族会会長名義の供物料として奉納したものである(一審判決によれば、春秋の慰霊大祭の行事中に知事又はその代理者の参列についての記述がみられる)。

 六 I事件と本件との事案の相違の最も顕著な点は右のとおりであるが、まず、検討すべき考慮要素の「1」「当該行為の行われる場所」についてみると果たしてどうであろうか。

 この点につき多数意見は、本件公金の支出は、D神社又は県E神社が各神社の境内において挙行した恒例の宗教上の祭祀である例大祭、みたま祭又は慰霊大祭に際し、玉串料、献灯料又は供物料を奉納するためになされたものであるとした上、神社神道においては、祭祀を行うことがその中心的な宗教上の活動であるとされていること、例大祭及び慰霊大祭は、神道の祭式に則って行われる儀式を中心とする祭祀であり、各神社の挙行する恒例の祭祀中でも重要な意義を有するものと位置付けられていること、みたま祭は同様の儀式を行う祭祀であり、D神社の祭祀中最も盛大な規模で行われるものであることは、いずれも公知の事実である、とする。これらの事実が果たして公知であるか否かは暫く措くとして、多数意見は、神社神道において中心的な宗教上の活動とされる祭祀の中でも重要な意義を有するものと位置付けられ或いは最も盛大な規模で行われる春秋の例大祭、みたま祭又は慰霊大祭が、各神社の境内で挙行されることを強調しているやに見受けられる(このことは、みたま祭において奉納者の名前を記した灯明が境内に掲げられる旨を特記する点にも表れている)。しかし、恒例の宗教上の祭祀である例大祭、みたま祭又は慰霊大祭が神社の境内において挙行されるのは、あまりにも当然のことであって(灯明の掲げられる場所が境内であることについても同様である)、問題とされた本件支出行為につき、津地鎮祭大法廷判決が例示し、本件において多数意見がこれに倣う考慮要素の一としての〝当該行為の行われる場所〟としての意味を持ち得るものではない。

 七 次に、多数意見の掲げる考慮要素の「2」「当該行為に対する一般人の宗教的評価」についてみることとする。この点につき多数意見は、一般に、神社自体がその境内において(ここで再び「境内において」と強調されるのは、考慮要素「1」とのかかわり合いであろう)挙行する恒例の重要な祭祀に際して右のような玉串料を奉納することは、建築主が主催して建築現場において土地の平安堅固工事の無事安全等を祈願するために行う儀式である起工式[地鎮祭]の場合とは異なり、時代の推移によって既にその宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているとまでは到底いうこということができず、一般人が本件の玉串料等の奉納を社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難いところである、という。

 元来、我が国においては、(キリスト教諸国や回教諸国と異なり)各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存して来ていることは、多数意見の述べるとおりであるが、さきの津地鎮祭大法廷判決は、この点の指摘とともに、多くの国民は、地域社会の一員としては神道を、個人としては仏教を信仰するなどし、冠婚葬祭に際しても異なる宗教を使い分けしてさしたる矛盾を感ずることがないというような宗教意識の雑居性が認められ、国民一般の宗教的関心は必ずしも高いものとはいい難い、と述べている。地域社会の一員としては、鎮守の杜のお社の氏子として行動し、家に帰っては、それぞれの寺院に先祖代々の墳墓を設け、葬儀も供養も仏式によって行うというのは、国民の間で広く受け容れられている生活の類型である。

 初詣には神社に参詣することが多いが、参詣者の大部分は仏教徒である。神社に参詣すれば通常はお賽銭を上げるが、履物を脱いで参殿し、神前に額づいて神職から格別の扱いを受ければ、玉串料を捧げることになる。七五三の行事は概ねこれによって行われる。式次第は神社神道固有の祭祀儀式に則って行われるが、それを受ける側の参詣者の多くは仏教徒その他神道信仰者以外の者であって、内心において信仰上の違和感を持たないのが通常であろう。

 国民が神社に参詣し玉串料等を捧げるのは、初詣や神前の結婚式や七五三や個人的な祈願のための行事の機会の外に、神社神道においてその中心的な宗教上の活動であるとされる恒例の祭祀の機会がある。D神社の春秋の例大祭、みたま祭、県E神社の春秋の慰霊大祭もその一つである。D神社や県E神社は、元来、戦没者の慰霊のための場所、施設である。戦後、占領政策の一環として宗教法人としての性格付けを与えられたが、そのために戦没者の慰霊のための場所、施設としての基本的性質が失われたわけではない。D神社の祭神は百五単位をもって数える戦没者が主体であり、県E神社のそれは愛媛県出身の戦没者が主体であるが、そのほかに、旧藩主、藩政に功労のあった者、産業功労者、警察官、消防団員、自衛官の公務殉職者等を含むとされる。祭神という言葉はいかめしいが、いわば神社神道固有の〝術語〟であり、神社に参詣する国民一般からすれば、今は亡きあの人この人であって、ゴッドではない。

 各県におけるE神社は、かつては招魂社と呼ばれた。その恒例の祭祀が招魂祭である。現に六〇歳代以上の年輩者には記憶のあることであるが、「招魂祭」とは戦没者の慰霊のための催しであるとはいえ、現在の政教分離原則の下で国家神道との関係が云々されるようないかめしいものではなく、招魂社の境内には綿菓子やのし烏賊を売る屋台が並び、それらの匂いの漂う子供心にも楽しいお祭り以外の何物でもなかった。

 県E神社についていえば、春秋二回の慰霊大祭に際し、「供物料 愛媛県」と書いたのし袋に一万円を入れて、県E神社の境内にある県遺族会事務所に届け、県遺族会から「供物料 財団法人F遺族会会長B1」と書いたのし袋に一万円を入れて、県E神社に奉納したものであり、D神社についても、県職員が多くは事前に通常の封筒に入れて玉串料(各五千円)や献灯料(七千円又は八千円)を社務所に届け、知事は勿論、職員の参列もなかったことは、前述のとおりである。金額が軽少であることが特に注目されよう。

 以上のように具体的に考察してみれば、神社の恒例の祭祀に際し、招かれて或いは求められて玉串料、献灯料、供物料等を捧げることは、神社の祭祀にかかわることであり、奉納先が神社であるところから、宗教にかかわるものであることは否定できず、またその必要もないが、それが慣習化した社会的儀礼としての側面を有することは、到底否定し難いところといわなければならない。

 しかるに多数意見は、地鎮祭の先例を引いて社会的儀礼にすぎないとはいえないとする。地鎮祭は、前述のとおり、津市の主催の下に、専門の宗教家である神職が、所定の服装で、神社神道固有の祭祀儀式に則って、一定の祭場を設け一定の祭具を使用して行ったものであるのに対し、本件はD神社又は県E神社の主催する例大祭、みたま祭又は慰霊大祭に際して、比較的低額の玉串料等を奉納したというのが実態であって、当該行為に対する一般人の宗教的評価いかんを判定するにあたり、前者は社会的儀礼にすぎないが、後者をもって「一般人が…社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難い」とするのは、著しく評価のバランスを失するものといわなければならない。

 多数意見がこのように性急に論断する理由は、「県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀にかかわり合いを持ったということが明らかである」ことにある。

 しかしながら、「政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ない」ことは、多数意見の自ら述べるとおりで、「そのかかわり合いが…相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを」違憲と判断するための目的・効果基準を定立し、その具体的適用にあたり検討すべき四つの考慮要素を掲げた。その考慮要素の「2」〝当該行為に対する一般人の宗教的評価〟を論ずるにあたり、「県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀にかかわり合いを持った」ことを理由に、当該行為が宗教的意義を持つとの一般人の評価が肯定されるというのでは、目的・効果基準を具体的に適用する上での考慮要素「2」は何ら機能していないものといわざるを得ない。