憲法重要判例六法F

憲法についての条文・重要判例まとめ

カテゴリ: 14条 平等権

社会的身分による差別(2-5)尊属殺・尊属傷害致死重罰規定の合憲・反対意見

 目次


社会的身分による差別(2-1)尊属殺重罰規定の合憲性
社会的身分による差別(2-2)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官田中二郎の意見
社会的身分による差別(2-3)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官下村三郎の意見・裁判官色川幸太郎の意見
社会的身分による差別(2-4)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官大隅健一郎の意見
社会的身分による差別(2-5)尊属殺重罰規定の合憲性・裁判官下田武三の反対意見

【最大判昭和48年4月4日・尊属殺違憲判決】

 

 裁判官下田武三の反対意見は、次のとおりである。

 わたくしは、憲法一四条一項の規定する法の下における平等の原則を生んだ歴史的背景にかんがみそもそも尊属・卑属のごとき親族的の身分関係は、同条にいう社会的身分には該当しないものであり、したがつて、これに基づいて刑法上の差別を設けることの当否は、もともと同条項の関知するところではないと考えるものである。しかし、本判決の多数意見は、尊属・卑属の身分関係に基づく刑法上の差別も同条項の意味における差別的取扱いにあたるとの前提に立つて、尊属殺に関する刑法二〇〇条の規定の合憲性につき判断を加えているので、いまわたくしも、右の点についての詳論はしばらくおき、かりに多数意見の右の前提に立つこととしても、なおかつ、安易に同条の合憲性を否定した同意見の結論に賛成することができないのであつて、以下にその理由を述べることとする。

 一、まず、多数意見に従つて、刑法一九九条の普通殺の規定のほかに、尊属殺に関する刑法二〇〇条をおくことが、憲法一四条一項の意味における差別的取扱いにあたると解した場合、同意見がかかる取扱いをもつてあながち合理的な根拠を欠くものと断ずることはできないとし、したがつて尊属殺に関する刑法二〇〇条は、このゆえをもつてしてはただちに違憲であるとはいえないとする点は、相当と思料されるのであるが、多数意見がさらに進んで、同条はその法定刑が極端に重きに失するから、もはや合理的根拠に基づく差別的取扱いとしてこれを正当化することができないとし、このゆえをもつて同条は憲法一四条一項に違反して無効であるとする結論に対しては、わたくしは、とうてい同調することができないのである。

 すなわち右の点に関する多数意見の骨子は、尊属殺に対し刑法二〇〇条が定める刑は死刑および無期懲役刑のみであつて、普通殺に対する同法一九九条の法定刑に比し、刑の選択の範囲が極めて限られており、その結果、尊属殺をおかした卑属に科しうる刑の範囲もおのずから限定されることとなり、とくにいかなる場合にも執行猶予を付することができないこととなるなど、量刑上著しい不便が存することを強調し、かかる法定刑の設定については、「十分納得すべき説明がつきかねる」というにあるものと解される。

 しかしながら、そもそも法定刑をいかに定めるかは、本来、立法府の裁量に属する事項であつて、かりにある規定と他の規定との間に法定刑の不均衡が存するごとく見えることがあつたとしても、それは原則として立法政策当否の問題たるにとどまり、ただちに憲法上の問題を生ずるものでないことは、つとに当裁判所昭和二三年(れ)第一〇三三号同年一二月一五日大法廷判決・刑集二巻一三号一七八三頁の示すとおりである。

 そして、多数意見も説くとおり、尊属の殺害は、それ自体人倫の大本に反し、かかる行為をあえてした者の背倫理性は、高度の社会的道義的非難に値するものであつて、刑法二〇〇条は、かかる所為は通常の殺人の場合より厳重に処罰し、もつて強くこれを禁圧しようとするものにほかならないから、その法定刑がとくに厳しいことはむしろ理の当然としなければならない。

 もつとも、多数意見も、尊属殺の場合に法定刑が加重されること自体を問題とするものではなく、ただ、加重の程度が極端に過ぎるとするものであるが、極端であるか否かは要するに価値判断にかかるものであり、抽象的にこれを論ずることは、専断、咨意を導入するおそれがある。けだし、かかる価値判断に際しては、国民多数の意見を代表する立法府が、法律的観点のみからでなく、国民の道徳・感情、歴史・伝統、風俗・習慣等各般の見地から、多くの資料に基づき十分な討議を経て到達した結論ともいうべき実定法規を尊重することこそ、憲法の根本原則たる三権分立の趣旨にそうものというべく、裁判所がたやすくかかる事項に立ち入ることは、司法の謙抑の原則にもとることとなるおそれがあり、十分慎重な態度をもつて処する要があるものとしなければならない。

 二、いま刑法における尊属殺の規定の沿革をかえりみるに、現行刑法はいわゆる旧刑法(明治一三年太政官布告第三六号)を改正したものであるが、その改正の一重要眼目は、一般に法定刑の範囲を広め、裁判官の裁量によつて妥当な刑を科する余地を拡大するにあつたのであり、この趣旨にそい、現行法の二〇〇条は、旧法三六二条一項が尊属殺の刑を死刑のみに限り、かつまた、その三六五条が、右の罪については宥恕・不論罪すなわち刑の減免等に関する規定の適用を一切禁じていたのをあらため、尊属殺の法定刑に新たに無期懲役刑を加え、かつ、減免規定等の適用をも可能としたものであつて、旧法に比し著しく刑を緩和したあとが認められるのである。しかも、当時の帝国議会議事録によれば、一部議員からは、孝道奨励のため法定刑を依然死刑のみに限定すべき旨の強硬な主張があり、長時間の討議の末、ようやくこの主張を斥けて現行法の成立となつたことを知りうるのである。刑法二〇〇条の法定刑は極端に重いとする多数意見が必ずしもあたらないことは、このような沿革に徴しても明らかであり、したがつてまた、同条をこの理由をもつてただちに違憲とずるその結論も、前提を欠くに帰するのではあるまいか。

 さらに、多数意見も指摘するとおり、昭和二二年、第一回国会において、刑法の規定を新憲法の理念に適合せしめるため、その一部改正が行なわれた際にも、同法二〇〇条は、ことさらにその改正から除外されたのであつて、右は当時立法府が本条をもつて憲法に適合するものと判断したことによると認むべきである。爾来わずかに四半世紀を経過したに過ぎないのであるが、その間多数意見の指摘するとおり、同条のもとにおける量刑上の困難が論議され、さらに同条の違憲論すら公にされ、最近には同条の削除を含む改正刑法草案も発表されるに至つたのは事実であるが(もつとも右草案はいまだ試案の域を出でないものである。)、今日なお同条についての立法上の措置が実現していないことは、立法府が、現時点において、同条の合憲性はもとより、立法政策当否の観点からも、なお同条の存置を是認しているものと解すべきである。かかる経緯をも考慮するときは、司法の謙抑と立法府の判断の尊重の必要は、刑法二〇〇条の場合において一段と大であるといわなければならない。

 しかるに、多数意見のこの点に関する判示は極めて簡単であり、「尊属殺の法定刑は、尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつてしては説明がつきかねる」とするのであつて、これのみでは恣意を排除した客観性のある結論とはいいがたいように思われる。

 もつとも、多数意見の指摘するように、尊属殺重罰規定が時代とともに緩和せられつつある内外の立法傾向については、わたくしも決して眼を閉じようとするものでなく、かつ、将来の立法論としてなら、わたくしにも意見がないわけではないが(現行刑法二〇〇条に、同条の法定刑の下限たる無期懲役刑と普通殺に関する同法一九九条の下限たる三年の懲役刑との間に位置する中間的な有期懲役刑を追加設定し、現行法の尊属殺重罰を多少緩和するとともに、あわせて科刑上の困難を解決することは、立法論としては十分考慮に値するところであろう。)、もとより裁判官としては立法論をいう立場にはなく、将来いかなる時期にいかなる内容の尊属殺処罰規定を制定あるいは改廃すべきかの判断は、あげて立法府の裁量に委ねるのを相当と考えるものである。刑事法の基本法規たる刑法の重要規定につき、前述のごとき沿革のあることをも顧慮することなく、前回の改正よりさして長い年月も過ぎない現在、何故裁判所が突如として違憲の判断を下さなければならないかの理由を解するに苦しまざるをえないのである。

 三、なお、本判決には、尊属殺を重く罰する刑法二〇〇条の立法目的自体を違憲とする意見も付されているので、この点につき一言したい。これは同時に同条の法定刑につき「十分納得すべき説明」が可能であることの論証ともなるものと考える。

 そもそも親子の関係は、人智を超えた至高精妙な大自然の恵みにより発生し、人類の存続と文明伝承の基盤をなすものであり、最も尊ぶべき人間関係のひとつであつて、その間における自然の情愛とたくまざる秩序とは、人類の歴史とともに古く、古今東西の別の存しないところのものである(そして、そのことは、擬制的な親子関係たる養親子関係、ひいては配偶者の尊属との関係についても、程度の差こそあれ、本質的には同様である。)。かかる自然発生的な、情愛にみち秩序のある人間関係が尊属・卑属の関係であり、これを、往昔の奴隷制や貴族・平民の別、あるいは士農工商四民の制度のごとき、憲法一四条一項の規定とは明らかに両立しえない、不合理な人為的社会的身分の差別と同一に論ずることは、とうていできないといわなければならない。

 そこで、多数意見もいうように、かかる自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点に立つて、尊属に対する敬愛報恩を重視すべきものとし、この点に立脚して、立法上の配慮を施すことはなんら失当とするところではなく、その具体化として現行の刑法二〇〇条程度の法定刑を規定することは、同条の立法目的実現の手段として決して不合理なものとは考えられないのである。

 そして、このような尊属に対する敬愛・尊重が、人類の歴史とともに始まつた自然発生的なものであり、かつ合理的で普遍性を有するものである以上、刑法二〇〇条の規定をもつて、歴史上の一時期における存在に過ぎない封建道徳をいまさら鼓吹助長するための手段であるかのごとく論難するのあたらないことは多言を要せず、また右規定は、もとより親不孝なる刑事法上の特別の行為類型を設けて、その違反を処罰しようとするものではないから、「孝道」を法的に強制するものとして非難するのあたらないことも言をまたない。なお、刑法二〇〇条の立法にあたつて、当初、旧家族制度との関連が考慮されていたことは歴史的の事実と見られるところ、同条が家族制度と一体不離の関係をなすものでないことはもちろんであり、とくにかかる制度の廃止された新憲法下の今日において、同制度との関連より生ずべき弊害なるものを、強いて憂える必要もありえないところである。さらにまた、親族関係のうち卑属の尊属に対する関係のみを取り出して特別規定の設けられていることを問題とする見解もあるが、同じく近親であつても、夫婦相互間、兄弟姉妹間等における親愛、緊密の情は、卑属の尊属に対する報恩、尊敬の念とは性質を異にするものであつて、たやすくこれを同一視して論ずることができないものであることはいうまでもなく、また本件で争われているのは、尊属殺を定めた刑法二〇〇条の合憲性であるから、これが合理的な差別といいうるか否かの点を問えば足りるのであつて、他に尊属殺と同様に強く非難さるべき行為類型が存するか否かは、本件の論点とは直接の関係がないものといわなければならない。

 四、なお多数意見は、刑法二〇〇条のもとにおける科刑上の困難を強調するのであるが、たしかに現実の事案についての具体的判断を任務とする裁判とは異なり、立法は将来の事象についての予測に立脚するものであるから、特殊例外の事案について、立法府の策定した実定法規をもつてしては、適切な量刑に困難を感ずることがありうることは否定しえないところであり、本件のごときもまさにその例外的事例ということができるのであつて、被告人のおかれた悲惨な境遇を深く憐れむ点において、わたくしもまた決して人後に落ちるものではない。しかしながら、情状の酌量は法律の許容する範囲内で行なうことが裁判官の職責であり、その範囲内でいかに工夫をこらしてもなお妥当な結果に導きえない場合が生じたとすれば、これに対しては、現行法制のむとにおいては、恩赦、仮釈放等、行政当局の適切な措置にまつほかはないのであつて、多数意見のごとく、憐憫に値する被告人の所為であり、かつ、科刑上も難点の存するがゆえに、ただちにさかのぼつてその処罰規定自体を違憲、無効と断ずることによりこれに対処せんとするがごときは、事理において本末転倒の嫌いがあるものといわざるをえないのである。

 五、最後に、田中裁判官は、その意見のうちに、違憲立法審査権に関するわたくしの見解に触れておられるので、この点につき、さらに補足することとしたい。わたくしは、ある法律の規定を「立法府が合憲と判断した以上、これに対する裁判所の介入は、もはや許さるべきでない」とするものでもなく、また「国会の多数の意見に従つて制定された法律であることのゆえのみをもつてただちに常に合憲と断定する」ものでもない。いうまでもなく、憲法は、最高裁判所に対し、一切の法令および処分の憲法に適合するか否かを決定する最終的権限を与えており(憲法八一条)、この点において、司法は立法および行政に対し優位に立つものとされているところ、わたくしは、司法がこのような優位に立つものであるがゆえに、またそのゆえにこそ、裁判所としては、この権限の行使にあたり、慎重の上にも慎重を期さなければならないと考えるものである。とくに道徳的規範と密接な関係を有する刑法の規定について、違憲審査を行なうに際しては、裁判所の判断のいかんは、ただに当該事案の当事者の利益にかかわるのみでなく、広く世道人心に深刻な影響を及ぼす可能性があるだけに、最も慎重を期する要があるものと考えるのである。

 現今尊属殺の問題のほか、たとえば死刑の存廃、安楽死幇助の可否等刑法上の諸問題をめぐつて、内外に多くの論議が行なわれており、なかには戦後の思想的混乱に乗じて行き過ぎの議論の行なわれるのを見るのであるが、かかる時代に、刑法の関連法規について、裁判所が違憲立法審査権を行使するにあたつては、もとより時流に動かされることなく、よろしく長期的視野に立つて、これら法規の背後に流れる人類普遍の道徳原理に深く思いをいたし、周到かつ慎重な判断を下すべきことが要請されるものといわなければならない。また、これらの問題についての判断は、国民感情、伝統、風俗、習慣等を十分考慮に入れ、さらに宗教、医学、心理学その他各般の分野にわたる見解と資料を参酌して綜合的に行なうことを必要とするものであるから、広く国民各層、各界の意見を代表し、反映する立場にある立法府の判断は、裁判所としても十分これを尊重することが、三権分立の根本趣旨に適合するものといわなければならない。

 さらに、立法上の措置がまつたく予見されていない時期においてならばともかく、現在のように、法制審議会を中心として、刑法改正案作成の作業が進捗中であり、これに基づき、さして遠からざる将来に、政府原案が作成され、国会提出の運びとなることが予想され、しかもその場合、これを受けた立法府における討議の帰趨は、いまだまつたく予見することができない時期において、にわかに裁判所が、立法府の検討に予断を与え、あるいは立法の先取りをなすものとも見られるおそれのある判断を下すことは、はたして司法の謙抑の原則に反することなきやを深く憂えざるをえないのである。

 以上の次第により、結論として、わたくしは、尊属殺に関する刑法二〇〇条の立法目的が憲法に違反するとされる各裁判官の意見(目的違憲説)にも、また立法目的は合憲であるとされながら、その目的達成の手段としての刑の加重方法が違憲であるとされる多数意見(手段違憲説)のいずれにも同調することができないものであつて、同条の規定は、その立法目的においても、その目的達成の手段においても、ともに十分の合理的根拠を有するものであつて、なんら憲法違反のかどはないと考えるものである。よつて本件上告趣意中違憲をいう点は理由がないものと思料し、その余はいずれも適法な上告理由にあたらないのであるから、本件上告は、これを棄却すべきものと考える。

社会的身分による差別(2-4)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官大隅健一郎の意見

 目次


社会的身分による差別(2-1)尊属殺重罰規定の合憲性
社会的身分による差別(2-2)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官田中二郎の意見
社会的身分による差別(2-3)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官下村三郎の意見・裁判官色川幸太郎の意見
社会的身分による差別(2-4)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官大隅健一郎の意見
社会的身分による差別(2-5)尊属殺重罰規定の合憲性・裁判官下田武三の反対意見

【最大判昭和48年4月4日・尊属殺違憲判決】

 

【裁判官大隅健一郎の意見】は、次のとおりである。

 私は、刑法二〇〇条の規定が憲法一四条一項に違反して無効であるとする本判決の結論には賛成であるが、その理由には同調しがたいので、その点について意見を述べる。

 (一)多数意見によると、普通殺人に関する刑法一九九条のほかに尊属殺人についてその刑を加重する同法二〇〇条をおくことは、憲法一四条一項の意味における差別的取扱いにあたるが、憲法の右条項は、事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでないかぎり、差別的な取扱いをすることを禁止する趣旨と解すべきであるから、刑法二〇〇条が憲法の右条項に違反するかどうかは、その差別的取扱いが合理的な根拠に基づくものであるかどうかによつて決せられるところ、尊属殺人は背倫理性がとくに強いから、右のような差別的取扱いをすることが、ただちに合理的根拠を欠くものとはいえない、しかし、刑法二〇〇条は、尊属殺人の法定刑を死刑および無期懲役に限つている点において、その立法目的達成のために必要な限度を遙かに超え、普通殺人の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いをするものであつて、憲法一四条一項に違反する、というのである。

 私は、このうち、刑法二〇〇条の規定をおくことが憲法一四条一項の意味における差別的取扱いにあたるとする点、憲法一四条一項のもとでも合理的な根拠に基づく差別は許されるとする点には異論はないが、尊属殺人につきその刑を加重する刑法二〇〇条の規定をおくこと自体が憲法上許された合理的差別であるとする点には、賛成することができない。

 (二)多数意見が、尊属殺人という特別の罪を設け、その刑を加重すること自体がただちに不合理な差別的取扱いにあたらないとする理由は、(1)親族は、婚姻と血縁とを主たる基盤とし、互いに自然的な敬愛と親密の情によつて結ばれていると同時に、その間おのずから長幼の別や責任の分担に伴う一定の秩序が存し、(2)通常、卑属は、父母、祖父母等の直系尊属に養育されて成人するのみならず、尊属は、社会的にも卑属の所為につき法律上、道義上責任を負うのであつて、尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的道義というべく、自己または配偶者の直系尊属を殺害するがごとき行為はかかる結合の破壊であり、高度の社会的道義的非難を受けるべきもので、尊属に対する尊重報恩のような自然的情愛ないし普遍的倫理の維持は、刑法上の保護に値するものである、というにある。

 このうち、(1)において述べているところは、直系の尊属と卑属との間においてのみ存する関係ではなくして、夫婦や兄弟姉妹等の間にもひとしく認められる関係であつて、それが尊属殺人についてのみ特別の差別的取扱いをすることの合理的根拠となりえないことは、ほとんどいうをまたないであろう。したがつて、多数意見が尊属殺人につき特別の差別的取扱いをすることを不合理でないとする理由は、(2)において述べるところに帰するものといわなければならない。

 (三)おもうに、刑法二〇〇条設置の思想的背景には、中国古法制に渕源しわが国の律令制度や徳川幕府の法制に見られる尊属殺重罰の思想があるものと解されるほか、とくに同条が配偶者の尊属に対する罪をも包含している点は、日本国憲法により廃止された「家」の制度と深い関連を有するものと認められ、また、諸外国の立法例をみても、近代においては親殺し重罰の思想はしだいにその影をひそめ、尊属殺重罰の規定を初めから有しない国が少なくないのみならず、かつてこれを有した国においても近時しだいにこれを廃止しまたは緩和しつつあるのが現状であることは、本判決の述べているとおりである。すでに、このことが、刑法二〇〇条の規定の根底にある尊属殺重罰の思想ないし多数意見がその合理的根拠として述べる尊属に対する尊重報恩なる道徳観念が、必ずしも普遍性を有するものではなく、特定の歴史的社会的状況のもとに存立するものであることを窺わしめるに足りるのである。そして、刑法二〇〇条は、被害者が加害者またはその配偶者の直系尊属であるということのみにより、尊属殺人を普通殺人に比してとくに重く罰しようとするものであるから、直系尊属は、直系尊属であるということだけで、常に無条件に尊重されるべきものとしているのであつて、一種の身分制道徳の見地に立つものといえる。すなわち、それは、主として尊属卑属間における権威服従ないし尊卑の身分的秩序を重んずる戸主中心の旧家族制度的道徳観念を背景とし、これに基づく家族間の倫理および社会的秩序の維持をはかることを目的とするものと考えられる。その意味で、それは、国民に対し法の下における平等を保障する憲法一四条一項の精神にもとるものであり、この憲法の理念に基づいて行なわれた昭和二二年法律第一二四号による刑法の一部改正に際し、当然削除さるべき規定であつたといわなければならない。

 もとより、直系尊属と卑属とは、通常、互いに自然的敬愛と親密の情によつて結ばれており(この自然的情愛は普遍的なものであるが、多数意見のように、これと同意見のいわゆる尊属に対する尊重報恩の倫理とを同視することは、妥当でない。)、かつ、子が親を重んじ大切にすることは子の守るべき道徳であるが、しかし、それは個人の尊厳と人格の平等の原則の上に立つて自覚された強いられない道徳であるべきであり(それは、多数意見のいうように受けた恩義に対する報償的なものではなく、人情の自然に基づく心情の発露であると思う。)、当事者の自発的な遵守にまつべきものであつて、法律をもつて強制すべき性質のものではない。もちろん、道徳的規範が法律的規範の内容となりえないものでないことはいうまでもないが、子の親に対する右のごとき道徳は、法律をもつて強制するに適しないばかりでなく、これを強制することは、尊属は尊属であるがゆえにとくにこれを重んずべきものとし、法律をもつて合理的理由のない一種の身分的差別を設けるものであつて、すでに述べたとおり、憲法一四条一項の精神と相容れないものといわなければならないのである。

 以上のようにして、私は、尊属殺なる特別の罪を認め、その刑を加重する刑法二〇〇条の規定を設けること自体が憲法一四条一項に違反する不合理な差別的取扱いにあたると解するものであつて、その法定刑が不当に重いかどうかを問題とするまでもないと考えるのである。

 四 なお、上述のように、私は、尊属に対する卑属の殺害行為についてのみその刑を加重する刑法二〇〇条の規定は憲法一四条一項に違反するものと解するが、このような一方的なものでなく、夫婦相互間ならびに親子等の直系親族相互間の殺害行為(配偶者殺し、親殺し、子殺し等)につき近親殺というべき特別の罪を設け、その刑を加重することは、その加重の程度が合理的な範囲を超えないかぎり、必ずしも右の憲法の条項に反するものではないと考えることを附言しておきたい。もつとも、そのような規定を設けることの要否ないし適否については私は消極的意見であるが、それは法律政策の問題である。

 

 

 

社会的身分による差別(2-3)尊属殺・尊属傷害致死重罰規定の合憲・裁判官下村三郎の意見・裁判官色川幸太郎の意見

 目次


社会的身分による差別(2-1)尊属殺重罰規定の合憲性
社会的身分による差別(2-2)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官田中二郎の意見
社会的身分による差別(2-3)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官下村三郎の意見・裁判官色川幸太郎の意見
社会的身分による差別(2-4)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官大隅健一郎の意見
社会的身分による差別(2-5)尊属殺重罰規定の合憲性・裁判官下田武三の反対意見

【最大判昭和48年4月4日・尊属殺違憲判決】

【裁判官下村三郎の意見】は、次のとおりである。

 

 わたくしは、本判決が、原判決を破棄し、刑法一九九条を適用して、被告人を懲役二年六月に処し、三年間刑の執行を猶予した結論には賛成であるが、多数意見が原判決を破棄すべきものとした事由には同調し難いものがあるので、次にその理由を述べる。

 憲法は、その一四条一項において、国民に対し法の下の平等を保障することを宣明した。これは、国民が、それぞれ平等の立場において、相互に敬愛し、扶助し、協力して平和な国家の建設に貢献すべきことを期待したものであるということができる。そして、その趣旨に従つて、民法においては、家、家督相続、戸主等の制度が廃止されるなど、各法律にも所要の改正が加えられたが、刑法二〇〇条のような規定もなお残存しており、その存置を支持する者も多く、当裁判所も、従来、尊属殺人と普通殺人とを各別に規定し、尊属殺人につき刑を加重していることは、身分による差別的取扱いではあるが、合理的な根拠に基づくものとして憲法一四条一項に違反するとはいえないと判断して来たのである。しかし、その後の時世の推移、国民思想の変遷、尊属殺人事件の実情等に鑑みれば、尊属卑属間の相互敬愛、扶助、協力等の関係の保持は、これを自然の情愛の発露、道義、慣行等に委せるのが相当であり、尊属殺人について特別の処罰規定を存置し、尊属殺人の発生を防遏しようとする必要は最早なくなり、かような規定を存置することが却つて妥当な量刑をする妨げとなる場合もあるに至つたといわなければならない。かように解すれば、普通殺人に対し特に尊属殺人に対する処罰規定を存置し、その刑を加重することは、その合理的な根拠を失なうこととなり、刑法二〇〇条は憲法一四条一項に違反し無効なものというべきである。したがつて、刑法二〇〇条は憲法に違反しないとして被告人の本件所為に対し刑法二〇〇条を適用している原判決は、憲法一四条一項の解釈を誤つたものにほかならず、かつ、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、これを破棄すべきものとすべきであると考える。

 

 

【裁判官色川幸太郎の意見】は次のとおりである。

 一、多数意見は、これを要約すると、刑法二〇〇条が、尊属殺人を普通殺人と区別して規定しているのは、一般的にいうと、身分による差別的取扱いであるが、しかし、尊属殺人は背倫理性が顕著であるから、かかる所為を禁圧する目的で特別の罪を設けてその刑を加重することは、憲法上許される合理的な差別であり、ただちには違憲とはいえない、もつとも右法条は、加重の程度が極端であつて、右のごとき立法目的達成の手段としては甚だしく均衡を失するが故に、憲法一四条一項に違反する、と説示している。右のうち、刑法二〇〇条が身分による差別的取扱いの規定であるとする点、および、これが憲法一四条一項に違反するとの結論には私も賛成であるが、尊属殺人につき普通殺人と異なる特別の罪を規定することが、憲法上許容された範囲の合理的差別であるという見解には、同調することができないのである。

 二、右に見るごとく、多数意見は尊属殺人が普通殺人に比して、それ自体、特に重い非難に値するものであるとなし、その一点に、右両者の間の差別的取扱いの合理性を見出そうとしているのであり、その論理はおよそ次のように展開されている。

  (1) 尊属と卑属(以下概括して親と子と略称する。)は婚姻と血縁とを主たる基盤とした親族である。

  (2) 親族は自然の敬愛と親密の情で結ばれている結合である。

  (3) その結合には長幼の別や責任の分担に伴う秩序が存する。

  (4) 親は子を養育成長せしめ、また子の行為につき法律上、道義上の責任を負う。

  (5) 親に対する尊属報恩は社会生活上の基本的道義であり普遍的倫理である。

  (6) 前記情愛と右の倫理は刑法上の保護に値する。

  (7) 尊属殺人は前記結合の破壊であり人倫の大本に反する。

  (8) 尊属殺人はこのように高度の社会的道義的非難を受けるものであるゆえ、これを量刑の情状とすることは不合理ではなく、そうである以上、一歩進めて類型化し、これを法律上の加重要件とすることは当然許される。以上である。

 三、これを要するに、多数意見は、子の親に対する殺人をもつて、普通殺人とは比ぶべくもない背倫理性ありとする所以を、その行為が、自然的愛情を紐帯とし一定の秩序のある親族結合の破壊であり、かつ親に対する忘恩の所業であるという二点に求めたわけである。しかし、「婚姻と血縁とを主たる基盤とし互いに自然的な親密の情によつて結ばれている」親族は、ひとり親子だけではない。夫婦しかり、兄弟姉妹またしかりなのである。夫婦はもともと他人同志が結ばれたものではあるが、その間の自然的情愛は血のつながる親子に比してはたして劣るといえるであろうか。いわんや夫婦とその一方の親との関係とでは、いずれが強く結ばれているかいうまでもあるまい。しかも夫婦関係は親子関係と並んで否むしろ一層強い意味合をもつて、社会の根源的な基礎構造を形成しているのである(のみならず、子が成人し独立したのちには、後者の関係はほとんど分解し、社会の基礎構造たる実質を失うのが常であろう。過去一〇年間におけるいわゆる核家族の激増ぶりは欧米をも凌ぐものがあるといわれている。それは、良いか悪いか、好ましいか、好ましくないかの問題を超えた、現代社会の必然的傾向なのである。)。多数意見は、親族の間柄における「長幼の別や責任の分担に伴う一定の秩序」を強調する。しかしこれまた、親と子の関係だけに特有なものではない。夫婦には親子の間よりも明らかな「責任の分担」が存在し、また、兄弟姉妹にはいうまでもなく長幼の別がある。それらの親族関係には「一定の秩序」が厳存するのである。だから、その間に殺人行為があつたならば、それが「かかる結合の破壊」であること、もとよりいうをまたない筈であるのに、これについて普通殺人とは別異な罪が特に定められているわけではない。それのみか、親子間においても、子が被害者の場合には同様なのである。近時頻発している親の子に対する殺人などは、まさに、自然の情愛に基づく結合の破壊であり、また、その大部分は許し難い非人間的な犯罪であるけれども、わが国には従来この種の殺人について加重規定のなかつたのはもちろん、かかる立法への要請さえ絶えて聞かないところである。以上のように考えてくると、多数意見の指摘する、背倫理性が特に重いとする所以は、これを主として上告後段の理由、すなわち親に対する忘恩の所業であるとするところに求めるほかないであろう。

 四、この点につき、多数意見は、私の理解するところでは、親は子を育て、その上、子の「所為につき法律上、道義上の責任を負う」のであるから、子は、これに対し「報恩」の念を持つ義務があり、この恩に酬ゆる意味で親を尊重することが「社会生活上の基本的道義」であり「普遍的倫理」だとしているごとくである。しかし、はたしてそういう考え方がそのまま承認され得るものであろうか。

 (イ)まず、親が子の所為につき社会的に責任を負う、という意味を検討してみたい。こと、法律上の責任に関するかぎり、仮に誤りでないとしても、その立言は、甚だしく不正確である。いうまでもなく刑法は責任原則で貫かれている。なに人も、自己の行為によつてのみ、刑罰を科せられるにとどまり、他人の行為で罰せられるごときことはあり得ないのである。行政刑法においてはなるほど両罰規定があるけれども、その本質は監督上の不作為責任の追究であり、純然たる他人の行為による刑事責任ではない。いわゆる両罰が科せられるのは使用者その他監督者なるが故であつて、親なるが故の責任を問う規定は存在しないのである。罪九族に及んだのは、遠い昔の話であり、近代刑法のおよそ想像もできないところに属する。もつとも、民事上は、不法行為法の分野においてのみではあるが、親の監督責任を認める場合(民法七一四条)もないわけではない。しかしそれは、子が未成年であり、かつ行為の責任を弁識できないときで、しかもその親が監督上の義務を怠つたというきわめて例外の場合に限られているのである。被害者の救済という見地からは問題の存するところであるかも知れないが、それはそれとして、民事上でもまた、自己責任が原則だということができよう。

 道義上の責任について説くところは、一応もつとものようでもあるが、しかし道義上の責任を負うべきか否かは子の所為の態様にもよるし、また、各人の責任観念のいかんで左右される、きわめて個性的な、結局は各人の考えによるものである。万人にひとしく適用されるような社会的倫理規範はないのであるし、責任を強く感じないからといつて一概に非難はできないものがあろう。むしろ、子の所業につき親を厳しく糾弾したのは実は近代以前に見られた社会事象であつて、個人の独立と人格の尊厳を基調とする現代の道理の感覚からすれば、その風潮は、抑制こそ望ましく、決して助長鼓吹さるべきものではないのである。

 (ロ)多数意見は、親による養育とそれに対する「報恩」を説いている。たしかに親が子を一人前に育てあげることには並並ならぬ労苦を伴うものであり、時としては自己犠牲さえも敢えていとわないのが親のあり方である。子が親の庇護と養育の努力に感謝の念をいだくのはまことに自然ではあるが、これを「恩」であると名づけ、子が親の「恩」に酬ゆることこそ社会生活上の「基本的道義」「普遍的倫理」であり、一旦これに背く場合には、社会的にはもとより法律的にも重い非難が加えられてしかるべきだとすることは(多数意見の説示はきわめて簡潔であるが、敷衍すれば上述のとおりであろう。)まさしく、旧来の孝の観念から、いささかも脱却していないことを示すものにほかならない。そしてまた、多数意見は、その強調する右の徳目が旧来の孝と異なるものであるとはいつていないのであるから、右のごとく措定して、以下、議論を進めることは、当然許されると考える。

 ところで、孝はいうまでもなく儒教において最も重しとされた道徳である。古代儒教の説いた孝は、やや変容は受けたものの、「忠」とならんで徳川時代の武家社会を支配するゆるぎなき根幹の道徳となり、さらに、徳川末期には、心学の普及などに伴い、農工商の庶民にもある程度浸潤するところがあつた。もつとも結局においては、一部富裕な階級を除き、一般町民や農民を完全に把握するにはいたらず、孝の観念を基調とする家族制度も庶民層の間においてはついに確立しなかつたといわれている。ところが明治初頭、政府の重要な教化政策としてとりあげられ、国民に対し、あらゆる方をもつて徹底せしめられた結果、封建的な孝という徳目は、あたかも万古不易の普遍的倫理であるかのごとく考えられるにいたつたのである。だが、それは錯覚にしかすぎず、要するに、歴史的な一定時期の、特殊な家族制度を背景としてつちかわれ、そしてまた逆に、かかる家族制度の精神的な支柱を形成していたものであり、決して、古今東西を通じて変るところなき自然法道徳ではないというべきである。

 刑法二〇〇条の立法趣旨が、封建的時代からの伝承にかかる家族制度の維持、強化にあつたことは、配偶者の直系尊属に対して犯された場合をも尊属殺人とする最初の提案、すなわち明治三四年刑法改正案につき、その趣旨を明らかにした公的な「参考書」(法典調査会編)と称する文献や、その後現行法となつた明治四〇年改正案に関する政府の刑法改正理由書中に歴歴として見ることができ、またその当時における指導的な刑法体系書の明らかに指摘するところであつた。かくのごとき家族制度が、すでに、憲法の趣旨に背馳するものとして否定された今日、孝をもつて刑法の基礎観念としようとするものであるならば、時代錯誤と評せられてもやむを得ないのではあるまいか。

 (ハ)憲法との関連においては、なお、いうべきことがある。儒教にいう孝は、子に独立の存在を認めていない。そこにおける親と子の間は、相互に独立した人格対人格の関係とはおよそ対蹠的な、権威と服従の支配する世界にほかならず、尊卑の別(現行民法が折角の改正にもかかわらず、尊属卑属の称呼を踏襲したことには批判の余地があるであろう。)は永久に存在し、越ゆべからざるその間の身分的秩序の厳守が絶対的な要請とされている。一言でつくせば、孝は親に対する子の隷従の道徳なのである。親の恩は山よりも高く海よりも深しとし、これに無定量、無限定の奉仕の誠をささげ、親を絶対者として尊重服従し、己れをむなしくし力をつくして親に仕える、それが儒教における孝であつて、そのきわみは親、親たらずとも子、子たらざるべからずという孝となる。これは中国廿四孝の説話に余すところなく描かれているところである。現代の常識に反した、このような盲目的な絶対服従を内容とする孝が、個人の尊厳と平等を基底とする民主主義的倫理と相いれないものであることは多言を要しないところであろう。そしてこの後者の倫理こそが、憲法の基調をなすものであると考えたとき、多数意見の立脚地そのものに根本的な疑問を感ぜざるを得ない。

 かくいうからといつて、私は、親を重んじこれを大事にすることが、子にとつて守るべき重要な道徳であることを毛頭否定するものではない。しかしながら、もともと道徳は、独立した人格の、自発にかかる内面的な要請ないし決定によつて遵守せられてこそ、はじめて高い精神的価値をもつものであるから、法律をもつて道徳を強制せんとするのは道徳の真価を損うことなしとしないのである。もつとも、法律を通じての道徳の高揚も、策として已むを得ない場合があり、一概に両分野を峻別することのみ主張するわけではない。ただ、仮にその必要があるとしても、道徳的価値を保護法益とする立法にあたつて、何よりも留意されなければならないことは、その道徳が憲法の精神に適合するか否かを慎重に吟味することの必要性である。当該道徳が、憲法の建前とする個人の尊厳と人間の平等の原理に背反するものであるときは、その立法化はもとより許されないところというべきである。孝の道徳はなるほど日本の、ある意味では、美わしい伝統であるかも知れない。然し自然の愛情と相互扶助を基調とする近代的な親子関係(これが憲法の予定する親子関係であろう。)にまで昇華していない、廃絶された筈の古い家族制度と結びついたままの道徳を、ひたすら温存し、保護し、強化しよう

 とする法律(刑法二〇〇条がその一つであるが)は、憲法によつて否定されなければならない運命にあると考えるのである。

 (二)なお、ついでながら親の「恩」について一言しておきたい。恩を受けたからそれ故に反対給付として忠勤を励むというギブアンドテークの関係は、洋の東西を問わず、封建時代における主君と武士との関係に見受けられるのであるが、子が親を敬愛しこれを大事にしなければならないという感情ないし道徳感は、それとは質を異にした、人間の情として自然に流れ出てくるところのものではないであろうか(儒教にしても古代のそれの教える孝は、給付、反対給付の関係ではないように思われる。)。本当の孝は恩を受けたからそれに酬ゆるという、水臭いものであつてはなるまい。第一、親が子のために心を砕くのも、親としては、恩を売つて他日その反対給付を受けようという底意のあつてのことでは、まず、ないのである。それは報償を期待することのない、子を思う惻惻たる自然の人情の発露なのである。法律の面からいつても、親の子に対する「監護及び教育」は、親の権利であるとともに義務であり(民法八二〇条)、子を一人前の社会人に育てあげることは親の職分にほかならず、それなればこそ、養育の費用も、子に特別な財産がある場合を除いては、当然親の負担に帰するのである。「子供の育成及び教育は、両親の自然の権利であり、かつ何よりも両親に課せられている義務である」(ドイツ連邦共和国基本法六条二項)。それであるから、これを恩と考えるべきものとなし、親に対する「報恩」を子の至高の義務であると断じて、ここに刑法二〇〇条の主たる存在理由を求めようとするのは、現行法の建前にも合わず、所詮は無理というものであろう。

 五 多数意見は、量刑に際して被害者が親であることを重視するのは当然であるし、そうである以上、これを類型化し、法律上、刑の加重要件とする規定を設けても合理性を欠く差別的取扱いにはならないと説く。しかし被害者が親であるという、ただそれだけのことをもつて、量刑上不利に扱うことは、結局違憲のそしりを免れることはできない。理由としては、上述したところをすべて援用すれば足りると考える。

 親に格別咎むべきところがないにかかわらず、子が放縦無頼の極、これを殺害するにいたつたような場合には、それこそ社会の健全な情緒的感覚をさかなでするものであつて、その際、裁判所においてこれを情状重しとするに何の躊躇もあり得ないであろう。しかしこれは親殺しであるという一事のみに依拠した判断ではない。量刑における情状の勘酌は、極めて具体的、特殊的でなければならないのであり、この場合、その特別な背景が考慮されたにすぎないと考えるべきである。過去における尊属殺人事件の量刑の実際を見ても、多数意見のいうとおり、他の犯罪と併合罪の関係になつたときは格別、「尊属殺の罪のみにより法定刑を科せられる事例はほとんどなく、その大部分が減軽を加えられており、なかでも現行法上許される二回の減軽を加えられる例が少なくないのみか、その処断刑の下限である懲役三年六月の刑を宣告される場合も決して稀ではない」のであるから、被害者が親であるというだけで、従来、重い刑が科せられたわけではない。多数意見の前述の見解は、過去の実例に徴したとき、説いてつくさざるものあるを感ずる。

 六 以上、私は、多数意見に同調し難いとする、私なりのいくつかの理由を率直に披瀝した。しかし、本判決の有する劃期的な意義はこれを評価するに吝かではないのであつて、私は、多数意見が、当審の多年に亘つて固持した見解を一擲し、刑法二〇〇条をもつて違憲であるとしたその勇断には深く敬意を表したいと考える。ただ、百尺竿頭さらに一歩をすすめ、親であり子であることの故に、刑法上差別して扱うこと自体、憲法に副わぬ立法である、とまで踏みきらなかつたところに、なお遺憾の念を禁じ得ないものがあるのである(刑法二〇〇条は合憲であるという下田裁判官の反対意見については特に言及しなかつたが、上述した私見は、移してもつてその批判になるであろう。下田裁判官の意見は、差別の合理性を主張する点においても、裁判所の謙抑を説く点においても、あまりに憲法の原点を離れ去つた感があり、これには到底賛成することができない。)。

社会的身分による差別(2-2)尊属殺・尊属傷害致死重罰規定の合憲・意見

 目次


社会的身分による差別(2-1)尊属殺重罰規定の合憲性
社会的身分による差別(2-2)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官田中二郎の意見
社会的身分による差別(2-3)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官下村三郎の意見・裁判官色川幸太郎の意見
社会的身分による差別(2-4)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官大隅健一郎の意見
社会的身分による差別(2-5)尊属殺重罰規定の合憲性・裁判官下田武三の反対意見

【最大判昭和48年4月4日・尊属殺違憲判決】

【裁判官田中二郎の意見】は、次のとおりである。

 

判旨

 私は、本判決が、尊属殺人に関する刑法二〇〇条を違憲無効であるとして、同条を適用した原判決を破棄し、普通殺人に関する刑法一九九条を適用して被告人を懲役二年六月に処し、三年間刑の執行を猶予した、その結論には賛成であるが、多数意見が刑法二〇〇条を違憲無効であるとした理由には同調することができない。すなわち、多数意見は、要するに、刑法二〇〇条において普通殺人と区別して尊属殺人に関する特別の罪を定め、その刑を加重すること自体は、ただちに違憲とはいえないとし、ただ、その刑の加重の程度があまりにも厳しい点において、同条は、憲法一四条一項に違反するというのである。これに対して、私は、普通殺人と区別して尊属殺人に関する規定を設け、尊属殺人なるがゆえに差別的取扱いを認めること自体が、法の下の平等を定めた憲法一四条一項に違反するものと解すべきであると考える。したがつて、私のこの考え方からすれば、本件には直接の関係はないが、尊属殺人に関する刑法二〇〇条の規定のみならず、尊属傷害致死に関する刑法二〇五条二項、尊属遺棄に関する刑法二一八条二項および尊属の逮捕監禁に関する刑法二二〇条二項の各規定も、被害者が直系尊属なるがゆえに特に加重規定を設け差別的取扱いを認めたものとして、いずれも違憲無効の規定と解すべきであるということとなり、ここにも差異を生ずる。ただ、ここでは、尊属殺人に関する刑法二〇〇条を違憲無効と解すべき理由のみについて、私の考えるところを述べることとする。それは、次のとおりである。

 一 日本国憲法一三条の冒頭に、「すべて国民は、個人として尊重される」べきことを規定しているが、これは、個人の尊厳を尊重することをもつて基本とし、すべての個人について人格価値の平等を保障することが民主主義の根本理念であり、民主主義のよつて立つ基礎であるという基本的な考え方を示したものであつて、同一四条一項に、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定しているのも、右の基本的な考え方に立ち、これと同一の趣旨を示したものと解すべきである。右の条項には、人種、信条、性別などが列記されているが、多数意見も認めているように、これらの列記は、単にその主要なものの例示的列記にすぎず、したがつて、これらの列記事項に直接該当するか否かにかかわらず、個人の尊厳と人格価値の平等の尊重・保障という民主主義の根本理念に照らして不合理とみられる差別的取扱いは、すべて右条項の趣旨に違反するものとして、その効力を否定すべきものと考えるのである。

 近代国家の憲法がひとしく右の意味での法の下の平等を尊重・確保すべきものとしたのは、封建時代の権威と隷従の関係を打破し、人間の個人としての尊厳と平等を回復し、個人がそれぞれ個人の尊厳の自覚のもとに平等の立場において相協力して、平和な社会・国家を形成すべきことを期待したものにほかならない。

 日本国憲法の精神もここにあるものと解すべきであろう。

 もつとも、私も、一切の差別的取扱いが絶対に許されないなどと考えているわけではない。差別的取扱いが合理的な理由に基づくものとして許容されることがあることは、すでに幾多の最高裁判所の判決の承認するところである。問題は、何がそこでいう合理的な差別的取扱いであるのか、その「合理的な差別」と「合理的でない差別」とを区別すべき基準をどこに求めるべきかの点にある。そして、この点について、私は、さきに述べたように、憲法の基調をなす民主主義の根本理念に鑑み、個人の尊厳と人格価値の平等を尊重すべきものとする憲法の根本精神に照らし、これと矛盾抵触しない限度での差別的取扱いのみが許容されるものと考えるのである。したがつて、本件においては、尊属殺人に関し、普通殺人と区別して特別の規定を設けることが、右の基準に照らし、果たして「合理的な差別」といえるかどうかについて、検討する必要があるわけである。

 二 ところで、多数意見は、(1)尊属殺人について、普通殺人と区別して特別の規定を設けることには合理的根拠があるから、憲法一四条一項には違反しないとし、ただ、(2)刑法二〇〇条の定める法定刑があまりにも厳しすぎる点において、憲法一四条一項に違反するというのである。しかし、右の(1)の見解は果たして正当といい得るであろうか、これはすこぶる問題である。また、かりに、(1)の見解が是認され得るとした場合において、(2)の見解が果たして十分の説得力を有するものといい得るであろうか。この点についても、いささか疑問を抱かざるを得ないのである。順次、私の疑問とするところを述べることとする。

 (1) 刑法二〇〇条の尊属殺人に関する規定が設けられるに至つた思想的背景には、封建時代の尊属殺人重罰の思想があるものと解されるのみならず、同条が卑属たる本人のほか、配偶者の尊属殺人をも同列に規定している点からみても、同条は、わが国において旧憲法時代に特に重視されたといわゆる「家族制度」との深い関連をもつていることを示している。ところが、日本国憲法は、封建制度の遺制を排除し、家族生活における個人の尊厳と両性の本質的平等を確立することを根本の建前とし(憲法二四条参照)、この見地に立つて、民法の改正により、「家」、「戸主」、「家督相続」等の制度を廃止するなど、憲法の趣旨を体して所要の改正を加えることになつたのである。この憲法の趣旨に徴すれば、尊属がただ尊属なるがゆえに特別の保護を受けるべきであるとか、本人のほか配偶者を含めて卑属の尊属殺人はその背徳性が著しく、特に強い道義的非難に値いするとかの理由によつて、尊属殺人に関する特別の規定を設けることは、一種の身分制道徳の見地に立つものというべきであり、前叙の旧家族制度的倫理観に立脚するものであつて、個人の尊厳と人格価値の平等を基本的な立脚点とする民主主義の理念と抵触するものとの疑いが極めて濃厚であるといわなければならない。諸外国の立法例において、尊属殺人重罰の規定が次第に影をひそめ、これに関する規定を有していたものも、これを廃止ないし緩和する傾向にあるのも、右の民主主義の根本理念の滲透・徹底に即応したものということができる。最近のわが国の改正刑法草案がこの種の規定を設けていないのも、この流れにそつたものにほかならない。

 私も、直系尊属と卑属とが自然的情愛と親密の情によつて結ばれ、子が親を尊敬し尊重することが、子として当然守るべき基本的道徳であることを決して否定するものではなく、このような人情の自然に基づく心情の発露としての自然的・人間的情愛(それは、多数意見のいうような「受けた恩義」に対する「報償」といつたものではない。)が親子を結ぶ絆としていよいよ強められることを強く期待するものであるが、それは、まさしく、個人の尊厳と人格価値の平等の原理の上に立つて、個人の自覚に基づき自発的に遵守されるべき道徳であつて、決して、法律をもつて強制されたり、特に厳しい刑罰を科することによつて遵守させようとしたりすべきものではない。尊属殺人の規定が存するがゆえに「孝」の徳行が守られ、この規定が存しないがゆえに「孝」の徳行がすたれるというような考え方は、とうてい、納得することができない。尊属殺人に関する規定は、上述の見地からいつて、単に立法政策の当否の問題に止まるものではなく、憲法を貫く民主主義の根本理念に牴触し、直接には憲法一四条一項に違反するものといわなければならないのである。

 (2) 右に述べたように、私は、尊属殺人に関し、普通殺人と区別して特別の規定を設けること自体が憲法一四条一項に牴触するものと考えるのであるが、かりに、多数意見が説示しているように、このこと自体が憲法一四条一項に牴触するものではないという考え方に立つべきものとすれば、尊属殺人に対して、どのような刑罰をもつて臨むべきかは、むしろ、立法政策の問題だと考える方が筋が通り、説得力を有するのではないかと思う。

 多数意見は、「尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、あながち不合理であるとはいえない」としながら、「尊属殺の法定刑は、それが死刑または無期懲役刑に限られている点においてあまりにも厳しいものというべく、(中略)尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつてしては、これにつき十分納得すべき説明がつきかねるところであり、合理的根拠に基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない」というのである。しかし、もし、尊属殺害が通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとしてこれを処罰に反映させても不合理ではないという観点に立つとすれば、尊属殺害について通常の殺人に比して厳しい法定刑を定めるのは当然の帰結であつて、処断刑三年半にまで減軽することができる現行の法定刑が厳しきに失し、その点においてただちに違憲であるというのでは、論理の一貫性を欠くのみならず、それは、法定刑の均衡という立法政策の当否の問題であつて、刑法二〇〇条の定める法定刑が苛酷にすぎるかどうかは、憲法一四条一項の定める法の下の平等の見地からではなく、むしろ憲法三六条の定める残虐刑に該当するかどうかの観点から、合憲か違憲かの判断が加えられて然るべき問題であると考えるのである。

 三 日本国憲法の制定に伴つて行なわれた刑法の改正に際し、「忠孝」という徳目を基盤とする規定のうち、「忠」に関する規定を削除しながら、「孝」に関する規定を存置したのは、憲法の根本理念および憲法一四条一項の正しい理解を欠いたためであると考えざるを得ない。そして、昭和二五年一〇月一一日の最高裁判所大法廷判決(刑集四巻一〇号二〇三七頁)が、尊属傷害致死に関する刑法二〇五条二項は憲法一四条に違反しない旨の判断を示した(その趣旨は刑法二〇〇条にもそのままあてはまるものと解される。)のも、私には、とうてい、理解することができない。ところで、右に述べたような最高裁判所の指導的判決のもとで、刑法二〇〇条が実際上どのように運用されてきたかということも、右の規定の存在意義を反省するうえに若干の参考となるであろう。

 そこで、尊属殺人事件についての第一審判決の科刑の実情をみるに、統計の示すところによれば、昭和二七年から昭和四四年に至る一八年間の尊属殺人事件総数六二一件のうち、死刑の言渡がされたものは僅かに五件(〇・八一%)、無期懲役刑の言渡がされたものは六一件(九・八二%)にすぎず、大多数は減軽措置により一五年以下の懲役刑の言渡がされており、なかでも、五年以下の懲役刑の言渡がされたものが一六四件(二六・四%)に達し、最高の率を示している。このことは、多数意見が、尊属殺人は一般殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとしているのにかかわらず、現実には、本件の場合ほど極端な例はないにしても、やむにやまれぬ事情のもとに行なわれた犯行として強い社会的道義的非難を加えることの妥当でない事例が少なくないことを示している。のみならず、刑法二〇〇条の存在が具体的事案に即した量刑を著しく困難にし、裁判官を苦慮させ、時には、あえて、同条の違憲無効を断ぜざるを得ない破目に陥らせているのが実情である。最高裁判所自体も、昭和三二年二月二〇日の大法廷判決(刑集一一巻二号八二四頁)において、冷遇に苦しめられ、亡夫の父母等を殺害しようとした未亡人に刑法二〇〇条を適用した原判決を破棄し、同条の「配偶者の直系尊属」とは現に生存する配偶者のそれを指すものとし、刑法二〇〇条の適用を否定せざるを得なかつたのである。その結論は妥当として支持すべきものであろうが、同条の解釈としては問題のあるところで、右の結論を引き出すためには、根本に立ち帰つて、刑法二〇〇条そのものの合憲性について検討を加えるべきではなかつたかと思う。たしかに、尊属殺人のなかには、天人ともに許さない悪逆非道なものがあり、極刑をもつて臨まざるを得ないような事案もあるであろう。しかし、それは、必ずしも尊属殺人なるがゆえをもつて特別の取扱いをすることを根拠づけ又はこれを合理化するものではなく、同様の事案は普通殺人についても、しばしば、みられるのであるから、その処罰には普通殺人に関する法定刑で事足りるのであつて、改正刑法草案が尊属殺人に関する規定を廃止しているのも、こういう見地に立つものにほかならない。

 四 多数意見が尊属殺人について合理的な程度の加重規定を設けることは違憲でないとの判断を示したのは、それを違憲であるとする判断を示すことの社会的影響について深く憂慮したためではないかと想像されるが、殺人は、尊属殺人であろうと普通殺人であろうと、最も強い道義的非難に値いする犯罪であることはいうまでもないところであつて、尊属殺人に関する規定が違憲無効であるとする判断が示されたからといつて、この基本的な道徳が軽視されたとか、反道徳的な行為に対する非難が緩和されたとかと、受けとられるとは思わない。それは、むしろ、国民の一般常識又は道徳観を軽視した結果であつて、杞憂にすぎないといつてよいであろう。

 五 最後に、下田裁判官の反対意見について、一言附け加えておきたい。

 下田裁判官の反対意見は、その結論および理由の骨子ともに、私の賛成しがたいところであるが、そのことは、すでに述べたところがら明らかであるから、ここに重ねて述べることを省略し、ここでは、下田裁判官のとられる裁判所の違憲審査権に関する考え方についてのみ私の意見を述べることとする。

 右の点に関する下田裁判官の意見は、国民多数の意見を代表する立法府が制定した実定法規はこれを尊重することが「憲法の根本原則たる三権分立の趣旨にそう」ものであり、裁判所がたやすくかかる事項に立ち入ることは、「司法の謙抑の原則にもとる」こととなるおそれがあるという考え方を基礎とするもので、刑法二〇〇条についても、昭和二二年に刑法の一部改正が行なわれた際、ことさらにその改正から除外されたのであつて、右は、「当時立法府が本条をもつて憲法に適合するものと判断したことによると認むべきである」とされ、その後種々の論議が重ねられたにかかわらず、「今日なお同条についての立法上の措置を実現していないことは、立法府が、現時点において、同条の合憲性はもとより、立法政策当否の観点からも、なお同条の存置を是認しているものと解すべきである」とし、「かかる経緯をも考慮するときは、司法の謙抑と立法府の判断の尊重の必要は、刑法二〇〇条の場合において一段と大であるといわなければならない」とされ、さらに、立法論としても、「将来いかなる時期にいかなる内容の尊属殺処罰規定を制定あるいは改廃すべきかの判断は、あげて立法府の裁量に委ねるのを相当と考えるものである」と述べておられる。

 私も、事柄の性質によつては、立法府に相当広範な裁量権が認められる場合があること、そして、その裁量権の範囲内においては、立法政策の問題として、裁判所としても、これを尊重することを要し、これに介入することができないものとすべき場合が少なくないことを認めるに吝かではないし、裁判所が安易にそのような事項に立ち入つてその当否を判断すべきでないことも、下田裁判官の主張されるとおりであると思う。また、立法府が制定した法律の規定は、可能な限り、憲法の精神に即し、これと調和し得るよう合理的に解釈されるべきであつて、その字句の表現のみに捉われて軽々に違憲無効の判断を下すべきでないことも、かねて私の主張してきたところで、当裁判所の判例のとる基本的な態度でもあるのである。ところが、下田裁判官の意見は、「憲法の根本原則たる三権分立の趣旨」と「司法の謙抑の原則」をふりかざし、立法府の裁量的判断に委ねられるべき範囲を不当に拡張し、しかも、立法府が合憲と判断した以上、これに対する裁判所の介入は、もはや許されるべきでないかのごとき口吻を示されている。その真意のほどは必ずしも明らかではないが、本件について下田裁判官の主張されるところに限つてみても、私には、とうてい、賛成することができないのである。

 およそ立法府として(行政府についても同様のことがいえる。)、その行為が違憲であることを意識しながら、あえてこれを強行するというようなことは、ナチ政権下の違憲立法のごとき、いわば革命的行為をあえてしょうとするような場合は別として、わが国においては、通常、あり得ないことであり、また、あつてはならないことである。しかし、現実には、立法府の主観においては合憲であるとの判断のもとにされた立法についても、これを客観的にみた場合に、果たして合憲といえるかどうかが問題となる場合もあり得るのであつて、その場合の合憲か違憲かの審理判断を裁判所の重要な権限として認めようとするのが裁判所の違憲立法審査制の本来の狽いなのである。したがつて、裁判所の違憲立法審査権が明文で認められている現行憲法のもとでは、立法府自体が合憲であると判断したということは、裁判所の違憲立法審査権の行使を否定しこれを拒否する理由となし得るものでないことはいうまでもない。殊に、現在のように、基本的人権の尊重確保の要請と公共の福祉の実現の要請とをどのように調整すべきかの問題について、政治的・思想的な価値観の対立に基づき、重点の置きどころを異にし、利害の対立もからんで、見解の著しい差異が見られる時代においては、国会の多数の意見に従つて制定された法律であることのゆえのみをもつてただちに常に合憲であると断定するわけにはいかないのである。もちろん、法律には、一応、「合憲性の推定」は与えられてよいが、それが果たして合憲であるかどうかは、まさに裁判所の審理判断を通して決せられるべき問題にほかならない。したがつて、司法の謙抑の原則のみを強調し、裁判所の違憲立法審査権の行使を否定したり、これを極度に制限しようとしたりする態度は、わが現行憲法の定める三権分立制の真の意義の誤解に基づき、裁判所に与えられた最も重要な権能である違憲立法審査権を自ら放棄するにも等しいものであつて、憲法の正しい解釈とはいいがたく、とうてい賛成することができないのである。

 裁判官小川信雄、同坂本吉勝は、裁判官田中二郎の右意見に同調する。

社会的身分による差別(2-1)尊属殺・尊属傷害致死重罰規定の合憲性

 目次


社会的身分による差別(2-1)尊属殺重罰規定の合憲性
社会的身分による差別(2-2)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官田中二郎の意見
社会的身分による差別(2-3)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官下村三郎の意見・裁判官色川幸太郎の意見
社会的身分による差別(2-4)尊属殺重罰規定の合憲・裁判官大隅健一郎の意見
社会的身分による差別(2-5)尊属殺重罰規定の合憲性・裁判官下田武三の反対意見

【最大判昭和48年4月4日・尊属殺違憲判決】

要旨

刑法二〇〇条は、尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役のみに限つている点で、普通殺に関する刑法一九九条の法定刑に比し著しく不合理な差別扱をするものであり、憲法一四条一項に違反する。

 

判旨

 よつて案ずるに、憲法一四条一項は、国民に対し法の下の平等を保障した規定であつて、同項後段列挙の事項は例示的なものであること、およびこの平等の要請は、事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでないかぎり、差別的な取扱いをすることを禁止する趣旨と解すべきことは、当裁判所大法廷判決(昭和三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日・民集一八巻四号六七六頁)の示すとおりである。そして、刑法二〇〇条は、自己または配偶者の直系尊属を殺した者は死刑または無期懲役に処する旨を規定しており、被害者と加害者との間における特別な身分関係の存在に基づき、同法一九九条の定める普通殺人の所為と同じ類型の行為に対してその刑を加重した、いわゆる加重的身分犯の規定であつて(最高裁昭和三〇年(あ)第三二六三号同三一年五月二四日第一小法廷判決・刑集一〇巻五号七三四頁)、このように刑法一九九条のほかに同法二〇〇条をおくことは、憲法一四条一項の意味における差別的取扱いにあたるというべきである。そこで、刑法二〇〇条が憲法の右条項に違反するかどうかが問題となるのであるが、それは右のような差別的取扱いが合理的な根拠に基づくものであるかどうかによつて決せられるわけである。

 当裁判所は、昭和二五年一〇月以来、刑法二〇〇条が憲法一三条、一四条一項、二四条二項等に違反するという主張に対し、その然らざる旨の判断を示している。もつとも、最初に刑法二〇〇条が憲法一四条に違反しないと判示した大法廷判決(昭和二四年(れ)第二一〇五号同二五年一〇月二五日・刑集四巻一〇号二一二六頁)も、法定刑が厳に過ぎる憾みがないではない旨を括弧書において判示していたほか、情状特に憫諒すべきものがあつたと推測される事案において、合憲性に触れることなく別の理由で同条の適用を排除した事例も存しないわけではない(最高裁昭和二八年(あ)第一一二六号同三二年二月二〇日大法廷判決・刑集一一巻二号八二四頁、同三六年(あ)第二四八六号同三八年一二月二四日第三小法廷判決・刑集一七巻一二号二五三七頁)。また、現行刑法は、明治四〇年、大日本帝国憲法のもとで、第二三回帝国議会の協賛により制定されたものであつて、昭和二二年、日本国憲法のもとにおける第一回国会において、憲法の理念に適合するようにその一部が改正された際にも、刑法二〇〇条はその改正から除外され、以来今日まで同条に関し格別の立法上の措置は講ぜられていないのであるが、そもそも同条設置の思想的背景には、中国古法制に渕源しわが国の律令制度や徳川幕府の法制にも見られる尊属殺重罰の思想が存在すると解されるほか、特に同条が配偶者の尊属に対する罪をも包含している点は、日本国憲法により廃止された「家」の制度と深い関連を有していたものと認められるのである。さらに、諸外国の立法例を見るに、右の中国古法制のほかローマ古法制などにも親殺し厳罰の思想があつたもののごとくであるが、近代にいたつてかかる思想はしだいにその影をひそめ、尊属殺重罰の規定を当初から有しない国も少なくない。そして、かつて尊属殺重罰規定を有した諸国においても近時しだいにこれを廃止しまたは緩和しつつあり、また、単に尊属殺のみを重く罰することをせず、卑属、配偶者等の殺害とあわせて近親殺なる加重要件をもつ犯罪類型として規定する方策の講ぜられている例も少なからず見受けられる現状である。最近発表されたわが国における「改正刑法草案」にも、尊属殺重罰の規定はおかれていない。

 このような点にかんがみ、当裁判所は、所論刑法二〇〇条の憲法適合性につきあらためて検討することとし、まず同条の立法目的につき、これが憲法一四条一項の許容する合理性を有するか否かを判断すると、次のように考えられる。

 刑法二〇〇条の立法目的は、尊属を卑属またはその配偶者が殺害することをもつて一般に高度の社会的道義的非難に値するものとし、かかる所為を通常の殺人の場合より厳重に処罰し、もつて特に強くこれを禁圧しようとするにあるものと解される。ところで、およそ、親族は、婚姻と血縁とを主たる基盤とし、互いに自然的な敬愛と親密の情によつて結ばれていると同時に、その間おのずから長幼の別や責任の分担に伴う一定の秩序が存し、通常、卑属は父母、祖父母等の直系尊属により養育されて成人するのみならず、尊属は、社会的にも卑属の所為につき法律上、道義上の責任を負うのであつて、尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的道義というべく、このような自然的情愛ないし普遍的倫理の維持は、刑法上の保護に値するものといわなければならない。しかるに、自己または配偶者の直系尊属を殺害するがごとき行為はかかる結合の破壊であつて、それ自体人倫の大本に反し、かかる行為をあえてした者の背倫理性は特に重い非難に値するということができる

 このような点を考えれば、尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、あながち不合理であるとはいえない。そこで、被害者が尊属であることを犯情のひとつとして具体的事件の量刑上重視することは許されるものであるのみならず、さらに進んでこのことを類型化し、法律上、刑の加重要件とする規定を設けても、かかる差別的取扱いをもつてただちに合理的な根拠を欠くものと断ずることはできず、したがつてまた、憲法一四条一項に違反するということもできないものと解する。

 さて、右のとおり、普通殺のほかに尊属殺という特別の罪を設け、その刑を加重すること自体はただちに違憲であるとはいえないのであるが、しかしながら、刑罰加重の程度いかんによつては、かかる差別の合理性を否定すべき場合がないとはいえない。すなわち、加重の程度が極端であつて、前示のごとき立法目的達成の手段として甚だしく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえないときは、その差別は著しく不合理なものといわなければならず、かかる規定は憲法一四条一項に違反して無効であるとしなければならない

 この観点から刑法二〇〇条をみるに、同条の法定刑は死刑および無期懲役刑のみであり、普通殺人罪に関する同法一九九条の法定刑が、死刑、無期懲役刑のほか三年以上の有期懲役刑となつているのと比較して、刑種選択の範囲が極めて重い刑に限られていることは明らかである。もつとも、現行刑法にはいくつかの減軽規定が存し、これによつて法定刑を修正しうるのであるが、現行法上許される二回の減軽を加えても、尊属殺につき有罪とされた卑属に対して刑を言い渡すべきときには、処断刑の下限は懲役三年六月を下ることがなく、その結果として、いかに酌量すべき情状があろうとも法律上刑の執行を猶予することはできないのであり、普通殺の場合とは著しい対照をなすものといわなければならない。

 もとより、卑属が、責むべきところのない尊属を故なく殺害するがごときは厳重に処罰すべく、いささかも仮借すべきではないが、かかる場合でも普通殺人罪の規定の適用によつてその目的を達することは不可能ではない。その反面、尊属でありながら卑属に対して非道の行為に出で、ついには卑属をして尊属を殺害する事態に立ち至らしめる事例も見られ、かかる場合、卑属の行為は必ずしも現行法の定める尊属殺の重刑をもつて臨むほどの峻厳な非難には値しないものということができる。

 量刑の実状をみても、尊属殺の罪のみにより法定刑を科せられる事例はほとんどなく、その大部分が減軽を加えられており、なかでも現行法上許される二回の減軽を加えられる例が少なくないのみか、その処断刑の下限である懲役三年六月の刑の宣告される場合も決して稀ではない。このことは、卑属の背倫理性が必ずしも常に大であるとはいえないことを示すとともに、尊属殺の法定刑が極端に重きに失していることをも窺わせるものである。

 このようにみてくると、尊属殺の法定刑は、それが死刑または無期懲役刑に限られている点(現行刑法上、これは外患誘致罪を除いて最も重いものである。)においてあまりにも厳しいものというべく、上記のごとき立法目的、すなわち、尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつてしては、これにつき十分納得すべき説明がつきかねるところであり、合理的根拠に基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない。

 以上のしだいで、刑法二〇〇条は、尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役刑のみに限つている点において、その立法目的達成のため必要な限度を遥かに超え、普通殺に関する刑法一九九条の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、憲法一四条一項に違反して無効であるとしなければならず、したがつて、尊属殺にも刑法一九九条を適用するのほかはない。この見解に反する当審従来の判例はこれを変更する

 

 

【裁判官岡原昌男の補足意見】

 一、本判決の多数意見は、刑法二〇〇条が普通殺のほかに尊属殺という特別の罪を設け、その刑を加重すること自体はただちに違憲とはいえないけれども、その加重の程度があまりにも厳しい点において同条は憲法一四条一項に違反するというのであるが、これに対し、(一)刑法二〇〇条が尊属殺という特別の罪を設けていることがそもそも違憲であるとする意見、および(二)刑法二〇〇条は、尊属殺という罪を設けている点においても、刑の加重の程度においても、なんら憲法一四条一項に違反するものではないとする反対意見も付されているので、わたくしは、多数意見に加わる者のひとりとして、これらの点につき若干の所信を述べておきたい。

 二、右(一)の見解は、要するに、刑法二〇〇条は、(1)親子のほか、夫婦、兄弟姉妹その他の親族の結合のうち、卑属の尊属に対する関係のみを取りあげている点、および(2)日本国憲法の基本理念に背馳する特異な身分制道徳の維持存続を目的とすると認められる点において、憲法一四条一項の許容する合理的差別を設けるものとはいえないとするのである。

 しかし、まず(1)についていえば、本件で当裁判所のなすべきことは、本件具体的争訟における憲法上の論点、すなわち現行の実定法たる刑法二〇〇条の合憲性についての判断であつて、親族間の殺人につきいかなる立法をすることがもつとも適切妥当であるかの考察ではない。多数意見は、このことを当然の前提とし、あえて同条の立法政策としての当否に触れることなく、同条の合憲性のみを検討したうえ、同条の設ける差別は、憲法上、それ自体としてまつたく正当化できないものとはいえないとするにとどめたのである。(1)の点を、実定法の合憲性が争われている本件憲法訴訟における判断の理由に加えることは適切でないものと考える。

 つぎに、(2)で説かれる諸点は、いずれも正当であり、わたくしも、刑法二〇〇条が、往時の「家」の制度におけるがごとき尊属卑属間の権威服従関係を極めて重視する思想を背景とし、これに基づく家族間の倫理および社会的秩序の維持存続をはかるものたる性格を有することを認めるにやぶさかでない。しかしながら、わたくしは、刑法二〇〇条のかかる性格は、尊属殺なる罪を設け、その刑を加重するところに示されているのではなく、その法定刑が極端に重い刑のみに限られている点に露呈されていると考えるのであり、多数意見が、尊属殺の法定刑は「尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつてしてはこれにつき十分納得すべき説明がつきかねる」としているのもまた同様の見地に立つて言外にこの理を示すものにほかならないと解する。換言すれば、(2)を論ずる各意見の趣旨にはいずれも賛同を惜しまないけれども、これをもつて刑法二〇〇条が尊属殺を設けること自体の違憲性の根拠とすることは当たらず、同条の法定刑の不合理性の根拠として取り扱うべきものと考えるのである。

 三、さらに、(二)の反対意見は、主として、刑法二〇〇条の法定刑は極端に重いものと解すべきか否かの点で多数意見と見解を異にするのであるが、その論述のうち、立法の沿革および裁判所の憲法判断のあり方等についての言及に関して一言したい。

 同意見の指摘する立法の沿革は歴史的事実として明らかなところである。また、国の立法権は国権の最高機関たる国会に属すること(憲法四一条)、および国会議員は憲法を尊重し擁護する義務を負う(憲法九九条)から、立法府たる国会は法律の制定にあたり憲法に適合するようその内容を定めているはずであり、旧憲法下において制定された法律中、今日まで改廃されていない規定についても、立法府は暗黙のうちにこれらが日本国憲法に適合すると判断しているものと考えて然るべきことも右意見が説くとおりである。そして、裁判所は、具体的争訟において特定の法規の合憲性が争われた場合に、これにつき審査をする権限を有するのであるが、当該法規の内容の当否が立法政策の当否の問題であるにとどまると認められるかぎり、かかる法規を違憲とすることが許されないこともちろんである。さらに法規の内容の当否が立法政策当否の範囲にとどまるか否かを判断するにあたつては、裁判所は前記のような憲法適合性についての立法府の判断を尊重することが三権分立制度の下における違憲立浅審査権行便のあり方として望ましいということができよう。

 しかし、ことがらによつては、憲法上の効力が争われる特定の法規の内容が、立法の沿革、運用の実情、社会の通念、諸国法制のすう勢その他諸般の状況にかんがみ、かなりの程度に問題を有し、その当否が必ずしも立法政策当否の範囲にとどまらないのではないかとの疑問を抱かせる場合がないとはいえない。さらにまた、たとえば刑法のように社会生活上の強行規範として価値観と密接な関係を有する基本法規にあつては、時代の進運、社会情勢の変化等に伴い、当初なんら問題がないと考えられた規定が現在においては憲法上の問題を包蔵するにいたつているのではないかと疑われることもありうるところである。このような場合、裁判所は、もはや前記謙抑の立場に終始することを許されず、憲法により付託されている違憲立法審査の権限を行使し、当該規定の憲法適合性に立ち入つて検討を加えるべく、その結果、もし当該規定の不合理性が憲法の特定の条項の許容する限度を超え、立法府の裁量の範囲を逸脱しているものと認めたならば、当該規定の違憲を宣明する責務を有するのである。

 本判決の多数意見が、刑法二〇〇条の合憲性に関する当裁判所の先例のほか、同条の立法の沿革、諸外国立法例、近時の立法傾向等に触れ、これらの点にかんがみ、同条の憲法適合性につきあらためて考察する旨を述べたのち、はじめて実質的な判断に入つているのは、右のような見地に立つて、専断恣意を排除しつつ慎重な検討が加えられたことを示すものにほかならない。また、多数意見が、同条を違憲とするにあたり、その法定刑につき「十分納得すべき説明がつきかねる」としているのは、説明できないゆえんを説明するの煩を避けたもので、ことがらの性質上やむをえないところであるのみならず、その言外に含蓄するところは前述のごとくであつて、その判断は十分な根拠を有するものと解すべく、決して軽々に違憲の判断がなされたものではないのである。

 反対意見が多数意見と結論を異にしたことは、立脚点の相違に基づき、やむをえないとしても、多数意見をもつて慎重を欠く判断であるかのごとくいう点には、必ずしも承服しがたいものがある。

社会的身分による差別(1) 社会的身分の意義

 目次

 

【社会的身分の意義】

【最大判昭和25年10月11日】

憲法一四条一項の解釈よりすれば、親子の関係は、同条項において差別待遇の理由としてかかぐる、社会的身分その他いずれの事由にも該当しない。

 

 

 

【最大判昭和39年5月27日】

要旨

町長が町条例に基づき、過員整理の目的で行なつた町職員に対する待命処分は、五五歳以上の高齢者であることを一応の基準としたうえ、その該当者につきさらに勤務成績等を考慮してなされたものであるときは、憲法第一四条第一項および地方公務員法第一三条に違反しない。

 

判旨

 思うに、憲法一四条一項及び地方公務員法一三条にいう社会的身分とは、人が社会において占める継続的な地位をいうものと解されるから、高令であるということは右の社会的身分に当らないとの原審の判断は相当と思われるが、右各法条は、国民に対し、法の下の平等を保障したものであり、右各法条に列挙された事由は例示的なものであつて、必ずしもそれに限るものではないと解するのが相当であるから、原判決が、高令であることは社会的身分に当らないとの一事により、たやすく上告人の前示主張を排斥したのは、必ずしも十分に意を尽したものとはいえない。しかし、右各法条は、国民に対し絶対的な平等を保障したものではなく、差別すべき合理的な理由なくして差別することを禁止している趣旨と解すべきであるから、事柄の性質に即応して合理的と認められる差別的取扱をすることは、なんら右各法条の否定するところではない。

 

 

【東京高決平成5年6月23日】

要旨

嫡出でない子の相続分を嫡出である子の相続分の二分の一とする民法九〇〇条四号ただし書の規定は憲法一四条一項に違反する。

 

判旨

 二 当裁判所の判断

1 当裁判所は、民法九〇〇条四号但書前段の規定は、憲法一四条一項の規定に違反し、無効であると解する。その理由は、次のとおりである。

 (一) 憲法一四条一項所定の「社会的身分」とは、出生によって決定される社会的な地位又は身分をいうと解されるところ、嫡出子か嫡出子でないかは、本人を懐胎した母が、本人の父と法律上の婚姻をしているかどうかによって決定される(民法七七二条)事柄であるから、子の立場から見れば、正に出生によって決定される社会的な地位又は身分ということができる。そうだとすると、民法九〇〇条四号但書前段の規定は、嫡出子と非嫡出子とを相続分において区別して取り扱うものであることが明らかであるから、憲法一四条一項にいう「社会的身分による経済的又は社会的関係における差別的取扱い」に当たるというべきである。

 そして、憲法一四条一項の法の下における平等の要請は、事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでないかぎり、差別的な取扱いをすることを禁止する趣旨と解すべきであるから、民法九〇〇条四号但書前段の規定による嫡出子と非嫡出子との間の差別的な取扱いが、はたして合理的な根拠に基づくものであるかどうかが問われることになる。

 (二) ところで、社会的身分を理由とする差別的取扱いは、個人の意思や努力によってはいかんともしがたい性質のものであり、個人の尊厳と人格価値の平等の原理を至上のものとした憲法の精神(憲法一三条、二四条二項)にかんがみると、当該規定の合理性の有無の審査に当たっては、立法の目的(右規定所定の差別的な取扱いの目的)が重要なものであること、及びその目的と規制手段との間に事実上の実質的関連性があることの二点が論証されなければならないと解される。 そこで、以下右の二点について検討を加える。

 (三) 立法の目的の重要性について

 民法九〇〇条四号但書前段の立法の目的は、正当な婚姻を奨励尊重することにあり、いいかえれば、適法な婚姻に基づく家族関係を保護することにあると説かれているが、ここで念頭に置かれているのは、いわゆる「妾の子」に対して「妻の子」の利益を保護することにより、結果的に法律婚を尊重しようという旧家族制度に由来する沿革的思想にほかならない。

 もっとも、右規定の立案に際しては、憲法の原則である個人の尊厳と平等の立場から問題が提起されたが、他方では、非嫡出子に相続権を与えること自体に対する反対論があり、正当の婚姻を重んずるという建前から旧民法の規定による差別的取扱いがいわば妥協の産物としてそのまま存置される形となった。そして、右のような賛否両論を踏まえて、民法の一部を改正する法律(昭和二二年法律第二二二号)が成立するに際しては、その審議の経緯にかんがみ、衆議院において、「本法は、可及的速やかに、将来において更に改正する必要があることを認める。」旨の附帯決議がなされた。

 その後、昭和五四年七月一七日付けで法務省民事局参事官室から公表された相続に関する民法改正要綱試案の二において、非嫡出子の相続分の平等化が図られたが、当時の世論調査の結果等にかんがみ、時期尚早としてこの部分の改正は見送られた経緯がある。なお、右試案と同時に公表された説明中には、非嫡出子の相続分の平等化を図る根拠として、次のとおり述べられている。

 「試案は、非嫡出子は、嫡出でないことについてみずから何の責任もないのに、現行法のように、その相続分を、親を同じくする嫡出子の二分の一として区別することは、法の下の平等の理念に照らし問題があること、及び両者の相続分を同等としても、配偶者の相続分には変わりがなく、法律婚主義と直接抵触するものでもないこと等の理由により、非嫡出子の相続分は、嫡出子の相続分と同等とするのが適当であるとする意見によったものである。」

 当裁判所は、適法な婚姻に基づく家族関係を保護するという立法の目的それ自体は、憲法二四条の趣旨に照らし、現今においてもなお、尊重されるべきであり、これが重要なものであることを肯定する。

 しかしながら、嫡出子と非嫡出子との相続分を同等としても、これにより配偶者の相続分はなんらの影響を受けるものではないし、仮りに、配偶者の側に実質的な不平等が生ずることがあるにしても、寄与分の制度を活用することにより是正可能であることが留意されるべきである(なお、生みの親の心情からしても、遺産の分配につき嫡出子と非嫡出子との間に分け隔てされることを当然とする者はいないのではないかと考えられるし、相続制度の対極にある父母に対する扶養の観点からしても、嫡出子も非嫡出子も双方平等に義務を負っていることが指摘され得る。)。

 もとより、適法な婚姻に基づく家族関係の保護が、尊重されるべき理念であることはいうまでもないが、他方で、非嫡出子の個人の尊厳も等しく保護されなければならないのであって、後者の犠牲の下で前者を保護するような立法は極力回避すべきであろう(因みに、本件記録によれば、抗告人は非嫡出子であるという理由だけで、これまで屡々他人から白眼視されただけでなく、本件の係争法条である民法九〇〇条四号但書前段を盾に相続関係人から極めて冷ややかな遇いを受けたことが認められる。そして、抗告人と同様の立場にある者の多くが、右と同じような仕打ちを受けていることは、半ば公知の事実でもあることからすれば、まさに、同法条は、結果的にしろ、非嫡出子に対する差別心を人々の心に生じさせ、かつ助長する役割を果しているともいえるのであり、このような現実は軽視されてよいとは決していえない。)。

 そして、この点に関する近時の諸外国における立法の動向を見ると、非嫡出子について権利の平等化を強く志向する傾向にあることが窺われ、さらに、国際連合による「市民的及び政治的権利に関する国際規約」二四条一項の規定の精神及び我が国において未だ批准していないものの、近々批准することが予定されている「児童の権利に関する条約」二条二項の精神等にかんがみれば、適法な婚姻に基づく家族関係の保護という理念と非嫡出子の個人の尊厳という理念は、その双方が両立する形で問題の解決が図られなければならないと考える。

 (四) 目的と規制手段との間の実質的関連性について

 民法九〇〇条四号但書前段の規制が非嫡出子の相続分を嫡出子のそれの二分の一とすることにより、すなわち、妻の子の利益を妾の子のそれよりも重視することにより、結果的に法律婚家族の利益が一定限度で保護されていること自体は、否定しがたい。その意味では、右の規制と立法目的との間には、一応の相関関係があるといえる。

 しかしながら、右の規制があるからといって、婚外子の出現を抑止することはほとんど期待できない上、非嫡出子から見れば、父母が適法な婚姻関係にあるかどうかはまったく偶然なことに過ぎず、自己の意思や努力によってはいかんともしがたい事由により不利益な取扱いを受ける結果となることが留意されるべきである。これは、たとえていえば、正に「親の因果が子に報い」式の仕打ちであり、人は自己の非行のみによって罰又は不利益を受けるという近代法の基本原則にも背反していることが見逃されてはならない。

 次に、民法九〇〇条四号但書前段の規制は、一律に非嫡出子の相続分を嫡出子のそれの二分の一としているから、たとえば、母が法律婚による嫡出子を儲けて離婚した後、再婚し、子を儲けた場合に、再婚が事実上の婚姻にすぎなかったときは、母の相続に関しても、嫡出子と非嫡出子とが差別される結果となり、同号但書前段が本来意図している法律婚家族の保護(その実質がいわゆる妾の子よりも妻の子を保護することにあることは前叙のとおりである)を越えてしまう結果を招来すること、このような場合には、いいかえれば、規制の範囲が立法の目的に対して広きにすぎることが指摘されなければならない。

 以上のとおり、民法九〇〇条四号但書前段の規制は、目的に対して広すぎるという意味で正確性に欠けるだけではなく、婚外子の出現を抑止することに関しほとんど無力であるという意味で、適法な婚姻に基づく家族関係の保護という立法目的を達成するうえで事実上の実質的関連性を有するといえるかどうかも、はなはだ疑わしいといわざるを得ないのである。

 (五) そうだとすると、民法九〇〇条四号但書前段の差別的取扱いは、必ずしも合理的な根拠に基づくものとはいい難いから、憲法一四条一項の規定に違反するものと判断せざるを得ない。

 2 以上の見地に立って原審判の当否を検討するに、原審判が相続人の相続分を算定するに当たり、民法九〇〇条四号但書前段の規定を適用したのは違法であるから、原審判中の該当部分を以下のとおり改める。

 

 

【最判昭和30年8月18日 業務上横領】

要旨

刑法二五三条の業務上他人の物を占有するということは、犯罪者の属性による刑法上の身分であるが、憲法一四条にいわゆる社会的身分と解することはできない。

 

判旨

刑法二五三条の業務上横領罪につき同二五二条の単純横領罪に比しその刑が加重されているのは業務上占有する他人の物を横領することが単純横領に比し反社会性が顕著で犯情が重いとされるからである。そして業務上他人の物を占有するということは、犯罪者の属性による刑法上の身分であるが、憲法一四条にいわゆる社会的身分と解することはできない。

 

 

【最大判昭和26年8月1日・常習賭博】

要旨

刑法一八六条の賭博常習者は、憲法一四条にいわゆる「社会的身分」ではない。

 

判旨

 刑法一八六条の常習賭博罪が同一八五条の単純賭博罪に比し、賭博常習者という身分によつて刑を加重していることは所論のとおりである。そして右加重の理由は賭博を反覆する習癖にあるのであつて、即ち常習賭博は単純賭博に比しその反社会性が顕著で、犯情が重いとされるからである。そして、賭博常習者というのは、賭博を反覆する習癖・即ち犯罪者の属性による刑法上の身分であるが、憲法一四条にいわゆる社会的身分と解することはできない。されば刑法一八六条の規定をもつて憲法一四条に違反するものであるとの論旨は到底これを採用することができない。

 

 

【最判昭和24年6月16日 傷害詐欺事件】

要旨

判決中に「被告人は土木請負業関根組の最高幹部であつた」と判示したからといって、それは本人の経歴を示したものにすぎず、直ちに被告人に対してその社会的身分または門地によって差別的取扱いをしたものと解することはできない。

 

判旨

「被告人は土木請負業関根組の最高幹部であつたが」の判示は単に被告人の経歴を示したに過ぎないもので、所論のようにこれを判決の前提又は背景としたものでないこと明白であるから、かような判示をしたからといつて、直に原判決が被告人に対してその身分門地によつて差別的取扱をしたとはいえない。

性別による差別(4)女性の再婚禁止期間・国籍法・入会権

 目次

【親族関係】

 

【広島高裁平成3年11月28日 女性の再婚禁止期間違憲訴訟】

要旨

女性に対してのみ再婚禁止期間を定めた民法733条は、憲法13条・14条1項・24条の規定の一義的な文言に違反するとまでいえず、民法733条の立法をし、これを廃止または改正しない国会議員の行為および同条を廃止または改正するための法律案を国会に提出しない内閣の行為に国家賠償法上の違法性はない。

 

判旨

2 民法七三三条の憲法適合性について

() 憲法一四条一項、二四条二項について

 憲法は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した家族関係を理想とし、婚姻及び家族に関する事項に関しては、法律は右の点に立脚して制定されなければならないとし(同法二四条二項)、民法は、これを承けて、一夫一婦制を定め、その上に立ちつつ、妻が婚姻中に懐胎した子は夫の子と推定し、また婚姻成立の日から二百日後又は婚姻の解消若しくは取消の日から三百日以内に生まれた子は婚姻中に懐胎したものと推定する(民法七七二条)ことによって、社会構成の基礎となる夫婦を中心とする家族関係を明確にし、これによって家庭生活の平穏を保護し、子の福祉を図っているところである。

 ところで、右法制の下においては、現に民法七三三条が採用しているような女が再婚する場合には一定の再婚禁止期間を設けるというような立法措置が併せて講じられない場合には、女が前婚の解消又は取消の日から三〇〇日以内で、かつ後婚成立の日から二〇〇日後に産んだ子については、嫡出の推定が重複することとなるところ、かかる父性の混同が生ずるような事態が法制上当然生ずることは、家族関係を不明確にし、国家、社会の基盤となる家庭を不安定ならしめる点から望ましくないばかりか、出生子の利益を損ない、後婚の家庭生活の平穏をも妨げることとなるから、父性の混同を防止し、女が再婚した場合における出生子の利益や後婚の家庭生活の平穏を保護するため、現に民法が採用しているような再婚禁止期間の制度その他の何らかの立法措置が必要であることはいうまでもない。

 そうして民法七三三条は「女は、前婚の解消又は取消の日から六箇月を経過した後でなければ、再婚をすることができない。」と定め、女子についてのみ再婚禁止期間を設けていて、再婚の要件について男女を区別しているところ、憲法一四条一項は、すべての人をすべての点について法上平等に取り扱うことまでを要求しているものではなく、個人的特性に基づく差異があるときは、その差異に応じた合理的な差別は許されるところであるとしても、同項は、特に人種・信条、社会的身分又は門地と並んで性別を掲げて、これにより政治的、経済的又は社会的関係において差別することを禁じていること、また、同法二四条二項はこれを受けて、前示のとおり、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」ことを謳っているのであるから、女にのみ再婚禁止期間を設けてその婚姻の自由を制約することは、それが前示の父性の混同を防止し、出生子の利益や後婚の家庭生活の平穏を保護するという目的を達成するために必要やむを得ない手段でなければならず、そうでないにもかかわらず再婚禁止期間を設けた場合には、再婚に関して女子についてのみ不合理な差別を強いるものとして違憲の疑いが生じかねないところである。

() 憲法二四条一項について

 憲法二四条一項は「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」旨規定しているが、この規定が婚姻の要件として両性の合意以外の要件を定めることを一切禁止する趣旨であるとは解されず、現に民法では、婚姻は戸籍法の定めるところによってこれを届け出ることによって成立するものとされ(同法七三九条)、婚姻適齢が設けられ(同法七三一条)、未成年者の婚姻については父母の同意が要件とされ(同法七三七条)、重婚が禁止され(同法七三二条)、近親婚が禁止される(同法七三四条)などしているのであるから、女子について再婚禁止期間を設けることが直ちに憲法の右条項に違反するものではないことはいうまでもない。

() 憲法一三条について

 控訴人らは、民法七三三条が憲法一三条に違反するとも主張する。しかし、同条の規定は、個人の尊重を国政の基本とすることを宣明した規定にすぎないから、民法七三三条の規定が法の下の平等を定めた憲法一四条一項の規定には違反しないのに、同法一三条の規定には違反するという事態は到底想定できないところである。」

 

 

 

【最判平成7年12月5日 女性の再婚禁止期間違憲訴訟】

要旨

再婚禁止期間について男女間に差異を設ける民法733条は、合理的根拠に基づくもので、憲法14条1項に違反せず、同規定を改廃しない国会ないし国会議員の行為は、国家賠償法1条1項の適用上、違法の評価を受けるものではない。

 

判旨

 国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではなく、国会ないし国会議員の立法行為(立法の不作為を含む。)は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというように、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の適用上、違法の評価を受けるものでないことは、当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和五三年(オ)第一二四〇号同六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁、最高裁昭和五八年(オ)第一三三七号同六二年六月二六日第二小法廷判決・裁判集民事一五一号一四七頁)。

 これを本件についてみると、上告人らは、再婚禁止期間について男女間に差異を設ける民法七三三条が憲法一四条一項の一義的な文言に違反すると主張するが、合理的な根拠に基づいて各人の法的取扱いに区別を設けることは憲法一四条一項に違反するものではなく、民法七三三条の元来の立法趣旨が、父性の推定の重複を回避し、父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐことにあると解される以上、国会が民法七三三条を改廃しないことが直ちに前示の例外的な場合に当たると解する余地のないことが明らかである。したがって、同条についての国会議員の立法行為は、国家賠償法一条一項の適用上、違法の評価を受けるものではないというべきである。

 そして、立法について固有の権限を有する国会ないし国会議員の立法行為が違法とされない以上、国会に対して法律案の提出権を有するにとどまる内閣の法律案不提出等の行為についても、これを国家賠償法一条一項の適用上違法とする余地はないといわなければならない。

 

 

 

【国籍法関係】

・父系女系優先主義

【東京地判昭和56年3月30日】

国民の要件 父系優先血統主義について・東京地判昭和56年3月30日
国民の要件 父系優先血統主義について(2)・東京地判昭和56年3月30日(続)

 

 

【最判平成14年11月22日】

要旨

国籍法2条1号が、子が日本人の父から出生後に認知されたことにより出生時にさかのぼって法律上の父子関係が存在するものとは認めず、出生後の認知だけでは日本国籍の生来的な取得を認めないものとしていることには、合理的根拠があり、憲法14条1項に違反しない。

 

判旨

 2 憲法一〇条は、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と規定している。これは、国籍は国家の構成員の資格であり、元来、何人が自国の国籍を有する国民であるかを決定することは、国家の固有の権限に属するものであり、国籍の得喪に関する要件をどのように定めるかは、それぞれの国の歴史的事情、伝統、環境等の要因によって左右されるところが大きいところから、日本国籍の得喪に関する要件をどのように定めるかを法律にゆだねる趣旨であると解される。このようにして定められた国籍の得喪に関する法律要件における区別が、憲法一四条一項に違反するかどうかは、その区別が合理的な根拠に基づくものということができるかどうかによって判断すべきである。なぜなら、この規定は、法の下の平等を定めているが、絶対的平等を保障したものではなく、合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであって、法的取扱いにおける区別が合理的な根拠に基づくものである限り、何らこの規定に違反するものではないからである(最高裁昭和三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁、最高裁平成三年(ク)第一四三号同七年七月五日大法廷決定・民集四九巻七号一七八九頁)。

 3 法二条一号は、日本国籍の生来的な取得についていわゆる父母両系血統主義を採用したものであるが、単なる人間の生物学的出自を示す血統を絶対視するものではなく、子の出生時に日本人の父又は母と法律上の親子関係があることをもって我が国と密接な関係があるとして国籍を付与しようとするものである。そして、生来的な国籍の取得はできる限り子の出生時に確定的に決定されることが望ましいところ、出生後に認知されるか否かは出生の時点では未確定であるから、法二条一号が、子が日本人の父から出生後に認知されたことにより出生時にさかのぼって法律上の父子関係が存在するものとは認めず、出生後の認知だけでは日本国籍の生来的な取得を認めないものとしていることには、合理的根拠があるというべきである。

 以上によれば、法二条一号は憲法一四条一項に違反するものではない。

 

 

【最大判平成20年6月4日】

国籍法3条1項の合憲性(1) 最大判平成20年6月4日・国籍法違憲判決
国籍法3条1項の合憲性(2) 最大判平成20年6月4日・国籍法違憲判決・裁判官泉徳治の補足意見・裁判官今井功の補足意見
国籍法3条1項の合憲性(3) 最大判平成20年6月4日・国籍法違憲判決・裁判官田原睦夫の補足意見・裁判官近藤崇晴の補足意見
国籍法3条1項の合憲性(4) 最大判平成20年6月4日・国籍法違憲判決・裁判官藤田宙靖の意見
国籍法3条1項の合憲性(5) 最大判平成20年6月4日・国籍法違憲判決・裁判官横尾和子,同津野修,同古田佑紀の反対意見
国籍法3条1項の合憲性(6) 最大判平成20年6月4日・国籍法違憲判決・裁判官甲斐中辰夫,同堀籠幸男の反対意見

 

【入会権】

【最判平成18年3月17日】

要旨

1 A入会部落の慣習に基づく入会集団の会則のうち入会権者の資格要件を一家の代表者としての世帯主に限定する部分は,現在においても,公序良俗に反するものということはできない。

2 A入会部落の慣習に基づく入会集団の会則のうち,入会権者の資格を原則として男子孫に限定し,同入会部落の部落民以外の男性と婚姻した女子孫は離婚して旧姓に復しない限り入会権者の資格を認めないとする部分は,遅くとも平成4年以降においては,性別のみによる不合理な差別として民法90条の規定により無効である。

 

判旨

入会権は、一般に、一定の地域の住民が一定の山林原野等において共同して雑草、まぐさ、薪炭用雑木等の採取をする慣習上の権利であり(民法263条、294条)、この権利は、権利者である入会部落の構成員全員の総有に属し、個々の構成員は、共有におけるような持分権を有するものではなく(最高裁昭和34年()第650号同41年11月25日第二小法廷判決・民集20巻9号1921頁、最高裁平成3年()第1724号同6年5月31日第三小法廷判決・民集48巻4号1065頁参照)、入会権そのものの管理処分については入会部落の一員として参与し得る資格を有するのみである(最高裁昭和51年()第424号同57年7月1日第一小法廷判決・民集36巻6号891頁参照)。他方、入会権の内容である使用収益を行う権能は、入会部落内で定められた規律に従わなければならないという拘束を受けるものの、構成員各自が単独で行使することができる(前掲第一小法廷判決参照)。このような入会権の内容、性質等や、原審も説示するとおり、本件入会地の入会権が家の代表ないし世帯主としての部落民に帰属する権利として当該入会権者からその後継者に承継されてきたという歴史的沿革を有するものであることなどにかんがみると、各世帯の構成員の人数にかかわらず各世帯の代表者にのみ入会権者の地位を認めるという慣習は、入会団体の団体としての統制の維持という点からも、入会権行使における各世帯間の平等という点からも、不合理ということはできず、現在においても、本件慣習のうち、世帯主要件を公序良俗に反するものということはできない。

 しかしながら、本件慣習のうち、男子孫要件は、専ら女子であることのみを理由として女子を男子と差別したものというべきであり、遅くとも本件で補償金の請求がされている平成4年以降においては、性別のみによる不合理な差別として民法90条の規定により無効であると解するのが相当である。その理由は、次のとおりである。

 男子孫要件は、世帯主要件とは異なり、入会団体の団体としての統制の維持という点からも、入会権の行使における各世帯間の平等という点からも、何ら合理性を有しない。このことは、A部落民会の会則においては、会員資格は男子孫に限定されていなかったことや、被上告人と同様に杣山について入会権を有する他の入会団体では会員資格を男子孫に限定していないものもあることからも明らかである。被上告人においては、上記1(4)エ、オのとおり、女子の入会権者の資格について一定の配慮をしているが、これによって男子孫要件による女子孫に対する差別が合理性を有するものになったということはできない。そして、男女の本質的平等を定める日本国憲法の基本的理念に照らし、入会権を別異に取り扱うべき合理的理由を見いだすことはできないから、原審が上記3(3)において説示する本件入会地の入会権の歴史的沿革等の事情を考慮しても、男子孫要件による女子孫に対する差別を正当化することはできない。

 性別による差別(3)・京都地裁平成22年5月27日


 目次

 

【京都地裁平成22年5月27日】

要旨

労働者災害補償保険法による障害補償給付の支給に関する処分が,障害等級表(労働者災害補償保険法施行規則別表第1)の憲法14条1項に違反する部分に基づいてされたことを理由に,違法であるとして取り消された事例


判旨

(1) 本件における憲法判断の対象等

前記第2の1(4)エのように,障害等級表は,外ぼうの著しい醜状障害については女性を第7級,男性を第12級と,外ぼうの醜状障害については女性を第12級,男性を第14級としており,男女に等級の差を設けている。もっとも,労働省労働基準局長通達である認定基準(乙3)によって,男性のほとんど顔面全域にわたる瘢痕で人に嫌悪の感を抱かせる程度のものについては,第7級の12を準用することとされており,これは,同じ省内での判断として,厚生労働省令における障害等級表の定めを補完し,障害等級表と一体となって,その内容に従った運用をもたらすものといえるから,上記の認定基準によって,上記の程度の外ぼうの醜状障害についての障害補償給付に関しては,男女の差はないといえる。

したがって,本件では,厚生労働大臣が,障害等級表において,ほとんど顔面全域にわたる瘢痕で人に嫌悪の感を抱かせる程度に達しない外ぼうの醜状障害について,男女に差を設け,差別的取扱いをしていること(以下,「本件差別的取扱い」という。)が,憲法判断の対象となる。

(2) 本件における合憲性の判断基準等

ア憲法14条1項

憲法14条1項は,法の下の平等を定めた規定であり,事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り,差別的な取扱いをすることを禁止する趣旨と解される(最高裁判所昭和39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁,最高裁判所昭和48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁参照)。

イ障害等級表の策定に関する裁量と憲法14条1項

法は,障害補償給付について,厚生労働省令で定める障害等級に応じて支給する旨を規定しているから(法15条1項),障害等級表の策定については厚生労働省令の定め(規則の定め)にゆだねられており,厚生労働大臣には,障害等級表の策定についての裁量権が与えられているが,上記アの憲法14条1項の趣旨に照らせば,そのような裁量権を考慮してもなお当該差別的取扱いに合理的根拠が認められなかったり,合理的な程度を超えた差別的取扱いがされているなど,当該差別的取扱いが裁量判断の限界を超えている場合には,合理的理由のない差別として,同項に違反するものと解される。

ウ障害補償給付についての裁量権の範囲

次に,厚生労働大臣の裁量の範囲に関し,法による障害補償給付の性質について検討する。

そもそも,労働者災害補償は,安全配慮義務違反を根拠に使用者に損害賠償を求める場合と異なり,使用者の帰責事由を要せず,被災労働者の過失にかかわらず,また,個別の損害の立証を要せず,定型的,定率的な損害のてん補がされるという性質を有する。もとより,被災労働者は,安全配慮義務違反の要件を立証して使用者に民事上の請求をすることも可能である。

このような性質から考えると,被災者にどの程度の損失をてん補するかは,その時々の労働環境や労働市場等の動向などの経済的・社会的条件,国の財政事情等の不確定要素を総合考量した上での専門的技術的考察及びそれに基づいた政策的判断を要するという面がある。とりわけ,障害等級表の策定については,解剖学的,生理学的観点から労働能力の喪失の程度を分類し,格付けを行う必要があり,複雑多様な高度の専門的技術的考察が必要であるといえる。そうすると,障害補償給付を受ける権利への制約に関する厚生労働大臣の裁量は,表現行為や経済活動などの人権への制約場面に比し,比較的広範であると解される。

エ判断基準と立証責任

以上によれば,本件においては,障害等級表の策定に関する厚生労働大臣の比較的広範な裁量権の存在を前提に,本件差別的取扱いについて,その策定理由に合理的根拠があり,かつ,その差別が策定理由との関連で著しく不合理なものではなく,厚生労働大臣に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えていないと認められる場合には合憲であるということができる。

他方,行政処分の取消訴訟において,処分の適法性を立証する責任は,基本的に,処分をした行政庁の側にあると解され,本件では,被告が本件処分の適法性を立証しなければならないところ,本件処分が本件差別的取扱いを内容とする障害等級表の定めに基づいてされていることは明らかであるから,本件処分の適法性の前提として,本件差別的取扱いが憲法に違反しないことが必要であり,したがって,被告は,本件差別的取扱いの合憲性について立証しなければならないものと解される。

よって,以下(3)では,この立証責任の配分に従い,基本的には,本件差別的取扱いの合憲性に関する被告の主張の当否を検討していくこととする。

(3) 被告の主張の検討

被告は,外ぼうの醜状障害が第三者に対して与える嫌悪感,障害を負った本人が受ける精神的苦痛,これらによる就労機会の制約の程度について,男性に比べ女性の方が大きいという事実的・実質的な差異があり,これが本件差別的取扱いの合理的根拠となる旨主張し,上記差異の根拠として,以下の点を挙げているので,これらについて検討する。

ア労働力調査についての主張

() 被告の主張の概要

被告は,労働力調査における産業別女性比率や産業別雇用者数によると(乙6,7),女性の就労実態として,接客等の応接を要する職種への従事割合が男性に比して高いといえる旨主張している。

() 産業と職業の相違について

しかし,上記の産業別女性比率や産業別雇用者数における「産業」とは,調査期間中に就業者が実際に仕事をしていた勤め先・業主の主な事業の種類を日本標準産業分類に基づいて分類したものであり(甲13の2),労働力調査において当該就業者が実際にしていた仕事の種類であるとされる「職業」とは異なるものである。

したがって,上記のような産業別女性比率や産業別雇用者数から,女性の職種,ひいては女性の就労実態を直ちには導き出せないし,接客等の応接を要する職種に女性が多く従事していることも導き出せないと解される。例えば,被告の挙げる「医療・福祉」について,当該産業に従事する者の中に,接客を要することのない一般事務に従事する者も一定の割合で存在すると考えられること,「教育,学習支援業」について,産業別女性比率は51.7%であるが(乙7),その中に含まれると考えられる職業としての「教員」及び「個人教師(学習指導)」についての雇用者数の女性比率は48.1%で(乙14),男女比率がほぼ逆転していることなどからも,産業別の数値が職業の実態に必ずしもつながらないことを示しているといえる。なお,被告は,事業の種類からでも接客等の応接を要することが多い従業員の割合の大小などをおおむね把握できるなどとも主張しているが,何ら具体的な根拠が示されておらず,上記の判断は左右されない。

() 産業別雇用者数の関係

被告は,産業別雇用者数に関し,サービス業全体についての女性の雇用者数の増加が男性より大きく,これが接客等の応接を要する職業に女性が多く従事していることの根拠となる旨主張しているが,労働力調査におけるサービス業全体の中には,「サービス業(他に分類されないもの)」として,専門サービス業としての土木建築サービス業,学術・開発研究機関,廃棄物処理業,自動車整備業,機械等修理業などが含まれている(甲13の1)。したがって,上記()のようにそもそも産業別の数値から職業の実態を直ちに導き出せないことをひとまずおき,被告の主張に沿って考えたとしてもなお,サービス業全体についての女性の雇用者数の増加が男性よりも多いことが,接客等の応接を要する職種に女性が男性より多く従事していることの根拠となるとはいえない。

イ国勢調査についての主張

() 被告の主張の概要等

被告は,国勢調査における職業小分類別の雇用者数のデータを整理した別紙(被告指定代理人作成の乙14)を分析すると,女性の就労実態として,接客等の応接を要する職種への従事割合が男性に比して高いといえる旨主張している。

確かに,被告の主張するとおり,「保健医療従事者」及び「社会福祉専門職業従事者」に占める女性の割合は81.5%,「飲食店主」及び「接客・給仕職業従事者」に占める女性の割合は69.5%であり,男性よりも女性の方が多い。他方,被告も認めるとおり,被告が接客等の応接を要する職業として主張する産業である「教育,学習支援業」及び「卸売・小売業」について,被告がこれら産業に該当する職業として別紙で整理した職業(前者について「教員」及び「個人教師(学習指導)」,後者について「小売店主」,「卸売店主」,「販売店員」,「商品訪問・移動販売従事者」,「再生資源卸売・回収従事者」,「商品販売外交員」及び「商品仲立人」)における女性の割合は,それぞれ,48.1%,41.9%であり,男性よりも低くなっている。また,被告の主張する接客等の応接を要すると考えられる職業小分類について,女性雇用者数が総雇用者数に占める割合は別紙のとおり56.7%(「自動車運転者」を加えると51.3%),同職業小分類の雇用者数が男女の各雇用者総数に占める割合は別紙のとおり女性が38.5%,男性が22.6%(「自動車運転者」を加えると女性38.8%,男性28.2%)である。

() 分析

まず,本件差別的取扱いの合理性を根拠付けるべき男女の職業に関する差異というのは,外ぼうの醜状障害によって生じる第三者の嫌悪感及び障害を受けた本人の精神的苦痛により就労機会が制約され,損失てん補が必要であると一般的にいえるような職業についての差異である必要がある。

そうすると,被告の主張する「接客等の応接を要する職業」のみならず,本人の精神的苦痛による就労機会の制約の面からは,多くの不特定の他人と接する,あるいはそのような不特定の他人の目に触れる機会の多い職業も含めて考えるのが相当である。

別紙に記載されているその他の職業でも,少なくとも,「法務従事者」,「経営専門職業従事者」,「音楽家,舞台芸術家」,「販売類似職業従事者」(不動産仲介・売買人,保険代理人・外交員,外交員(商品,保険,不動産を除く)など),「生活衛生サービス職業従事者」(理容師(助手を含む),美容師(助手を含む),浴場従事者,クリーニング職,洗張職)は,上記の職業に含めて考えるべきであるし,「その他のサービス職業従事者」,「保安職業従事者」の中にも,上記の職業に含まれるものがあると考えられる。

そこで,被告の主張する「接客等の応接を要する職業」に,上記の「法務従事者」,「経営専門職業従事者」,「音楽家,舞台芸術家」,「販売類似職業従事者」,「生活衛生サービス職業従事者」を加えた職業に従事する女性と男性の数(別紙記載のもの)を合計すると,女性は695万1000人,男性は593万5100人で,女性雇用者数が総雇用者数に占める割合は53.9%,同職業小分類の雇用者数が男女の各雇用者総数に占める割合は女性が33.5%,男性が22.0%である。

さらに,これに「その他のサービス職業従事者」,「保安職業従事者」を加えた職業に従事する女性と男性の数(別紙記載のもの)を合計すると,女性は778万8200人,男性は716万2100人で,女性雇用者数が総雇用者数に占める割合は52.1%,同職業小分類の雇用者数が男女の各雇用者総数に占める割合は女性が37.6%,男性が26.5%である。

() 検討

以上のように,国勢調査の結果を分析すると,外ぼうの醜状障害により損失てん補が必要であると一般的にいえるような職業について,女性雇用者数が総雇用者数に占める割合も,同職業小分類の雇用者数が男女の各雇用者総数に占める各割合も,男性に比べ女性の方が大きいということができるが,採用する職業小分類に応じてその差の程度は区々であるということができる。そうすると,国勢調査の結果は,事実的・実質的な差異の根拠になり得るとはいえるものの,その根拠としては顕著なものであるともいい難いところである。

ウ精神的苦痛自体の差異についての主張

被告は,化粧品の売上げや広告費に関する統計から,女性が男性に比して自己の外ぼう等に高い関心を持つ傾向があることが窺われ,外ぼう等に関する関心が高い者の方が醜状の及ぼす精神的苦痛の程度が大きいと考えられるから,外ぼうの醜状障害による精神的苦痛の程度について男女の間に明らかな差異があると主張している。

確かに,証拠(乙15~17)を検討するまでもなく,皮膚用化粧品や仕上用化粧品の需要が男性に比して圧倒的に女性に多いこと,女性用の化粧品やファッション,アクセサリーについてのマスコミにおける広告費が大きな数を占めていることは明らかであり,近年男性の自己の外ぼうに対する関心が高まってきているとの証拠(甲17~38)があることを考慮しても,なお,一般的に,女性の自己の外ぼうに対する関心が男性に比して高いということができる。そうすると,外ぼうの醜状障害による精神的苦痛の程度について,男女の間に差異があるとの社会通念があることに結びつくとはいえるし,当裁判所の認識もこれを否定するものではない。他方,外ぼうへの関心が低い人でも,男性であっても,実際に外ぼうに醜状障害を受けた場合に大きな精神的苦痛を感じることもあり得ると考えられる。実際に,原告が,外ぼうの醜状障害によって大きな精神的苦痛を感じていることも,同人の陳述書(甲40)及び本人尋問の結果等から明らかである。

したがって,外ぼうへの関心の有無・程度や男女の性別が,外ぼうの醜状障害による精神的苦痛の程度と強い相関関係に立っているとまではいえない。

エ裁判例に関する主張

被告は,外ぼうの醜状障害に関する逸失利益等が問題となった交通事故に関する裁判例により,外ぼうの醜状障害により受ける影響について男女間に事実的・実質的な差異があるという社会通念の存在が根拠付けられている旨主張している。

確かに,被告の指摘する裁判例(乙8~12)において,外ぼうの醜状障害により受ける影響について男女間に差異があることを前提とするような記述が見受けられるが,その記述自体の合理的根拠は必ずしも明らかではなく,これらの記述が,上記のような差異に関する社会通念の存在の強い根拠となるものとはいえない。

オまとめ

以上のとおり,国勢調査の結果は,外ぼうの醜状障害が第三者に対して与える嫌悪感,障害を負った本人が受ける精神的苦痛,これらによる就労機会の制約,ひいてはそれに基づく損失てん補の必要性について,男性に比べ女性の方が大きいという事実的・実質的な差異につき,顕著ではないものの根拠になり得るといえるものである。また,外ぼうの醜状障害により受ける影響について男女間に事実的・実質的な差異があるという社会通念があるといえなくはない。そうすると,本件差別的取扱いについて,その策定理由に根拠がないとはいえない。

しかし,本件差別的取扱いの程度は,男女の性別によって著しい外ぼうの醜状障害について5級の差があり,給付については,女性であれば1年につき給付基礎日額の131日分の障害補償年金が支給されるのに対し,男性では給付基礎日額の156日分の障害補償一時金しか支給されないという差がある。これに関連して,障害等級表では,年齢,職種,利き腕,知識,経験等の職業能力的条件について,障害の程度を決定する要素となっていないところ(認定基準。乙3),性別というものが上記の職業能力的条件と質的に大きく異なるものとはいい難く,現に,外ぼうの点以外では,両側の睾丸を失ったもの(第7級の13)以外には性別による差が定められていない。そうすると,著しい外ぼうの醜状障害についてだけ,男女の性別によって上記のように大きな差が設けられていることの不合理さは著しいものというほかない。また,そもそも統計的数値に基づく就労実態の差異のみで男女の差別的取扱いの合理性を十分に説明しきれるか自体根拠が弱いところであるうえ,前記社会通念の根拠も必ずしも明確ではないものである。その他,本件全証拠や弁論の全趣旨を省みても,上記の大きな差をいささかでも合理的に説明できる根拠は見当たらず,結局,本件差別的取扱いの程度については,上記策定理由との関連で著しく不合理なものであるといわざるを得ない。

(4) 小括

以上によれば,本件では,本件差別的取扱いの合憲性,すなわち,差別的取扱いの程度の合理性,厚生労働大臣の裁量権行使の合理性は,立証されていないから,前記(2)ウのように裁量権の範囲が比較的広範であることを前提としても,なお,障害等級表の本件差別的取扱いを定める部分は,合理的理由なく性別による差別的取扱いをするものとして,憲法14条1項に違反するものと判断せざるを得ない。

そして,本件処分は,上記の憲法14条1項に違反する障害等級表の部分を前提に,これに従ってされたものである以上,原告の主張する条約違反の点(前記第2の2(1)(原告の主張)エ)を検討するまでもなく,本件処分は原則として違法であるといわざるを得ない。

結論

以上のとおり,本件処分は障害等級表の憲法14条1項に違反する部分に基づいてされたもので,違法である。したがって,本件処分は取り消されるべきであり,原告の請求は理由があるから,主文のとおり判決する。

性別による差別(2)最判昭和56年3月24日・日産自動車事件・東京地判昭和41年12月20日・住友セメント事件

 

 目次

 

【労働関係】

 

【最判昭和56年3月24日・日産自動車事件】

要旨

定年年齢を一律に男子60歳女子55歳と定めた就業規則は性別のみによる不合理な差別を定めたものであり民法90条により無効である。

 

判旨

上告会社の就業規則は男子の定年年齢を六〇歳、女子の定年年齢を五五歳と規定しているところ、右の男女別定年制に合理性があるか否かにつき、原審は、上告会社における女子従業員の担当職種、男女従業員の勤続年数、高齢女子労働者の労働能力、定年制の一般的現状等諸般の事情を検討したうえ、上告会社においては、女子従業員の担当職務は相当広範囲にわたつていて、従業員の努力と上告会社の活用策いかんによつては貢献度を上げうる職種が数多く含まれており、女子従業員各個人の能力等の評価を離れて、その全体を上告会社に対する貢献度の上がらない従業員と断定する根拠はないこと、しかも、女子従業員について労働の質量が向上しないのに実質賃金が上昇するという不均衡が生じていると認めるべき根拠はないこと、少なくとも六〇歳前後までは、男女とも通常の職務であれば企業経営上要求される職務遂行能力に欠けるところはなく、各個人の労働能力の差異に応じた取扱がされるのは格別、一律に従業員として不適格とみて企業外へ排除するまでの理由はないことなど、上告会社の企業経営上の観点から定年年齢において女子を差別しなければならない合理的理由は認められない旨認定判断したものであり、右認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができる。そうすると、原審の確定した事実関係のもとにおいて、上告会社の就業規則中女子の定年年齢を男子より低く定めた部分は、専ら女子であることのみを理由として差別したことに帰着するものであり、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法九〇条の規定により無効であると解するのが相当である(憲法一四条一項、民法一条ノ二参照)。

 

 

【東京地判昭和41年12月20日・住友セメント事件】

要旨

私企業における結婚退職制は、性別による差別であり、公の秩序に違反し無効である。

 

判旨

1 (性別による差別待遇)結婚退職制によると、結婚は男子労働者の解雇事由でなく、女子労働者のみの解雇事由であるから、右は労働条件につき性別による差別待遇をしたことに帰着する。

2 (結婚の自由の制限)結婚退職制によれば、女子労働者は雇傭関係継続中結婚しない旨を約したことに帰着するのであり、換言すれば、結婚に際しなお雇傭関係の継続を望んでいる女子労働者に対しても使用者からその終了を求め得るのである。右は女子労働者の結婚の自由を制限するものというべきである。その理由は次のとおりである。

結婚後も主婦として活動するだけではなく、なお賃金労働者として職場にとどまり労働を継続する意思を有する女子労働者が多く存することは顕著な事実である。統計をみると、成立に争のない乙第七号証の二(労働省婦人少年局発行「婦人労働の実情。一九六二年」三八、三九頁)によれば、女子労働者の中に占める有夫者の割合は逐年上昇し昭和三七年において二一・七%を占め、なお昭和三六年一月から昭和三七年九月までの単純平均によれば非農林業就業者中雇傭者であつて配偶者のある女子は二一九万人に及ぶことが明らかである。かように多数の既婚女子労働者がなおその労働を継続する主たる理由が、自己の才能を生かし社会人としての経験を積み社会に貢献するにあると、生活費を得るにあるとを問わず、その労働を継続しようとする意思は尊重されるべきである。

我国の現状にあつては、男子労働者の労働賃金のみによつてその妻子等の通常の生活の資をまかなえないことが屡々あるから、この場合この男子労働者と結婚した女子労働者はなお労働を継続する経済的必要がある。女子労働者はこの場合結婚退職制により解雇されても直ちに生活の資を求めて再就職せざるを得ない。ところが、前示乙第七号証の二(五八頁から六三頁まで)によると、既婚、したがつて学校新卒者に比し高年である女子労働者の就職の機会は狭められる一方、賃金額の決定についても、当該企業における勤続期間が重要な要素をなす年功賃金制の下では、仮に再就職の機会が得られたとしても、その労働条件は従前に比し著しく低下することが明らかである。したがつて、女子労働者は結婚に際しこの事実を予想すべきものといわなければならない。以上のような次第で女子労働者は結婚退職制の下では、結婚によりその意に反して労働賃金収入を全部失うか又は運がよくてもその相当部分を失うものである。かくして、結婚を退職事由と定めることは、女子労働者に対し結婚するか、又は自己の才能を生かしつつ社会に貢献し生活の資を確保するために従前の職に止まるかの選択を迫る結果に帰着し、かかる精神的、経済的理由により配偶者の選択、結婚の時期等につき結婚の自由を著しく制約するものと断ずべきである。近年若年労働力の需給関係が変化し全国的にみて求人数が求職数を大幅に上廻り、中学、高校新卒の女子もその例に洩れないことは顕著な事実である。しかし、この事実から推してかかる女子は結婚退職制を採用する企業とそうでない企業とを選択する自由があるとして前示結論を左右することはできない。すなわち、若年女子の労働力の需給関係は、地域及び企業により差があり、求職者はその意思に関係なく適性その他の精神的肉体的諸条件、住宅・家庭事情等により、求職の範囲を自ら制限されるのである。また、成立に争のない乙第六号証の二(労働省婦人少年局発行「女子事務職員実態調査報告・一九六一年五月」二六頁)によれぱ、女子の結婚退職規定を有する事業所は総数の八%(内訳・製造業は七・三%、金融保険業は二〇・二%)に及ぶことが明らかである。かような要因を考えるとき、女子求職者が前示のような選択の自由を有するとは到底いえない。また使用者が女子労働者の雇入に際し結婚退職制を明示した場合もこの結論を左右しない。

(二) 公の秩序

1 (性別による差別待遇の禁止)両性の本質的平等を実現すべく、国家と国民との関係のみならず、国民相互の関係においても性別を理由とする合理性なき差別待遇を禁止すろことは、法の根本原理である。憲法一四条は国家と国民との関係において、民法一条の二は国民相互の関係においてこれを直接明示する。労基法三条は国籍、信条又は社会的身分を理由とする差別を禁止し、同法四条は性別を理由とする賃金の差別を禁止する。ところで、労基法上性別を理由として賃金以外の労働条件の差別を禁止する規定はなく、却つて、同法一九条、六一条ないし六八条等は女子の保護のため男子と異なる労働条件を定めている。したがつて、労基法は性別を理由とする労働条件の合理的差別を許容する一方、前示の根本原理に鑑み、性別を理由とする合理性を欠く差別を禁止するものと解せられる。以上述べたことから明らかなとおり、この禁止は労働法の公の秩序を構成し、労働条件に関する性別を理由とする合理性を欠く差別待遇を定める労働協約、就業規則、労働契約は、いずれも民法九〇条に違反しその効力を生じないというべきである。

2(結婚の自由の保障)家庭は、国家社会の重要な一単位であり、法秩序の重要な一部である。適時に適当な配遇者を選択し家庭を建設し、正義衡平に従つた労働条件のもとに労働しつつ人たるに値する家族生活を維持発展させることは人間の幸福の一つである。かような法秩序の形成並びに幸福追求を妨げる政治的経済的社会的要因のうち合理性を欠くものを除去することも、また法の根本原理であつて、憲法一三条、二四条、二五条、二七条はこれを示す。したがつて、配偶者の選択に関する自由、結婚の時期に関する自由等結婚の自由は重要な法秩序の形成に関連しかつ基本的人権の一つとして尊重されるべく、これを合理的理由なく制限することは、国民相互の法律関係にあつても、法律上禁止されるものと解すべきである。以上の理由により、この禁止は公の秩序を構成し、これに反する労働協約、就業規則、労働契約はいずれも民法九○条に違反し効力を生じないというべきである。

 

 

 

【仙台高裁平成4年1月10日】

要旨

共働きの女子職員の夫に扶養控除対象限度額を超える所得のある場合家族手当等を支給しない旨の給与規定が無効とされた事例

 

判旨

六 本件手当等が労基法一一条の賃金であることは右のとおりであるから、これらは同法四条による直接規制を受けるものといわなければならない。

 労基法四条は、憲法一四条一項の理念に基づきこれを私企業等の労使関係における賃金について具体的に規律具現した条文であり、かつまたこれに違反したときは労基法一一九条一号による刑事罰の対象となるなど、いずれにしても、明らかに強行規定であり、公序に関する規定であると解される。したがって、一般的に、労基法四条に違反する就業規則及びこれによる労働契約の賃金条項は民法九〇条(一条ノ二)により無効であるといわなければならない。

  控訴人銀行は本件規程三六条二項本文後段を根拠にして、男子行員に対しては、妻に収入(所得税法上の扶養控除対象限度額を超える所得)があっても、本件手当等を支給してきたが、被控訴人のような共働きの女子行員に対しては、生計維持者であるかどうかにかかわらず、実際に子を扶養するなどしていても夫に収入(右限度額を超える所得)があると本件手当等の支給をしていないというのだから、このような取扱いは男女の性別のみによる賃金の差別扱いであると認めざるを得ない。

 控訴人銀行は本件規程三六条二項本文後段及びこれによる本件手当等対象者認定上の取扱いは社会通念に則った規定であり、社会的許容性の範囲内にあるから、民法九〇条の公序良俗に反するものではない旨その合理性を主張する。

 社会通念、社会的許容性とか公序良俗という概念は、もともと不確定概念で、宗教、民族の違いなどのほか、国内でも時(代)と地域(都市、地方など)により認識や理解に相違のあることは否定できない。しかしながら、これら概念は不確定なるが故に発展的動態において捉えねばならない。そうでないと、旧態は旧態のままで社会の進歩発展は望み得ないことになるからである。それは私的自治の支配する私企業の労使関係における賃金等労働条件を規律する法的基準としても同様である。そして、たとえ控訴人銀行の本店のある岩手県盛岡市をはじめ東北地方の平均的住民の観念が、本件規程三六条二項本文後段の定めまたはその趣旨を、その制定当時、さらにはその以前から現在に至るも当り前のこととして容認し、これに依拠した取扱いを許容しているとしても、日本国憲法一四条一項(法の下の平等)は、性別により政治的、経済的または社会的関係において差別されない旨定め、男女不二たるべく、男女平等の理念を示している。労基法四条男女同一賃金の原則は右憲法の理念に基づく具体的規律規定である。そして、それは理念ではあっても達成可能な理念であるから、この理念達成という趣旨に悖るような観念は、「社会通念」「社会的許容性」「公の秩序善良の風俗」として、前記規程条項及びこれによる取扱いの法的評価の基準とすることはできないものといわなければならない。

  したがって、本件規程三六条二項本文後段の取扱いをめぐり、これまで労使間で異議が挟まれることもなく過ごされて来たし、労働基準監督署などからも違法の指摘を受けることなく過ぎてきたとしても、同条項本文後段による右のような取扱いを、社会通念に則り、社会的許容性の範囲内であり、公序良俗に反しないなどという訳にはいかない。また、同条項本文後段の規定が自治省の「住民基本台帳事務処理要領」及び「世帯主の認定基準」で示された「夫が不具廃疾等のため無収入で妻が主として世帯の生計を維持している場合は、妻が世帯主」であるとする事例に比較して妻が世帯主である場合を「夫に収入があっても所得税法上の扶養控除対象限度額以下であれば妻が世帯主である」というまでに緩和しているから、社会通念に合致し、社会的許容限度内であるなどとも結論づけられない。夫婦のどちらが生計維持者であるかを具体的に認定するとなると、家庭のプライバシーにわたることに立ち入って調査しなければならなくなるため、予め画一的に規定しておく必要があるといっても、これまた、調査対象行員において、右認定に必要な程度の家庭内情況の開示を拒絶するものとはとうてい思案できないし、また必要な限度ならばやむを得ないことでもある。

  その他本件規程三六条二項本文後段の規定及びこれによる本件手当等の男女差別扱いをして、合理性があるとするような特別の事情も見当たらないので、結局右条項及びこれによる控訴人銀行と被控訴人間の労働契約の本件手当等の給付関係条項は強行規定である労基法四条に違反し、民法九〇条(一条ノ二)により無効であるといわなければならない。

 

 

性別による差別(1)刑事法関係

 

 目次

 

【刑事法関係】

【最判昭和28年6月24日・刑法177条】

要旨

強姦罪を定めた刑法一七七条は、憲法一四条一項に違反しない。

 

判旨

 刑法一七七条は、「暴行又ハ脅迫ヲ以テ十三歳以上ノ婦女ヲ姦淫シタル者ハ強姦ノ罪ト為シ二年以上ノ有期懲役ニ処ス十三歳ニ満タサル婦女ヲ姦淫シタル者亦同シ」と規定し、強姦罪の成立には刑法上その客体を婦女のみに限つていること並びに憲法一四条一項は、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と規定していることは、所論のとおりである。しかし、右憲法一四条一項の規定が、国民を政治的、経済的又は社会的関係において原則として平等に取り扱うべきことを規定したのは、基本的権利義務に関し国民の地位を主体の立場から観念したもので、国民がその関係する各個の法律関係においてそれぞれの対象の差に従い異る取扱を受けることまで禁ずる趣旨を包含するものでないこと、並びに、国民の各人には経済的、社会的その他種々な事実的差異が現存するのであるから、一般法規の制定又はその適用においてその事実的差異から生ずる不均等があることは免れ難いところであり、従つて、その不均等が一般社会観念上合理的な根拠のある場合には平等の原則に違反するものといえないことは、夙に当法廷の判例とするところである。(前者につき判例集四巻一〇号二〇四〇頁後者につき同巻六号九六一頁参照)。

 そして、刑法が前記規定を設けたのは、男女両性の体質、構造、機能などの生理的、肉体的等の事実的差異に基き且つ実際上強姦が男性により行われることを普通とする事態に鑑み、社会的、道徳的見地から被害者たる「婦女」を特に保護せんがためであつて、これがため「婦女」に対し法律上の特権を与え又は犯罪主体を男性に限定し男性たるの故を以て刑法上男性を不利益に待遇せんとしたものでないことはいうまでもないところであり、しかも、かゝる事実的差異に基く婦女のみの不均等な保護が一般社会的、道徳的観念上合理的なものであることも多言を要しないところである。されば、刑法一七七条の規定は、憲法一四条に反するものとはいえない。それ故、本論旨も採用できない。

 

【最判昭和32年6月8日・尼崎市売春等取締条例事件】

要旨

尼崎市売春取締条例(昭和二七年条例四号)三条は、報酬を受け、もしくは受ける約束で性交またはこれと類似の行為をするものを処罰するのであり、女性のみを処罰の対象とするものではないから、憲法一四条に違反しない。

 

判旨

所論尼崎市売春等取締条例三条は、「売春をした者は五、〇〇〇円以下の罰金又は拘留に処する(一項)、常習として売春をした者は三月以下の懲役又は五、〇〇〇円以下の罰金に処する(二項)」と規定しているのであるが、この売春の意義に関し、同二条は「この条例で売春とは報酬を受け若しくは受ける約束で不特定の相手方と性交又は性交類似行為をすることをいう」と規定しているのであつて、この所罰の対象となるものは必ずしも女性のみに限らないこと原判示のとおりであるから、女性のみを処罰の対象とするが故に同条が憲法一四条に違反するとの論旨は、ひつきょう右条例二条の趣旨を正解せざるにもとずくものと云わなければならない。

 また同条例には、売春行為の相手方となるものを処罰する規定を欠くことは所論のとおりであるけれども、右条例三条は、「報酬を受け若しくは受ける約束で」性交又はこれと類似の行為をするものを処罰するのであり、(この行為者に関するかぎり男女を差別しないことは前述のとおりである)すなわち「報酬を受け若しくは受ける約束で」ということは同条による処罰要件であつて、対価を払つて、その相手方となるものとはもとより、行為の態様を異にすることであり、かかる要件の有無によつて一方を処罰し、他方を処罰しないとするのも、一に刑事政策上の理由にもとずくものに過ぎず、所論のように、男尊女卑の思想に出でて、性別の故に、かかる区別をしたものでないことはきわめて、明瞭である。所論違憲の主張は、所詮その前提を欠くものというの外なく論旨は刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

 

【最判昭和37年12月18日・買収防止法】

要旨

売春防止法5条は、女性のみを処罰の対象とするものでないから、憲法14条に違反しない。

 

判旨

 所論は、売春防止法五条は女性のみを対象として売春の予備的行為を処罰するものであつて、両性の本質的平等に反する規定であり、憲法一四条に違反する旨主張するが、売春防止法五条は女性のみを処罰の対象とするものではないから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、適法な上告理由に当らない。

2 信条による差別


 目次

 

【最判昭和30年11月22日レッドパージ事件】

要旨

連合軍占領下における紡績会社の共産党員である従業員の解雇が、その従業員の企業の生産を阻害すべき具体的言動を根拠とするものであつて、解雇当時の事情の下でこれを単なる抽象的危虞に基づく解雇として非難することができないものと認められる場合には、このような解雇を共産党員であることもしくは単に共産主義を信奉すること自体を理由とするものということはできないから、憲法一四条違反の問題とはなりえない。

 

判旨

本件解雇は、上告人等が共産党員若しくはその同調者であること自体を理由として行われたものではなく、右解雇は、原判決摘示のような上告人等の具体的言動をもつて、被上告人会社の生産を現実に阻害し若しくはその危険を生ぜしめる行為であるとし、しかも、労働協約の定めにも違反する行為であるとして、これを理由になされたものである、というのである。そして、原審の認定するような本件解雇当時の事情の下では、被上告会社が上告人等の右言動を現実的な企業破壊的活動と目して、これを解雇の理由としたとしても、これをもつて何等具体的根拠に基かない単なる抽象的危虞に基く解雇として強いて非難し得ないものといわねばならない。してみると、右解雇は、もはや、上告人等が共産党員であること若しくは上告人等が単に共産主義を信奉するということ自体を理由として行われたものではないというべきであるから、本件解雇については、憲法一四条、基準法三条違反の問題はおこり得ない。右と同趣旨に出た原判決は正当であり、論旨は、右解雇が具体的現実的根拠を伴わない抽象的な危虞に基く解雇であることを前提とするものであつて、採用の限りでない。

 

 

【大阪地裁昭和44年12月26日・日中旅行者事件】

要旨

憲法一四条にいう信条は、政治的信条を含むものであるが、それは政治的基本信念にとどまらず国の具体的な政治の方向についての実践的な志向を有する政治的意見をも含む。

 

判旨

(一)そもそも信条は主として宗教的な信仰ないし信念を意味するものであるが、そのほかにも社会ないし世界に関する根本的な考え方、見方即ち世界観または人生観といわれるような信念をも含むものである。民主主義は個人の尊厳をその根本原理とするものであるから、その根本的な考え方、見方はそれが宗教的信仰に基づくものであると否とを問わずそれをどこまでも尊重すべきものとしそれを理由とする差別的取扱を不合理とみるのである。しかし信条についてはそれ以上に出て政治的意見即ち個々の具体的な政治問題についての意見ないし主張をも含むものと解すべきではない。各人は政治的な信念の自由を有し、また政治的意見の自由を有するが、政治的意見は人生観や世界観と違つて常に国の具体的な政治の方向について実践的な志向を有するものである。したがつて特定の政治的立場をとる憲法体制はその政治的立場そのものを破壊しようとする政治的意見を持つ者に対しては自らの存立を防衛するために多かれ少なかれ差別的取扱をする必要に迫られることがある。その場合にそうした政治的意見を信条に含まれると解し、それによる差別的取扱が全面的に禁止されると解することは、憲法そのものを暴力で破壊しようとする意見を主張する者を国の統治組織から排除することさえできなくなるのであつて、これは憲法の自殺を要求することにほかならず、極めて不条理である。そして憲法一四条の直接適用を受ける公務員関係を律する国家公務員法二七条および地方公務員法一三条によると、そこでは信条と政治的意見とを区別し、信条についてはその差別的取扱を全面的に禁止するが、政治的意見については原則として差別的取扱を禁止し、ただ憲法またはその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、またはこれに加入した者については官職につく能力がないものとして例外的に差別的取扱を認めているのであつて、このことは信条の中には政治的意見は含まれず、したがつて政治的意見による差別も合理的理由がある限り許されるものとする立法者の態度を明らかにするものであり、右態度は憲法一四条に適合し是認されるべきである。これを要するに憲法一四条にいう信条とは専ら宗教的倫理的ないしは政治的な基本的信念を指すものであつて政治的意見はそれに含まれないと解すべきであり、したがつて合理的な理由がある限り政治的意見による差別は憲法上許される。そして右差別はこれを禁止すべきであるか、またどのような方法と程度において禁止するかはすべて立法に委ねられているものと解すべきである。

(二) 労基法三条は憲法一四条の定める法の下の平等の原理を私人間の関係としての労働関係に適用したものであるから、特別な理由のない限り、そこに規定された信条は憲法一四条所定の信条と同一であり、原則として政治的意見を含まないと解すべきである。そしてその理由は前記国家公務員法および地方公務員法(以下、両公務員法という。)の場合よりも一層強いものである。それは、まず両公務員法においては前記のとおり例外を認めながらも原則としては政治的意見による差別的取扱を禁ずる旨を定めているが労基法には政治的意見による差別的取扱を禁ずる旨の規定がないこと、そして私人間の関係である労働関係においては労働者の政治的意見の自由が尊重されるべきであるのと同じく使用者の政治的意見の自由も尊重されなければならず、ここでは労働者の政治的意見の自由と使用者のそれとが矛盾衝突する場合を生ずるが、私人間の雇用関係は契約に基づく結合であるから、労働者と使用者との間にそうした矛盾衝突を生じた場合には一方を尊重して他方を否定することによつてではなく、双方を等しく尊重することによつて、即ちこの場合についていえば解雇の方法を以て双方を隔離することにより解決するほかはないこと等によつて明らかである。したがつて憲法一四条の直接適用を受ける公務員関係を律する両公務員法にいう信条に政治的意見が含まれないとすれば、一層強い理由を以て私人間の関係を律する労基法三条所定の信条には政治的意見を含まないと解すベきである。そうだとすると仮に使用者が労働者の政治的意見を理由として差別的取扱をしたとしても、それだけでは直ちに労基法三条に違反するものではなく、そして右にいう差別的取扱に解雇を含むものとすれば、政治的意見による解雇もそれだけで直ちに同条の違反になるとは限らない。

(三) 思想、良心および表現の自由が認められ、かつ営業の自由が認められる以上、特定のイデオロギーの承認、支持を存立の条件とする事業を営む自由も当然に認められる。これらの事業にあつては、それぞれのイデオロギーが存立の条件であるから、その存立を保持するためには、右イデオロギーを否定し破壊しようとする者をその事業から排除することが必要となる場合がある。たとえば、特定の宗教的イデオロギーの宣布をその目的とする事業がその宗教的イデオロギーを否定する者即ち異端者または宗教否定論者をその事業から排除し、平和主義の宣伝を目的とする事業が戦争主張者ないし軍国主義者をその事業から排除し、出産調節による人口問題の解決を目的とする事業が出産調節反対者をその事業から排除したりする場合がこれに当る。これらの場合右排除が信条による差別的取扱として一般に禁止されるとすると、これらの事業の存立そのものが否定されることになり、それらの事業を営むこと自体許されないという結果になるのであるが、このような解釈は憲法の精神の適合しない。これらの場合の排除は信条によるものではなく、その実践的、具体的発現としての宗教的非宗教的な意見によるもので、右意見は信条に含まれないとみるベきである。事業の存立が特定の政治的イデオロギーである場合もこれと同一に考えるベきである。各人が政治的意見の自由を有する以上、特定の政治的イデオロギーの承認、支持を存立の条件とする事業を営むことも自由であり、右事業においてその存立の条件とされる政治的イデオロギーを否定ないし破壊し、これによつて事業の存立そのものを著しく妨害しようとする者を、そうした政治的意見を理由として、その事業から排除することは常に必ずしも労基法三条に違反するものではなく、仮にこれが違反するとすれば同条はそのような事業の存立そのものを許さない趣旨と解するほかはないが、このような解釈が不合理であることは明白である。右排除が解雇という方法をとつたとしても同様である。同条は信条による解雇を禁じているが、このことは常に必ずしも政治的意見による解雇を禁じているものではない。これを要するに特定の政治的イデオロギーの承認、支持を存立のための不可欠な条件とする事業にあつては、このような政治的意見による解雇が合理的な理由を持つと解される場合が多い。

(四) これを本件についてみると、申請人らおよび会社の日中友好に関する態度はいずれも個々の具体的な政治問題についての意見ないしは主張で優れて実践的な志向を有するものであるから前記意味における政治的意見というベく、しかも会社はその政治的意見を存立の条件としているものであるから、右条件と相容れない政治的意見を特つ申請人らを解雇することは憲法一四条、労基法三条に違反するものではなく、かつ十分に合理的根拠があるものということができる。

 

 

【最判昭和48年12月12日・三菱樹脂事件】

要旨

憲法一四条や一九条の規定は、直接私人相互間の関係に適用されるものではないから、企業者が特定の思想・信条を有する労働者をその故をもつて雇入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできず、労働者を雇入れようとする企業者が、その採否決定に当り、労働者の思想・信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事項についての申告を求めることは、違法とはいえない。

 

判旨

(一)…憲法の右各規定は、同法第三章のその他の自由権的基本権の保障規定と同じく、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もつぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。このことは、基本的人権なる観念の成立および発展の歴史的沿革に徴し、かつ、憲法における基本権規定の形式、内容にかんがみても明らかである。のみならず、これらの規定の定める個人の自由や平等は、国や公共団体の統治行動に対する関係においてこそ、侵されることのない権利として保障されるべき性質のものであるけれども、私人間の関係においては、各人の有する自由と平等の権利自体が具体的場合に相互に矛盾、対立する可能性があり、このような場合におけるその対立の調整は、近代自由社会においては、原則として私的自治に委ねられ、ただ、一方の他方に対する侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超える場合にのみ、法がこれに介入しその間の調整をはかるという建前がとられているのであつて、この点において国または公共団体と個人との関係の場合とはおのずから別個の観点からの考慮を必要とし、後者についての憲法上の基本権保障規定をそのまま私人相互間の関係についても適用ないしは類推適用すべきものとすることは、決して当をえた解釈ということはできないのである。

 () もつとも、私人間の関係においても、相互の社会的力関係の相違から、一方が他方に優越し、事実上後者が前者の意思に服従せざるをえない場合があり、このような場合に私的自治の名の下に優位者の支配力を無制限に認めるときは、劣位者の自由や平等を著しく侵害または制限することとなるおそれがあることは否み難いが、そのためにこのような場合に限り憲法の基本権保障規定の適用ないしは類推適用を認めるべきであるとする見解もまた、採用することはできない。何となれば、右のような事実上の支配関係なるものは、その支配力の態様、程度、規模等においてさまざまであり、どのような場合にこれを国または公共団体の支配と同視すべきかの判定が困難であるばかりでなく、一方が権力の法的独占の上に立つて行なわれるものであるのに対し、他方はこのような裏付けないしは基礎を欠く単なる社会的事実としての力の優劣の関係にすぎず、その間に画然たる性質上の区別が存するからである。すなわち、私的支配関係においては、個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、これに対する立法措置によつてその是正を図ることが可能であるし、また、場合によつては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によつて、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存するのである。そしてこの場合、個人の基本的な自由や平等を極めて重要な法益として尊重すべきことは当然であるが、これを絶対視することも許されず、統治行動の場合と同一の基準や観念によつてこれを律することができないことは、論をまたないところである。

 () ところで、憲法は、思想、信条の自由や法の下の平等を保障すると同時に、他方、二二条、二九条等において、財産権の行使、営業その他広く経済活動の自由をも基本的人権として保障している。それゆえ、企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできないのである。憲法一四条の規定が私人のこのような行為を直接禁止するものでないことは前記のとおりであり、また、労働基準法三条は労働者の信条によつて賃金その他の労働条件につき差別することを禁じているが、これは、雇入れ後における労働条件についての制限であつて、雇入れそのものを制約する規定ではない。また、思想、信条を理由とする雇入れの拒否を直ちに民法上の不法行為とすることができないことは明らかであり、その他これを公序良俗違反と解すべき根拠も見出すことはできない。

 右のように、企業者が雇傭の自由を有し、思想、信条を理由として雇入れを拒んでもこれを目して違法とすることができない以上、企業者が、労働者の採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事項についての申告を求めることも、これを法律上禁止された違法行為とすべき理由はない。もとより、企業者は、一般的には個々の労働者に対して社会的に優越した地位にあるから、企業者のこの種の行為が労働者の思想、信条の自由に対して影響を与える可能性がないとはいえないが、法律に別段の定めがない限り、右は企業者の法的に許された行為と解すべきである。また、企業者において、その雇傭する労働者が当該企業の中でその円滑な運営の妨げとなるような行動、態度に出るおそれのある者でないかどうかに大きな関心を抱き、そのために採否決定に先立つてその者の性向、思想等の調査を行なうことは、企業における雇傭関係が、単なる物理的労働力の提供の関係を超えて、一種の継続的な人間関係として相互信頼を要請するところが少なくなく、わが国におけるようにいわゆる終身雇傭制が行なわれている社会では一層そうであることにかんがみるときは、企業活動としての合理性を欠くものということはできない。のみならず、本件において問題とされている上告人の調査が、前記のように、被上告人の思想、信条そのものについてではなく、直接には被上告人の過去の行動についてされたものであり、ただその行動が被上告人の思想、信条となんらかの関係があることを否定できないような性質のものであるというにとどまるとすれば、なおさらこのような調査を目して違法とすることはできないのである。

 右の次第で、原判決が、上告人において、被上告人の採用のための調査にあたり、その思想、信条に関係のある事項について被上告人から申告を求めたことは法律上許されない違法な行為であるとしたのは、法令の解釈、適用を誤つたものといわなければならない。

 人種による差別(3) 最判平成17年1月26日・最判平成16年11月29日・札幌地裁平成14年11月11日

  目次

【最判平成17年1月26日・外国人公務員東京都管理職選考受験訴訟上告審判決】

要旨

普通地方公共団体が、原則として日本国籍保有者の就任を想定する「公権力行使等地方公務員」の職と、これに昇任するに必要な職務経験を積むために経るべき職とを包含する一体的な管理職の任用制度を構築したうえで、日本国民たる職員に限り管理職に昇任できるとする措置を執ることは、合理的な理由に基づいて日本国民たる職員と在留外国人たる職員とを区別するもので、労働基準法3条にも憲法14条1項にも違反しない。

 

判旨

 (1) 地方公務員法は、一般職の地方公務員(以下「職員」という。)に本邦に在留する外国人(以下「在留外国人」という。)を任命することができるかどうかについて明文の規定を置いていないが(同法19条1項参照)、普通地方公共団体が、法による制限の下で、条例、人事委員会規則等の定めるところにより職員に在留外国人を任命することを禁止するものではない。普通地方公共団体は、職員に採用した在留外国人について、国籍を理由として、給与、勤務時間その他の勤務条件につき差別的取扱いをしてはならないものとされており(労働基準法3条、112条、地方公務員法58条3項)、地方公務員法24条6項に基づく給与に関する条例で定められる昇格(給料表の上位の職務の級への変更)等も上記の勤務条件に含まれるものというべきである。しかし、上記の定めは、普通地方公共団体が職員に採用した在留外国人の処遇につき合理的な理由に基づいて日本国民と異なる取扱いをすることまで許されないとするものではない。また、そのような取扱いは、合理的な理由に基づくものである限り、憲法14条1項に違反するものでもない。

 管理職への昇任は、昇格等を伴うのが通例であるから、在留外国人を職員に採用するに当たって管理職への昇任を前提としない条件の下でのみ就任を認めることとする場合には、そのように取り扱うことにつき合理的な理由が存在することが必要である。

 (2) 地方公務員のうち、住民の権利義務を直接形成し、その範囲を確定するなどの公権力の行使に当たる行為を行い、若しくは普通地方公共団体の重要な施策に関する決定を行い、又はこれらに参画することを職務とするもの(以下「公権力行使等地方公務員」という。)については、次のように解するのが相当である。すなわち、公権力行使等地方公務員の職務の遂行は、住民の権利義務や法的地位の内容を定め、あるいはこれらに事実上大きな影響を及ぼすなど、住民の生活に直接間接に重大なかかわりを有するものである。それゆえ、国民主権の原理に基づき、国及び普通地方公共団体による統治の在り方については日本国の統治者としての国民が最終的な責任を負うべきものであること(憲法1条、15条1項参照)に照らし、原則として日本の国籍を有する者が公権力行使等地方公務員に就任することが想定されているとみるべきであり、我が国以外の国家に帰属し、その国家との間でその国民としての権利義務を有する外国人が公権力行使等地方公務員に就任することは、本来我が国の法体系の想定するところではないものというべきである。

 そして、普通地方公共団体が、公務員制度を構築するに当たって、公権力行使等地方公務員の職とこれに昇任するのに必要な職務経験を積むために経るべき職とを包含する一体的な管理職の任用制度を構築して人事の適正な運用を図ることも、その判断により行うことができるものというべきである。そうすると、普通地方公共団体が上記のような管理職の任用制度を構築した上で、日本国民である職員に限って管理職に昇任することができることとする措置を執ることは、合理的な理由に基づいて日本国民である職員と在留外国人である職員とを区別するものであり、上記の措置は、労働基準法3条にも、憲法14条1項にも違反するものではないと解するのが相当である。そして、この理は、前記の特別永住者についても異なるものではない。

 (3) これを本件についてみると、前記事実関係等によれば、昭和63年4月に上告人に保健婦として採用された被上告人は、東京都人事委員会の実施する平成6年度及び同7年度の管理職選考(選考種別Aの技術系の選考区分医化学)を受験しようとしたが、東京都人事委員会が上記各年度の管理職選考において日本の国籍を有しない者には受験資格を認めていなかったため、いずれも受験することができなかったというのである。そして、当時、上告人においては、管理職に昇任した職員に終始特定の職種の職務内容だけを担当させるという任用管理を行っておらず、管理職に昇任すれば、いずれは公権力行使等地方公務員に就任することのあることが当然の前提とされていたということができるから、上告人は、公権力行使等地方公務員の職に当たる管理職のほか、これに関連する職を包含する一体的な管理職の任用制度を設けているということができる。

 そうすると、上告人において、上記の管理職の任用制度を適正に運営するために必要があると判断して、職員が管理職に昇任するための資格要件として当該職員が日本の国籍を有する職員であることを定めたとしても、合理的な理由に基づいて日本の国籍を有する職員と在留外国人である職員とを区別するものであり、上記の措置は、労働基準法3条にも、憲法14条1項にも違反するものではない。

 

 

【最判平成16年11月29日・アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件】

要旨

財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定の締結後、旧日本軍の軍人軍属又はその遺族であったが日本国との平和条約により日本国籍を喪失した大韓民国に在住する韓国人に対して、何らかの措置を講ずることなく、戦傷病者戦没者遺族等援護法附則2項、恩給法9条1項3号の各規定を存置したことは、憲法14条1項に違反しない。

 

判旨

財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和40年条約第27号)の締結後、旧日本軍の軍人軍属又はその遺族であったが日本国との平和条約により日本国籍を喪失した大韓民国に在住する韓国人に対して何らかの措置を講ずることなく戦傷病者戦没者遺族等援護法附則2項、恩給法9条1項3号の各規定を存置したことが憲法14条1項に違反するということができないことは、当裁判所の大法廷判決(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁、最高裁昭和37年(あ)第927号同39年11月18日大法廷判決・刑集18巻9号579頁等)の趣旨に徴して明らかである(最高裁平成10年(行ツ)第313号同13年4月5日第一小法廷判決・裁判集民事202号1頁、前掲平成13年11月16日第二小法廷判決、最高裁平成12年(行ツ)第191号同14年7月18日第一小法廷判決・裁判集民事206号833頁参照)。

 

 

【札幌地裁平成14年11月11日・小樽市外国人入浴拒否事件】

要旨

憲法14条1項、国際人権B規約及びあらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約は、私法の諸規定の解釈の基準となりうるところ、私人が経営する公衆浴場が外国人一律入浴拒否の方法で行った本件入浴拒否は、不合理な差別であり社会的に許容しうる限度を超えているから違法であり不法行為に当たる。

 

判旨

  (1) 原告らは、被告Aによる本件入浴拒否は、憲法14条1項、国際人権B規約26条、人種差別撤廃条約5条(f)、6条及び公衆浴場法に反して違法である旨主張する。しかし、憲法14条1項は、公権力と個人との間の関係を規律するものであって、原告らと被告Aとの間のような私人相互の間の関係を直接規律するものではないというべきであり、実質的に考えても、同条項を私人間に直接適用すれば、私的自治の原則から本来自由な決定が許容される私的な生活領域を不当に狭めてしまう結果となる。また、国際人権B規約及び人種差別撤廃条約は、国内法としての効力を有するとしても、その規定内容からして、憲法と同様に、公権力と個人との間の関係を規律し、又は、国家の国際責任を規定するものであって、私人相互の間の関係を直接規律するものではない。そして、公衆浴場法は、公衆衛生を保持するために公衆浴場の配置基準を定め、公衆浴場業の営業を許可制とするものであって、本件入浴拒否のような、公衆浴場の公衆衛生の保持とは直接関係のない行為についての適法性を判断する根拠とはなりえない。したがって、原告らの上記主張は採用することができない。

  (2) 私人相互の関係については、上記のとおり、憲法14条1項、国際人権B規約、人種差別撤廃条約等が直接適用されることはないけれども、私人の行為によって他の私人の基本的な自由や平等が具体的に侵害され又はそのおそれがあり、かつ、それが社会的に許容しうる限度を超えていると評価されるときは、私的自治に対する一般的制限規定である民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等により、私人による個人の基本的な自由や平等に対する侵害を無効ないし違法として私人の利益を保護すべきである。そして、憲法14条1項、国際人権B規約及び人種差別撤廃条約は、前記のような私法の諸規定の解釈にあたっての基準の一つとなりうる

  これを本件入浴拒否についてみると、本件入浴拒否は、Oの入口には外国人の入浴を拒否する旨の張り紙が掲示されていたことからして、国籍による区別のようにもみえるが、外見上国籍の区別ができない場合もあることや、第2入浴拒否においては、日本国籍を取得した原告Jが拒否されていることからすれば、実質的には、日本国籍の有無という国籍による区別ではなく、外見が外国人にみえるという、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づく区別、制限であると認められ、憲法14条1項、国際人権B規約26条、人種差別撤廃条約の趣旨に照らし、私人間においても撤廃されるべき人種差別にあたるというべきである。

  ところで、被告Aには、Oに関して、財産権の保障に基づく営業の自由が認められている。しかし、Oは、公衆浴場法による北海道知事の許可を受けて経営されている公衆浴場であり、公衆衛生の維持向上に資するものであって、公共性を有するものといえる。そして、その利用者は、相応の料金の負担により、家庭の浴室にはない快適さを伴った入浴をし、清潔さを維持することができるのであり、公衆浴場である限り、希望する者は、国籍、人種を問わず、その利用が認められるべきである。もっとも、公衆浴場といえども、他の利用者に迷惑をかける利用者に対しては、利用を拒否し、退場を求めることが許されるのは当然である。したがって、被告Aは、入浴マナーに従わない者に対しては、入浴マナーを指導し、それでも入浴マナーを守らない場合は、被告小樽市や警察等の協力を要請するなどして、マナー違反者を退場させるべきであり、また、入場前から酒に酔っている者の入場や酒類を携帯しての入場を断るべきであった。たしかに、これらの方法の実行が容易でない場合があることは否定できないが、公衆浴場の公共性に照らすと、被告Aは、可能な限りの努力をもって上記方法を実行すべきであったといえる。そして、その実行が容易でない場合があるからといって、安易にすべての外国人の利用を一律に拒否するのは明らかに合理性を欠くものというべきである。しかも、入浴を希望した原告らについては、他の利用者に迷惑をかけるおそれは全く窺えなかったものである。

  したがって、外国人一律入浴拒否の方法によってなされた本件入浴拒否は、不合理な差別であって、社会的に許容しうる限度を超えているものといえるから、違法であって不法行為にあたる。

 

 

【最判平成14年7月18日・恩給請求事件】

要旨

恩給法9条1項3号の国籍条項は、昭和27年4月28日の平和条約の発効によって日本国籍を喪失した在日韓国人である旧軍人に、普通恩給を受ける権利を認めないが、日韓請求権協定(昭和40年条約27号)締結後、彼らが日本国からも大韓民国からも何らの補償もされないまま推移したとしても、同条項を存置したことは、いまだ立法府の裁量の範囲を逸脱したとはいえず、本件処分当時においても同条項が憲法14条に違反するに至っていたとはいえない。

 

判旨

 憲法一四条一項は、法の下の平等を定めているが、この規定は合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであって、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り、何らこの規定に違反するものでない。このことは、当裁判所の判例の趣旨とするところである(最高裁昭和三七年(あ)第九二七号同三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五七九頁、最高裁昭和三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁等)。

 ところで、我が国は、昭和二七年四月二八日に発効した日本国との平和条約(以下「平和条約」という。)により、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄し(二条(a))、これらの地域の施政を行っている当局及び住民の日本国における財産並びに日本国及びその国民に対するこれらの当局及び住民の請求権(債権を含む。)の処理は、日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とするものとされた(四条(a)前段)。そして、平和条約の発効により、それまで日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位を有していた者は、日本国籍を喪失したものと解される。その後、昭和二八年八月一日施行の恩給法の一部を改正する法律(同年法律第一五五号)により、旧軍人等及びその遺族に対する恩給の支給が復活したが、その時点においてこれらの者は日本の国籍を喪失していたから、恩給法九条一項三号により恩給の受給資格を有しないこととなったものである。

 以上の経緯に照らせば、平和条約の発効まで日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位を有していた旧軍人等について恩給法九条一項三号の例外を設けず、これらの者が同法の適用から除外されたのは、それまで日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位を有していた人々の請求権の処理は平和条約により日本国政府と朝鮮の施政当局との特別取極の主題とされたことから、上記旧軍人等に対する補償問題もまた両政府間の外交交渉によって解決されることが予定されたことに基づくものと解されるのであり、そのことには十分な合理的根拠があるというべきである。したがって、恩給法九条一項三号に基づき、日本の国籍を有する旧軍人等と平和条約の発効により日本の国籍を喪失し大韓民国の国籍を取得することとなった旧軍人等との間に区別が生じたとしても、それは上記のような根拠に基づくものである以上、同号の規定が憲法一四条に違反するものとはいえない。

 また、その後、日本国と大韓民国との間において、平和条約に基づく特別取極に相当するものとして、昭和四〇年六月二二日、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和四〇年条約第二七号。以下「日韓請求権協定」という。)が締結されたが、日本国政府は、同協定二条二項(a)に該当する在日韓国人である旧軍人等の補償請求については同協定により解決済みであるとの立場をとり、他方で、大韓民国政府は、同項(a)に該当する在日韓国人である旧軍人等については、大韓民国の国内法による補償の対象から除外した。このため、これらの在日韓国人である旧軍人等に対しては、日本国からも大韓民国からも何らの補償もされないまま推移することとなった。しかしながら、旧軍人等の普通恩給は、旧軍人等の生活を援助するとともにその戦争犠牲ないし戦争損害に対する補償という性質を有するものであるところ、社会保障上の施策において在留外国人をどのように処遇するかについては、国は、特別の条約の存しない限り、当該外国人の属する国との外交関係、変動する国際情勢、国内の政治・経済・社会的諸事情等に照らしながら、その政治的判断によりこれを決定することができるものであるし、戦争犠牲ないし戦争損害に対する補償の要否及び在り方は、事柄の性質上、財政、経済、社会政策等の国政全般にわたった総合的政策判断を待って初めて決し得るものであって、これらについては、国家財政、社会経済、戦争によって国民が被った被害の内容、程度等に関する盗料を基礎とする立法府の裁量的判断にゆだねられたものと解される。そして、日韓請求権協定の締結後の経過や国際情勢の推移等にかんがみると、恩給法九条一項三号の規定を削除することも含めていわゆる在日韓国人の旧軍人等に対して何らかの措置を講ずることとするか否かは、大韓民国やその他の国々との間の高度な政治、外交上の問題であるということができ、その決定に当たっては、複雑かつ高度に政策的な考慮と判断が要求されるところといわなければならない。これらのことからすれば、いわゆる在日韓国人の旧軍人等に対して何らかの措置を講ずることなく恩給法九条一項三号を存置したとしても、いまだ上記のような立法府の裁量の範囲を逸脱したものとまではいうことができず、本件処分当時においても、同号が憲法一四条に違反するに至っていたものとすることはできない。

 

 

【東京地裁平成14年6月28日】

要旨

外国人による国家賠償請求について相互主義を定めた国家賠償法6条は、日本国民に対して国家賠償による救済を認めない国の国民に対し、日本国が積極的に救済を与える必要がないという衡平の観念に基づいており、また、外国における日本国民の救済拡充にも資するものであり、その趣旨及び内容に一定の合理性が認められるから、憲法17条・14条1項、98条2項に違反しない。

 

判旨

憲法141項は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と規定しているところ、この規定の趣旨は、特段の事情の認められない限り、外国人に対しても類推されるべきものと解される(最高裁判所昭和391118日大法廷判決・刑集189579頁)。

  しかしながら、憲法141項は、合理的理由のない差別を禁止する趣旨の規定であって、法律の規定において、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その立法趣旨が合理的根拠を欠くとか、立法趣旨に照らして合理的な内容とはいえない区別であって、不合理な差別であると認められる場合でない限り、同項の規定に違反しないというべきである。

  そして、国家賠償法6条が外国人による国家賠償請求について相互の保証を要することとした趣旨は、前記イのとおりであり、その趣旨及び内容に一定の合理性が認められることからすれば、同条の規定が憲法141項に違反するということはできない。

1 人種による差別(2)

 

【東京高裁昭和61年8月25日・外国人登録法違反被告事件】

要旨

外国人登録法の指紋押なつ制度は、憲法一三条、一四条、三一条に違反しない。

 

判旨

 (一) 法の下の平等

 憲法一四条一項は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と規定しており、これは、国民に対し法の下の平等を保障したものであって、同項後段列挙の事項は例示的なものであるということができる(最高裁判所昭和三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁、同裁判所昭和四八年四月四日大法廷判決・刑集二七巻三号二六五頁参照)。

 そうして、法の下の平等を定めた憲法一四条の趣旨は、特段の事情の認められない限り、外国人に対しても類推されるものと解すべきである(最高裁判所昭和三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五七九頁参照)。

 しかしながら、各人には種々の事実関係上の差異が存するものであるから、法規の制定又はその適用の面において、右のような事実関係上の差異から生ずる不均等が各人の間にあることは免れ難いところであり、その不均等が一般社会観念上合理的な根拠に基づき必要と認められるものである場合には、これをもって憲法一四条の法の下の平等の原則に反するものとはいえない(前記最高裁判所昭和三九年一一月一八日大法廷判決等参照)。

 (二) 国民と外国人との相違

 国民について居住関係及び身分関係を明確にすることを目的とする住民基本台帳法及び戸籍法が指紋押なつ制度を採用していないのに、本邦に在留する外国人について居住関係及び身分関係を明確にすることを目的とする外登法がこれを採用していることは所論の指摘するとおりである。

 しかしながら、国民と外国人との区別は憲法自体が認めているものである。国民は、国籍によってわが国に結びつけられ、わが国の構成要素を成す者であるが、国民でない人、すなわち外国人は、わが国の構成要素をなす者ではない。前記のように、国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを、当該国家が自由に決定することができるものとされているのである。すなわち、国民はわが国に居住する権利を保障されているが、他の国には日本国民を受け入れる一般的義務はないのであって他の国に居住する権利を保障されているものではなく、これに対し、外国人は、憲法上、わが国に入国し、在留する権利を保障されているものではない(最高裁判所昭和五三年一〇月四日大法廷判決・民集三二巻七号一二二三頁参照)。わが国がその主権の及ぶ者を管理するにあたり、わが国とその者との基本的な関係を確実に把握する必要があるが、国民については、戸籍に記載される資格をもつ者を国籍のある者に限り、かつ、国籍のある者すべてを戸籍に記載することとする戸籍制度を設けて、出生、死亡、婚姻などの個人の身分関係だけではなく、国家と国民との法的関係すなわち国籍関係を明確ならしめることとし、これと並んで住民に関する記録を正確かつ統一的に行う住民基本台帳制度を設けているのに対し、外国人については、外国人登録制度を設けて、外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめようとしているのであるが、これは前記のような国民と外国人との地位の基本的な相違に基づくものであって、もとより憲法一四条に違反するものではない(最高裁判所昭和三〇年一二月一四日大法廷判決・刑集九巻一三号二七五六頁、同裁判所昭和三四年七月二四日第二小法廷判決・刑集一三巻八号一二一二頁参照)。そうして、指紋押なつ制度を国民の場合について設けていないのに外国人の場合について設けている法規上の不均等は、前記のように国民がわが国の構成員であるのに対し外国人は、そうではなく、わが国に入国し、在留する権利を有せず、また、前記1、(二)、(4)、(ホ)のとおり一般に国民に比してわが国社会との密着性が乏しいことなどに照らし、一般社会通念上合理的な根拠に基づく必要なものであると認められる。

 更に、被告人のようないわゆる定住外国人の場合においても、わが国との関係は国民の場合とは基本的に異なるものであることは前記のとおりであり、また、わが国に長期にわたり在留する者の中にもわが国の社会との密着性が国民と近い者からはるかに相違する者まで様々なものが含まれており、このうちどのような要件を備える者をいわゆる定住外国人ないし定着居住者としてその余の外国人居住者と区別し、その居住関係及び身分関係を明確にするのにどのような制度を設けるのが相当適切であるかを決するのは、広範な調査に基づき、国内の政治・経済・社会等の諸事情、国際情勢、外国関係、国際礼譲など諸般の事清を斟酌して国益保持の見地からなされるべき合目的的判断であって(最高裁判所昭和五三年一〇月四日大法廷判決・民集三二巻七号一二二三頁参照)、これは立法府の合理的な裁量に委ねられているというべきである。したがって、外登法が指紋押なつ制度をいわゆる定住外国人とその余の外国人を区別することなく外国人に一律に適用すべきものとしていることが、いわゆる定住外国人と国民とを合理的な根拠がないのに差別的に取り扱うものであるとはいえない。

 

 

 

【大阪高裁昭和63年4月19日・大阪外登証不携帯事件控訴審判決】

要旨

外国人登録法の外国人登録証明書常時携帯制度は、憲法一三条・一四条・二二条に違反しない。

 

判旨

 日本国民について、その居住関係及び身分関係を明確にすることを目的としている住民基本台帳法及び戸籍法が外登法法上の外登証常時携帯制度に準ずる制度を設けていないことは所論指摘のとおりである。しかしながら、法規の制定・適用等の面で何らかの不均等があつても、その不均等が社会通念上合理的な根拠に基づくものであり、かつ、必要なものと認められる以上は、これをもつて憲法一四条に反するものといえないことは当然であるところ、国民と外国人との区別は憲法自体が認めているものであつて、両者の間にはその法的地位に基本的な相違があるから、その居住関係及び身分関係を明確にすることを目的とする点で共通するとはいえ、外国人に対する関係で外国人登録制度を設け、登録証明書の携帯等を義務付けることに前示のような必要性・合理性が存する限り、市民的及び政治的権利に関する国際規約二六条等の趣旨を十分考慮に容れても、所論のいう憲法一四条違反の問題を生じないことは言をまたないところである。

 

 

【最判平成元年3月2日・障害福祉年金国籍要件違憲訴訟上告審判決】

要旨

国民年金法(昭和56年法律86号改正前)81条1項が受ける同法56条1項但書の規定および昭和34年11月1日より後に帰化によって日本国籍を取得した者に対し、同法81条1項の障害福祉年金の支給をしないことは、立法府の裁量の範囲に属する事柄で、その合理性を否定することができず、憲法25条・14条に違反しない。

 

判旨

  事実関係

 一 原審の適法に確定したところによれば、本件の事実関係は次のとおりである。 上告人は、昭和九年六月二五日大阪市で出生し、幼少のころ罹患したはしかによつて失明し、昭和三四年一一月一日において昭和五六年法律第八六号による改正前の国民年金法(以下「法」という。)別表に定める一級に該当する程度の廃疾の状態にあつた。上告人は、昭和三四年一一月一日においては大韓民国籍であつたところ、昭和四五年一二月一六日帰化によつて日本国籍を取得した。上告人は、法八一条一項の障害福祉年金の受給権者であるとして、被上告人に対し右受給権の裁定を請求したところ、被上告人は、昭和四七年八月二一日同請求を棄却する旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。本件処分の理由は、上告人は昭和三四年一一月一日において日本国民でなかつたから法八一条一項の障害福祉年金の受給権を有しないというものであつた。

 二 法八一条一項は、昭和一四年一一月一日以前に生まれた者が、昭和三四年一一月一日以前になおつた傷病により、昭和三四年一一月一日において法別表に定める一級に該当する程度の廃疾の状態にあるときは、法五六条一項本文の規定にかかわらず、その者に同条の障害福祉年金を支給する旨規定しているが、法五六条一項ただし書は廃疾認定日において日本国民でない者に対しては同条の障害福祉年金を支給しない旨規定しており、法八一条一項の障害福祉年金の支給に関しても当然に法五六条一項ただし書の規定の適用があるから、法八一条一項の障害福祉年金は、廃疾の認定日である昭和三四年一一月一日において日本国民でない者に対しては支給されないものと解すべきである。

 三 そこで、まず、法八一条一項が受ける法五六条一項ただし書の規定(以下「国籍条項」という。)及び昭和三四年一一月一日より後に帰化によつて日本国籍を取得した者に対し法八一条一項の障害福祉年金の支給をしないことが、憲法二五条の規定に違反するかどうかについて判断する。

 

■裁判所の判断

 憲法二五条は、いわゆる福祉国家の理念に基づき、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるよう国政を運営すべきこと(一項)並びに社会的立法及び社会的施設の創造拡充に努力すべきこと(二項)を国の責務として宣言したものであるが、同条一項は、国が個々の国民に対して具体的・現実的に右のような義務を有することを規定したものではなく、同条二項によつて国の責務であるとされている社会的立法及び社会的施設の創造拡充により個々の国民の具体的・現実的な生活権が設定充実されてゆくものであると解すべきこと、そして、同条にいう「健康で文化的な最低限度の生活」なるものは、きわめて抽象的・相対的な概念であつて、その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるとともに、同条の規定の趣旨を現実の立法として具体化するに当たつては、国の財政事情を無視することができず、また、多方面にわたる複雑多様な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするから、同条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するに適しない事柄であるというべきことは、当裁判所大法廷判決(昭和二三年(れ)第二〇五号同年九月二九日判決・刑集二巻一〇号一二三五頁、昭和五一年(行ツ)第三〇号同五七年七月七日判決・民集三六巻七号一二三五頁)の判示するところである。

 そこで、本件で問題とされている国籍条項が憲法二五条の規定に違反するかどうかについて考えるに、国民年金制度は、憲法二五条二項の規定の趣旨を実現するため、老齢、障害又は死亡によつて国民生活の安定が損なわれることを国民の共同連帯によつて防止することを目的とし、保険方式により被保険者の拠出した保険料を基として年金給付を行うことを基本として創設されたものであるが、制度発足当時において既に老齢又は一定程度の障害の状態にある者、あるいは保険料を必要期間納付することができない見込みの者等、保険原則によるときは給付を受けられない者についても同制度の保障する利益を享受させることとし、経過的又は補完的な制度として、無拠出制の福祉年金を設けている。法八一条一項の障害福祉年金も、制度発足時の経過的な救済措置の一環として設けられた全額国庫負担の無拠出制の年金であつて、立法府は、その支給対象者の決定について、もともと広範な裁量権を有しているものというべきである。加うるに、社会保障上の施策において在留外国人をどのように処遇するかについては、国は、特別の条約の存しない限り、当該外国人の属する国との外交関係、変動する国際情勢、国内の政治・経済・社会的諸事情等に照らしながら、その政治的判断によりこれを決定することができるのであり、その限られた財源の下で福祉的給付を行うに当たり、自国民を在留外国人より優先的に扱うことも、許されるべきことと解される。したがつて、法八一条一項の障害福祉年金の支給対象者から在留外国人を除外することは、立法府の裁量の範囲に属する事柄と見るべきである。

 また、経過的な性格を有する右障害福祉年金の給付に関し、廃疾の認定日である制度発足時の昭和三四年一一月一日において日本国民であることを要するものと定めることは、合理性を欠くものとはいえない。昭和三四年一一月一日より後に帰化により日本国籍を取得した者に対し法八一条一項の障害福祉年金を支給するための措置として、右の者が昭和三四年一一月一日に遡り日本国民であつたものとして扱うとか、あるいは国籍条項を削除した昭和五六年法律第八六号による国民年金法の改正の効果を遡及させるというような特別の救済措置を講ずるかどうかは、もとより立法府の裁量事項に属することである。 そうすると、国籍条項及び昭和三四年一一月一日より後に帰化によつて日本国籍を取得した者に対し法八一条一項の障害福祉年金の支給をしないことは、憲法二五条の規定に違反するものではないというべく、以上は当裁判所大法廷判決(昭和五一年(行ツ)第三〇号同五七年七月七日判決・民集三六巻七号一二三五頁、昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日判決・民集三二巻七号一二二三頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。

 

 四 次に、国籍条項及び昭和三四年一一月一日より後に帰化によつて日本国籍を取得した者に対し法八一条一項の障害福祉年金の支給をしないことが、憲法一四条一項の規定に違反するかどうかについて考えるに、憲法一四条一項は法の下の平等の原則を定めているが、右規定は合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであつて、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものではないのである(最高裁昭和三七年(あ)第九二七号同三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五七九頁、同昭和三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁参照)。ところで、法八一条一項の障害福祉年金の給付に関しては、廃疾の認定日に日本国籍がある者とそうでない者との間に区別が設けられているが、前示のとおり、右障害福祉年金の給付に関し、自国民を在留外国人に優先させることとして在留外国人を支給対象者から除くこと、また廃疾の認定日である制度発足時の昭和三四年一一月一日において日本国民であることを受給資格要件とすることは立法府の裁量の範囲に属する事柄というべきであるから、右取扱いの区別については、その合理性を否定することができず、これを憲法一四条一項に違反するものということはできない。

 

 五 さらに、国籍条項が憲法九八条二項に違反するかどうかについて判断する。 所論の社会保障の最低基準に関する条約(昭和五一年条約第四号。いわゆるILO第一〇二号条約)六八条1の本文は「外国人居住者は、自国民居住者と同一の権利を有する。」と規定しているが、そのただし書は「専ら又は主として公の資金を財源とする給付又は給付の部分及び過渡的な制度については、外国人及び自国の領域外で生まれた自国民に関する特別な規則を国内の法令で定めることができる。」と規定しており、全額国庫負担の法八一条一項の障害福祉年金に係る国籍条項が同条約に違反しないことは明らかである。また、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(昭和五四年条約第六号)九条は「この規約の締約国は、社会保険その他の社会保障についてのすべての者の権利を認める。」と規定しているが、これは、締約国において、社会保障についての権利が国の社会政策により保護されるに値するものであることを確認し、右権利の実現に向けて積極的に社会保障政策を推進すべき政治的責任を負うことを宣明したものであつて、個人に対し即時に具体的権利を付与すべきことを定めたものではない。このことは、同規約二条1が締約国において「立法措置その他のすべての適当な方法によりこの規約において認められる権利の完全な実現を漸進的に達成する」ことを求めていることからも明らかである。したがつて、同規約は国籍条項を直ちに排斥する趣旨のものとはいえない。さらに、社会保障における内国民及び非内国民の均等待遇に関する条約(いわゆるILO第一一八号条約)は、わが国はいまだ批准しておらず、国際連合第三回総会の世界人権宣言、同第二六回総会の精神薄弱者の権利宣言、同第三〇回総会の障害者の権利宣言及び国際連合経済社会理事会の一九七五年五月六日の障害防止及び障害者のリハビリテーシヨンに関する決議は、国際連合ないしその機関の考え方を表明したものであつて、加盟国に対して法的拘束力を有するものではない。以上のように、所論の条約、宣言等は、わが国に対して法的拘束力を有しないか、法的拘束力を有していても国籍条項を直ちに排斥する趣旨のものではないから、国籍条項がこれらに抵触することを前提とする憲法九八条二項違反の主張は、その前提を欠くというべきである。