憲法重要判例六法F

憲法についての条文・重要判例まとめ

カテゴリ: 13条 新しい人権

環境権(5)長良川河口堰建設差止訴訟・古屋高裁平成10年12月17日・岐阜地裁6年7月20日

 目次

【名古屋高裁平成10年12月17日・長良川河口堰建設差止訴訟】

事案の概要

 原告(岐阜県海津郡海津町、岐阜県武儀郡板取村、岐阜市及び三重県桑名市の住民二〇人)は、長良川と揖斐川との合流地点付近に建設される長良川河口堰について被告(水資源開発公団)に対し、人格権、環境権等に基づく建設差止請求をした。

要旨

集団的権利としての環境権、安全権なるものは、民事上の請求の具体的な根拠となる権利と解することができず、また、良好な自然環境の享受を目的とする環境権は、絶対的な権利に基づく民事差止等の請求の法的根拠としては十分とはいえない。

 

判旨

第一 本件各請求の法的根拠の有無

一 はじめに

 控訴人らは、当審において、本件各請求の根拠として、環境権及び安全権なる権利を主張する。そこで、これらの権利をもって、民事訴訟における建設差止請求、建造物の収去請求、その運用差止請求の法的根拠とし得るか否か等、本件における各差止請求権ないし収去請求権についての法律上の根拠の有無につき検討する。

二 集団的権利としての環境権、安全権

1 自然環境を良好に保つ利益は、社会生活上保護されるべき重要な利益であるところ、控訴人らは、右利益に関する権利を、地域住民らによって共有される集団的な(さらには世代的な)権利としての環境権であると構成して主張する。

 しかし、このような集団的権利は、権利者の範囲が明確ではなく、権利の客体である環境の内容が多様で、その侵害が権利主体たる各個人に及ぼす不利益の内容や程度も極めて多様であるので、通常民事訴訟において、そのような集団的権利を主張する場合、当事者が、自己に帰属する共有持分を越えて当事者以外の者に帰属する権利利益までも主張する点については、当該当事者の当事者適格を肯定するのに困難を生じるなど、通常民事訴訟を主観訴訟とみる伝統的な考え方やこれを前提とする実体私法の法解釈と必ずしも適合しないといった問題が生じる。そして、現状において、そのような問題点が未だ十分に解決されているとはいえず、このような集団的権利をもって、直ちに民事上の請求の具体的な根拠となる権利であると解することはできない。

2 また、控訴人らは、住民共有の集団的な(さらには世代的な)権利である安全権なる権利を主張するが、右1と同様、このような集団的権利を民事上の請求の具体的な根拠となる権利であると解することはできない。

三 民事差止等の請求と良好な自然環境の享受を目的とする環境権

1 民事上の請求として、直接の契約関係にない他人に対し、その故意過失を問わずに、建造物の建設差止、収去ないしその運用の差止等を求めるといった、物権的請求権類似の妨害排除ないし妨害予防請求権を行使するには、自己の不可侵性のある権利(絶対権)が受忍限度を越えて侵害され又は侵害されるおそれがあることを根拠とすべきであると解される。

2 ところで、控訴人らの環境権に関する主張は、長良川の自然環境の保護を訴え、控訴人らを含む地域住民らの、良好な自然環境を享受する利益が本件堰の建設により侵害されることを問題とするものであるから、その主張する環境権の権利内容(目的)は、良好な自然環境の享受にあるとみられる。

 しかし、自然環境については、一般的にはこれを保護することに価値があるといい得るにしても、具体的な場面において、個人個人の自然環境に関する考え方や利害の内容、程度は多種多様であり、自然環境の保全の必要性、保護の程度、保護の態様等を決するには、関係する多数の者の利害や意見の調節を要するものであり、ある個人が最も望ましいと考える自然環境を他の者は必ずしも最適とは考えず、また、ある自然環境の保護行為が、利害関係人の財産権、活動の自由、開発利益の享受等を制約する、といった事態が生じ得るものであって、自然環境に対する侵害の問題は、人格権侵害と比較する場合はもちろん、個人の居住環境に対する侵害の場合に比しても、一段と、利害や意見の調整が広範で複雑なものとなるといえる。それゆえ、ある個人の自然環境を享受する利益が他の者の利害や意見と合致しない場合に、一般的に自然環境を享受する利益を主張する者が優先し、他の者に対しその利益を侵害しないことを求めるべき法的地位を有するということはできない。

  3 そうすると、個人個人の自然環境を享受する利益を含めて環境権という権利を構成し得たとしても、そのような権利につき、立法的手当もなしに無限定に不可侵性、絶対性を付与することはできないこととなる。したがって、良好な自然環境の享受を目的とする環境権は、絶対的な権利に基づく民事差止等の請求の法的根拠としては十分とはいえない、と解さざるをえない。

四 本件各請求の法的根拠

1 以上のように控訴人らの主張する環境権、安全権は、それ自体としては民事差止等の請求の法的根拠とはならないと解される。もっとも、本件堰の事故時における危険や本件堰周辺の自然環境の劣悪化等が、ひいては、物権、人格権(個人の生命、身体、健康、自由、生業、生活利益等に関する権利)など、他の絶対権の侵害に結びつく場合には、その絶対権に対する法的保護を通じて、個人個人の安全な生活を営む利益や良好な自然環境を享受する利益も事実上保護され得ると解される。

2 ところで、本件における控訴人らの環境権、安全権に関する主張事実の内容は、控訴人らの個々の生命、身体、健康等が侵害され、又は、侵害される危険があることを包含するとみられ、その意味で人格権侵害に関する主張がなされていると解される。そうすると、控訴人らの本件各請求は、環境権ないし安全権に基づく請求としてではなく、本件堰による人格権の侵害を予防ないし排除する趣旨の請求(人格権に基づく差止請求、妨害排除請求ないし原状回復請求等)として、その法的根拠を肯定し得ることとなる。

 

 

【岐阜地裁6年7月20日・長良川河口堰建設差止請求事件】

要旨

一 公共事業の差止請求が認められるための要件

二 人格権又は環境権を河口堰の建設差止請求の法的根拠とすることの可否

三 科学裁判における立証のあり方、河口堰建設事業を実施する者の社会的責務等について判示し、堰の安全性、事業の公共性、環境への配慮等が肯認されるとして、河口堰の建設差止請求が棄却された事例

 

判旨

第三 本件堰建設の差止請求

 一 差止請求の要件

  1 一般原則

 原告らは、本件堰建設の差止めを求めている。

 およそ、公共的な目的を有する事業の差止請求が認容されるためには、差止めの対象とされた事業の実施によって、請求者の排他的な権利が侵害され、又は将来侵害されるおそれがあり、その侵害行為によって請求者に回復し難い明白かつ重大な損害が生じ、その損害の程度が、当該事業によってもたらされるべき公共の利益を上回る程のものであって、その権利を保全することがその事業を差止めることによってのみ実現されることを高度の蓋然性をもって立証することを要するものと解すべきである。

 しかも、当該事業によってもたらされる公共の利益を犠牲にしても、なおかつその事業を差止めることによって請求者の権利を保全することが、社会、公共の見地からも容認されるものであることをも必要とすると解するのが相当である。

  2 差止請求の根拠

 原告らの主張するところによれば、原告らは、財産権、人格権又は環境権に基づいて、本件堰の建設差止めを求めるものである。

   (一) 物権及び人格権等

 まず、財産権(物権)はもとより、人格権(生命、身体、自由、名誉等の重大な人格的利益に関する権利)も、排他性を有する権利であるから、これらの権利を侵害された者は、当該権利に基づいて、侵害者に対し、右のような一定の要件の下に、現在及び将来の侵害行為の排除、差止めを求めることができることは明らかである。

 なお、原告らは、これらに加え、治水上安全な生活を営む権利であって人格権と財産権を包摂する権利、あるいは村落共同体において生活を営む権利であって人格権と財産権を包摂する権利といったものをも差止請求権の根拠として主張している。しかしながら、これらは、実体法上明文の根拠を欠く上、これらを人格権や財産権を離れた別個の権利として認めるべき実質的理由も見出し難いから、差止請求の根拠としての私法上の権利として認めることはできない。

   (二) 環境権

 (1) 原告らの環境権に関する主張の要旨は、請求原因第五の六1のとおり、現在、長良川が一級河川としては日本で数少ない自然の残った河川であって、その水質が比較的良好であること、広範な汽水域の存在等によって多種多様な生物の生息が可能になっていること等により、流域住民が長良川から多くの恩恵を受けているとの前提の下に、このような良好な自然環境を享受し得る利益を、環境権として、その侵害に対して差止めという形での法的保護を認めるべきであるというのである。

 (2) このような、原告ら主張の環境権について、実体法上明文の規定がないことは、被告の指摘するとおりである。差止めは、相手方に作為又は不作為を命じてその権利の行使を直接制約するという強力な手段であることにかんがみれば、憲法一三条及び二五条並びに環境基本法(平成五年法律第九一号)三条及び八条をもって、環境権を私法上の権利として認める根拠とすることはできない。すなわち、憲法一三条及び二五条の規定は、いずれも国の国民一般に対する責務を宣言した綱領的規定であって、個々の国民に対して直接に具体的権利を賦与したものと解することはできない。また、環境基本法は、環境の保全の基本理念を宣言した上(三条)、この理念に則り、国及び地方公共団体の行う環境の保全のための施策について総合的な指針及び枠組みを示すことを目的とする基本法であって、同法八条の規定も、事業者に対し、右理念に則って、一般的、抽象的な責務(社会的責任)を負わせたものにすぎず、これにより個々の国民に対して直接に事業者に対する具体的権利を賦与したものではないと解するのが相当だからである。

 (3) なお、環境の破壊とみられるような行為については、これにより、住民の生命、身体の安全に関する利益が侵害され、又は侵害されるおそれのある場合には、前示のような一定の要件の下に人格権に基づく右行為の差止めを求めることができると解すべきであるから、当該住民は、私法上は、この限度において環境の保全の目的を達し得るものということができる。

環境権(4)女川原発訴訟・仙台地裁平成6年1月31日・仙台高裁平成11年3月31日

  目次

【仙台地裁平成6年1月31日・女川原発訴訟】

要旨

一 人格権又は環境権に基づく原子力施設の建設・運転の差止請求の可否

二 原子炉施設の建設・運転差止訴訟における原子炉施設の安全性の意義

三 原子炉施設の建設・運転差止請求訴訟における原子炉施設の危険性についての立証責任のあり方、立証の方法・程度等

四 原子炉施設の安全性が肯認されるとしてその建設・運転の差止請求が棄却された事例

 

判旨

第二章 差止請求権の根拠

原告らは、人格権又は環境権に基つき本件原子力発電所一号機の運転差止め及び本件原子力発電所二号機の建設差止めを求め、被告らは、人格権又は環境権は実定法上の根拠がなく、人格権又は環境権に基づく差止請求は権利保護の資格を欠くとして、本件訴え却下を求めているので、この点について判断する。

 およそ、個人の生命・身体が極めて重大な保護法益であることはいうまでもなく、個人の生命・身体の安全を内容とする人格権は、物権の場合と同様に排他性を有する権利というべきであり、生命・身体を違法に侵害され、又は侵害されるおそれのある者は、人格権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和五六年(オ)第六〇九号同六一年六月一一日大廷判決・民集四〇巻四号八七二頁参照)。

 したがって、人格権に基づき本件原子力発電所一号機の運転差止め及び本件原子力発電所二号機の建設差止めを求める本件請求は、民訴法上請求権としての適格性を有することは明らかであるから、本件訴えは適法というべきである。

 また、原告らが主張する環境権が実定法上明文の根拠のないことは被告の指摘するとおりではあるものの、権利の主体となる権利者の範囲、権利の対象となる環境の範囲、権利の内容は、具体的・個別的な事案に即して考えるならば、必ずしも不明確であるとは速断し得ず、環境権に基づく本件請求については、民訴法上、請求権として民事裁判の審査対象としての適格性を有しないとはいえないから、本件訴えは適法であるというべきである。

 しかしながら、実体法上の請求権として是認し得る権利であるか否かについては、更に検討を要するものというべきであるが、原告らの環境権に基づく本件差止請求も、本件原子力発電所が原告らの環境に対し運転又は建設の差止めを肯認するに足りるほどの危険性があるか否かという点にかかるものということができる点においては、人格権に基づく請求と基本的には同一であるから、以下、本件原子力発電所の危険性の有無について判断することにする。

 

【仙台高裁平成11年3月31日・女川原発訴訟】

要旨

1 人格権又は環境権に基づく原子力発電所の運転差止請求の可否

2 運転差止請求訴訟における原子力発電所の安全性の意義

3 運転差止請求訴訟における原子力発電所の危険性の立証責任

4 原子力発電所の安全性が肯認定されるとしてその運転差止請求を棄却した1審判決が維持された事例

 

判旨

第一 原子力発電所施設の危険性の判断手法について

一 環境リスク

 控訴人らは、原子力発電所のように、一度大事故が起こると、質・量共に、他の種類の事故と比べ、けた違いに深刻な結果を招く場合には、いわゆる環境リスクの問題として、国家や法がそのリスクを防止する機能を発揮すべく、差止めの判断基準もこれを前提として設定されるべきである旨主張する。

 確かに、原子力発電所の事故について、例えば、いわゆるシビアアクシデントのレベルのものを想定すると、その結果の深刻さはいうまでもないところである。しかし、原子力発電所の運転も、これに関する事故の発生の危険性も、法律的に評価するときは、結局、これを社会的かつ有限な事象としてとらえざるを得ないのであって、仮に、控訴人らの主張が原子力発電所の事故発生の具体的な危険性の有無を超えて、論理的ないし抽象的・潜在的なレベルでの危険性が少しでもあれば一切原子力発電所の建設・運転が許されないという判断基準を求めるものであれば、採用することができない。

 もっとも、原子力発電所の危険性の有無を判断するに当たっては、原子力発電所の事故の深刻さという特殊性を念頭に置き、他の社会的な事故との比較においても、十分に安全側に立った慎重な認定・評価をする必要があるということは否定できない。

 同様に、原子力発電所の事故の深刻さを前提として、原子力発電所の危険性と必要性の兼ね合いについてみると、当該原子力発電所が周囲の住民等に具体的な危険をもたらすおそれのある場合には、いかにその必要性が高くとも、その建設・運転が差し止められるべきことはいうまでもない。また、逆に、以上のような原子力発電所の特殊性にかんがみ、当該原子力発電所の必要性が著しく低いという場合には、これを理由としてその建設・運転の差止めが認められるべき余地があるものと解するのが相当である。

二 「多重防護思想」の問題性

 控訴人らは、原子力発電所のような巨大システムは、多数の部品・機器・系統などの構成要素が複雑に絡み合い一つの機能を実現するものであり、その実用化は、個々の部品等の故障頻度の低下と相互作用の解明等による多重防護体制に依拠しているが、実用化ということは、事故の発生をゼロにすることではなく、経済的に成り立つ範囲で低下させるにすぎず、そこでいう多重防護思想も、反面では、発生確率は低いが起こり得る重大事故を切り捨てるものにほかならない旨主張する。

 確かに、巨大システムにありがちな弱点、問題点は、控訴人ら指摘のとおりであるが、抽象的には甚大な危険を伴い得るシステムであっても、法的評価の場面において、社会観念上無視し得る危険の許容限度を想定することが可能かつ必要であることは原判決説示(原判決六四頁九行目から六七頁六行目まで)のとおりであり、その関係で、多重防護の考え方自体を否定することは相当ではない。

 もっとも、原子力発電所の運転に従事する者としては、かかる多重防護のシステムも現実には万能ではないとの意識をもち、そのことを前提に、絶えず防護体制の改良・修正に意を用いるとともに、個々の場面・段階での対応に万全を期する必要があるというべきである。

三 試験による機能確認の問題性

 控訴人らは、高度化されたシステムにおいては、細部の故障が全体に影響を及ぼす可能性があり、しかも、その故障は、必ずしも、事前の試験における「厳しい条件」下で生ずるとは限らないところ、それにもかかわらず、安全審査における解析により、設計が妥当で、安全性が確保し得ると安易に判断することは重大な誤りである旨主張する。

 確かに、事前の試験条件は完全無欠ではあり得ない。しかし、想定外の事象が生じ得るとしても、問題は、その程度、態様であり、本件安全審査における試験条件の設定について検討しても、直ちに対応が困難で、かつ、容易に重大な結果に至る想定外の事象が生ずるとは考え難い。

四 安全審査の位置づけ

 控訴人らは、安全審査の合理性や原子力委員会の組織・性格のみで原子力発電所の安全性が推認されるというのは不当であり、少なくとも、具体的な設計・施工の安全性は、安全審査とは別に被控訴人において立証されるべきである旨主張する。

 確かに、安全審査によって確認されるのが直接的には基本設計レベルでの安全性にとどまるとの控訴人らの指摘は誤りではないが、当該安全審査の内容等により、具体的な設計施工の安全性が全体として推認される場合があるということまで否定されるべきではなく、本件の場合、かかる推認が働くと評価すべきことは原判決説示(原判決一一五頁二行目から一五〇頁末行まで)のとおりである。もっとも、原子力発電所における事故の重大性にかんがみれば、具体的な建設・運転段階における個々の問題性について、その頻度・程度などのいかんによっては、これを厳しく吟味すべき場合があることは当然であって、右のような推認が働くとはいっても、その推認の程度がそれほど高いものと解すべぎではなく、当該原子力発電所や他の原子力発電所等(原子力関連施設を含む。以下同じ。)のトラブルや運転状況のいかんによって、右推認が覆される場合があることは別問題である。

第五 原子力発電所の必要性及び関連事情について

一 原子力発電所の必要性

 《証拠略》によれば、原審口頭弁論終結後の原子力発電所の必要性に関する事情は、大要、次のとおりであると認められる。

1 我が国の使用電力量は、全国的にみても、また、被控訴人の供給に係る分についてみても、なお継続的に増加傾向にあり(被控訴人の策定する供給計画における電力需要の年平均増加率も、平成九年度計画(平成七年度から平成一八年度までの分)では、一・九パーセントと想定しており、同計画中の八月最大電力需要は、平成一二年度が一三五五万キロワット、平成一五年度が一四二一万キロワット、平成一八年度が一四八七万キロワットと見込まれている。かかる電力需要の増加傾向を、国民多数の理解を得てここ数年のうちに押し止め、更に減少に転じさせることは、省エネルギー政策等が実施されているにもかかわらず、現時点での社会状勢や国民の生活状況をみる限りは、いわゆるピーク・カット(真夏期における最大電力需要の削減)のレベルに限局しても、多大の困難性を伴うとみられる。

2被控訴人の平成八年度の電源構成実績は、概数で、水力一六パーセント、石炭火力一八パーセント、石油火力一二パーセント、ガス火力二七パーセント、原子力二四パーセント、地熱その他三パーセントとなっている。被控訴人は、このほか、風力発電、太陽光発電などの新エネルギー発電の開発をも手掛けているが、少なくとも、現在の段階で、原子力発電に取って代われるほどに、電源構成中のパーセンテージを短期間で飛躍的に増大させ得る発電方法は見いだせない状況にある。

3被控訴人の前記供給計画による平成九年度の最大電力需要は一二八〇万キロワットであるが、被控訴人の同時期の供給力は一四〇九万キロワットであり、これから本件原子力発電所一、二号機の供給量(一二九万四〇〇〇キロワット)を差し引くと、同時期においては、いわゆる供給予備力が全くないということになる。

以上のとおり、原子力発電所の必要性を取り巻く状勢は、原審口頭弁論終結後も、少なくとも、原子力発電所による発電の必要性を否定ないし著しく減ずる方向へ働いているとは認め難い。

 ところで、原子力発電所の必要性・経済性と危険性の兼ね合いについて付言するに、右にみたように、少なくとも、現時点において、原子力発電所による一定の電力供給力の確保という必要性は否定できないが、さればといって、原子力発電所の運転上具体的な危険が生ずることも許されない。したがって、原子力発電所の必要性と安全性の確保は、いずれも否定することができない前提条件と考えられるのであるから、原子力発電所の運転に関しては、必然的に、経済性の要請は後退せざるを得ないというべきてある。そうすると、程度問題ではあるが、原子力発電所を運転する側で、経済性を優先させる余り、稼働率を重視することがあれば、それは問題といわなければならず(なお、これに関連するが、原子力発電所がスクラム等で停止した場合でも、厳密にいえば、停止したこと自体が問題なのではなく、どのような原因で停止したのか、また、停止までの経過がどうであったのかが重要なのであり、原子力発電所を運転する側において、原子力発電所を停止すること自体にちゅうちょしたり、後ろめたさを感じたりすべきではなく、その経過と原因を徹底的に究明して事後の運転上の教訓にするとともに、できるだけ早い時期にその結果を必要かつ十分に開示して一般の理解を求めるべきである。)、他方、原子力発電所の運転を批判する側も、単に、経済性や能率性に劣るという理由だけで、いまこの時期において、直ちに原子力発電所の全廃を唱えるのも相当とはいい難い(もとより、個々の原子力発電所のうち、具体的な危険を生じている原子力発電所の優先的な廃止を求めることとは別問題である。)。

二 原子力発電所による社会的損失

 控訴人らは、いわゆる核燃料サイクルがこれを機能させるための二本の柱である再処理工場と高速増殖炉の事故により破綻しており、また、仮に再処理を行ったとしても、処理後の高レベル廃棄物の処分方法について具体的な見通しは全くなく、これに伴って、本件原子力発電所でも、早晩、使用済燃料の処理に行き詰まることは目に見えており、かかる事態を社会的に放置することは許されない旨主張する。

 確かに、核燃料サイクルに関して、現在、控訴人ら指摘のような問題点が大きく浮上してきていることは否定し難く、長期的・将来的には、それが本件原子力発電所の運転に影響を及ぼす可能性があり、特に、廃棄物処理に関しては、高レベル廃棄吻の処分の見通しが立たない状況が続けは、いきおい、本件原子力発電所をはじめとする各地の原子力発電所の使用済核燃料について、行き場のない状況が深刻化し、周辺住民の差止請求をまたずとも、実際上、原子力発電所が稼働を停止ないし縮小せざるを得ない事態も想定される。

 しかし、かかる核燃料サイクルに関する問題は、少なくとも、当面の全体原子力発電所の運転状況に影響を及ぼす事柄とはいえず、したがって、本訴における判断、すなわち、現時点において控訴人らに本件原子力発電所の運転の差止めを求める権利があるかどうかの点を左右するものとはいい難い。この点の問題性への対処は、原子力発電所の必要性と国民一人一人の子孫に残す環境を含めた現在及び将来における生活の在り方を見すえた上での社会的な決断と選択にゆだねざるを得ないというべきである。

第六 本件差止請求の結論的な当否について

以上検討したところを総合すると、本件原子力発電所については、現時点において、一定の運転の必要性が認められる一方、これによって、控訴人らに被害をもたらす具体的な危険性があるとは認め難く、したがって、本訴請求は理由がない。

 ちなみに、右判断は、飽くまでも、現時点における差止請求権の存否についてのものであり、今後の本件原子力発電所及び他の原子力発電所等における運転状況ないしトラブル発生の状況、原子力発電所の必要性をめぐる各種の状勢の変化(前示のとおり、原子力発電所の特殊性にかんがみ、原子力発電所の必要性自体が現在に比して著しく減少すれば、これを理由としてその建設・運転の差止めが認められる余地があると解される。)などにより、将来において、本件原子力発電所の長期的ないし一般的な差止め(仮処分を含む。)を肯定すべき事態が生ずるかどうかは、別個の事柄というべきである。

 

 

環境権(3)最大昭和56年12月16日・金沢地裁平成3年3月13日・小松基地騒音差止請求等

 

  目次

【最大昭和56年12月16日・大阪空港訴訟】

要旨

人格権または環境権に基づく民事上の請求として一定の時間帯につき航空機の離着陸のためにする国営空港の供用の差止を求める訴は、不適法である。

 

判旨

所論は、要するに、本件訴えのうち、被上告人らが大阪国際空港(以下「本件空港」という。)の供用に伴い航空機の発する騒音等により身体的・精神的被害、生活妨害等の損害を被つているとし人格権又は環境権に基づく妨害排除又は妨害予防の民事上の請求として一定の時間帯につき本件空港を航空機の離着陸に使用させることの差止めを請求する部分は、その実質において、公権力の行使に関する不服を内容とし、結局において運輸大臣の有する行政権限の発動、行使の義務づけを訴求するものにほかならないから、民事裁判事項には属しないものであり、また、本件空港に離着陸する航空機の騒音等のもたらす被害対策としてはいくつかの方法があつて、そのいずれを採択し実施するかは運輸大臣の裁量に委ねられている事項であるにもかかわらず、そのうちの一方法にすぎない一定の時間帯における空港の供用停止という特定の行政権限の行使を求めるものである点において、行政庁の行使すべき第一次的判断権を侵犯し、三権分立の原則に反するものというべきであるから、右請求を適法として本案について審理判断した原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背がある、というのである。

 

 

【大津地裁平成元年3月8日・琵琶湖総合開発計画工事差止請求事件判決】

要旨

上水道受給者が求めた下水道処理場建設工事差止請求について、その請求の根拠として憲法一三条・二五条に基づく環境権なる権利を主張することができないとされた事例。

 

判旨

 3 環境権

 原告らは、本件差止請求の根拠として、環境権を主張し、その成文法上の根拠として、憲法一三条、二五条を、その内容として、権利主体は原告らを含む日本人各人であり、その共有に属し、その権利内容は、琵琶湖の自然的、社会的、文化的環境のすべてを含むとし、差止の要件は、良好な環境を悪化させることとするので、かかる環境権なるものが認められるか否かについて検討する。

 まず、1、成文法上の根拠についてみるに、浄水享受権のところで憲法一三条、二五条について述べたのと同様の理由で、私法上の権利の発生を根拠づけ難い、2、権利主体についてみるに、日本人各人の共有に属するというが、その具体的意味、内容は何等主張されず不明であり、また、本件では原告ら八名が提訴しているが、かかる極く一部の者が提訴できる根拠についても何等主張されず不明である。3、権利内容も、環境という漠然としたもので明確でなく、4、良好な環境を悪化させるという差止の要件も、価値概念であり、その内容を明確に一義的にとらえることははなはだ困難である。

 以上のように、環境権なる権利は、実定法上の根拠もなく、その内容、要件等が抽象的で、不明確である等の多くの難点が存し、到底認めることはできない。環境の問題は、私法上の権利義務についての紛争を解決するために設けられた民事訴訟ではなく、国民ないし住民の民主的選択に従い、立法及び行政の制度を通じて公法的規制により処理されるべきものである。

 

【金沢地裁平成3年3月13日・小松基地騒音差止請求、ファントム戦闘機離着陸差止等請求事件】

要旨

自衛隊機の離着陸差止等請求および損害賠償請求に対して、人格権の侵害の問題として把握することができ、環境権ないし平和的生存権について判断する必要はない。

 

判旨

 一 人格権、環境権及び平和的生存権等、本件各請求の根拠について

 被告は、原告らが本件離着陸差止等請求及び損害賠償請求の根拠として主張している人格権、環境権及び平和的生存権は、その要件及び効果が不明確であり、実定法上の根拠を欠く権利であって、それ自体としては本件各請求の根拠とならない旨主張するので、まず、前提問題としてこの点について判断しておくこととする。

  1 人格権について

 原告らが本訴において人格権の侵害であるとして主張しているものの実体は、騒音、振動等によって日常会話や睡眠等の人間が生活していくうえで当然守られるべき必須条件を侵害されたというものであり、更にはかかる騒音等によって難聴等の身体的被害が生じたというものであるところ、人の生命、身体への侵害が不法行為となることは、すべての権利の侵害が不法行為となることを規定した民法七〇九条や、身体、自由、名誉等に対する侵害が不法行為となることを規定した同法七一〇条に照らして疑いないところである上、直接このような規定の存しない生活上の利益、例えば円滑に他人と会話を交わし、休養や睡眠をとる等、平穏な日常生活を享受する利益も、人たるに値する生活を営むためには不可欠であり、かつ、かかる利益も一般的に差止請求権や損害賠償請求権の根拠となることが肯定されている物権や準物権等の財産権以上に重要なものということができる。そして、これらの利益が古典的な物権等に対する侵害として保護されるとは限らない以上、右生命、身体等を含めた人格に関する利益を人格権と総称して法的保護の対象とし、その侵害行為に対する差止請求権及び損害賠償請求権を肯認するのが相当である。被告が右権利を否定する根拠として主張する概念の不明確さとこれに伴う法的不安定さは、具体的事案を検討する過程において、侵害に係る利益の具体的内容を個別的に特定し、これが法的保護に価することを明確にすることによって回避できると考えられるから、右は人格権概念を否定する決定的な理由となるものではない。

  2 環境権について

 原告らが主張する環境権とは、良き生活環境を享受し、かつこれを支配しうる権利であるということであるが、このような抽象的内容にとどまる限り、実体法上の根拠が皆無である(憲法一三条や二五条によって、直ちに、私法上の権利としての性格が与えられたと解することはできない。)のみならず、その要件、効果等が明確でないなど、権利として未成熟であって、法的権利として確立したものと認めることはできない。原告らが主張する環境利益の侵害は、これが個人の具体的、基本的生活利益の侵害となる限り、前記のような意味における人格権の侵害の問題として把握することができ、そのなかで法的保護をはかることができるものであり、現時点における法解釈及び本件の解決としては、これをもって足りる。

  3 平和的生存権について

 原告らの主張する平和的生存権とは、平和的手段によって戦争及びその危険の存しない良好な環境を享受し、かつこれを支配する権利であって、軍事施設の存在や軍事行動によって、右平和的な環境が侵害されるときはこれを排除することができ、その根拠は直接的には憲法前文にあり、憲法九条、一三条にも根拠を有する、というものである。

 日本国憲法が国民主権主義とともに国際的恒久平和主義の理念を基盤としていることは、その前文、第九条等の記載に照らして明らかであり、この点は異論のないところといえる。すなわち、憲法前文第二段を見るに、第一文では、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とその決意を宣明し、第二文では、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」と望ましい国際社会とその中における日本の立場と希望を宣明し、更に第三文では、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とあるべき世界像を確認している。これが敗戦を契機として「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」(同前文第一段)たことと補強し合って、国際的恒久平和主義の理念を力強く宣明するものであることは、疑う余地がない。憲法は、これを単なる「崇高な理想と目的」として定めたものではなく、「日本国民が国家の名誉にかけて全力をあげて達成すべきもの」(同前文四段)と定めたものである。そして、この見地から、憲法は、第二章の「戦争の放棄」(九条)と、九八条二項の条約及び確立された国際法規の遵守を規定したものであることも明らかである。

 かくして、日本国憲法上、平和主義が、国民主権主義と基本的人権の擁護(憲法第三章及び九七条)とともに、三大原理ないし三大理念というべきものを構成していることは明らかであるが、そうであるからといって、憲法が原告らが主張するような私法上の実体的権利としての「平和的生存権」を定めているかどうかは、右の憲法前文全体の文脈に照らしても甚だ疑わしいといわざるを得ない。けだし、例えば、その第二段第三文を見ても、その文意からして、「平和のうちに生存する権利」が日本国民だけの「権利」を定めたものでないことは明らかであるところ、この点を措いて文章を素直に読んでも、これが個々人の私法上の実体的権利を定めたものと読み取ることは到底困難である。そして、そもそも、憲法前文や九条から明らかな右平和主義が、どのような形態の紛争、訴訟においてどのような態様で裁判規範として機能し作用すべきかは、それ自体検討すべき点が多いが、平和主義に係るこれらの規定ないし記述が優れて公法的な性格を有する規範であることは明らかであり、前示の憲法の記述、構成などに照らしてこれが公法秩序上、特に政治規範、政治理念として最大限に尊重されるべきことは当然としても、一般私法秩序に係る紛争、訴訟において平和主義ないし平和的生存権が主張される場合にあっては、そこにいう「平和」の概念が、個々人の私法上の権利の目的、対象としては余りにも抽象的であり、かつ多義的であるから、このような内容、趣旨の「平和的生存権」は、私法上これを根拠として一定の給付を請求しうるような具体的な権利と見ることができないものというほかない(いわゆる百里基地訴訟についての最高裁判所平成元年六月二〇日第三小法廷判決・民集四三巻六号三八五頁参照)。

 加えて、後に被告の主張する統治行為理論に関して論ずるとおり、本件事案は、被告の設置・管理する飛行場において被告ないし被告の承諾を受けた米国の飛行機が離着陸しているという、原告らの私法上の権利関係とは直接関係がない事実行為があるにすぎないものである。もとより、これから生じる騒音等によって原告らが日常生活上甚大な被害を受けているという主張を契機として、右設置・管理の「瑕疵」の存否とこれに伴う損害賠償請求の当否や、一定の差止請求の可否・当否が検討されることになるのであるが、その際問題とされるのは、騒音等により原告らが日常生活上受けている被害の具体的な内容、程度であって、個々人としての原告らの「平和」(このような表現自体奇妙なものではあるけれども)が侵害されたかどうかではない。すなわち、例えば騒音について見るとき、その発生源たる飛行機の離着陸、運航の法的根拠が何であるかによって、あるいは、その飛行機が自衛隊機であるか民間の一般旅客機であるかによって、原告らの受ける日常生活上の被害の内容、程度が増減左右されることはあり得ないのである。したがって、原告らが主張するような「平和的生存権」を憲法が規定ないし内包しているかどうかは、本件の結論を何ら左右しないものというべきである。本件にあっては、原告らの請求の根拠として前示人格権だけを認めれば足りるものであり、本件を離れて、憲法が平和的生存権なるものを規定しているか、あるいはこれが憲法一三条の幸福追求権に含まれているかどうかについては判断する必要を見ない。

 

 

【最判平成5年2月25日・厚木基地騒音公害訴訟上告審判決】

要旨

国が日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に基づきアメリカ合衆国に対し同国軍隊の使用する施設及び区域として飛行場を提供している場合において、米軍機の運航等に伴う騒音等による被害を主張して人格権、環境権に基づき、国に対し右軍隊の使用する航空機の離着陸等の差止めを請求することはできない。

 

判旨

 所論は、上告人らの本件訴えのうち、アメリカ合衆国軍隊(以下「米軍」という。)の使用する航空機(以下「米軍機」という。)の一定の時間帯における離着陸等の差止め及びその余の時間帯における音量規制を請求する部分(以下この部分の請求を「本件米軍機の差止請求」という。)は、本件自衛隊機の差止請求と同様、被上告人に対して不作為を求めるものであり、この場合においてその相手方が厚木飛行場の設置・管理者である被上告人となるのは自明のことであって、米軍の本件飛行場の使用権限が条約によって与えられているという事実は被上告人と米軍との間の内部関係にすぎないから、被上告人に米軍機の運航を規制、制限する権限がないことなどを理由に本件米軍機の差止請求に係る訴えを却下すべきものとした原審の判断は、憲法三二条に違反し、裁判所法三条の解釈適用を誤ったものである、というのである。

 しかしながら、上告人らは、米軍機の運航等に伴う騒音等による被害を主張して人格権、環境権に基づき米軍機の離着陸等の差止めを請求するものであるところ、上告人らの主張する被害を直接に生じさせている者が被上告人ではなく米軍であることはその主張自体から明らかであるから、被上告人に対して右のような差止めを請求することができるためには、被上告人が米軍機の運航等を規制し、制限することのできる立場にあることを要するものというべきである。

 これを本件についてみると、原審の確定したところによれば、本件飛行場は、原判決の引用する一審判決別冊第1図青枠部分の区域からなり、被上告人が米軍の使用する施設及び区域としてアメリカ合衆国に提供しているものであって(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(昭和三五年条約第六号)六条参照)、昭和四六年六月三〇日に我が国とアメリカ合衆国との間で締結された政府間協定により、同年七月一日以降、()前記第1図の緑斜線部分は、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(昭和三五年条約第七号)二条四項(a)に基づき、米軍と我が国の海上自衛隊の共同使用部分とされ、()同図赤斜線部分は、海上自衛隊の管轄管理する施設となったが、同頃(b)の規定の適用のある施設及び区域として米軍に対し引き続き使用が認められ、()同図黄色部分は、引き続き米軍が航空機を保管し整備等を行うため専用している。このように、

 本件飛行場に係る被上告人と米軍との法律関係は条約に基づくものであるから、被上告人は、条約ないしこれに基づく国内法令に特段の定めのない限り、米軍の本件飛行場の管理運営の権限を制約し、その活動を制限し得るものではなく、関係条約及び国内法令に右のような特段の定めはない。そうすると、上告人らが米軍機の離着陸等の差止めを請求するのは、被上告人に対してその支配の及ばない第三者の行為の差止めを請求するものというべきであるから、本件米軍機の差止請求は、その余の点について判断するまでもなく、主張自体失当として棄却を免れない。論旨は採用することができない。

環境権(2)

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【鹿児島地裁昭和47年5月19日・し尿処理施設増設禁止仮処分申請事件 】

要旨

憲法二五条一項・一三条一項から個人の環境権なる権利を認めることはできない。

 

判旨

 憲法第二五条一項、第一三条第一項の規定からただちに申請人らが主張するような内容の環境権なる権利を各個人が有するということには、各個人の権利の対象となる環境の範囲(環境を構成する内容の範囲、およびその地域的範囲)、共有者となる者の範囲のいずれもが明確でないという点を考えるとたやすく同調し難い。したがつて、本件増設施設によるし尿処理が申請人らの環境権を侵害することを理由として、本件増設工事の差止めを求めるという申請人らの主張は採用できない。

 

 

【大阪地裁昭和49年2月27日・大阪国際空港公害訴訟第一審判決】

要旨

憲法一三条・二五条の規定は、国の国民一般に対する責務を定めた綱領規定であるから、政府・公共団体が環境保全・公害防止の責務を有するとしても、住民に公害の私法的救済の手段としての環境権が認められるとはいえない。

 

判旨

 二 人格権および環境権について

 まず、原告らが、本件損害賠償請求において侵害された権利は人格権ないし環境権であると主張し、またこれらの権利をもつて本件差止請求の法的根拠としていることについて考察する。原告らの主張の骨子は、人格権ないし環境権は憲法一三条の生命、自由および幸福追求権、二五条の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利をその内容とする排他的支配権であり、その性質上これに対する侵害行為はいかなる理由があつても許されないから、公共性その他の要素について判断するまでもなく、被害の存在のみで違法性が肯認されるべきであり、殊に環境権については、人格権の外延を守るため、公害その他広範囲にわたる環境破壊が行われている現状に対処して、地域住民に具体的被害が発生する前段階で侵害行為を食い止めると共に、個々の住民の権利侵害とあわせて地域的な拡がりを持つ環境破壊を阻止できる有力な根拠となり得るというのである。

 思うに、個人の生命、自由、名誉その他人間として生活上の利益に対するいわれのない侵害行為は許されないことであり、かかる個人の利益は、それ自体法的保護に値するものであつて、これを財産権と対比して人格権と呼称することができる。そして、本件における航空機騒音の如く、個人の日常生活に対し極めて深刻な影響をもたらしひいては健康にも影響を及ぼすおそれのあるような生活妨害が継続的かつ反覆的に行われている場合において、これが救済の手段として、既に生じた損害の填補のため不法行為による損害賠償を請求するほかないものとすれば、被害者の保護に欠けることはいうまでもないから、損害を生じさせている侵害行為そのものを排除することを求める差止請求が一定の要件の下に認められてしかるべきである。この場合、差止請求の法的根拠としては、妨害排除請求権が認められている所有権その他の物権に求めることができるが、物権を有しない者であつても、かかる個人の生活上の利益は物権と同等に保護に値するものであるから、人格権についてもこれに対する侵害を排除することができる権能を認め、人格権に基づく差止請求ができるものと解するのが相当である。

 ところで、環境権については、実定法上かかる権利が認められるかどうかは疑問である。憲法一三条、二五条の規定は、いずれも国の国民一般に対する責務を定めた綱領規定であると解すべきであり、同条の趣旨は国の施策として立法、行政の上に忠実に反映されなければならないが、同条の規定によつて直接に、個々の国民について侵害者に対し何らかの具体的な請求権が認められているわけではない。原告ら指摘の如く、近時公害による環境破壊は著しく、良好な環境を破壊から守り、維持して行く必要があることは、何人といえども否定できないところであり、政府、公共団体が環境保全のため公害防止の施策を樹立し、実施すべき責務を有し、企業や住民も公害の防止に努めるべきことは当然であるけれども、このことから直ちに、公害の私法的救済の手段としての環境権なるものが認められるとするのは早計といわなければならない。また、環境が破壊されたことによつて個人の利益が侵害された場合には、不法行為を理由に損害賠償の請求をすることができ、違法性の有無を判断するに際し、被侵害利益の性質として環境破壊の点を考慮すべき場合があるとしても、環境権という権利が侵害されたかどうかを問題にするまでもないし、差止請求においても、物権のみならず人格権をその根拠とすることによつて救済の実をあげることができるのであつて、いずれにしても環境権を認めなければ個人の利益が救済できないという場面はないと考えられる。原告らによれば、環境権によつて具体的被害が発生する前に侵害を食い止め、また個々人の法益を越えて環境破壊を阻止することができるというが、かような役割を環境権に持たせようとするのであるならば、それは私法的救済の域を出るものであつて、実定法上の明文の根拠を必要とするといわなければならない。

 なお、環境権についてはその排他性から何等の利益考量も許されず、被害の存在のみで違法性が認められるという議論にも首肯しがたいものがある。具体的な事件においていかなる事情を基礎として違法性があると認めるべきかの判断は、被侵害利益が排他的な権利である場合にも省略することはできないのであり、かかる利益考量を経て初めて、具体的事案に即した妥当な救済方法を導き出すことが可能となるのである。

 ちなみに、本件において原告らは、航空機の騒音等により原告ら居住地域一般の環境が破壊されたことを強調してはいるけれども、これは結局のところ原告ら個人個人の生活上の利益の侵害に還元することができるものであるし、原告らは同時に個人の健康や生活利益に被害がもたらされていることをも個別的、具体的に主張しているのであるから、私法的救済の方法としては、殊更に環境権という概念を持ち出さなければその主張を維持できないわけでもないことに留意する必要がある。

 

 

【大阪高裁昭和50年11月27日・大阪国際空港公害訴訟】

要旨

憲法一三条から導かれる人格権に基づき、民事上の請求として一定の時間帯につき航空機の離着陸のためにする国営空港の供用の差し止めを求める訴は、適法なものと容認することができ、人格権侵害を根拠とする限り環境権理論の当否について判断する必要がない。

 

判旨

  1 原告らは、本件の被害をもつて、人格権ないし環境権の侵害であると主張し、これらの権利に基づき、被告に対し、本件空港における航空機の一定時間内における発着の禁止を請求する。

 ところで、原告らは、原告ら各人についてすでに被害が発生していることを主張しており、他方、原告らの主張によつても、環境権の意義は、被害が各個人に現実化する以前において環境汚染を排除し、もつて人格権の外延を守ることにあるというのであるから、判断の順序としては、まず人格権に基づく主張の当否を判断すべきものと解される。

  2 およそ、個人の生命・身体の安全、精神的自由は、人間の存在に最も基本的なことがらであつて、法律上絶対的に保護されるべきものであることは疑いがなく、また、人間として生存する以上、平隠、自由で人間たる尊厳にふさわしい生活を営むことも、最大限度尊重されるべきものであつて、憲法一三条はその趣旨に立脚するものであり、同二五条も反面からこれを裏付けているものと解することができる。このような、個人の生命、身体、精神および生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであつて、その総体を人格権ということができ、このような人格権は何人もみだりにこれを侵害することは許されず、その侵害に対してはこれを排除する権能が認められなければならない。すなわち、人は、疾病をもたらす等の身体侵害行為に対してはもとより、著しい精神的苦痛を被らせあるいは著しい生活上の妨害を来す行為に対しても、その侵害行為の排除を求めることができ、また、その被害が現実化していなくともその危険が切迫している場合には、あらかじめ侵害行為の禁止を求めることができるものと解すべきであつて、このような人格権に基づく妨害排除および妨害予防請求権が私法上の差止請求の根拠となりうるものということができる。

 被告は、このような差止請求の根拠としての人格権には実定法上の根拠を欠くと主張するが、右のとおり人格権の内容をなす利益は人間として生存する以上当然に認められるべき本質的なものであつて、これを権利として構成するのに何らの妨げはなく、実定法の規定をまたなくとも当然に承認されるべき基本的権利であるというべきである。また、従来人格権の語をもつて名誉、肖像、プライバシーあるいは著作権等の保護が論ぜられることが多かつたとしても、それは、人格的利益のそのような面について、他人の行為の自由との牴触およびその調整がとくに問題とされることが多かつたことを意味するにすぎず、より根源的な人格的利用益をも総合して、人格権を構成することには、何ら支障とならないものと解される。もつとも、人格権の外延をただちに抽象的、一義的に確定することが困難であるとしても、少なくとも前記のような基本的な法益をその内容とするものとして人格権の概念を把握することができ、他方このような法益に対する侵害は物権的請求権をもつてしては救済を完了しえない場合があることも否定しがたく、差止請求の根拠として人格権を承認する実益も認められるのであつて、学説による体系化、類型化をまたなくてはこれを裁判上採用しえないとする被告の主張は、とりえないところである。

 

 

【名古屋地裁昭和54年6月28日・場外馬券発売中止等請求事件】

要旨

憲法一三条・二五条は、いわゆる環境権の実定法上の根拠とはなりえないし、また、良好・便利な環境利益は、民法その他の法令に根源を有する私法上の権利の範ちゆうに属するものではないから、いわゆる環境権を私法上の差止または損害賠償の各請求権の根拠とすることはできない。

 

判旨

 一 環境権の主張について

 原告らは本訴差止(場外馬券発売禁止)及び損害賠償の各請求の根拠として、環境権の存在を主張する。

 まず、原告らは、環境権を「良き環境を享受し、かつ、これを支配しうる権利であり、更に、人間が健康で快適な生活を求める権利である。」と意義づけ、その実定法上の根拠を、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する旨規定した憲法二五条、幸福追求の権利を有する旨規定した憲法一三条に求めうるかのように主張するが、これらの規定は、右各条中の爾余の文言からも明らかなように、国の国民一般に対する政治、行政上の責務を定めた綱領的規定であつて、それ自体を所論の環境権の実定法上の規定と解し難いばかりでなく、文理上も右各規定が右環境権の権利概念を予定し、或は想定していると解するのは難しい。また、原告らは、右環境権を人格権の延長線にとらえうる一種の抵抗権としての性質をもつたもので、企業体に対して良き環境の確保を要求しうる権能を含んだ生存権的基本権の一面を有するとともに、右企業体からの環境侵害を守るための社会的基本権の側面をもつた実定法の予期しなかつた新しい基権であるとも主張するのであるが、右主張は、その論拠を理解し難いばかりでなく、憲法その他の実定法上の法理を飛躍した独自の見解であつて、とうてい首肯し難い。

 原告らは、環境権の性質、効果について、一つの環境を形成している一定地域の住民のすべてに平等に分配された地域住民全体の共有の権利であり、その環境破壊をもたらす侵害行為に対しては、具体的な損害の発生いかんにかかわらず、私法上の権利として予防ないし排除の請求をすることができる旨主張する。しかし、所論がここでいう「環境」とは、抽象的には住民をとりまく一定地域及びその周辺の物又は状態であり、それには道路・河川・建物・交通機関等公物、私物を含めた物的施設、水・大気・日照・海・山・動植物等の自然事象、更にはここに居住し、或はこれらを利用する人間関係などの一切が含まれるが、これらの要素にはそれ自体流動的なものがあるばかりでなく、この環境には具体的には当該住民にとつて良好、不良或は普通の三様があつて、必ず良好の環境とばかりいえないのみならず、その評価は、帰するところ多数の住民の個々の意思に待つべきものであるところからすれば、それら住民の年令・職業・思想・文化等による差異があつて一定でないのが通常であり、このような多様かつ不特定な事象に対して、評価も一定、普遍を保し難い個々の地域住民について全体に共通の共有による排他的支配権を与えようとする思考事態矛盾を含み、論理的でないといわざるをえない。所論は、前記のとおり人が幸福を追求し、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利があるとの憲法上の規定を理由に、良き環境に対してこれを利用、享受しうる権利がある旨主張するけれども、仮にその住民をとりまく一定地域の生活環境が良好、便利なものであつたとしても、それは前述の自然現象のほか、そこに備つた公共的な設備・施策、文化的資産等に由来するものであつて、いわばこれらによる反射的利益というべきもので、その利益は民法その他の法令に根源を有する私法上の権利の範疇に属するものではない。もとよりその利益が個々人にとつてかけがえのない財産上の利益であり、或は生活上、身体上の利益である場合も肯認しうるところであるが、それは、右個々人の財産権或は人格権上の利益として法的保護を与えれば足り、ことさら環境権なる権利概念を構成する必要を見ない。その他、所論が環境権に期待するところの不可侵的で絶対的な予防・排除の法的効力は、その権利概念が瞹眛・脆弱であるのに比して過大・強烈であり、現今の社会共同生活での法律関係を律するに妥当でないばかりでなく、法律の解釈としてもその域を脱し、かつ、本末転倒の議論との批判を免れず、とうてい左袒することができない。

 従つて環境権を私法上の差止及び損害賠償の各請求権の根拠とする原告らの主張は採用することができない。

環境権

   目次

【最判平成18年3月30日】

事案の概要

本件は,上告人らが,大学通り周辺の景観について景観権ないし景観利益を有しているところ,本件建物の建築により受忍限度を超える被害を受け,景観権ないし景観利益を違法に侵害されているなどと主張し,上記の侵害による不法行為に基づき,① 被上告人Y1及び本件区分所有者らに対し本件建物のうち高さ20メートルを超える部分の撤去を,② 被上告人らに対し慰謝料及び弁護士費用相当額の支払をそれぞれ求めている事案である

 

要旨

判示事項

1 良好な景観の恵沢を享受する利益は法律上保護されるか

2 良好な景観の恵沢を享受する利益に対する違法な侵害に当たるといえるために必要な条件

3 直線状に延びた公道の街路樹と周囲の建物とが高さにおいて連続性を有し調和がとれた良好な景観を呈している地域において地上14階建ての建物を建築することが良好な景観の恵沢を享受する利益を違法に侵害する行為に当たるとはいえないとされた事例

裁判要旨

1 良好な景観に近接する地域内に居住する者が有するその景観の恵沢を享受する利益は,法律上保護に値するものと解するのが相当である。

2 ある行為が良好な景観の恵沢を享受する利益に対する違法な侵害に当たるといえるためには,少なくとも,その侵害行為が,刑罰法規や行政法規の規制に違反するものであったり,公序良俗違反や権利の濫用に該当するものであるなど,侵害行為の態様や程度の面において社会的に容認された行為としての相当性を欠くことが求められる。

3 南北約1.2kmにわたり直線状に延びた「大学通り」と称される幅員の広い公道に沿って,約750mの範囲で街路樹と周囲の建物とが高さにおいて連続性を有し,調和がとれた良好な景観を呈している地域の南端にあって,建築基準法(平成14年法律第85号による改正前のもの)68条の2に基づく条例により建築物の高さが20m以下に制限されている地区内に地上14階建て(最高地点の高さ43.65m)の建物を建築する場合において,(1)上記建物は,同条例施行時には既に根切り工事をしている段階にあって,同法3条2項に規定する「現に建築の工事中の建築物」に当たり,上記条例による高さ制限の規制が及ばないこと,(2)その外観に周囲の景観の調和を乱すような点があるとは認め難いこと,(3)その他,その建築が,当時の刑罰法規や行政法規の規制に違反したり,公序良俗違反や権利の濫用に該当するなどの事情はうかがわれないことなど判示の事情の下では,上記建物の建築は,行為の態様その他の面において社会的に容認された行為としての相当性を欠くものではなく,上記の良好な景観に近接する地域内に居住する者が有するその景観の恵沢を享受する利益を違法に侵害する行為に当たるとはいえない。

 

判旨

都市の景観は,良好な風景として,人々の歴史的又は文化的環境を形作り,豊かな生活環境を構成する場合には,客観的価値を有するものというべきである。被上告人Y1が本件建物の建築に着手した平成12年1月5日の時点において,国立市の景観条例と同様に,都市の良好な景観を形成し,保全することを目的とする条例を制定していた地方公共団体は少なくない状況にあり,東京都も,東京都景観条例(平成9年東京都条例第89号。同年12月24日施行)を既に制定し,景観作り(良好な景観を保全し,修復し又は創造すること。2条1号)に関する必要な事項として,都の責務,都民の責務,事業者の責務,知事が行うべき行為などを定めていた。また,平成16年6月18日に公布された景観法(平成16年法律第110号。同年12月17日施行)は,「良好な景観は,美しく風格のある国土の形成と潤いのある豊かな生活環境の創造に不可欠なものであることにかんがみ,国民共通の資産として,現在及び将来の国民がその恵沢を享受できるよう,その整備及び保全が図られなければならない。」と規定(2条1項)した上,国,地方公共団体,事業者及び住民の有する責務(3条から6条まで),景観行政団体がとり得る行政上の施策(8条以下)並びに市町村が定めることができる景観地区に関する都市計画(61条),その内容としての建築物の形態意匠の制限(62条),市町村長の違反建築物に対する措置(64条),地区計画等の区域内における建築物等の形態意匠の条例による制限(76条)等を規定しているが,これも,良好な景観が有する価値を保護することを目的とするものである。そうすると,良好な景観に近接する地域内に居住し,その恵沢を日常的に享受している者は,良好な景観が有する客観的な価値の侵害に対して密接な利害関係を有するものというべきであり,これらの者が有する良好な景観の恵沢を享受する利益(以下「景観利益」という。)は,法律上保護に値するものと解するのが相当である

もっとも,この景観利益の内容は,景観の性質,態様等によって異なり得るものであるし,社会の変化に伴って変化する可能性のあるものでもあるところ,現時点においては,私法上の権利といい得るような明確な実体を有するものとは認められず,景観利益を超えて「景観権」という権利性を有するものを認めることはできない。

ところで,民法上の不法行為は,私法上の権利が侵害された場合だけではなく,法律上保護される利益が侵害された場合にも成立し得るものである(民法709条)が,本件におけるように建物の建築が第三者に対する関係において景観利益の違法な侵害となるかどうかは,被侵害利益である景観利益の性質と内容,当該景観の所在地の地域環境,侵害行為の態様,程度,侵害の経過等を総合的に考察して判断すべきである。そして,景観利益は,これが侵害された場合に被侵害者の生活妨害や健康被害を生じさせるという性質のものではないこと,景観利益の保護は,一方において当該地域における土地・建物の財産権に制限を加えることとなり,その範囲・内容等をめぐって周辺の住民相互間や財産権者との間で意見の対立が生ずることも予想されるのであるから,景観利益の保護とこれに伴う財産権等の規制は,第一次的には,民主的手続により定められた行政法規や当該地域の条例等によってなされることが予定されているものということができることなどからすれば,ある行為が景観利益に対する違法な侵害に当たるといえるためには,少なくとも,その侵害行為が刑罰法規や行政法規の規制に違反するものであったり,公序良俗違反や権利の濫用に該当するものであるなど,侵害行為の態様や程度の面において社会的に容認された行為としての相当性を欠くことが求められると解するのが相当である。これを本件についてみると,原審の確定した前記事実関係によれば,大学通り周辺においては,教育施設を中心とした閑静な住宅地を目指して地域の整備が行われたとの歴史的経緯があり,環境や景観の保護に対する当該地域住民の意識も高く,文教都市にふさわしく美しい都市景観を守り,育て,作ることを目的とする行政活動も行われてきたこと,現に大学通りに沿って一橋大学以南の距離約750mの範囲では,大学通りの南端に位置する本件建物を除き,街路樹と周囲の建物とが高さにおいて連続性を有し,調和がとれた景観を呈していることが認められる。そうすると,大学通り周辺の景観は,良好な風景として,人々の歴史的又は文化的環境を形作り,豊かな生活環境を構成するものであって,少なくともこの景観に近接する地域内の居住者は,上記景観の恵沢を日常的に享受しており,上記景観について景観利益を有するものというべきである。

しかしながら,本件建物は,平成12年1月5日に建築確認を得た上で着工されたものであるところ,国立市は,その時点では条例によりこれを規制する等上記景観を保護すべき方策を講じていなかった。

そして,国立市は,同年2月1日に至り,本件改正条例を公布・施行したものであるが,その際,本件建物は,いわゆる根切り工事が行われている段階にあり,建築基準法3条2項に規定する「現に建築の工事中の建築物」に当たるものであるから,本件改正条例の施行により本件土地に建築できる建築物の高さが20m以下に制限されることになったとしても,上記高さ制限の規制が本件建物に及ぶことはないというべきである。本件建物は,日影等による高さ制限に係る行政法規や東京都条例等には違反しておらず,違法な建築物であるということもできない。また,本件建物は,建築面積6401.98㎡を有する地上14階建てのマンション(高さは最高で43.65m。総戸数353戸)であって,相当の容積と高さを有する建築物であるが,その点を除けば本件建物の外観に周囲の景観の調和を乱すような点があるとは認め難い。その他,原審の確定事実によっても,本件建物の建築が,当時の刑罰法規や行政法規の規制に違反するものであったり,公序良俗違反や権利の濫用に該当するものであるなどの事情はうかがわれない。以上の諸点に照らすと,本件建物の建築は,行為の態様その他の面において社会的に容認された行為としての相当性を欠くものとは認め難く,上告人らの景観利益を違法に侵害する行為に当たるということはできない。

プライバシー権(11)東京高裁平成12年10月25日・最判平成7年9月5日

  目次

【東京高裁平成12年10月25日】

要旨

一 犯罪捜査に当たった警察官が、被疑者の弁護士の所属団体及び所属政党を調査し、これを捜査報告書に記載した行為が、当該弁護士のプライバシーを侵害する違法な行為に当るものとすることはできないとされた事例

二 検察官が右の捜査報告書を略式命令を請求する際の資料として裁判所に提出した行為が、当該弁護士のプライバシーを侵害する違法な行為にあたるものとされた事例

 

判旨

■事案の概要

 本件は、東京都立川市所在の三多摩法律事務所に勤務する弁護士である原告が、国の公務員である検察官並びに東京都及び北海道の公務員である警察官の違法な行為によって、そのプライバシー等を侵害されたとして、被告らに対して国家賠償を求めている事件である。

 すなわち、本件において、原告は、被疑者丁谷次郎らに係る傷害事件(本件傷害事件)について弁護人となることを委任されていたところ、北海道警察及び警視庁に所属する警察官であって東京地方検察庁において捜査実務の研修中に本件傷害事件の捜査に当たった警察官が、東京地方検察庁の検察官の指導の下に、平成二年一月三〇日ころ、原告が青年法律家協会に所属しており日本共産党の党員として把握されているものであるとする内容(本件記載事項)の記載のある捜査報告書(本件捜査報告書)を作成して検察官に提出し、平成二年七月二〇日、東京区検察庁の検察官がこれを本件傷害事件に関する略式命令請求の際の証拠資料として裁判所に提出したことにより、これが右の略式命令の確定後は刑事確定訴訟記録の一部として東京地方検察庁において保管され、一般人の知り得る状態に置かれるに至ったが、右の検察官及び警察官の行為は、原告のプライバシーの権利等を侵害する不法行為に当たるとして、被告らに対して国家賠償を求めているのである。

 

  裁判所の判断

二 乙川警部等の行為の違法性の有無について

 乙川警部による本件捜査報告書の作成行為が、本件傷害事件の捜査の過程で、後任の捜査担当者に対する引継ぎのための資料を作成することを主目的として行われたものであり、そのための調査等の方法としては、研修の同期生である伊藤警視から公刊物に登載された原告の経歴等をメモ書きしたものと同警視の個人的な体験から得た知識の提供を受けるという方法が採られたにすぎないものであることは、前記引用に係る原判決の認定、説示にあるとおりである。

 そもそも犯罪の捜査に当たっては、被告らの主張にもあるとおり、広く当該被疑事件に関係すると考えられる事項や公訴提起後の公判活動をも視野に入れた当該事件の処理にとって参考となると考えられる事項について、積極的に情報の収集が行われ、その過程で、時として関係者のプライバシーに関わるような事項についても調査が行われ、その調査結果が捜査報告書等の資料にまとめられるという事態があり得ることは、当然のことと考えられるのであり、いわゆる任意捜査の方法で行われるその際の調査等が、調査対象者の私生活の平穏を始めとする権利、利益を違法、不当に侵害するような方法で行われるのでない限り、このような捜査活動自体がその調査等の対象者に対する関係で直ちに違法とされるものでないことは、いうまでもないところというべきである。

 もっとも、このような調査等によって得られた対象者のプライバシーに関わるような情報が、その必要もないのにみだりに公にされるという事態が生じた場合には、これが違法なプライバシーの侵害行為と評価されることがあり得ることは当然のことというべきである。しかし、本来的に密行性を有する手続である刑事事件の捜査手続において行われる右のような事項に関する調査等の結果については、公務員たる捜査関係者には守秘義務が課されていることなどからしても、それが公にされるという事態は、それが裁判手続に証拠として提出されるという場合を除いては原則として考えられないのであり、しかも、当該調査結果等を裁判の証拠として提出するか否かは、当該事件の公判等を担当する検察官が、公訴の維持という公益上の観点からするその提出の必要性とこれを証拠として提出することが関係者のプライバシーにもたらすこととなる影響等を慎重に対比、検討した上で決定すべきこととされているのであるから、公益上の必要もないのに、みだりにその内容が裁判の証拠として提出され、それが公にされるという事態は、原則的に生じないような制度が確保されているものと考えられるところである。したがって、捜査担当者が、関係者のプライバシーに関するような事項について調査を行い、その調査結果を捜査報告書等の書面に作成するという行為自体は、本件におけるように、それがおよそ調査対象者の私生活の平穏を始めとする権利、利益を違法、不当に侵害するといったおそれのない方法によって行われるものである限り、それが調査対象者のプライバシーを違法、不当に侵害するものとして、直ちにその職務上の義務に違反する違法な行為とされるということも、原則としてあり得ないところというべきである。

 なお、本件にあっては、丁谷らによる本件傷害事件に関する捜査として、原告のプライバシーにも関わるようなその所属団体等に関する事項について、どのような理由から調査を行う必要があったのかは、被告らの主張からしても必ずしも明らかではないものとも考えられるところである。しかし、仮にこの点に関する調査が本件傷害事件に対する捜査方法としては本来その必要性の認められないものであったとしても、このことによって、前記のような手段、方法によって行われたにとどまる右の調査行為が、その調査対象者である原告のプライバシーを違法、不当に侵害するものとして、直ちに乙川警部らの職務上の義務に違反する違法な行為とされるものでないことも、明らかなものというべきである。

 そうすると、乙川警部による本件捜査報告書の作成行為自体を、原告のプライバシーを違法、不当に侵害する違法な行為に該当するものとすることができないことは明らかなものというべきであり、この点に関する乙川警部や伊藤警視、さらには丙山検事らの行為自体を違法なものとする原告の主張は、失当なものという以外ない。

 

三 戌田副検事の行為の違法性の有無について

 本件傷害事件の一件捜査記録に編綴されていた本件捜査報告書が、その後戌田副検事によって丁谷らに対する略式命令請求事件の証拠書類として裁判所に提出されることとなり、その結果、本件傷害事件に関する確定記録の中に保管されて一般の閲覧に供されることとなった本件捜査報告書が、さらにその後、東京地方裁判所民事第五部からの送付嘱託を受けて同裁判所に送付されるに至ったことは、前記引用に係る原判決の認定、説示にあるとおりである。したがって、本件においては、この戌田副検事の本件捜査報告書の裁判所への提出行為が、原告のプライバシーを違法に侵害する不法行為に該当するか否かが問題とされることとなるものというべきである。

 本件において、原告が青年法律家協会に所属しているか否か、あるいは、原告が日本共産党の党員であるか否かということは、本来的に原告の私事に属する事項というべきであり、原告がこれを他に知られたくないと考えることも、一般人の考え方として不合理なものとはいえず、また、これらの点に関する事実が既に一般人の知るところとなっていたり、これらの事実について原告がプライバシーを放棄するに至っていたものとまでは認められず、したがって、本件記載事項に指摘された事実は、原告にとって、法的に保護された利益としてのプライバシーに属するものと考えられることは、原判決がその「事実」欄の「第四 争点に対する判断」の二の3の(二)の項(原判決八五頁四行目から同九三頁一一行目まで)において認定、説示するとおりである。

 このような原告のプライバシーに属する本件記載事項をその内容に含む本件捜査報告書を裁判のための証拠資料として提出するに当たっては、このようにして提出された書類が、事件の終結後は訴訟記録として原則として何人においてもこれを閲覧することができるものとなることからして、本件傷害事件に関する公訴の維持、適正な裁判の実現のためにその提出が必要とされるという公益上の必要が要求されるものというべきである。ところが、戌田副検事は、本件傷害事件について丁谷らを傷害罪で起訴するに当たって、略式命令を請求する際の証拠資料として本件捜査報告書を裁判所に提出したものであることは前記のとおりである。しかしながら、丁谷らが、本件傷害事件に関する犯罪事実を認め、略式手続によって罰金刑を課されることにも異議のない旨を申述していたこととなる右の手続において、前記のような内容からなる本件捜査報告書をその裁判のための証拠資料として裁判所に提出するまでの必要は、特段の事情のない限り、通常は認められないものというべきであり、本件において、そのような特段の事情があったものとすることも困難なものというべきである。もっとも、この点について、被告らは、本件捜査報告書が、丁谷の自白の任意性や信用性を裏付ける資料として、同人について略式命令をすることが相当であることを立証する証拠に該当するから、これを裁判所に提出する必要があったものと主張する。しかし、右の略式命令が請求された時点において、丁谷の捜査官に対する自白の任意性や信用性について特段の疑義等を抱かせるような節があったこともうかがえない本件において、丁谷の弁護を担当していた原告の所属団体等に関する事項であって、右の丁谷の自白の任意性等と直接関係するものとはいえないような事項を内容とする本件捜査報告書が、右のような意味で裁判所に提出することを必要とする資料に該当するものであったとする被告らの主張は、当を得ないものという以外にない。

 そうすると、公訴の維持のために検察官がどのような証拠資料を裁判所に提出するかについては、当該検察官に広い裁量が認められるべきであることを考慮しても、なお、本件において戌田副検事が本件捜査報告書を裁判所に証拠資料として提出したことについては、軽率であったとのそしりを免れないものというべきであり、その結果、前記のとおり、本件捜査報告書が何人においてもこれを閲覧できるという状態に置かれることとなり、原告のプライバシーが侵害されるという結果が生じた以上、戌田副検事の右の行為は、職務上の義務に違背した違法行為とされることとなるものというべきである。

 したがって、被告国は、その主張する刑事確定訴訟記録を第三者の閲覧に供すべきものとしている法の趣旨等の論点について判断するまでもなく、右の戌田副検事の違法行為を理由とする国家賠償責任を免れないものというべきこととなる。

 

 

【最判平成7年9月5日】

要旨

会社が職制等を通じて共産党又はその同調者である従業員を監視し孤立させるなどした行為が、その従業員の思想、信条の自由及びプライバシーなどの人格的利益を侵害する不法行為に当たるとされた事例。

 

事案の概要

会社が安保改定期に予想される破壊活動からの企業防衛を標ぼうして、共産党員及びその同調者の孤立化・排除のために実施した労務対策につき、それが思想の自由及びプライバシーの侵害等に当たり不法行為を構成するとして、原告らが損害賠償及び謝罪広告を求めた事案。

 

判旨

現実には企業秩序を破壊し混乱させるなどのおそれがあるとは認められないにもかかわらず、被上告人らが共産党員又はその同調者であることのみを理由とし、その職制等を通じて、職場の内外で被上告人らを継続的に監視する態勢を採った上、被上告人らが極左分子であるとか、上告人の経営方針に非協力的な者であるなどとその思想を非難して、被上告人らとの接触、交際をしないよう他の従業員に働き掛け、種々の方法を用いて被上告人らを職場で孤立させるなどしたというのであり、更にその過程の中で、被上告人水谷及び同三木谷については、退社後同人らを尾行したりし、特に被上告人三木谷については、ロッカーを無断で開けて私物である「民青手帳」を写真に撮影したりしたというのである。

そうであれば、これらの行為は、被上告人らの職場における自由な人間関係を形成する自由を不当に侵害するとともに、その名誉を毀損するものであり、また、被上告人三木谷らに対する行為はそのプライバシーを侵害するものでもあって、同人らの人格的利益を侵害するものというべく、これら一連の行為が上告人の会社としての方針に基づいて行われたというのであるから、それらは、それぞれ上告人の各被上告人らに対する不法行為を構成するものといわざるを得ない。原審の判断は、これと同旨をいうものとして是認することができる。

プライバシー権(10)東京地裁平成5年11月19日・大阪高裁平成11年11月25日

  目次

 

 

【東京地裁平成5年11月19日】

要旨

一 国立大学教授が国に対し、人事記録その他の文書において教授の旧姓名を使用するよう義務付けを求める訴えが不適当法とされた事例

二 国立大学において人事記録その他の文書に教授の戸籍上の姓名を記載したことが教授の氏名保持権、プライヴァシー、表現の自由、職業活動の自由、学問の自由を侵害しないとされた事例

 

事案の概要

 国立大学教授の原告が、結婚前の旧姓名を用いて研究活動し、大学当局に対して各種文書等に旧姓名を使用することを申し入れていたものの、大学側は原告の氏名について、戸籍上の氏名を利用することとし、原告が戸籍上の氏名でない文書を提出した場合には是正を求めるなどをしていた。

そこで、原告は国に対し、人格権あるいは自己決定権に基づき、人事記録その他の各種文書等にXの旧姓名の使用の義務付け等主張した。

 

判旨

 (1) 定員約一二〇万人を擁する国家公務員の任用関係においては、いかなる人を採用し、採用後いかに処遇する か(担当職務、昇任、降任、転任、給与等)の問題に加えて、現実に公務遂行の外観を呈する行為を行っている者が、真実、国家公務員として任用されたもので あり、かつ、当該公務を担当すべき地位、権限を有しているのかの問題を適正、確実、迅速に解決するためには、公務員の同一性を把握することが必要不可欠である。
 しかして、我が国においては、国民を公に登録し、その親族関係及び動静を公示し、公証するための唯一の身分関係 の公証制度として、戸籍法に基づく戸籍が精緻に編製されており、そこには個人の公証力ある氏名として戸籍名が記載されているところ、戸籍名を変更するため には、やむをえない事由が存する場合に家庭裁判所の許可を得て、その旨を届け出ることを必要としている(戸籍法一〇七条、一〇七条の二、一一九条)。しか も、法律上保護されるべき重要な社会的基礎を構成する夫婦が、同じ氏を称することは、主観的には夫婦の一体感を高める場合があることは否定できず、また、 客観的には利害関係を有する第三者に対し夫婦である事実を示すことを容易にするものといえるから、夫婦同氏を定める民法七五〇条は、合理性を有し、何ら憲 法に違反するものではない。
 したがって、個人の同一性を識別する機能において戸籍名より優れたものは存在しないものというべきであるから、公務員の同一性を把握する方法としてその氏名を戸籍名で取り扱うことは極めて合理的なことというべきである。
 そうであれば、本件取扱文書に定める基準は公務員の同一性を把握するという目的に配慮しながらも、他方、研究、 教育活動においては原告が以前から使用してきた氏名である「関口礼子」を表示することができるようにも配慮されたものであり、その目的及び手段として合理 性が認められ、何ら違法なものではないというべきである。
 (2)イ これに対して、原告は、少数の公務員集団である図情大教職員間においては、原告の公務員としての同一性を把握することは不要であると主張する。
 しかし、原告主張に係る各書類の中には図情大教職員間における書類にとどまらず、文部省あるいは学外の諸機関との間でやりとりされる書類も多数含まれて いることからも明らかなように、公務員の同一性の把握は図情大教職員間においてなされれば足りるというものではなく、原告の右主張は前提を誤っているもの というべきであるから、採用することはできない。
 ロ また、原告は、被告藤川らの所為は、通称名を保持する権利あるいは右通称名をその意思に反して奪われない権利を妨げるものであり、憲法一三条に違反 するものであると主張する。右主張に係る権利とは、要するに他人に通称名の使用を禁止されないという意味において、通称名を専用することができる自由を意 味することに加えて、図情大の人事記録に記載される氏名を含めたあらゆる場面において氏名が通称名で表示されることをも原告が要求していることなどに照ら すと、原告は、その婚姻届出に伴い夫の氏を選択したものの、他人から右変動前の氏名を通称名で表示されることをも意図しているものと解される。
 なるほど、通称名であっても、個人がそれを一定期間専用し続けることによって当該個人を他人から識別し特定する 機能を有するようになれば、人が個人として尊重される基礎となる法的保護の対象たる名称として、その個人の人格の象徴ともなりうる可能性を有する。しかし ながら、本件全証拠をもってしても、公務員の服務及び勤務関係において、婚姻届出に伴う変動前の氏名が通称名として戸籍名のように個人の名称として長期的 にわたり国民生活における基本的なものとして根付いているものであるとは認めることができず、また、右通称名を専用することは未だ普遍的とはいえず、個人 の人格的生存に不可欠なものということはできないものというべきである。
 したがって、立法論としてはともかく、原告主張に係る氏名保持権(右通称名ないし婚姻による変動前の氏名を使用する権利)が憲法一三条によって保障されているものと断定することはできないから、被告藤川らの所為が同法条に違反するものと認めることはできない。
 なお、原告は、氏名を通称名で表示することは個人的な事柄であるから、自己決定権によっても原告主張に係る氏名 保持権は保障されているとも主張するものであるが、氏名は社会において個人を他人から識別し特定する機能をその本質的な機能とするものであり、社会との関 わりあいにおいて、その存在意義を有するものであって、公法上の勤務関係における氏名は極めて社会的な事柄というべきであるから、原告の右主張は採用する ことができない。
 ハ さらに、原告は、被告藤川らの所為は、戸籍名という原告のプライバシーを侵害するものであり、憲法一三条に違反するものであると主張する。
 しかし、戸籍名は、前記の通り、我が国唯一の身分関係の公証制度としての戸籍に記載される公証力ある名称であり、原告がいかなる戸籍名を有する者であるかは専ら公的な事柄であるというべきであるから、戸籍名をもって原告のプライバシーに該当するということはできない。
 もっとも、原告は、戸籍名は身分関係すなわち少なくとも原告が婚姻しており、配偶者は氏を「甲野」と表示する男性であることを一定程度開示する作用を有 している点で、私生活上の事柄といいうるものであるとも主張しているが、原告の氏名を戸籍名で表示することが、当然に右のような身分関係まで開示すること にはならないから、原告の右主張は採用することができない。

 三 本件差止(義務づけ)請求及び損害賠償請求について

 以上の通り、原告主張に係る前記一連の侵害事実については、いずれも被告国(図情大及びその公務員である被告藤川ら)の権限行使として合理的な範囲を逸脱したりその濫用があったものとは認定できないことが明らかであり、したがって、原告の被告国に対する本件差止(義務づけ)請求については、事柄の性質上司法審査の及ばないものであるから、その余の点について論じるまでもなく、いずれも不適法として却下を免れず、また、原告の被告国に対する本件損害賠償請求についても、原告主張に係る前記一連の侵害事実がいずれも憲法に違反したり、著作権法に違反するものではないうえ、世界人権宣言及び国際人権規約B規約に違反するものではなく、国家賠償法の適用上違法と認めることもできないから、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないものというべきである。

 しかも、被告藤川らは、いずれも国家公務員としてその職務を行ったものにすぎず、仮に被告国が国家賠償責任を負う場合であったとしても、公務員個人として原告に対し、民法上不法行為に基づく損害賠償責任を負うべきものではないから、原告の被告藤川らに対する本件損害賠償請求は理由がないものといわなければならない(最高裁昭和三〇年四月一九日第三小法廷判決・民集九巻五号五三四頁、最高裁昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁等参照)。

 

 

 

 

【大阪高裁平成11年11月25日】

事案の概要

西宮市内の市立小中学校の卒業生・在校生六名が、教育委員会に対し、西宮市個人情報保護条例に基づき、調査書・指導要録の開示を求めたが、西宮市教育委員会がこれらを全面非開示とする処分を行い、異議申立をしたものの大半が非開示とされたため、右非開示処分の取消を求めた事案

 

要旨

調査書、指導要録における「所見」欄等の教師の主観的評価を含む記載についても、西宮市個人情報保護条例が自己情報開示請求権の例外として定めた非開示事由に該当するとはいえず、調査書、指導要録は当該本人に全面開示されるべきであるとした事案

 

 

判旨

1 憲法一三条がプライバシー権を保障しているとしても、同条により具体的な情報開示請求権までが保障されているとはいえない。したがって、情報開示請求権は、本件条例によって創設的に認められた権利であると解されるので、当該具体的情報が開示請求権の対象となり得るか否かは、本件条例の趣旨・目的に照らして同情報が開示請求の対象として予定されているか否かによる。

 2(一)ところで、本件条例は、個人情報の取扱いについて必要な事項を定めることにより、行政の適正な執行を確保するとともに、基本的人権の理念に基づき個人情報の保護を図ること(一条)を目的としている。

 (1)そして、実施機関は個人情報を収集する際、収集目的を明確にするとともに、その目的達成に必要な範囲内で行われなければならない(六条一項)として、収集対象・方法に制限(六条二項、七条)を加えるとともに、利用提供の制限(八条)を設けたり、その適正な管理(九条、一〇条)を定めて、職員に対し守秘の義務を課している(三条)。

 (2)市民に対しても相互に個人情報保護の重要性を深く認識し、個人情報の保護に努めるとともに、この条例によって保護された権利を正当に行使しなければならない(四条)ものとしている。

 (3)さらに、事業者が事業活動に伴い個人情報の収集等を行うときにも、個人情報の重要性を深く認識して、個人情報の取扱いについて適切な保護措置を講ずるよう努めなければならない(五条)とする。

 (二) 一方、実施機関が管理する情報に対し、当該本人の自己情報開示請求権を認めて、(1)法令または条例の制定により開示することができないもの、(2)個人の評価、診断、判定等に関するもので、本人に知らせないことが正当であると認められるもの、(3)開示することによって公正かつ適正な行政執行が妨げられることが明らかなもの、(4)実施機関が審議会の意見を聴いて公益上特に必要があると認めたもの、以上(1)ないし(4)に該当しない限りは、開示しなければならないものとしている(一二条)。

 そして、自已情報に誤りのある場合には訂正を求め、制限外の情報が記載されている場合には削除を求め、自己情報の目的外利用が認められる場合には中止請求をすることができるものとしている(一三条)。

 3以上によれば、本件条例は個人情報保護の観点から、実施機関その他が濫りに個人情報を収集することを禁ずるとともに、これを確認、監視」、かつ、誤った情報が収集・集積されることによって生じる不利益を防止するため、市民各人に実施機関が管理する自己情報に近付き、これを訂正・削除等する権利を市民各人の具体的権利として保障したものと解することができる

 四1(一)前記のとおり、本件条例は、自己情報について非開示事由に該当しない限りは開示しなければならないものとしているので、本件調査書及び指導要録の非開示部分が「公正かつ適正な行政執行が妨げられることが明らかであること」、もしくは、「個人の評価、診断、判定等に関するもので、本人に知らせないことが正当であると認められるもの」に該当するか否かが問題となる。

 (二)前記のとおり、本件条例は個人情報保護の観点から、市民各人に実施機関が保有する自己情報を確認、監視させる目的で開示請求権等を認めているものと解されるから、その例外となるべき非開示事由の解釈においては、実施機関の恣意的判断を許し、いたずらに非開示事由を拡大するような解釈をしてはならないことはいうまでもない。とりわけ、前記非開示事由である「公正かつ適正な行政執行が妨げられることが明らかであること」、「本人に知らせないことが正当であると認められるもの」という要件に関しては、その判断を厳格にしなければ実施機関の恣意的な判断を招き、開示請求の範囲を不当に狭める結果となるのでその判断は慎重に行われなければならない。これらの条文の規定の仕方に照らしても、被控訴人が開示を拒むためには開示による弊害が現実的・具体的なもので、客観的に明白であることを要するものと解される。

 2ところで、被控訴人は、「(1)本件調査書の『各教科の学習の評定の記録』の『参考事項』欄、『その他の特記事項』欄、並びに、本件指導要録の『教科所見欄』の記載は生徒に対する全体的・人物的評価にわたり、マイナス面も記載される可能性があるという特徴がある。(2)本件調査書の『特別活動等の記録』欄、『スポーツテストらの『備考』欄、『出欠の記録』の『欠席等の主な理由』欄の記載についても、スポーツテストを受けていない理由は何か、長期欠席の理由が、不登校、登校拒否と認められるかという点を巡り、主観的評価、判断が入る余地がある。(3)本件調査書の『行動及び性格の記録』欄、並びに、本件指導要録の『行動の所見』欄の記載も生徒の人物評価にかかわる。

 したがって、これらの記載を開示すれば、時には生徒や保護者が自尊心を傷つけられたり、教員及び学校に反感や不信感を抱く等して生徒指導に支障を来したり、両者間の信頼関係を喪失してトラブルを生じたりするおそれがあり、また、教師が右トラブル等を恐れてマイナス面をありのままに記載しなくなれば、調査書や指導要録の内容が形骸化・空洞化して、適切な入試選抜資料及び教育指導の資料としての機能を果たさなくなる恐れがある。

 以上のとおり、本件調査書、指導要録の非開示部分を開示すれば、『公正かつ適正な行政執行が妨げられること』が合理的に見込まれるし、このように生徒が自尊心を傷つけられたり、教員や学校に不信感を抱いてトラブルが生じることは生徒及び保護者にとっても不利益なことであるから、被控訴人が『本人に知らせないことが正当であると認められるもの』にも該当する。」旨主張して、証人長澤清、同岡田健作(いずれも原審)らはこれに沿った証言をする。

 3(一)しかし、教育上なされる評価は、今後の当該児童・生徒の教育資料等となるものであるから、たとえ、それが教師の主観的評価・判断でなされるものであっても、恣意に陥ることなく、正確な事実・資料に基づき、本人及び保護者からの批判に耐え得る適正なものでなければならない。教育は、当該児童・生徒の長所を延ばすとともに短所や問題点をも指導・改善して、当該児童・生徒の人格の完成を図るものである。本件調査書及び指導要録の非開示部分に記載される内容は、既にみたとおりのもの(前記第三、二2(三)(2)及び同3(三)(2))であるから、仮に、同部分にマイナス評価が記載されるのであれば、正確な資料に基づくのは勿論、日頃の指導等においても本人あるいは保護者に同趣旨のことが伝えられ、指導が施されていなければならないものというべきである。日頃の注意や指導等もなく、マイナス評価が調査書や指導要録のみに記載されるとすれば、むしろ、そのこと自体が問題であり、これによって生徒と 師の信頼関係が破壊されるなどというのは失当である。確かに、評価それ自体は教師の専権であり他から訂正等を強制されるものではない。しかし、事実誤認に基づく不当な評価は正されなければならない。誤った情報や不正な手段で得られた情報に基づく評価のために、不利益な取り扱いを受けることがないよう防止することにも本件条例の趣旨・目的はあるものと解され、特に、教育は各人の人格形成を目的とするものであるから、誤った記載や不当な評価により教育上の不利益を受けることがあってはならない。したがって、本件条例が本件調査書や指導要録の非開示部分を開示の対象として予定していないとは認め難い。確かに、開示により感情的なトラブルが生じないとはいえないが、開示を求める側も、評価の部分についてはマイナス面の記載もなされることを当然認識しているはずであり、このようなトラブルは適切な表現を心掛けることや、日頃の生徒との信頼関係の構築によって避け得るものであり、これに対処するのも教師としての職責であると考えられる。

 (二)ところで、当裁判所が行った調査嘱託の結果からも、調査書や指導要録を開示している自治 において弊害が生じているとは認められない。

 確かに、右調査嘱託の中にはトラブルを生じたことがあった旨報告している事例もある。しかし、右事例は調査書の総合所見欄に「両親ともに教育熱心」と記載されて問題となった事例等である。同事例は「両親が、娘の私服通学のことで中学に何度話合いを求めても学校が回答しなかった。」にもかかわらず、右のような記載がなされたという場合であるから(弁論の全趣旨)、右両親が前記記載に学校側の悪意を感じてもやむを得ない場合だということができ、当該ケースにおいて、このような記載をする必要や、同表現が妥当であったかが疑わしいといえるものである。したがって、右事例等から調査書や指導要録の開示によって弊害が生じているとは認められない。

 (三)以上の点に、先の調査嘱託の結果から、現に多くの自治体で調査書・指導要録の開示が開始されており、歴史が浅いとはいえ、社会の趨勢を示すものと認められるが、これらの自治体において特に問題が生じているとは認め得ない点等を考慮すれば、「所見」欄等の教師の主観的評価を含む記載を開示することにより、「公正かつ適正な行政執行が妨げられることが『明らか』である」とは到底いえない。

 (四)また、「本人に知らせないことが正当であると認められるもの」という要件についても、既に述べたとおり、教育の性質に照らすと、仮に日頃の指導などに表れない不利益な記載等がなされているとすれば、そのこと自体に問題があるのであり、自己の評価等を知ることを本人が希望しているのに、右記載を開示すれば教師との信頼関係が破壊されるなどといって開示を拒む根拠とはなり得ない。

プライバシー権(9) 指紋押捺 最判平成9年11月17日 再入国不許可処分取消等請求

  目次


最判平成9年11月17日 再入国不許可処分取消等請求

要旨

判示事項

いわゆる協定永住許可を受けていた者に対してされた指紋押なつ拒否を理由とする再入国不拒可処分が違法とはいえないとされた事例

裁判要旨

法務大臣が、日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法一条の規定に基づく許可を受けて本邦で永住することができる地位を有していた者に対し、外国人登録法(昭和六二年法律第一〇二号による改正前のもの)一四条一項に基づく指紋の押なつを拒否していることを理由としてした再入国不許可処分は、当時の社会情勢や指紋押なつ制度の維持による在留外国人及びその出入国の公正な管理の必要性など判示の諸事情に加えて、再入国の許否の判断に関する法務大臣の裁量権の範囲がその性質上広範なものとされている趣旨にもかんがみると、右不許可処分が右の者に与えた不利益の大きさ等を考慮してもなお、違法であるとまでいうことはできない。

 

判旨

  事実の概要

 1 上告人は、昭和三四年一二月一日、大韓民国籍を有する父及び母の長女として本邦において出生した大韓民国国民である。

 2 上告人は、日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定(以下「日韓地位協定」という。)一条1(b)に該当するものとして、昭和四四年一〇月一日付けで日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法(以下「出入国管理特別法」という。)一条の許可を受けて、本邦で永住することができる地位(以下右地位のことを「協定永住資格」という。)を取得した。

 3 上告人は、外国人登録法(昭和五七年法律第七五号による改正前のもの)一四条の規定により指紋の押なつが義務付けられる年齢(一四歳)に達した後の昭和四九年一二月二日及び昭和五二年一二月二日に同法一一条一項所定の確認を申請した際には、いずれも、指紋を押なつの上、新たな登録証明書の交付を受けたが、昭和五六年一月九日に右確認を申請した際、区役所職員の度重なる説得にも応じず、指紋の押なつを拒否したため、昭和五八年五月一四日、同法一八条一項八号に該当するとして告発され、同年一一月二六日、同法違反の罪により起訴されて、昭和六〇年八月二三日、福岡地方裁判所小倉支部において有罪判決を受けた。しかし、上告人は、昭和六一年一月四日に外国人登録法(昭和六二年法律第一〇二号による改正前のもの)一一条一項所定の確認を申請した際にも、同法一四条一項の規定する指紋の押なつを拒否し、その後の区役所職員による説得にも応じなかった。

 4 法務大臣は、上告人が指紋の押なつを拒否するようになって以降、上告人が、旅行目的を親族訪問とし、渡航先を韓国及び米国としてした再入国の許可申請に対しては、昭和五六年四月六日付けで許可処分をしたが、上告人が、旅行目的を女性コーラス団のピアノ伴奏とし、渡航先をカナダとしてした再入国の許可申請に対しては、上告人が指紋の押なつを拒否している事情を考慮して、昭和六〇年三月一三日付けで不許可処分をした。

 5 上告人は、昭和六一年五月三〇日付けで、旅行目的を米国D大学留学、渡航先を米国、出発予定年月日を同年七月一〇日、再入国予定年月日を昭和六二年七月とする再入国の許可申請(以下「本件許可申請」という。)をしたが、法務大臣は、上告人の外国人登録法違反の状態が依然として継続し、しかも、翻意の可能性が認められないことなどから、同年六月二四日付けで右申請に対する不許可処分(以下「本件不許可処分」という。)をした。

 6 上告人は、再入国の許可を受けないまま、同年八月一四日、D大学留学のため米国に向けて本邦から出国した。その結果、上告人は、協定永住資格を喪失するに至った。

 7 上告人は、昭和六三年六月二八日、我が国の査証を受けないで米国から本邦に入国しようとして上陸の申請をしたが、出入国管理及び難民認定法(平成元年法律第七九号による改正前のもの)七条一項一号に規定された上陸のための条件に適合していないと認定されたため、同法一一条に基づいて法務大臣に対し異議の申出をしたところ、法務大臣は、同法一二条一項三号に基づき上告人に対して上陸を特別に許可するとともに、同法四条一項一六号、出入国管理及び難民認定法施行規則(平成二年法務省令第一五号による改正前のもの)二条三号の在留資格及び在留期間一八〇日を付与した。

 8 上告人は、右在留期間の更新を受けた後、平成一年一二月には在留期間六か月を付与され、平成二年六月には定住者として在留期間一年の指定を受け、平成三年九月にも定住者として在留期間一年の指定を受けた。上告人は、平成元年八月及び平成二年一〇月の二回にわたり指紋の押なつを拒否したが、昭和六三年七月、平成元年一月及び平成二年六月の三回にわたり再入国の許可を受けている。

 9 上告人は、出生以来本邦に居住しており、義務教育課程を経て私立の高等学校を卒業後愛知県立E大学F学部G科(ピアノ専攻)に入学し、同大学を卒業後、同大学大学院修士課程I科G科(ピアノ専攻)に進み、昭和六〇年に同大学院を卒業したが、同大学院に在学中、米国インディアナ州立D大学大学院の教授の知遇を得て、その指導を受けることになり、昭和六一年四月に同大学院I科(ピアノ専攻)の入学許可を得た。上告人がした本件許可申請は、D大学における右の留学目的を実現するために行ったものであった。

 10 他方、被上告人においては、当時指紋押なつ拒否者の数が増加する傾向を示していたことから、その対応策として、外国人登録法の一部を改正する法律(昭和五七年法律第七五号)の施行(同年一〇月一日)を機に、指紋押なつ拒否者に対して原則として再入国の許可を与えない方針が打ち出され、本件不許可処分も、右方針に基づいてされたものであった。また、本件不許可処分がされた当時は、指紋押なつ拒否運動が全国的な広がりを見せ、在日外国人団体において、指紋押なつ制度反対の意思の表明方法として、登録証明書の切替交付に際して指紋を押なつしない意向を示し、当局の説得期間中も押なつを拒否する、いわゆる留保運動を展開したため、指紋の押なつを留保する者が続出するという社会情勢にあった。

 11 昭和六二年法律第一〇二号による外国人登録法の改正により、指紋の押なつ義務は原則として最初の一回のみとされ(同法一四条一項、五項)、さらに、平成四年法律第六六号による外国人登録法の改正により、協定永住資格を有する大韓民国国民につき指紋押なつ制度が廃止された(同法一四条一項、日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法三条)。

 

  裁判所の判断

二 右事実関係等に基づいて、本件不許可処分の適否につき検討する。

 1 一般に、出入国に関する事務は国際法上国内事項とされていて、外国人の入国にいかなる条件を課するかは専らその国の立法政策にゆだねられているところ、我が国の出入国管理及び難民認定法は、再入国の許可を受けて本邦から出国した外国人に限って、当該外国人の有していた在留資格のままで本邦に再び入国することを認めるものとしている。そして、再入国の許可の要件について、同法二六条一項は、法務大臣は、本邦に在留する外国人(同法一三条から一八条までに規定する上陸の許可を受けている者を除く。)がその在留期間(在留期間の定めのない者にあっては、本邦に在留し得る期間)の満了の日以前に本邦に再び入国する意図をもって出国しようとするときは、法務省令で定める手続により、その者の申請に基づき再入国の許可を与えることができる旨規定するのみで、右許可の判断基準について特に規定していないが、右は、再入国の許否の判断を法務大臣の裁量に任せ、その裁量権の範囲を広範なものとする趣旨からであると解される。なぜならば、法務大臣は、再入国の許可申請があったときは、我が国の国益を保持し出入国の公正な管理を図る観点から、申請者の在留状況、渡航目的、渡航の必要性、渡航先国と我が国との関係、内外の諸情勢等を総合的に勘案した上、その許否につき判断すべきであるが、右判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う法務大臣の裁量に任せるのでなければ到底適切な結果を期待することができないものだからである。 右のような再入国の許否の判断に関する法務大臣の裁量権の性質にかんがみると、再入国の許否に関する法務大臣の処分は、その判断が全く事実の基礎を欠き、又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして違法となるものというべきである(最高裁昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日大法廷判決・民集三二巻七号一二二三頁参照)。

 2 以上の見地に立って、本件不許可処分に係る法務大臣の判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があったものとして違法であるか否かにつき検討する。

 前記事実関係等によれば、本件不許可処分は、協定永住資格を有する上告人が、渡航先国である米国における大学留学を旅行目的として本件許可申請をしたのに対し、被上告人が指紋押なつ拒否者の増加という事態に対する対応策として打ち出した指紋押なつ拒否者に対しては原則として再入国の許可を与えないという方針に基づき、上告人が外国人登録法(昭和六二年法律第一〇二号による改正前のもの)一四条一項の規定に違反して指紋の押なつを拒否していることを専らその理由としてされたものであって、他に法務大臣が上告人の右許可申請に対する許否の判断に当たり右申請を許可することが相当でない事由として考慮した事情の存在はうかがわれない。

 出入国管理特別法一条の規定に基づき本邦で永住することを許可されている大韓民国国民については、日韓地位協定三条、出入国管理特別法六条一項所定の事由に該当する場合に限って、出入国管理及び難民認定法二四条の規定による退去強制をすることができるものとされていることに加えて、日韓地位協定四条(a)の規定により、日本国政府は我が国における教育、生活保護及び国民健康保険に関する事項について妥当な考慮を払うものとされ、右規定の趣旨に沿って行政運用上日本国民と同等の取扱いがされているのであって、このような協定永住資格を有する者による再入国の許可申請に対する法務大臣の許否の判断に当たっては、その者の本邦における生活の安定という観点をもしんしゃくすべきである。しかるところ、本件不許可処分がされた結果、上告人は、協定永住資格を保持したまま留学を目的として米国へ渡航することが不可能となり、協定永住資格を保持するために右渡航を断念するか又は右渡航を実現するために協定永住資格を失わざるを得ない状況に陥ったものということができるのであって、本件不許可処分によって上告人の受けた右の不利益は重大である。

 しかしながら、そもそも、外国人登録法が定める指紋押なつ制度は、本邦に在留する外国人の登録を実施することによって外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資するという目的を達成するため、戸籍制度のない外国人の人物特定につき最も確実な制度として規定されたものであって、出入国の公正な管理を図るという出入国管理行政の目的にも資するものであるから、法務大臣が、指紋押なつの拒否が出入国管理行政にもたらす弊害にかんがみ、再入国の許可申請に対する許否の判断に当たって、右申請をした外国人が同法の規定に違反して指紋の押なつを拒否しているという事情を右申請を許可することが相当でない事由として考慮すること自体は、法務大臣の前記裁量権の合理的な行使として許容し得るものというべきである。のみならず、その後の推移はともかく、本件不許可処分がされた当時は、指紋押なつ拒否運動が全国的な広がりを見せ、指紋の押なつを留保する者が続出するという社会情勢の下にあって、出入国管理行政に少なからぬ弊害が生じていたとみられるのであり、被上告人において、指紋押なつ制度を維持して在留外国人及びその出入国の公正な管理を図るため、指紋押なつ拒否者に対しては再入国の許可を与えないという方針で臨んだこと自体は、その必要性及び合理性を肯定し得るところであり、その結果、外国人の在留資格いかんを問わずに右方針に基づいてある程度統一的な運用を行うことになったとしても、それなりにやむを得ないところがあったというべきである。他方で、前記事実関係等によれば、上告人は、本件不許可処分の前のみならずその後も指紋押なつの拒否を繰り返しており、上告人が外国人登録制度を遵守しないことを表明し、これを実施したものと被上告人に受け止められても無理からぬ面があったといえなくもない。

 右のような本件不許可処分がされた当時の社会情勢や指紋押なつ制度の維持による在留外国人及びその出入国の公正な管理の必要性その他の諸事情に加えて、前示のとおり、再入国の許否の判断に関する法務大臣の裁量権の範囲がその性質上広範なものとされている趣旨にもかんがみると、協定永住資格を有する者についての法務大臣の右許否の判断に当たってはその者の本邦における生活の安定という観点をもしんしゃくすべきであることや、本件不許可処分が上告人に与えた不利益の大きさ、本件不許可処分以降、在留外国人の指紋押なつ義務が軽減され、協定永住資格を有する者についてはさらに指紋押なつ制度自体が廃止されるに至った経緯等を考慮してもなお、右処分に係る法務大臣の判断が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるとはいまだ断ずることができないものというべきである。したがって、右判断は、裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして違法であるとまでいうことはできない。

プライバシー権(8)・東京高裁平成13年7月18日



  目次

東京高裁平成13年7月18日

 

要旨

一 私人の有するプライバシーの権利の重要性と、マスメディアが国民に対して豊富な情報を提供することが表現の自由の一内容として保障されていることを合わせ考えれば、マスメディアによる報道が少しでも私人のプライバシーを侵害すれば、当然に不法行為となるとすることは相当でなく、当該報道の目的・態様その他の諸要素と当該プライバシー侵害の内容・程度その他の諸要素とを比較衡量して決するほかない。

二 「内紛で分かった常勤理事は『高給取り』!年収1500万円」などと題する週刊誌記事は、右理事の収入のほか、その家計における教育費、住宅ローン・カードローンの返済、生命保険料等の私生活上の事実や個人的情報に不必要に踏み込んでいるが、右法人が交通遺児の援護団体で寄付や善意の募金によって運営されていること、仮名が用いられていること等を考慮すれば、違法性を欠くものと評価すべきである。

三 マスメディアに情報を提供する行為についてまで、その結果他人の権利が侵害されることになるにもかかわらず、その自由が保障されているものとは考えられないから、右理事の個人情報が記載された陳述書の写しを週刊誌記者に交付した者の行為については、違法性を否定する理由はない。

 

判旨

  事案の概要

控訴人文藝春秋は、平成11年9月22日発行の「週刊文春」同月30日号に、「“あしながおじさん”交通遺児育英会内紛でわかった常勤理事は『高給とり』!年収1500万円」との見出しの下に、原判決別紙のとおりの本件記事を掲載した。本件記事には、以下の記述が含まれている。

(一)〈1〉「D理事は、収入が断たれたことによる家計の窮状を、切々と訴えている。」

  〈2〉「『Dさんは、善意の寄付で成り立つ公的機関の責任ある立場の方なんですから、自ずと節度ある生活が求められるはずです。ところが、自分がいかに給与が必要かと訴える理由が、クビを傾げたくなるような内容なんです』(前出・育英会関係者)」

  〈3〉「先の提出資料によれば、1月の主な支出を見ると、

 ・家計・教育費36万円

 ・住宅ローン返済42万円

 ・カードローン返済19万円

 ・生命保険料26万円(全8件)

 ・職業費(書籍代・交際費)約10万円

 などで、合わせて月に138万円余りになるという。」

  〈4〉「結果、常勤の収入があったときでさえ、毎月約40万円も収入が不足し、銀行の当座貸越やカードローンを利用し、ボーナスで家計を埋め合わせていたというのだ。」

  〈5〉「日本の平均的な家計は、世帯人員2.6人で、月収入約49万円、支出が約32万5000円(97年総務庁調べ)だから、D氏の家計の突出ぶりがわかる。」

  〈6〉「D理事の言い分を見てみよう。

 〈住宅ローンについてですが、私は現在住んでおります住宅を昭和56年に3180万円で購入しましたが、頭金150万円の外はすべて住都公団と富士銀行の住宅ローンにしました。現在の残額は両方で約2600万円で月額返済額は約42万円弱です〉〈銀行のカードローンは、月々の不足分や交際費等の支出にあてるために行ったもので、現在、五つの銀行から計1550万円の借入があり、月額の返済は合計で19万円となっております〉〈生命保険料は、知人や友人から頼まれて断り切れなかったものが積み重なって、毎月の支払額が多くなってしまったものです。今回陳述書を書くために整理してみて、支払保険料が随分多くなってしまったと反省しており、今後少し整理していく積もりです〉〈職業費の10万円ですが、普通の会社であれば勤務先の必要経費として認められるようなものも、育英会としての性格上必要経費とすることができず、長年に渡って殆ど全てを自己負担としてきました〉」

  〈7〉「そこで、D理事の家計診断を、家計アナリストのEさんに依頼した。」

 (二) 「まずは、住宅ローンから。『支払残額から推測し、仮に30年ローンで組んだとすると、当時の金利が高かったとしても、月々の返済額は20万円弱で済むはずです。50歳近くで借入しているので、25年ローンということも考えられますが、その場合でも支払残額が2600万円というのはあり得ません』

 保険アナリストも疑問を呈する。

 『一般のサラリーマン家庭で考えると、支払い保険料の家計に占める割合が19パーセント近いのは、多すぎますね。26万円の保険料は、仮に掛け捨て保険とすると、保険金は2億円になってしまいます。ご本人が言うように、支払い保険料を少なくした方がいいでしょうね』

 前出・Eさんが続ける。

 『この家計では、ふつうの家庭では成り立たないでしょうね。98万円も月収があるのに、なぜ、家計のために1500万円も借入があるのか。もう一度、支出を見直すことをお勧めします』」

  争点

 被控訴人は、控訴人文藝春秋に対して、本件記事が被控訴人のプライバシーを侵害するとして慰謝料の支払を求め、控訴人Bに対して、同人が入手した地位保全等の仮処分事件に係る被控訴人作成の本件陳述書を控訴人文藝春秋の記者に交付すれば、被控訴人のプライバシーが侵害されることを認識しつつ、これを交付又は中身を了知できる態様で見せ、被控訴人のプライバシーを侵害したとして慰謝料の支払を求めている。

 なお、被控訴人は、本件記事が被控訴人を仮名扱いにしていることについては、たとえ仮名扱いしているとしても、被控訴人の財団法人交通遺児育英会の在勤年数は約30年に及ぶこと、専務理事を除けば常勤理事は昭和57年以降被控訴人一人であること、しかも、被控訴人以外の常勤理事であるF元専務理事及び現専務理事の控訴人Bについては本文記事中に実名で登場することからすると、育英会の関係者、被控訴人の友人・知人等にとっては、本件記事の対象者が被控訴人であると特定することは容易であって、プライバシーの侵害については、公表の相手方が不特定又は多数である必要はないし、仮名であっても、事情を知る者が容易に当該人物を特定し得る場合には成立すると解するのが相当であると主張する。

 これに対し、控訴人文藝春秋は、本件記事における被控訴人に関する記述は、社会の正当な関心事であり、その表現方法も、被控訴人の名前を実名で報じず、被控訴人を「D2」という仮名で扱っており、一般読者は、本件記事を読んでも、これが被控訴人に関するものであるとは認識し得ないなど妥当なものであるから、被控訴人のプライバシーを侵害することはないと主張し、控訴人Bは、記者の取材に対して本件陳述書を見せたことはあるが交付はしていない、記者は独自の取材をし、独自の判断に基づき記事として掲載するのであるから、控訴人Bの行為と記事の掲載との間に相当因果関係はなく、控訴人Bにおいて被控訴人のプライバシーが侵害されることを認識していた事実もないと主張している。

 

  裁判所の判断

 すなわち、本件記事は被控訴人の家計支出の具体的な使途や金額の記載を含むものであり、一般人を基準にして考えるならば、これらの事実は他人に知られたくない私生活上の事実であるから、本件記事のうち一部の記述は、これをみだりに公表されないとの被控訴人の法的利益(プライバシーの権利)を侵害するものであることを否定することができない。また、これらの事実が、被控訴人が育英会を相手方として申し立てた地位保全等の仮処分事件において自ら作成し、提出した本件陳述書に記載された事実であったからといって、被控訴人がこれを一般に公表することを望んだということができないことはもちろん、これが「一般の人々に知られた事実」であるということもできない。

  (2)  ところで、私人の有するプライバシーの権利(一般に他人に知られたくないであろう私生活上の事実や個人的情報をみだりに公表されない法的利益)は、個人の尊厳を維持するために極めて重要な権利である。しかし、他方で、新聞、出版、放送その他のマスメディアが国民に対して豊富な情報を提供することが国民の知る権利にとってとても大切なことであり、マスメディアが表現の自由の一内容として報道の自由を保障されていることを考えるならば、マスメディアによる報道が少しでも私人のプライバシーを侵害すれば、当然にこれが違法であってその私人に対する不法行為となるとすることは相当ではない。このような場合には、当該報道の目的、態様その他の諸要素と当該プライバシー侵害の内容、程度その他の諸要素とを比較衡量して、当該事案においてはいずれの権利を優先させるべきかを決するほかはない。

 この比較衡量において重要な考慮要素となり得るのは、報道については、当該報道の意図・目的(公益を図る目的か、興味本位の私事暴露が目的かなど)、これとの関係で私生活上の事実や個人的情報を公表することの意義ないし必要性(これをしなければ公益目的を達成することができないかなど)、情報入手手段の適法性・相当性(例えば盗聴などの違法な手段によって入手したものかなど)、記事内容の正確性(真実に反する記述を含んでいるかなど)、当該私人の特定方法(実名・仮名・匿名の別など)、表現方法の相当性(暴露的・侮蔑的表現か、謙抑的表現かなど)等であり、プライバシー侵害については、公表される私生活上の事実や個人的情報の種類・内容(どの程度に知られたくない事実・情報なのか、既にある程度知られている事実・情報なのかなど)、当該私人の社会的地位・影響力(いわゆる公人・私人の別、有名人か無名人かなど)、その公表によって実際に受けた不利益の態様・程度(どの範囲の者に知られたか、どの程度の精神的苦痛を被ったかなど)等である。

  (3)  これを本件について検討すると、次のようにいうことができる。

   ア 本件記事が報道の目的としているのは、その論旨からすれば、育英会が交通遺児の援護団体で寄附や善意の募金によって運営されている公益法人であるのに、その常勤理事が年収1500万円という高給を得ていることの妥当性についての問題提起であるということが一応できる。本件記事には興味本位的な要素も存在することは指摘し得るところであるが、その論旨による限り、これが公益を図る目的に出たものでないとはいえないであろう。

   イ 本件記事に記載された被控訴人の家計に関する個人的情報は、被控訴人が自ら作成した本件陳述書に基づくものである。控訴人文藝春秋は、G記者が控訴人Bから写しの交付を受けてこれを入手した(その詳細は、原判決がその「事実及び理由」欄の「第三 争点に対する判断」の二の項の1、2(原判決39頁1行目から42頁6行目まで)で説示するところと同一であるから、この説示を引用する。)。控訴人Bのこの行為の適否については後記2(1) に述べるが、控訴人文藝春秋(G記者)が違法な手段でこれを入手したということはできない。また、本件記事に記載された上記の個人的情報には本件陳述書の内容と特段異なるところはなく、本件陳述書の内容が真実である限りは、正確な情報であるということになる。

   ウ 本件記事の上記アの論旨のためには、育英会常勤理事の報酬額を明らかにすることは必須であるが、これが不相当な「高給」であるかどうかを判断するための材料は、常勤理事の勤務形態、職務内容とその困難性、当該理事の育英会での経歴、功績、他の同種公益法人における理事の報酬の実態、一般企業における同程度の役職者の給与・報酬の水準等であるはずであるが、本件記事においては、わずかに国家公務員の給与や日本の平均家計における月収が約49万円であることに触れるだけで、上記の情報には乏しい内容となっている。その反面、常勤理事が支給された報酬をどのような使途で支出するかの点には、上記論旨からすればさしたる重要性があるとは考えられないが、本件記事は、被控訴人の家計における教育費、住宅ローン・カードローンの返済、生命保険料等の具体的な金額を公表するもので、しかも、「家計アナリスト」や「保険アナリスト」によるこれが多いとか少ないとかの論評まで紹介するものとなっており、上記論旨には必ずしもそぐわない内容となっている。この点で、本件記事は、被控訴人の私生活上の事実や個人的情報に不必要に踏み込んでいるといわざるを得ないことは、原判決がその「事実及び理由」欄の「第三 争点に対する判断」の一の項の3(原判決28頁9行目から35頁7行目まで)で説示するとおりであるから、この説示も引用する。

   エ 本件記事は、被控訴人の実名を記載せず、また、その頭文字を記載するといった方法も採らず、「D2」というそれ自体では被控訴人を特定する手掛かりとなり得ない仮名を仮名と断って用いている。これは、本件記事が被控訴人のプライバシーの保護に一定の配慮をしたものと評価することができる。また、本件記事が上記のように被控訴人の家計内容を公表しているのは、被控訴人の作成した本件陳述書の記載に基づくものであるが、本件陳述書には、それ以外にも、食費、衣服費等の明細や、家族構成、二男の在学校名、妻の病歴、被控訴人の資産状況その他多くの個人的情報が記載されているが、本件記事がこれらを採り上げていないのは、当然のこととはいいながら、やはり被控訴人のプライバシーの保護に一定の配慮をしたものと評価することができよう。

   オ 本件記事は、被控訴人の「高給」と家計支出についての批判的な見方が基礎となっており、これを週刊誌の記事によく見られるやや冷笑的・揶揄的な文章表現によって記述しており、被控訴人にとっては不快なものであると思われるが、殊更に侮蔑的な文章表現が用いられているというわけではなく、表現方法の相当性という点では特段の問題がない。

   カ 本件記事によって公表された被控訴人の家計に関する個人的情報は、一般にも被控訴人にとっても、他人に知られたくない性質のものであると考えられる。しかし、これが公表されることによって、極度の羞恥、当惑のあまり、人の顔が見られなくなるというほどのものでもないであろう。その意味で、本件記事による被控訴人のプライバシー侵害が最高度のものであるとまではいうことができない。

   キ 被控訴人は、財団法人交通遺児育英会という著名な公益法人の常勤理事であり、その意味でいわゆる公人たる性格を有することを否定することはできないであろうが、世間的には全くの無名人であって、そのプライバシーがある程度さらけ出されることを甘受しなければならないほどの公的地位にあるとまではいうことができない。

   ク 本件記事は被控訴人について「D2」という仮名を用いているが、「D2・常任理事(仮名=66)」と記載されているので、本名がこれと異なる66歳の常勤の常任理事であることが記事自体から判明する。そして、育英会の常勤理事は外には専務理事である控訴人Bのみであり、控訴人Bは本件記事に実名で登場するから、少し調査をすれば、あるいは育英会の内部事情を多少知る者であれば直ちに、「D2」が被控訴人を指すことが判明する。しかし、多くの発行部数を有する著名な週刊誌である「週刊文春」の読者の大多数にとっては、本件記事を閲読しても、被控訴人は実名を伴わない仮名の存在のままで終わるのであり、本件記事によって実名を伴う存在である被控訴人を識別してそのプライバシーを知るのは、不特定でも多数でもない特定の少数の者に限られる。したがって、実名報道がされた場合に比べれば、被控訴人の被る精神的苦痛ははるかに少ないということができよう。もっとも、本件記事から直ちに被控訴人を特定することができない者でも、少し調査をすれば容易に被控訴人を特定することができるのであるから、仮名報道であるからといって、被控訴人の被る精神的苦痛を軽視することも相当ではない。

  (4)  本件記事の目的、態様その他の諸要素とこれによる被控訴人のプライバシー侵害の内容、程度その他の諸要素については、上記(3) のようにいうことができる。これに基づく比較衡量によって、いずれの権利を優先させるべきかを決すべきである。

 そうすると、本件記事は、公益を図る目的に出たものでないとはいえず(上記(3) ア)、違法な手段で入手した個人的情報を記載するものではなく(同イ)、被控訴人の私生活上の事実や個人的情報に不必要に踏み込んでいるが(同ウ)、記載する個人的情報の取捨選択の点で一定の配慮がされており(同エ)、記事内容の正確性や表現方法の相当性の点でも特段の問題がない(同イ、オ)、そして、被控訴人は、そのプライバシーがある程度さらけ出されることを甘受しなければならないほどの公的地位にあるとまではいえないが(同キ)、本件記事によって最高度のプライバシーに属する個人的情報を公表されたとまではいえず(同カ)、仮名が用いられたことによって、精神的苦痛が実名報道がされた場合に比べてはるかに少なかった(同ク)のである。

 これらの諸事情に基づいて、本件記事による報道の自由を保障する必要性と本件記事によって公表された被控訴人のプライバシーを保護する必要性とを比較衡量すると、本件においては、プライバシーの侵害は決して無視してよいようなものではないが、いずれかといえば報道の自由を保障する必要性が優先し、控訴人文藝春秋が本件記事を掲載した行為は、報道の自由を保障するという観点から違法性を欠くものと評価すべきであり、被控訴人に対する不法行為とならないと解するのが相当である。ちなみに、仮に本件記事において、仮名ではなく被控訴人の実名が用いられていたとすれば、比較衡量の結果、違法性の有無について上記とは異なる結論に達するであろう。

プライバシー権(7)・
大阪高裁平成12年2月29日 堺通り魔殺人事件名誉毀損訴訟


  目次


【大阪高裁平成12年2月29日 堺通り魔殺人事件名誉毀損訴訟 】

要旨

一 少年犯罪の実名報道についての表現の自由と名誉権の侵害との調整においては、少年法61条の存在を尊重しつつも、なお表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・方法が不当なものでない場合には、その表現行為は違法性を欠くものと解すべきである。

二 幼稚園児等が当時19歳の少年に殺害された通り魔事件について写真入りで実名報道する本件月刊誌記事については、社会の正当な関心事であり、その内容は真実であると認められるから、右表現行為は違法性を欠くというべきである。

 

 

判旨

第二 事案の概要

 本件は、平成一〇年一月八日早朝、当時一九歳の少年であった被控訴人が、大阪府堺市内において、シンナー吸引中幻覚に支配された状態で自宅から文化包丁を持ち出し、登校途中の女子高校生を刺して重症を負わせた後、幼稚園の送迎バスを待っていた母子らを襲い、逃げまどい転倒した五歳の幼女に馬乗りになって背中を突き刺して殺害し、さらに娘を守ろうとして蔽いかぶさった母親の背中にも包丁を突き立てて重症を負わせた、いわゆる堺通り魔殺人事件について、控訴人会社が発行する月間誌「新潮45」に、被控訴人の実名、顔写真等により被控訴人本人であることが特定される内容の「ルポルタージュ『幼稚園児』虐殺犯人の起臥」と題する本件記事が掲載されたため、被控訴人がプライバシー権、氏名肖像権、名誉権等の人格権ないし実名で報道されない権利が侵害されたとして、右記事の執筆者、雑誌の編集長及び発行所に対し、不法行為による損害賠償と謝罪広告を求めた事案

  裁判所の判断

  1 いわゆるプライバシー権、肖像権及び名誉権は、その権利ないし法益の内容・性質及び対象が異なることから、これらを一律に論じることができないとしても、いずれも一般的には憲法一三条にその根拠を求めることができ、公共の福祉に反しない限り、最大限に尊重されるべきものと解されている。これらの権利を人格権とみるか人格的利益とみるかの違いはあっても、正当な理由がなくこれを侵害された場合には、不法行為に基づく損害賠償等の請求が認められるといわなければならない。

 一方、憲法二一条一項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と規定しており、この表現の自由には、国民が自らその担い手として思想信条等を表現する自由と、その受け手として新聞・テレビ・書籍・雑誌等を通じて表現行為を享受することを含むといわれている。そして、表現の自由は、それ自体内在的な制約を含むとはいえ、民主主義の存立基盤であるから、憲法の定める基本的人権の体系中において優越的地位を占めるものではあるが、常に他の基本的人権に優越するものとまではいえない。そこで、表現行為によって個人のプライバシー権、肖像権及び名誉権が侵害された場合、表現の自由とプライバシー権等の侵害との調整においては、表現の自由の憲法上の右の地位を考慮しながら慎重に判断されなければならない。

 このような観点からすれば、表現の自由とプライバシー権等の侵害との調整においては、表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・方法が不当なものでない場合には、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー権等の侵害とはならないと解するのが相当である。

 そして、社会の正当な関心事であるか否かは、対象者の社会的地位や活動状況と対象となる事柄の内容によって決まるものというべきところ、犯罪容疑者については、犯罪の内容・性質にもよるが、犯罪行為との関連においてそのプライバシーは社会の正当な関心事となり得るものであり、また逆に、正当な関心事であっても、表現行為がその内容・方法において不当なものであれば、その表現行為は違法性を欠くとすることはできない。

  2 次に、実名報道されない人格的利益ないし実名報道されない権利について検討するに、人格権には、社会生活を営む上において自己に不利益な事実に関し、みだりに実名を公開されない人格的利益も含まれているということができる。しかし、プライバシー権等の侵害、特に人に知られたくない私生活上の事情や情報の公開については、実名報道ないしそれに類する報道を前提としているから、人格権ないしプライバシーの侵害とは別に、みだりに実名を公開されない人格的利益が法的保護に値する利益として認められるのは、その報道の対象となる当該個人について、社会生活上特別保護されるべき事情がある場合に限られるのであって、そうでない限り、実名報道は違法性のない行為として認容されるというべきである。

 ところで、少年法六一条には、「家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない」旨規定されている。この規定は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うことを目的とする少年法の目的に沿って、将来性のある少年の名誉・プライバシーを保護し、将来の改善更生を阻害しないようにとの配慮に基づくものであるとともに、記事等の掲載を禁止することが再犯を予防する上からも効果的であるという見地から、公共の福祉や社会正義を守ろうとするものである。すなわち、少年法六一条は、少年の健全育成を図るという少年法の目的を達成するという公益目的と少年の社会復帰を容易にし、特別予防の実効性を確保するという刑事政策的配慮に根拠を置く規定であると解すべきである。

 したがって、少年法六一条が、新聞紙その他の出版物の発行者に対して実名報道等を禁じていることによって、その報道の対象となる当該少年については社会生活上特別保護されるべき事情がある場合に当たることになるといえるにしても、そもそも同条は、右のとおり公益目的や刑事政策的配慮に根拠を置く規定なのであるから、同条が少年時に罪を犯した少年に対し実名で報道されない権利を付与していると解することはできないし、仮に実名で報道されない権利を付与しているものと解する余地があるとしても、少年法がその違反者に対して何らの罰則も規定していないことにもかんがみると、表現の自由との関係において、同条が当然に優先するものと解することもできない。

 少年法六一条の違反者に対して何らの罰則も規定されていないことは、憲法における「言論出版等の自由」の規定への顧慮及び少年法の社会的機能に照らして、このような規定の遵守をできる限り社会の自主規制に委ねたものであり、新聞紙その他の出版物の発行者は、本条の趣旨を尊重し、良心と良識をもって自己抑制することが必要であるとともに、表現行為を享受する受け手の側にも、本条の趣旨に反する新聞紙その他の出版物ないしそれらの発行者に対しては厳しい批判が求められているものというべきである。

 したがって、前記のとおり、表現の自由とプライバシー権等の侵害との調整においては、少年法六一条の存在を尊重しつつも、なお、表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・方法が不当なものでない場合には、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー権等の侵害とはならないといわなければならない。

  3 以上を前提として本件をみるに、本件事件は、早朝、通学、通園途中の女子高生及び幼稚園児と園児の母親が路上で殺傷されるという悪質重大な事件であり、被疑者として逮捕された被控訴人がシンナー吸引中で、被害者らとは何の因縁もない者であったこともあいまって、被害者及び犯行現場の近隣にとどまらず、社会一般に大きな不安と衝撃を与えた事件であり、社会一般の者にとっても、いかなる人物が右のような犯罪を犯し、またいかなる事情からこれを犯すに至ったのであるかについて強い関心があったものと考えられるから、本件記事は、社会的に正当な関心事であったと認められる。

4 そこで、本件記事の表現内容・方法が不当なものでないか否かについて検討する。

(一) 一般に、犯罪の被疑者ないし被告人の姓名が市民の知る権利の対象であるか否かについては争いがあるが、犯罪の被疑者ないし被告人は未だ犯人とは決まっていないという推定無罪の原則と、犯人であったとしても家族などに影響があり、本人のスムーズな社会復帰の妨げになるという理由から、犯罪事実の報道においては、匿名であることが望ましいことは明らかであり、これは犯人が成人であるか少年であるかによって差異があるわけではない。

 他方、社会一般の意識としては、右報道における被疑者等の特定は、犯罪ニュースの基本的要素であって犯罪事実と並んで重要な関心事であると解されるから、犯罪事実の態様、程度及び被疑者ないし被告人の地位、特質、あるいは被害者側の心情等からみて、実名報道が許容されることはあり得ることであり、これを一義的に定めることはできないが、少なくとも、凶悪重大な事件において、現行犯逮捕されたような場合には、実名報道も正当として是認されるものといわなければならない。

(二) これを本件についてみるに、本件犯罪事実は、前記のとおり極めて凶悪重大な事犯であり、被控訴人が右犯罪事実について現行犯逮捕されていることと、被控訴人とは何の因縁もないにもかかわらず無残にも殺傷された被害者側の心情をも考慮すれば、実名報道をしたことが直ちに被控訴人に対する権利侵害とはならないといわなければならない。

(三) 被控訴人は、実名等で少年が特定されるような報道をすることは、少年の将来の更生を阻害するものであって常に許されない旨主張する。

 確かに、事件関係者以外ほとんど知られていない犯罪事実について、実名及び写真等で少年と特定される報道がされると、いずれ地域に帰り地域の中で生活することになる少年にとっては、犯罪報道により「非行少年」又は「犯罪者」であるとのレッテルを貼られると、更生の妨げになることがあり得ることは被控訴人の主張のとおりである。

 しかしながら、本件犯罪事実は、前記のとおり、極めて凶悪重大であり、実名での報道はなかったものの、被控訴人の犯行事実を目撃した者も多く、しかも新聞やテレビ等のマスコミに連日報道されており、口コミで伝えられることも多いと思われるから、少年の居住する地域住民にとっては、本件記事が出る前から被控訴人の実名や本件犯罪事実を知悉しているとみるのが相当である。また、地域住民以外の一般市民は、本件記事によって被控訴人の実名を知ったと思われるが、仮にそうであるとしても、被控訴人を知らない一般市民が被控訴人の実名を永遠に記憶しているとも思えないし、仮に一部の市民が被控訴人の名前を記憶していたとしても、そのことによって直ちに被控訴人の更生が妨げられることになるとは考え難い。

 そもそも、本件のように重大な犯罪を犯した被控訴人が社会に復帰した場合に、いかなる生き方をしようとしているのか不明である上、その生き方が真に被控訴人の更生に繋がるものとしても、その場合に本件記事に実名が記載されたことが何ゆえにその更生の妨げになるかについては、被控訴人は何ら主張立証していない。

 したがって、本件記事に被控訴人の実名が記載されたことによって、被控訴人が社会復帰した後の更生の妨げになる可能性が抽象的にはあるとしても、そして更生の妨げになる抽象的な可能性をも排除することが少年法六一条の立法趣旨であるとしても、そのことをもって控訴人らに対する損害賠償請求の根拠とすることはできないといわなければならない。

(四) 本件記事は、控訴人らの主張によれば、本件事件の「表層を切り裂き、被疑者とされている被控訴人の姿を、その生育歴、境遇、家族や周辺との関係の中から浮き彫りにしようとする」目的で行った「調査報道」であると解されるところ、控訴人高山文彦こと工藤雅康(以下「控訴人高山」という。)の取材方法の適否は別として、被控訴人も本件記事の内容が虚偽であってそのため被控訴人の名誉が傷つけられた旨の主張をしていないから、本件記事の内容は事実に反するものではないと認められ、また、本件記事には被控訴人の親族に関する記載もあるが、それらの者に対するプライバシーの侵害があるか否かはさておくとして、こと被控訴人に関する限りは、その成育歴、境遇、家族や周辺との関係を自らの足で取材した材料に基づいて記されたものであって、表現方法において特に問題視しなければならないところも見受けられない。

 もっとも、控訴人らは、控訴人高山が本件事件について実名報道を行おうと決めたのは、「少年」の尊厳を認め、匿名性の中に埋没させずすべてを事実として書き、「少年」に自分のしたことを明確に認識させた上で、分からせるべきであると考えたためである旨主張し、控訴人高山は、乙第五号証の記載及び原審における本人尋問の結果中においても同様のことを述べている。確かに、本件事件の重大性ばかりでなく被控訴人の成育歴等に接した控訴人高山が、匿名性の中に埋没させずすべてを事実として書くことを思い立ったことは理解できなくはないが、本件記事において、実名によって被控訴人と特定する表現がなかったとしても、その記事内容の価値に変化が生じるものとは思われず、控訴人らが本件記事のあとがきで述べるように、本件事件の本質が隠されてしまうものとも考えられない。しかも、本件記事によって被控訴人に自分のしたことを認識させ分からせることができるかどうかは不明というべきであるし、そもそも控訴人らにそれをする権利があるとも解されないから、この点に関する控訴人らの主張は理由がない。

(五) そこで、さらに、本件記事が被控訴人の主張するプライバシー権、氏名肖像権、名誉権を侵害するものであるか否かについて検討する。

 プライバシーの権利は、みだりに私生活へ侵入されたり、他人に知られたくない私生活上の事実、情報を公開されたりしない権利であるが、前記のとおり、表現の自由とプライバシー権の侵害との調整においては、表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・方法が不当なものでない場合には、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー権の侵害とはならないと解すべきところ、本件においては、前記のとおり、本件記事は、表現行為が社会の正当な関心事であり、その表現内容・方法も不当なものとはいえないから、被控訴人に対する権利侵害とはならない。

 また、被控訴人の主張する氏名肖像権は、いわゆる肖像権と同義と思われるが、肖像権は、何人もみだりにその容貌・姿態を撮影されたり、撮影された肖像写真を公表されない権利であり、表現の自由と肖像権の侵害との調整においては、プライバシー侵害と同様に、表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・方法が不当なものでない場合には、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー権の侵害とはならないと解すべきである。これを本件についてみるに、前記のとおり、本件記事は、表現行為が社会の正当な関心事であるが、本件犯罪事実の被疑者が一九歳とはいえ少年であり、本件記事において、顔写真によって被控訴人と特定し得る表現がなかったとしても、その記事内容の価値に変化が生じるものとは解されず、しかも用いられた写真が被控訴人の中学卒業時のアルバム写真であって、本件犯行時のかなり前のものであることからすると、本件記事に当該写真を掲載しなければならなかった必要性については疑問を感じざるを得ないところであるが、前記のとおり、犯罪報道における被疑者等の特定は、犯罪ニュースの基本的要素であって犯罪事実と並んで重要な関心事であると解されることと、本件事件の重大性にかんがみるならば、当該写真を掲載したことをもって、その表現内容・方法が不当なものであったとまではいえず、それは被控訴人に対する権利侵害とはならないといわなければならない。

 さらに、名誉権は、人がその品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な評価、すなわち社会的名誉であるが、表現の自由との調整において、一般的には、その行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為に違法性がないとされているが、公共の利害に関する事実とは社会の正当な関心事であり、公共の利害に関する事実に係る報道は公益を図る目的でされるのが通常であるから、表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容が真実であれば、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー権の侵害とはならないと解すべきである。これを本件についてみるに、前記のとおり、本件記事は、社会の正当な関心事であり、本件記事の内容は真実であると認められるから、右表現行為に違法性はない。

プライバシー権(6)最判平成14年9月24日 石に泳ぐ魚

 

 目次

 

最判平成14年9月24日 石に泳ぐ魚

判示事項

名誉,プライバシー等の侵害に基づく小説の出版の差止めを認めた原審の判断に違法がないとされた事例

裁判要旨

甲をモデルとし,経歴,身体的特徴,家族関係等によって甲と同定可能な乙が全編にわたって登場する小説において,乙が顔面にしゅようを有すること,これについて通常人が嫌う生物や原形を残さない水死体の顔などに例えて表現されていること,乙の父親が逮捕された経歴を有していることなどの記述がされていることなど判示の事実関係の下では,公共の利益にかかわらない甲のプライバシーにわたる事項を表現内容に含む同小説の出版により公的立場にない甲の名誉,プライバシー及び名誉感情が侵害され,甲に重大で回復困難な損害を被らせるおそれがあるとして,同小説の出版の差止めを認めた原審の判断には,違法がない。

 

判旨

  事実の概要

 1 本件は,原審控訴人D(以下「D」という。)が執筆し,上告人A1(以下「上告人A1」という。)が編集兼発行者となって上告人株式会社A2社(以下「上告人A2社」という。)が発行した雑誌において公表された小説「E」によって名誉を毀損され,プライバシー及び名誉感情を侵害されたとする被上告人が,D及び上告人らに対して慰謝料の支払を求めるとともに,D及び上告人A2社に対し,同小説の出版等の差止めを求めるなどしている事案である。原審が適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。

 (1) 被上告人は,昭和44年に東京都で生まれた韓国籍の女性であり,同55年以降韓国に居住してきたが,韓国ソウル市内のF大学を卒業した後の平成5年に来日し,G大学の大学院に在籍していた。被上告人は,幼少時に血管奇形に属する静脈性血管腫にり患し,幼少時からの多数回にわたる手術にもかかわらず完治の見込みはなく,その血管奇形が外ぼうに現れている。また,被上告人の父は,日本国内の大学の国際政治学の教授であったが,昭和49年に講演先の韓国においてスパイ容疑で逮捕され,同53年まで投獄された。

 Dは,昭和43年生まれの著名な劇作家,小説家であり,平成9年にはH賞を受賞するなどしている。 被上告人とDは,平成4年8月にDが訪韓した際に知り合い,交友関係を持つようになり,Dが日本に帰国した後も手紙等のやり取りをしていた。

 (2) Dは,「E」と題する小説(以下「本件小説」という。)を執筆し,これを,上告人A1が編集兼発行者で,上告人A2社が発行する雑誌「I」平成6年9月号において公表した。本件小説には,被上告人をモデルとする「J」なる人物が全編にわたって登場する。本件小説中の「J」は,小学校5年生まで日本に居住していた日本生まれの韓国籍の女性で,被上告人が卒業した韓国ソウル市内のF大学を卒業し,被上告人が在籍しているG大学の大学院に在籍して被上告人の専攻と同一の学科を専攻しており,その顔面に完治の見込みのない腫瘍がある。また,「J」の父は,日本国内の大学の国際政治学の教授をしていたが,講演先の韓国でスパイ容疑により逮捕された経歴を持っていることなど,「J」には被上告人と一致する特徴等が与えられている。一方で,本件小説中において,「J」が高額の寄附を募る問題のあるかのような団体として記載されている新興宗教に入信したとの虚構の事実が述べられている。さらに,本件小説中において,「J」の顔面の腫瘍につき,通常人が嫌う生物や原形を残さない水死体の顔などに例えて描写するなど,異様なもの,悲劇的なもの,気味の悪いものなどと受け取られるか烈な表現がされている。

 (3) 被上告人は,上記雑誌において本件小説が公表されたことを知ってこれを読むまで,Dが被上告人をモデルとした人物が登場する本件小説を執筆していたことを知らず,また,本件小説の公表を知った後も,Dに対し,本件小説の公表を承諾したことはなかった。

 被上告人は,本件小説を読み,本件小説に登場する「J」が自分をモデルとしていることを知るとともに,Dを信頼して話した私的な事柄が本件小説中に多く記述されていること等に激しい憤りを感じ,これにより,自分がこれまでの人生で形成してきた人格がすべて否定されたような衝撃を覚えた。

 (4) 上告人A2社は,本件小説の日本語版の販売等を行う権利を有している。

■原審の判断

 2 以上の事実関係の下で,原審は,次のとおり判断し,D,上告人A2社及び上告人A1に対して100万円の慰謝料並びにこれに対する遅延損害金の連帯支払を命じ,また,D及び上告人A2社らに対し,本件小説の出版等の差止めを命じるべきものであるなどとした。

 (1) 本件小説中の「J」と被上告人とは容易に同定可能であり,本件小説の公表により,被上告人の名誉が毀損され,プライバシー及び名誉感情が侵害されたものと認められる。

 (2) 本件小説の公表により,被上告人は精神的苦痛を被ったものと認められ,その賠償額は,1審判決が肯認し,被上告人が不服を申し立てていない金額である100万円を下回るものではないと認められる。D及び上告人らは,被上告人に対し,連帯して100万円及びこれに対する遅延損害金の支払義務がある。

 (3) 人格的価値を侵害された者は,人格権に基づき,加害者に対し,現に行われている侵害行為を排除し,又は将来生ずべき侵害を予防するため,侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である。どのような場合に侵害行為の差止めが認められるかは,侵害行為の対象となった人物の社会的地位や侵害行為の性質に留意しつつ,予想される侵害行為によって受ける被害者側の不利益と侵害行為を差し止めることによって受ける侵害者側の不利益とを比較衡量して決すべきである。そして,侵害行為が明らかに予想され,その侵害行為によって被害者が重大な損失を受けるおそれがあり,かつ,その回復を事後に図るのが不可能ないし著しく困難になると認められるときは侵害行為の差止めを肯認すべきである。

 被上告人は,大学院生にすぎず公的立場にある者ではなく,また,本件小説において問題とされている表現内容は,公共の利害に関する事項でもない。さらに,本件小説の出版等がされれば,被上告人の精神的苦痛が倍加され,被上告人が平穏な日常生活や社会生活を送ることが困難となるおそれがある。そして,本件小説を読む者が新たに加わるごとに,被上告人の精神的苦痛が増加し,被上告人の平穏な日常生活が害される可能性も増大するもので,出版等による公表を差し止める必要性は極めて大きい。

 以上によれば,被上告人のD及び上告人A2社らに対する本件小説の出版等の差止め請求は肯認されるべきである。

  最高裁の判断

 3 【要旨】原審の確定した事実関係によれば,公共の利益に係わらない被上告人のプライバシーにわたる事項を表現内容に含む本件小説の公表により公的立場にない被上告人の名誉,プライバシー,名誉感情が侵害されたものであって,本件小説の出版等により被上告人に重大で回復困難な損害を被らせるおそれがあるというべきである。したがって,人格権としての名誉権等に基づく被上告人の各請求を認容した判断に違法はなく,この判断が憲法21条1項に違反するものでないことは,当裁判所の判例(最高裁昭和41年(あ)第2472号同44年6月25日大法廷判決・刑集23巻7号975頁,最高裁昭和56年(オ)第609号同61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁)の趣旨に照らして明らかである論旨はいずれも採用することができない。

肖像権

 

  目次


【最判平成17年11月10日 肖像権と取材・報道 】

判旨

 (1) 人は、みだりに自己の容ぼう等を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益を有する(最高裁昭和40年(あ)第1187号同44年12月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁参照)。もっとも、人の容ぼう等の撮影が正当な取材行為等として許されるべき場合もあるのであって、ある者の容ぼう等をその承諾なく撮影することが不法行為法上違法となるかどうかは、被撮影者の社会的地位、撮影された被撮影者の活動内容、撮影の場所、撮影の目的、撮影の態様、撮影の必要性等を総合考慮して、被撮影者の上記人格的利益の侵害が社会生活上受忍の限度を超えるものといえるかどうかを判断して決すべきである。

 また、人は、自己の容ぼう等を撮影された写真をみだりに公表されない人格的利益も有すると解するのが相当であり、人の容ぼう等の撮影が違法と評価される場合には、その容ぼう等が撮影された写真を公表する行為は、被撮影者の上記人格的利益を侵害するものとして、違法性を有するものというべきである。

 これを本件についてみると、前記のとおり、被上告人は、本件写真の撮影当時、社会の耳目を集めた本件刑事事件の被疑者として拘束中の者であり、本件写真は、本件刑事事件の手続での被上告人の動静を報道する目的で撮影されたものである。しかしながら、本件写真週刊誌のカメラマンは、刑訴規則215条所定の裁判所の許可を受けることなく、小型カメラを法廷に持ち込み、被上告人の動静を隠し撮りしたというのであり、その撮影の態様は相当なものとはいえない。また、被上告人は、手錠をされ、腰縄を付けられた状態の容ぼう等を撮影されたものであり、このような被上告人の様子をあえて撮影することの必要性も認め難い。本件写真が撮影された法廷は傍聴人に公開された場所であったとはいえ、被上告人は、被疑者として出頭し在廷していたのであり、写真撮影が予想される状況の下に任意に公衆の前に姿を現したものではない。以上の事情を総合考慮すると、本件写真の撮影行為は、社会生活上受忍すべき限度を超えて、被上告人の人格的利益を侵害するものであり、不法行為法上違法であるとの評価を免れない。そして、このように違法に撮影された本件写真を、本件第1記事に組み込み、本件写真週刊誌に掲載して公表する行為も、被上告人の人格的利益を侵害するものとして、違法性を有するものというべきである。

 (2) 人は、自己の容ぼう等を描写したイラスト画についても、これをみだりに公表されない人格的利益を有すると解するのが相当である。しかしながら、人の容ぼう等を撮影した写真は、カメラのレンズがとらえた被撮影者の容ぼう等を化学的方法等により再現したものであり、それが公表された場合は、被撮影者の容ぼう等をありのままに示したものであることを前提とした受け取り方をされるものである。これに対し、人の容ぼう等を描写したイラスト画は、その描写に作者の主観や技術が反映するものであり、それが公表された場合も、作者の主観や技術を反映したものであることを前提とした受け取り方をされるものである。したがって、人の容ぼう等を描写したイラスト画を公表する行為が社会生活上受忍の限度を超えて不法行為法上違法と評価されるか否かの判断に当たっては、写真とは異なるイラスト画の上記特質が参酌されなければならない。

 これを本件についてみると、前記のとおり、本件イラスト画のうち下段のイラスト画2点は、法廷において、被上告人が訴訟関係人から資料を見せられている状態及び手振りを交えて話しているような状態が描かれたものである。現在の我が国において、一般に、法廷内における被告人の動静を報道するためにその容ぼう等をイラスト画により描写し、これを新聞、雑誌等に掲載することは社会的に是認された行為であると解するのが相当であり、上記のような表現内容のイラスト画を公表する行為は、社会生活上受忍すべき限度を超えて被上告人の人格的利益を侵害するものとはいえないというべきである。したがって、上記イラスト画2点を本件第2記事に組み込み、本件写真週刊誌に掲載して公表した行為については、不法行為法上違法であると評価することはできない。しかしながら、本件イラスト画のうち上段のものは、前記のとおり、被上告人が手錠、腰縄により身体の拘束を受けている状態が描かれたものであり、そのような表現内容のイラスト画を公表する行為は、被上告人を侮辱し、被上告人の名誉感情を侵害するものというべきであり、同イラスト画を、本件第2記事に組み込み、本件写真週刊誌に掲載して公表した行為は、社会生活上受忍すべき限度を超えて、被上告人の人格的利益を侵害するものであり、不法行為法上違法と評価すべきである。

 

【最判昭和61年2月14日 自動速度監視装置の合憲性】

要旨

自動速度監視装置により速度違反車両の運転者及び同乗者の容ぼうを写真撮影することは、憲法一三条に違反しない。

 

判旨

 弁護人高山俊吉の上告趣意第一のうち、憲法一三条、二一条違反をいう点は、速度違反車両の自動撮影を行う本件自動速度監視装置による運転者の容ぼうの写真撮影は、現に犯罪が行われている場合になされ、犯罪の性質、態様からいつて緊急に証拠保全をする必要性があり、その方法も一般的に許容される限度を超えない相当なものであるから、憲法一三条に違反せず、また、右写真撮影の際、運転者の近くにいるため除外できない状況にある同乗者の容ぼうを撮影することになつても、憲法一三条、二一条に違反しないことは、当裁判所昭和四四年一二月二四日大法廷判決(刑集二三巻一二号一六二五頁)の趣旨に徴して明らかであるから、所論は理由がな(い)

 

 

【東京高裁平成21年1月29日 Nシステム事件】

要旨

いわゆるNシステム等による車両ナンバーの読み取り等につき,肖像権,自由に移動する権利及び自己情報コントロール権の侵害が否定され,国の不法行為責任が認められなかった事例

 

判旨

 1 本件は,控訴人らが,道路上を自動車で走行した際,被控訴人が全国各地の道路上に設置・管理している自動車ナンバー自動読取システム(Nシステム)の端末又は旅行時間計測提供システム(AVIシステム)の端末によって(同端末装置のうち225か所に設置されたものがNシステムの自動車ナンバー照合装置に接続されている),車両の運転席及び搭乗者の容ぼうを含む前面を撮影された上,車両の自動車登録番号標(ナンバープレート)を判読されて,これらに関する情報を保存,管理されたことにより,肖像権,自由に移動する権利及び情報コントロール権を侵害されたと主張して,被控訴人に対し,国家賠償法1条1項に基づき,それぞれ慰謝料100万円及びこれに対する訴状送達の日である平成19年1月23日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

(2) 自由に移動する権利及び自己情報コントロール権の侵害

 ア 控訴人らは,Nシステムによる情報収集の真の目的を検討しなければ,目的の正当性は判断できないと主張するが,その真の目的について具体的に主張するところはない。Nシステム等の情報収集の目的が自動車使用犯罪の犯人の検挙等犯罪捜査の必要及び犯罪被害の早期回復にあると認められることは,上記引用の原判決の示すとおりであって,他に真の目的があることを認めるに足りる証拠はない。

 イ 控訴人らは,Nシステムが都市部では相当な密度で設置されていることなどから,国民の私生活上の行動に対する監視が問題になると主張するが,設置の密度は上記アの目的との関係において論ずべきもので,この目的を逸脱していると認めるに足りないことは,上記引用の原判決の示すとおりである。

 ウ 控訴人らは,情報流出事故があったことを理由に,Nシステム等によって取得された情報の管理方法がずさんであると主張する。しかし,Nシステム等によって取得,保有,利用された情報の安全管理及び利用状況が適正にされていることは,上記引用の原判決の示すとおりである。確かに通過車両データが流出した事例があったことも原判決の示すとおりであり,そのような事態が生じないように,なお万全を期すことが求められるところであるが,上記事例が生じたことをもって管理方法それ自体に不備があるということはできないし,これを受けて更に管理を徹底する措置が執られたことは,公知の事実である上,控訴人らのデータが上記事例において流出したとは認められないのであるから,控訴人らの権利が侵害されたということはできない。

我が国においては,警察は,警察法2条1項の規定により,強制力を伴わない限り犯罪捜査に必要な諸活動を行うことが許されていると解されるのであり,上記のような態様で公道上において何人でも確認し得る車両データを収集し,これを利用することは,適法に行い得るというべきである(最高裁昭和55年9月22日第三小法廷決定・刑集34巻5号272頁等参照)。

 

 

【東京高裁昭和45年10月2日】

要旨

憲法一三条の保障する他人の私生活の自由の一つとして、何人もみだりにその容貌・姿勢を撮影されない自由を有するけれども、社会通念上犯罪の疑いのある行為が既に行われ、撮影者においてもそのように認めた場合には、相当な方法で証拠保全のために行為者の容貌等を含む写真の撮影ができるものと解すべきである。

 

判旨

憲法第一三条の保障する個人の私生活上の自由の一つとして何人もその承諾なしにみだりにその容ぼう、姿態を撮影されない自由を有するものというべきであるが、その自由も公共の福祉のため必要ある場合には相当の制限を受けることは同条の規定に照らして明らかである。そして犯罪の捜査をすることは公共の福祉のため捜査官に与えられた国家作用の一つであり、これと並んで捜査官以外の一般人にも現行犯逮捕の権限が与えられていることにかんがみ、一般人でも現に犯罪が行なわれ、もしくは行なわれた後間がないと認められる場合であつて、しかも証拠保全の必要性、緊急性があり、かつその撮影が一般に許容される限度を超えない相当な方法で行なわれるならば、裁判官の令状やその者又は犯人の同意なしに適法に犯人の容ぼう等のほか、犯人の近辺にいたため除外できない人の容ぼう等を撮影することができるものといわなければならない。

 

【高松高裁昭和46年2月2日】

要旨

任意捜査としての警察官による写真撮影がその実施につき相応の理由と必要性があり、その態様・方法においても相当性を具備しているとして、憲法一三条に由来する肖像権の侵害といえないとされた事例。

 

判旨

人はその私的生活について故なく写真を撮影されたり、みだりにこれを公表されたりすることのない法的利益を享有している。それは憲法一三条の規定の趣旨に由来するものであつて、この法的地位が刑事手続の領域においても十分に尊重されなければならないことは当然である。犯罪捜査のためにする写真撮影は、それが所謂任意捜査の一環としてなされる場合であつても、写真器具の機械的操作によりた易く相手方の意に反して行われ得るのであり、その意味では強制処分的性質を有するものであるから、単に犯罪捜査に必要であるというだけの理由で無制限にこれを許容することはできない。

 然しながら他面、一般私人の享有する前記私的生活上の法的地位も絶対無制限のものではなく、公益上の理由に基づく合理的な制約に服すべきものである(憲法一二条、一三条等)。犯罪捜査は公共の福祉を保持するための国権作用であるから、その行使としてなされる写真撮影にもそれ相応の公益的根拠があるのであり、それが任意捜査の一環としてなされる場合であつても、その実施について合理的な理由と必要性があり、その態様、方法において相当性を具備するときは、利害関係人(相手方)の意に反してでもこれをなし得る余地があるものといわなければならない。

 もとよりいまここにその逐一具体的な基準乃至条件を設定することは困難であり、要は、個々の具体的事案に即し、相対立する前記二つの法益の均衡調和を考量して決するほかはないのであるが、任意捜査における写真撮影を制約する所以のものが人の私的生活における自由乃至安寧の保護という人権保障原理に立脚する以上、撮影の対象が人の存在状況乃至行動状況そのものである場合とそれ以外の物的状況である場合とでは自ら相違があり、一般的には前者の場合においてこの保障原理がより広範かつ強力に作用し得るのに反し、後者の場合においてはその作用が比較的狭少微弱に止まるものと解せられる。さらにまた右後者の場合においても、撮影の対象が人の特別に管理する場所にあるか否かによつて撮影規制に強弱の差を生ずるであろうし、当該対象物件が他見を憚る特別の価値又は性質を有するか否かによつても同様の差異を生ずるものと解せられるのである。

 本件についてこれをみるのに、記録によれば、石井巡査は、大西和司の運転する大型貨物自動車(最大積載重量六トン)が徳島県三好郡池田町大利字為成五〇番地の三付近の公道上においてその積載にかかる重さ約九トンの巨大な庭石甲青石を誤つて荷台からずり落し、道路を完全に閉塞させて多数の車両の通行を渋滞させたため、急報により他の警察官二名と共に現場に赴いたのであるが、実地見分の結果大西運転の前記車両について積載制限超過等の道路交通法違反の嫌疑を認め、その証拠資料となすべく本件の撮影に及んだものであつて、その意図するところは専ら右現場の物的乃至客観的状況を対象とするものであつたことが明らかである。そして司法警察職員たる石井巡査において前記のように大西運転の車両につき積載制限超過等の道路交通法違反容疑を認めた以上、同巡査がその物的確証を得ようと意図したのは、客観的証拠の蒐集を旨とすべき捜査担当警察官として当然であり、その採証活動に緊急性の要請が全くなかつたともいい難く、また同巡査が、本件の撮影に際して、被告人らに威迫乃至強制を加えたり、或は被告人らの積み上げ作業をことさら妨害しようとした形跡も認められないものである。そして一方、本件の現場は車両交通の頻繁な公道上であり、当時同所付近には交通止めを蒙つた多数の通行人が集まつていたうえ、既に石井巡査を含む三人の警察官も来場してともども事態の成行を見守つていたのであつて、被告人側においても、公道上で既に衆人環視の的となつている本件青石の積載運行及びその脱落事故を今さら内聞に付すべく念慮する特別の必要はなかつたのであり、敢えて本件撮影を拒否しなければならない合理的理由を肯認し難いのである。以上を彼此綜合勘案してみると石井巡査による本件の写真撮影は、その実施につき相応の理由と必要性があり、その態様、方法においても相当性を具備しており、さきに説示したところに照らし適法な公務執行行為と認め得るのであつて、これと同一の見地に立つ原判断は正当といわなければならない。

 

 

【東京高裁昭和63年4月1日】

要旨

犯罪の発生を予想して設置したテレビカメラによる犯罪状況の撮影・録画は、憲法一三条の保障する、何人もその承諾なしにみだりにその容貎等を撮影されない自由を侵害したとはいえない。

 

判旨

 たしかに、その承諾なくしてみだりにその容貌等を写真撮影されない自由は、いわゆるプライバシーの権利の一コロラリーとして憲法一三条の保障するところというべきであるけれども、右最高裁判例は、その具体的事案に即して警察官の写真撮影が許容されるための要件を判示したものにすぎず、この要件を具備しないかぎり、いかなる場合においても、犯罪捜査のための写真撮影が許容されないとする趣旨まで包含するものではないと解するのが相当であって、当該現場において犯罪が発生する相当高度の蓋然性が認められる場合であり、あらかじめ証拠保全の手段、方法をとっておく必要性及び緊急性があり、かつ、その撮影、録画が社会通念に照らして相当と認められる方法でもって行われるときには、現に犯罪が行われる時点以前から犯罪の発生が予測される場所を継続的、自動的に撮影、録画することも許されると解すべきであり、本件ビデオカセットテープの撮影、録画された際の具体的事実関係がかかる諸要件を具備しているものであることは、原判決ならびに原判決の援用する原審の昭和六二年二月二〇日付証拠採用決定が適切に説示しているとおりといわなければならない。したがつて、弁護人のその余の主張につき按ずるまでもなく、原審が本件ビデオカセットテープの証拠能力を肯認してこれを事実認定の用に供したのはもとより正当というべく、所論は採用の限りではない。論旨は理由がない。

 

 

【東京地裁平成1年3月15日】

要旨

既に行われた犯罪の犯人特定のため容疑者の容ぼう等を撮影することは、その事案が重大であつて、被撮影者がその犯罪を行つたことを疑わせる相当な理由のある者に限定される急性があり、かつ、その撮影が相当な方法をもつて行われているときには、適法な捜査として許される。

 

判旨

何人もその承諾なしにみだりにその容ぼう、姿態を撮影されない自由を有することは当然のことであるが、個人の有するこの自由も公共の福祉のため必要のある場合には一定限度の制限を受けるのであって、警察官が犯罪捜査の必要上被撮影者の承諾なく写真を撮影することも、一定の要件の下には許容されることがあると解すべきである。そして、この犯罪捜査の必要上被撮影者の承諾なくその容ぼう等の写真撮影が許容されるのは、弁護人が主張するように現に犯罪が行なわれている場合ないしはこれに準ずる場合に限定されると解すべきではなく、既に行なわれた犯罪の犯人特定のため容疑者の容ぼう等の写真を撮影することも、その事案が重大であって、被撮影者がその犯罪を行なったことを疑わせる相当な理由のある者に限定される場合で、写真撮影以外の方法では捜査の目的を達することができず、証拠保全の必要性、緊急性があり、かつ、その撮影が相当な方法をもって行なわれているときには、適法な捜査として許されるものと解すべきである。

 そこで、本件につき検討してみると、本件写真撮影は殺人事件である東大事件、兇器準備集合・傷害(被害者二名で傷害の程度は一方は全治まで約一か月間を要し他方は全治まで約二か月間を要する。)事件である本件という二件の重大事犯の犯人を特定するために行なわれたものであり、被撮影者はIが偽名を用いて借りていた杉並区内のアパートの居室に出入りしていた七、八名の者らであるが、Iは殺人事件である東大事件の目撃者の供述から同事件への関与を疑われていた者と、そのアパートに泊まり込むなどして密接な交友を持っていた者で、その世田谷区内の旧住居の遺留物件からも、Iが東大事件及び本件の犯人が所属すると疑われていた反帝学評に所属し、鉄パイプ等を用いて非公然活動を行なっていたことが十分に窺われたところであり、同人が偽名を用いて借りていた杉並区内の居室も反帝学評の非公然活動の連絡場所等として利用されていた疑いが強かったものと考えられ、現に、同所に出入りしていた者の中には、やはり東大事件の目撃者の供述により同事件への関与を疑われていた者や、本件に関与したことが判明し、逮捕状が発布されていたJなどもいたのであって、これらの事情に、東大事件、本件とも反帝学評系の学生ら十数名による革マル派に対するいわゆる内ゲバ事件であることを併せ考えると、Iの居室に出入りしていた七、八名の者には、いずれも本件あるいは東大事件に関与していたことを疑わせる相当な理由があったと言うべきであり、これらの者に対する写真撮影は、その対象の限定において欠けるところもないと言うべきである。そして、いずれの事件とも十数名の共犯者による犯行であり目撃者も多数であったことを考えると、犯人特定の方法としては、これら目撃者をIの居室近くに捜査官とともに張り込ませ、いつ出入りするか分からない容疑者を待つということは事実上不可能であって、結局同所に出入りする者の容ぼう等を写真撮影して目撃者に示す以外に有効な方法はなかったものと言うべきである。また、本件写真撮影当時は東大事件から既に半年余り、本件からも一か月以上が経過しており、目撃者の記憶も日に日に薄れていく状況であったことから、証拠保全の必要性、緊急性も認められるし、前記認定の撮影方法からすれば、Iの居室から出て来る者のみを撮影の対象としていたものと認められるばかりでなく、それ以外の一般の歩行者ができるだけ写真に入らないよう配慮もなされていた上、被撮影者が公道上をその容ぼう・姿態を人目にさらしながら歩行しているところを少し離れた建物の一室から撮影しており、その身体に対して何らの強制力も加えていないのであって、撮影方法も相当なものと認められる。なお、被撮影者から姿を隠して密かに撮影することは、本件写真撮影の目的からすれば止むを得ないところであり、この一事をもって撮影方法が相当でないとは解すべきでない。

 

 

【東京高等平成平成2年7月24日】

要旨

写真週刊誌による肖像写真掲載が、公共の利害に関する事実の報道に必要な手段として公益を図る目的のもとに行われたものか否か、仮にそうだとしても、当該写真の内容、撮影手段および方法が右報道目的からみて必要性・相当性を有するか否か、という観点から検討して、それが違法であると判断された事例。

人格権

  目次

【最大判昭和44年12月24日 京都府学連事件】

要旨

一 昭和二九年京都市条例第一〇号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例は、憲法二一条に違反しない。

二 何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有し、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法一三条の趣旨に反し許されない。

三 警察官による個人の容ぼう等の写真撮影は、現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であつて、証拠保全の必要性および緊急性があり、その撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行なわれるときは、撮影される本人の同意がなく、また裁判官の令状がなくても、憲法一三条、三五条に違反しない。

 

判旨

憲法一三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているのであつて、これは、国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。そして、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。

 これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法一三条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。しかしながら、個人の有する右自由も、国家権力の行使から無制限に保護されるわけでなく、公共の福祉のため必要のある場合には相当の制限を受けることは同条の規定に照らして明らかである。そして、犯罪を捜査することは、公共の福祉のため警察に与えられた国家作用の一つであり、警察にはこれを遂行すべき責務があるのであるから(警察法二条一項参照)、警察官が犯罪捜査の必要上写真を撮影する際、その対象の中に犯人のみならず第三者である個人の容ぼう等が含まれても、これが許容される場合がありうるものといわなければならない。

 そこで、その許容される限度について考察すると、身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影を規定した刑訴法二一八条二項のような場合のほか、次のような場合には、撮影される本人の同意がなく、また裁判官の令状がなくても、警察官による個人の容ぼう等の撮影が許容されるものと解すべきである。すなわち、現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であつて、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行なわれるときである。このような場合に行なわれる警察官による写真撮影は、その対象の中に、犯人の容ぼう等のほか、犯人の身辺または被写体とされた物件の近くにいたためこれを除外できない状況にある第三者である個人の容ぼう等を含むことになつても、憲法一三条、三五条に違反しないものと解すべきである。

 

 

【最大判昭和56年12月16日 大阪空港公害訴訟】

要旨

人格権または環境権に基づく民事上の請求として一定の時間帯につき航空機の離着陸のためにする国営空港の供用の差止を求める訴は、不適法である。

 

判旨

所論は、要するに、本件訴えのうち、被上告人らが大阪国際空港(以下「本件空港」という。)の供用に伴い航空機の発する騒音等により身体的・精神的被害、生活妨害等の損害を被つているとし人格権又は環境権に基づく妨害排除又は妨害予防の民事上の請求として一定の時間帯につき本件空港を航空機の離着陸に使用させることの差止めを請求する部分は、その実質において、公権力の行使に関する不服を内容とし、結局において運輸大臣の有する行政権限の発動、行使の義務づけを訴求するものにほかならないから、民事裁判事項には属しないものであり、また、本件空港に離着陸する航空機の騒音等のもたらす被害対策としてはいくつかの方法があつて、そのいずれを採択し実施するかは運輸大臣の裁量に委ねられている事項であるにもかかわらず、そのうちの一方法にすぎない一定の時間帯における空港の供用停止という特定の行政権限の行使を求めるものである点において、行政庁の行使すべき第一次的判断権を侵犯し、三権分立の原則に反するものというべきであるから、右請求を適法として本案について審理判断した原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背がある、というのである。

 

【最判平成5年2月25日 厚木基地公害訴訟】

要旨

国が日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に基づきアメリカ合衆国に対し同国軍隊の使用する施設及び区域として飛行場を提供している場合において、米軍機の運航等に伴う騒音等による被害を主張して人格権、環境権に基づき、国に対し右軍隊の使用する航空機の離着陸等の差止めを請求することはできない。

 

判旨

 所論は、上告人らの本件訴えのうち、自衛隊の使用する航空機(以下「自衛隊機」という。)の一定の時間帯における離着陸等の差止め及びその余の時間帯における音量規制を請求する部分(以下この部分の請求を「本件自衛隊機の差止請求」という。)は、被上告人が自衛隊機の飛行行為等によって上告人らの私法上の権利を違法に侵害していることを理由に、上告人らがその有する環境権、人格権に基づき、被上告人に対して自衛隊機の飛行の禁止等の不作為を求めるものであるから、民事訴訟によつて解決されるべき事柄であるにもかかわらず、本件自衛隊機の差止請求は統治行為ないし政治問題に係るものであって民事訴訟事項としての適格を有しないとした原審の判断には、憲法九八条一項、八一条、三二条の解釈適用の誤り、理由不備、理由齟齬の違法、法令の解釈適用の誤りがある、というのである。

 

 

【最判平成17年7月14日 公立図書館の図書と表現の事由】

要旨

判示事項

公立図書館の職員が図書の廃棄について不公正な取扱いをすることと当該図書の著作者の人格的利益の侵害による国家賠償法上の違法

裁判要旨

公立図書館の職員である公務員が,閲覧に供されている図書の廃棄について,著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的な好みによって不公正な取扱いをすることは,当該図書の著作者の人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となる。

 

判旨

 (1) 図書館は,「図書,記録その他必要な資料を収集し,整理し,保存して,一般公衆の利用に供し,その教養,調査研究,レクリエーション等に資することを目的とする施設」であり(図書館法2条1項),「社会教育のための機関」であって(社会教育法9条1項),国及び地方公共団体が国民の文化的教養を高め得るような環境を醸成するための施設として位置付けられている(同法3条1項,教育基本法7条2項参照)。公立図書館は,この目的を達成するために地方公共団体が設置した公の施設である(図書館法2条2項,地方自治法244条,地方教育行政の組織及び運営に関する法律30条)。そして,図書館は,図書館奉仕(図書館サービス)のため,①図書館資料を収集して一般公衆の利用に供すること,②図書館資料の分類排列を適切にし,その目録を整備することなどに努めなければならないものとされ(図書館法3条),特に,公立図書館については,その設置及び運営上の望ましい基準が文部科学大臣によって定められ,教育委員会に提示するとともに一般公衆に対して示すものとされており(同法18条),平成13年7月18日に文部科学大臣によって告示された「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」(文部科学省告示第132号)は,公立図書館の設置者に対し,同基準に基づき,図書館奉仕(図書館サービス)の実施に努めなければならないものとしている。同基準によれば,公立図書館は,図書館資料の収集,提供等につき,①住民の学習活動等を適切に援助するため,住民の高度化・多様化する要求に十分に配慮すること,②広く住民の利用に供するため,情報処理機能の向上を図り,有効かつ迅速なサービスを行うことができる体制を整えるよう努めること,③住民の要求に応えるため,新刊図書及び雑誌の迅速な確保並びに他の図書館との連携・協力により図書館の機能を十分発揮できる種類及び量の資料の整備に努めることなどとされている。 公立図書館の上記のような役割,機能等に照らせば,公立図書館は,住民に対して思想,意見その他の種々の情報を含む図書館資料を提供してその教養を高めること等を目的とする公的な場ということができる。そして,公立図書館の図書館職員は,公立図書館が上記のような役割を果たせるように,独断的な評価や個人的な好みにとらわれることなく,公正に図書館資料を取り扱うべき職務上の義務を負うものというべきであり,閲覧に供されている図書について,独断的な評価や個人的な好みによってこれを廃棄することは,図書館職員としての基本的な職務上の義務に反するものといわなければならない。

 (2) 他方,公立図書館が,上記のとおり,住民に図書館資料を提供するための公的な場であるということは,そこで閲覧に供された図書の著作者にとって,その思想,意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。したがって,公立図書館の図書館職員が閲覧に供されている図書を著作者の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いによって廃棄することは,当該著作者が著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なうものといわなければならない。そして,著作者の思想の自由,表現の自由が憲法により保障された基本的人権であることにもかんがみると,公立図書館において,その著作物が閲覧に供されている著作者が有する上記利益は,法的保護に値する人格的利益であると解するのが相当であり,公立図書館の図書館職員である公務員が,図書の廃棄について,基本的な職務上の義務に反し,著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的な好みによって不公正な取扱いをしたときは,当該図書の著作者の上記人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるというべきである。

 

 (3) 前記事実関係によれば,本件廃棄は,公立図書館である船橋市西図書館の本件司書が,上告人A1会やその賛同者等及びその著書に対する否定的評価と反感から行ったものというのであるから,上告人らは,本件廃棄により,上記人格的利益を違法に侵害されたものというべきである。

 

 

【最判平成17年11月10日 肖像権と取材・報道】

要旨

1 人はみだりに自己の容ぼう,姿態を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益を有し,ある者の容ぼう,姿態をその承諾なく撮影することが不法行為法上違法となるかどうかは,被撮影者の社会的地位,撮影された被撮影者の活動内容,撮影の場所,撮影の目的,撮影の態様,撮影の必要性等を総合考慮して,被撮影者の上記人格的利益の侵害が社会生活上受忍すべき限度を超えるものといえるかどうかを判断して決すべきである。

2 写真週刊誌のカメラマンが,刑事事件の被疑者の動静を報道する目的で,勾留理由開示手続が行われた法廷において同人の容ぼう,姿態をその承諾なく撮影した行為は,手錠をされ,腰縄を付けられた状態の同人の容ぼう,姿態を,裁判所の許可を受けることなく隠し撮りしたものであることなど判示の事情の下においては,不法行為法上違法である。

3 人は自己の容ぼう,姿態を描写したイラスト画についてみだりに公表されない人格的利益を有するが,上記イラスト画を公表する行為が社会生活上受忍の限度を超えて不法行為法上違法と評価されるか否かの判断に当たっては,イラスト画はその描写に作者の主観や技術を反映するものであり,公表された場合も,これを前提とした受け取り方をされるという特質が参酌されなければならない。

4 刑事事件の被告人について,法廷において訴訟関係人から資料を見せられている状態及び手振りを交えて話しているような状態の容ぼう,姿態を描いたイラスト画を写真週刊誌に掲載して公表した行為は,不法行為法上違法であるとはいえない。

5 刑事事件の被告人について,法廷において手錠,腰縄により身体の拘束を受けている状態の容ぼう,姿態を描いたイラスト画を写真週刊誌に掲載して公表した行為は,不法行為法上違法である。

 

判旨

 (1) 人は、みだりに自己の容ぼう等を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益を有する(最高裁昭和40年(あ)第1187号同44年12月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁参照)。もっとも、人の容ぼう等の撮影が正当な取材行為等として許されるべき場合もあるのであって、ある者の容ぼう等をその承諾なく撮影することが不法行為法上違法となるかどうかは、被撮影者の社会的地位、撮影された被撮影者の活動内容、撮影の場所、撮影の目的、撮影の態様、撮影の必要性等を総合考慮して、被撮影者の上記人格的利益の侵害が社会生活上受忍の限度を超えるものといえるかどうかを判断して決すべきである。

 また、人は、自己の容ぼう等を撮影された写真をみだりに公表されない人格的利益も有すると解するのが相当であり、人の容ぼう等の撮影が違法と評価される場合には、その容ぼう等が撮影された写真を公表する行為は、被撮影者の上記人格的利益を侵害するものとして、違法性を有するものというべきである。

 これを本件についてみると、前記のとおり、被上告人は、本件写真の撮影当時、社会の耳目を集めた本件刑事事件の被疑者として拘束中の者であり、本件写真は、本件刑事事件の手続での被上告人の動静を報道する目的で撮影されたものである。しかしながら、本件写真週刊誌のカメラマンは、刑訴規則215条所定の裁判所の許可を受けることなく、小型カメラを法廷に持ち込み、被上告人の動静を隠し撮りしたというのであり、その撮影の態様は相当なものとはいえない。また、被上告人は、手錠をされ、腰縄を付けられた状態の容ぼう等を撮影されたものであり、このような被上告人の様子をあえて撮影することの必要性も認め難い。本件写真が撮影された法廷は傍聴人に公開された場所であったとはいえ、被上告人は、被疑者として出頭し在廷していたのであり、写真撮影が予想される状況の下に任意に公衆の前に姿を現したものではない。以上の事情を総合考慮すると、本件写真の撮影行為は、社会生活上受忍すべき限度を超えて、被上告人の人格的利益を侵害するものであり、不法行為法上違法であるとの評価を免れない。そして、このように違法に撮影された本件写真を、本件第1記事に組み込み、本件写真週刊誌に掲載して公表する行為も、被上告人の人格的利益を侵害するものとして、違法性を有するものというべきである。

 (2) 人は、自己の容ぼう等を描写したイラスト画についても、これをみだりに公表されない人格的利益を有すると解するのが相当である。しかしながら、人の容ぼう等を撮影した写真は、カメラのレンズがとらえた被撮影者の容ぼう等を化学的方法等により再現したものであり、それが公表された場合は、被撮影者の容ぼう等をありのままに示したものであることを前提とした受け取り方をされるものである。これに対し、人の容ぼう等を描写したイラスト画は、その描写に作者の主観や技術が反映するものであり、それが公表された場合も、作者の主観や技術を反映したものであることを前提とした受け取り方をされるものである。したがって、人の容ぼう等を描写したイラスト画を公表する行為が社会生活上受忍の限度を超えて不法行為法上違法と評価されるか否かの判断に当たっては、写真とは異なるイラスト画の上記特質が参酌されなければならない。

 これを本件についてみると、前記のとおり、本件イラスト画のうち下段のイラスト画2点は、法廷において、被上告人が訴訟関係人から資料を見せられている状態及び手振りを交えて話しているような状態が描かれたものである。現在の我が国において、一般に、法廷内における被告人の動静を報道するためにその容ぼう等をイラスト画により描写し、これを新聞、雑誌等に掲載することは社会的に是認された行為であると解するのが相当であり、上記のような表現内容のイラスト画を公表する行為は、社会生活上受忍すべき限度を超えて被上告人の人格的利益を侵害するものとはいえないというべきである。したがって、上記イラスト画2点を本件第2記事に組み込み、本件写真週刊誌に掲載して公表した行為については、不法行為法上違法であると評価することはできない。しかしながら、本件イラスト画のうち上段のものは、前記のとおり、被上告人が手錠、腰縄により身体の拘束を受けている状態が描かれたものであり、そのような表現内容のイラスト画を公表する行為は、被上告人を侮辱し、被上告人の名誉感情を侵害するものというべきであり、同イラスト画を、本件第2記事に組み込み、本件写真週刊誌に掲載して公表した行為は、社会生活上受忍すべき限度を超えて、被上告人の人格的利益を侵害するものであり、不法行為法上違法と評価すべきである。

自己決定権

 

 目次

参考

未成年者の人権(3)高松高裁平成2年2月19日・東京高裁平成4年3月19日・最判平成8年7月18日

 

【最判平成8年7月18日修徳高校パーマ退学訴訟】

要旨

普通自動車運転免許の取得を制限し、パーマをかけることを禁止し、学校に無断で運転免許を取得した者に対しては退学勧告をする旨の校則を定めていた私立高等学校において、校則を承知して入学した生徒が、学校に無断で普通自動車運転免許を取得し、そのことが学校に発覚した際にも顕著な反省を示さず、三年生であることを特に考慮して学校が厳重注意に付するにとどめたにもかかわらず、その後間もなく校則に違反してパーマをかけ、そのことが発覚した際にも反省がないとみられても仕方のない態度をとったなど判示の事実関係の下においては、右生徒に対してされた自主退学の勧告に違法があるとはいえない。

 

判旨

 所論は、修徳高校女子部の、普通自動車運転免許の取得を制限し、パーマをかけることを禁止する旨の校則が憲法一三条、二一条、二二条、二六条に違反すると主張するが、憲法上のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体と個人との関係を規律するものであって、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものではないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和四三年(オ)第九三二号同四八年一二月一二日大法廷判決・民集二七巻一一号一五三六頁)の示すところである。したがって、私立学校である修徳高校の本件校則について、それが直接憲法の右基本的保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はない。所論違憲の主張は採用することができない。

 私立学校は、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針によって教育方針によって教育活動を行うことを目的とし、生徒もそのような教育を受けることを希望して入学するものである。原審の適法に確定した事実によれば、(一) 修徳高校は、清潔かつ質素で流行を追うことなく華美に流されない態度を保持することを教育方針とし、それを具体化するものの一つとして校則を定めている、(二) 修徳高校が、本件校則により、運転免許の取得につき、一定の時期以降で、かつ、学校に届け出た場合にのみ教習の受講及び免許の取得を認めることとしているのは、交通事故から生徒の生命身体を守り、非行化を防止し、もって勉学に専念する時間を確保するためである、(三) 同様に、パーマをかけることを禁止しているのも、高校生にふさわしい髪型を維持し、非行を防止するためである、というのであるから、本件校則は社会通念上不合理なものとはいえず、生徒に対してその遵守を求める本件校則は、民法一条、九〇条に違反するものではない。これと同旨の原審の判断は是認することができる。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するか、又は原判決を正解しないでこれを論難するものであり、採用することができない。

 

【最判平成3年9月3日 三ない事件】

要旨

1.バイクに関するいわゆる三ない原則(免許をとらない、乗らない、買わない)を定めた校則違反を理由の一つとしてされた、私立高等学校の生徒に対する自主退学の勧告が適法とされた事例。</