社会的身分による差別(2-5)尊属殺・尊属傷害致死重罰規定の合憲・反対意見
社会的身分による差別(2-1)尊属殺重罰規定の合憲性
社会的身分による差別(2-2)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官田中二郎の意見
社会的身分による差別(2-3)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官下村三郎の意見・裁判官色川幸太郎の意見
社会的身分による差別(2-4)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官大隅健一郎の意見
社会的身分による差別(2-5)尊属殺重罰規定の合憲性・裁判官下田武三の反対意見
【最大判昭和48年4月4日・尊属殺違憲判決】
裁判官下田武三の反対意見は、次のとおりである。
わたくしは、憲法一四条一項の規定する法の下における平等の原則を生んだ歴史的背景にかんがみそもそも尊属・卑属のごとき親族的の身分関係は、同条にいう社会的身分には該当しないものであり、したがつて、これに基づいて刑法上の差別を設けることの当否は、もともと同条項の関知するところではないと考えるものである。しかし、本判決の多数意見は、尊属・卑属の身分関係に基づく刑法上の差別も同条項の意味における差別的取扱いにあたるとの前提に立つて、尊属殺に関する刑法二〇〇条の規定の合憲性につき判断を加えているので、いまわたくしも、右の点についての詳論はしばらくおき、かりに多数意見の右の前提に立つこととしても、なおかつ、安易に同条の合憲性を否定した同意見の結論に賛成することができないのであつて、以下にその理由を述べることとする。
一、まず、多数意見に従つて、刑法一九九条の普通殺の規定のほかに、尊属殺に関する刑法二〇〇条をおくことが、憲法一四条一項の意味における差別的取扱いにあたると解した場合、同意見がかかる取扱いをもつてあながち合理的な根拠を欠くものと断ずることはできないとし、したがつて尊属殺に関する刑法二〇〇条は、このゆえをもつてしてはただちに違憲であるとはいえないとする点は、相当と思料されるのであるが、多数意見がさらに進んで、同条はその法定刑が極端に重きに失するから、もはや合理的根拠に基づく差別的取扱いとしてこれを正当化することができないとし、このゆえをもつて同条は憲法一四条一項に違反して無効であるとする結論に対しては、わたくしは、とうてい同調することができないのである。
すなわち右の点に関する多数意見の骨子は、尊属殺に対し刑法二〇〇条が定める刑は死刑および無期懲役刑のみであつて、普通殺に対する同法一九九条の法定刑に比し、刑の選択の範囲が極めて限られており、その結果、尊属殺をおかした卑属に科しうる刑の範囲もおのずから限定されることとなり、とくにいかなる場合にも執行猶予を付することができないこととなるなど、量刑上著しい不便が存することを強調し、かかる法定刑の設定については、「十分納得すべき説明がつきかねる」というにあるものと解される。
しかしながら、そもそも法定刑をいかに定めるかは、本来、立法府の裁量に属する事項であつて、かりにある規定と他の規定との間に法定刑の不均衡が存するごとく見えることがあつたとしても、それは原則として立法政策当否の問題たるにとどまり、ただちに憲法上の問題を生ずるものでないことは、つとに当裁判所昭和二三年(れ)第一〇三三号同年一二月一五日大法廷判決・刑集二巻一三号一七八三頁の示すとおりである。
そして、多数意見も説くとおり、尊属の殺害は、それ自体人倫の大本に反し、かかる行為をあえてした者の背倫理性は、高度の社会的道義的非難に値するものであつて、刑法二〇〇条は、かかる所為は通常の殺人の場合より厳重に処罰し、もつて強くこれを禁圧しようとするものにほかならないから、その法定刑がとくに厳しいことはむしろ理の当然としなければならない。
もつとも、多数意見も、尊属殺の場合に法定刑が加重されること自体を問題とするものではなく、ただ、加重の程度が極端に過ぎるとするものであるが、極端であるか否かは要するに価値判断にかかるものであり、抽象的にこれを論ずることは、専断、咨意を導入するおそれがある。けだし、かかる価値判断に際しては、国民多数の意見を代表する立法府が、法律的観点のみからでなく、国民の道徳・感情、歴史・伝統、風俗・習慣等各般の見地から、多くの資料に基づき十分な討議を経て到達した結論ともいうべき実定法規を尊重することこそ、憲法の根本原則たる三権分立の趣旨にそうものというべく、裁判所がたやすくかかる事項に立ち入ることは、司法の謙抑の原則にもとることとなるおそれがあり、十分慎重な態度をもつて処する要があるものとしなければならない。
二、いま刑法における尊属殺の規定の沿革をかえりみるに、現行刑法はいわゆる旧刑法(明治一三年太政官布告第三六号)を改正したものであるが、その改正の一重要眼目は、一般に法定刑の範囲を広め、裁判官の裁量によつて妥当な刑を科する余地を拡大するにあつたのであり、この趣旨にそい、現行法の二〇〇条は、旧法三六二条一項が尊属殺の刑を死刑のみに限り、かつまた、その三六五条が、右の罪については宥恕・不論罪すなわち刑の減免等に関する規定の適用を一切禁じていたのをあらため、尊属殺の法定刑に新たに無期懲役刑を加え、かつ、減免規定等の適用をも可能としたものであつて、旧法に比し著しく刑を緩和したあとが認められるのである。しかも、当時の帝国議会議事録によれば、一部議員からは、孝道奨励のため法定刑を依然死刑のみに限定すべき旨の強硬な主張があり、長時間の討議の末、ようやくこの主張を斥けて現行法の成立となつたことを知りうるのである。刑法二〇〇条の法定刑は極端に重いとする多数意見が必ずしもあたらないことは、このような沿革に徴しても明らかであり、したがつてまた、同条をこの理由をもつてただちに違憲とずるその結論も、前提を欠くに帰するのではあるまいか。
さらに、多数意見も指摘するとおり、昭和二二年、第一回国会において、刑法の規定を新憲法の理念に適合せしめるため、その一部改正が行なわれた際にも、同法二〇〇条は、ことさらにその改正から除外されたのであつて、右は当時立法府が本条をもつて憲法に適合するものと判断したことによると認むべきである。爾来わずかに四半世紀を経過したに過ぎないのであるが、その間多数意見の指摘するとおり、同条のもとにおける量刑上の困難が論議され、さらに同条の違憲論すら公にされ、最近には同条の削除を含む改正刑法草案も発表されるに至つたのは事実であるが(もつとも右草案はいまだ試案の域を出でないものである。)、今日なお同条についての立法上の措置が実現していないことは、立法府が、現時点において、同条の合憲性はもとより、立法政策当否の観点からも、なお同条の存置を是認しているものと解すべきである。かかる経緯をも考慮するときは、司法の謙抑と立法府の判断の尊重の必要は、刑法二〇〇条の場合において一段と大であるといわなければならない。
しかるに、多数意見のこの点に関する判示は極めて簡単であり、「尊属殺の法定刑は、尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつてしては説明がつきかねる」とするのであつて、これのみでは恣意を排除した客観性のある結論とはいいがたいように思われる。
もつとも、多数意見の指摘するように、尊属殺重罰規定が時代とともに緩和せられつつある内外の立法傾向については、わたくしも決して眼を閉じようとするものでなく、かつ、将来の立法論としてなら、わたくしにも意見がないわけではないが(現行刑法二〇〇条に、同条の法定刑の下限たる無期懲役刑と普通殺に関する同法一九九条の下限たる三年の懲役刑との間に位置する中間的な有期懲役刑を追加設定し、現行法の尊属殺重罰を多少緩和するとともに、あわせて科刑上の困難を解決することは、立法論としては十分考慮に値するところであろう。)、もとより裁判官としては立法論をいう立場にはなく、将来いかなる時期にいかなる内容の尊属殺処罰規定を制定あるいは改廃すべきかの判断は、あげて立法府の裁量に委ねるのを相当と考えるものである。刑事法の基本法規たる刑法の重要規定につき、前述のごとき沿革のあることをも顧慮することなく、前回の改正よりさして長い年月も過ぎない現在、何故裁判所が突如として違憲の判断を下さなければならないかの理由を解するに苦しまざるをえないのである。
三、なお、本判決には、尊属殺を重く罰する刑法二〇〇条の立法目的自体を違憲とする意見も付されているので、この点につき一言したい。これは同時に同条の法定刑につき「十分納得すべき説明」が可能であることの論証ともなるものと考える。
そもそも親子の関係は、人智を超えた至高精妙な大自然の恵みにより発生し、人類の存続と文明伝承の基盤をなすものであり、最も尊ぶべき人間関係のひとつであつて、その間における自然の情愛とたくまざる秩序とは、人類の歴史とともに古く、古今東西の別の存しないところのものである(そして、そのことは、擬制的な親子関係たる養親子関係、ひいては配偶者の尊属との関係についても、程度の差こそあれ、本質的には同様である。)。かかる自然発生的な、情愛にみち秩序のある人間関係が尊属・卑属の関係であり、これを、往昔の奴隷制や貴族・平民の別、あるいは士農工商四民の制度のごとき、憲法一四条一項の規定とは明らかに両立しえない、不合理な人為的社会的身分の差別と同一に論ずることは、とうていできないといわなければならない。
そこで、多数意見もいうように、かかる自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点に立つて、尊属に対する敬愛報恩を重視すべきものとし、この点に立脚して、立法上の配慮を施すことはなんら失当とするところではなく、その具体化として現行の刑法二〇〇条程度の法定刑を規定することは、同条の立法目的実現の手段として決して不合理なものとは考えられないのである。
そして、このような尊属に対する敬愛・尊重が、人類の歴史とともに始まつた自然発生的なものであり、かつ合理的で普遍性を有するものである以上、刑法二〇〇条の規定をもつて、歴史上の一時期における存在に過ぎない封建道徳をいまさら鼓吹助長するための手段であるかのごとく論難するのあたらないことは多言を要せず、また右規定は、もとより親不孝なる刑事法上の特別の行為類型を設けて、その違反を処罰しようとするものではないから、「孝道」を法的に強制するものとして非難するのあたらないことも言をまたない。なお、刑法二〇〇条の立法にあたつて、当初、旧家族制度との関連が考慮されていたことは歴史的の事実と見られるところ、同条が家族制度と一体不離の関係をなすものでないことはもちろんであり、とくにかかる制度の廃止された新憲法下の今日において、同制度との関連より生ずべき弊害なるものを、強いて憂える必要もありえないところである。さらにまた、親族関係のうち卑属の尊属に対する関係のみを取り出して特別規定の設けられていることを問題とする見解もあるが、同じく近親であつても、夫婦相互間、兄弟姉妹間等における親愛、緊密の情は、卑属の尊属に対する報恩、尊敬の念とは性質を異にするものであつて、たやすくこれを同一視して論ずることができないものであることはいうまでもなく、また本件で争われているのは、尊属殺を定めた刑法二〇〇条の合憲性であるから、これが合理的な差別といいうるか否かの点を問えば足りるのであつて、他に尊属殺と同様に強く非難さるべき行為類型が存するか否かは、本件の論点とは直接の関係がないものといわなければならない。
四、なお多数意見は、刑法二〇〇条のもとにおける科刑上の困難を強調するのであるが、たしかに現実の事案についての具体的判断を任務とする裁判とは異なり、立法は将来の事象についての予測に立脚するものであるから、特殊例外の事案について、立法府の策定した実定法規をもつてしては、適切な量刑に困難を感ずることがありうることは否定しえないところであり、本件のごときもまさにその例外的事例ということができるのであつて、被告人のおかれた悲惨な境遇を深く憐れむ点において、わたくしもまた決して人後に落ちるものではない。しかしながら、情状の酌量は法律の許容する範囲内で行なうことが裁判官の職責であり、その範囲内でいかに工夫をこらしてもなお妥当な結果に導きえない場合が生じたとすれば、これに対しては、現行法制のむとにおいては、恩赦、仮釈放等、行政当局の適切な措置にまつほかはないのであつて、多数意見のごとく、憐憫に値する被告人の所為であり、かつ、科刑上も難点の存するがゆえに、ただちにさかのぼつてその処罰規定自体を違憲、無効と断ずることによりこれに対処せんとするがごときは、事理において本末転倒の嫌いがあるものといわざるをえないのである。
五、最後に、田中裁判官は、その意見のうちに、違憲立法審査権に関するわたくしの見解に触れておられるので、この点につき、さらに補足することとしたい。わたくしは、ある法律の規定を「立法府が合憲と判断した以上、これに対する裁判所の介入は、もはや許さるべきでない」とするものでもなく、また「国会の多数の意見に従つて制定された法律であることのゆえのみをもつてただちに常に合憲と断定する」ものでもない。いうまでもなく、憲法は、最高裁判所に対し、一切の法令および処分の憲法に適合するか否かを決定する最終的権限を与えており(憲法八一条)、この点において、司法は立法および行政に対し優位に立つものとされているところ、わたくしは、司法がこのような優位に立つものであるがゆえに、またそのゆえにこそ、裁判所としては、この権限の行使にあたり、慎重の上にも慎重を期さなければならないと考えるものである。とくに道徳的規範と密接な関係を有する刑法の規定について、違憲審査を行なうに際しては、裁判所の判断のいかんは、ただに当該事案の当事者の利益にかかわるのみでなく、広く世道人心に深刻な影響を及ぼす可能性があるだけに、最も慎重を期する要があるものと考えるのである。
現今尊属殺の問題のほか、たとえば死刑の存廃、安楽死幇助の可否等刑法上の諸問題をめぐつて、内外に多くの論議が行なわれており、なかには戦後の思想的混乱に乗じて行き過ぎの議論の行なわれるのを見るのであるが、かかる時代に、刑法の関連法規について、裁判所が違憲立法審査権を行使するにあたつては、もとより時流に動かされることなく、よろしく長期的視野に立つて、これら法規の背後に流れる人類普遍の道徳原理に深く思いをいたし、周到かつ慎重な判断を下すべきことが要請されるものといわなければならない。また、これらの問題についての判断は、国民感情、伝統、風俗、習慣等を十分考慮に入れ、さらに宗教、医学、心理学その他各般の分野にわたる見解と資料を参酌して綜合的に行なうことを必要とするものであるから、広く国民各層、各界の意見を代表し、反映する立場にある立法府の判断は、裁判所としても十分これを尊重することが、三権分立の根本趣旨に適合するものといわなければならない。
さらに、立法上の措置がまつたく予見されていない時期においてならばともかく、現在のように、法制審議会を中心として、刑法改正案作成の作業が進捗中であり、これに基づき、さして遠からざる将来に、政府原案が作成され、国会提出の運びとなることが予想され、しかもその場合、これを受けた立法府における討議の帰趨は、いまだまつたく予見することができない時期において、にわかに裁判所が、立法府の検討に予断を与え、あるいは立法の先取りをなすものとも見られるおそれのある判断を下すことは、はたして司法の謙抑の原則に反することなきやを深く憂えざるをえないのである。
以上の次第により、結論として、わたくしは、尊属殺に関する刑法二〇〇条の立法目的が憲法に違反するとされる各裁判官の意見(目的違憲説)にも、また立法目的は合憲であるとされながら、その目的達成の手段としての刑の加重方法が違憲であるとされる多数意見(手段違憲説)のいずれにも同調することができないものであつて、同条の規定は、その立法目的においても、その目的達成の手段においても、ともに十分の合理的根拠を有するものであつて、なんら憲法違反のかどはないと考えるものである。よつて本件上告趣意中違憲をいう点は理由がないものと思料し、その余はいずれも適法な上告理由にあたらないのであるから、本件上告は、これを棄却すべきものと考える。