憲法重要判例六法F

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プライバシー権(11)東京高裁平成12年10月25日・最判平成7年9月5日

  目次

【東京高裁平成12年10月25日】

要旨

一 犯罪捜査に当たった警察官が、被疑者の弁護士の所属団体及び所属政党を調査し、これを捜査報告書に記載した行為が、当該弁護士のプライバシーを侵害する違法な行為に当るものとすることはできないとされた事例

二 検察官が右の捜査報告書を略式命令を請求する際の資料として裁判所に提出した行為が、当該弁護士のプライバシーを侵害する違法な行為にあたるものとされた事例

 

判旨

■事案の概要

 本件は、東京都立川市所在の三多摩法律事務所に勤務する弁護士である原告が、国の公務員である検察官並びに東京都及び北海道の公務員である警察官の違法な行為によって、そのプライバシー等を侵害されたとして、被告らに対して国家賠償を求めている事件である。

 すなわち、本件において、原告は、被疑者丁谷次郎らに係る傷害事件(本件傷害事件)について弁護人となることを委任されていたところ、北海道警察及び警視庁に所属する警察官であって東京地方検察庁において捜査実務の研修中に本件傷害事件の捜査に当たった警察官が、東京地方検察庁の検察官の指導の下に、平成二年一月三〇日ころ、原告が青年法律家協会に所属しており日本共産党の党員として把握されているものであるとする内容(本件記載事項)の記載のある捜査報告書(本件捜査報告書)を作成して検察官に提出し、平成二年七月二〇日、東京区検察庁の検察官がこれを本件傷害事件に関する略式命令請求の際の証拠資料として裁判所に提出したことにより、これが右の略式命令の確定後は刑事確定訴訟記録の一部として東京地方検察庁において保管され、一般人の知り得る状態に置かれるに至ったが、右の検察官及び警察官の行為は、原告のプライバシーの権利等を侵害する不法行為に当たるとして、被告らに対して国家賠償を求めているのである。

 

  裁判所の判断

二 乙川警部等の行為の違法性の有無について

 乙川警部による本件捜査報告書の作成行為が、本件傷害事件の捜査の過程で、後任の捜査担当者に対する引継ぎのための資料を作成することを主目的として行われたものであり、そのための調査等の方法としては、研修の同期生である伊藤警視から公刊物に登載された原告の経歴等をメモ書きしたものと同警視の個人的な体験から得た知識の提供を受けるという方法が採られたにすぎないものであることは、前記引用に係る原判決の認定、説示にあるとおりである。

 そもそも犯罪の捜査に当たっては、被告らの主張にもあるとおり、広く当該被疑事件に関係すると考えられる事項や公訴提起後の公判活動をも視野に入れた当該事件の処理にとって参考となると考えられる事項について、積極的に情報の収集が行われ、その過程で、時として関係者のプライバシーに関わるような事項についても調査が行われ、その調査結果が捜査報告書等の資料にまとめられるという事態があり得ることは、当然のことと考えられるのであり、いわゆる任意捜査の方法で行われるその際の調査等が、調査対象者の私生活の平穏を始めとする権利、利益を違法、不当に侵害するような方法で行われるのでない限り、このような捜査活動自体がその調査等の対象者に対する関係で直ちに違法とされるものでないことは、いうまでもないところというべきである。

 もっとも、このような調査等によって得られた対象者のプライバシーに関わるような情報が、その必要もないのにみだりに公にされるという事態が生じた場合には、これが違法なプライバシーの侵害行為と評価されることがあり得ることは当然のことというべきである。しかし、本来的に密行性を有する手続である刑事事件の捜査手続において行われる右のような事項に関する調査等の結果については、公務員たる捜査関係者には守秘義務が課されていることなどからしても、それが公にされるという事態は、それが裁判手続に証拠として提出されるという場合を除いては原則として考えられないのであり、しかも、当該調査結果等を裁判の証拠として提出するか否かは、当該事件の公判等を担当する検察官が、公訴の維持という公益上の観点からするその提出の必要性とこれを証拠として提出することが関係者のプライバシーにもたらすこととなる影響等を慎重に対比、検討した上で決定すべきこととされているのであるから、公益上の必要もないのに、みだりにその内容が裁判の証拠として提出され、それが公にされるという事態は、原則的に生じないような制度が確保されているものと考えられるところである。したがって、捜査担当者が、関係者のプライバシーに関するような事項について調査を行い、その調査結果を捜査報告書等の書面に作成するという行為自体は、本件におけるように、それがおよそ調査対象者の私生活の平穏を始めとする権利、利益を違法、不当に侵害するといったおそれのない方法によって行われるものである限り、それが調査対象者のプライバシーを違法、不当に侵害するものとして、直ちにその職務上の義務に違反する違法な行為とされるということも、原則としてあり得ないところというべきである。

 なお、本件にあっては、丁谷らによる本件傷害事件に関する捜査として、原告のプライバシーにも関わるようなその所属団体等に関する事項について、どのような理由から調査を行う必要があったのかは、被告らの主張からしても必ずしも明らかではないものとも考えられるところである。しかし、仮にこの点に関する調査が本件傷害事件に対する捜査方法としては本来その必要性の認められないものであったとしても、このことによって、前記のような手段、方法によって行われたにとどまる右の調査行為が、その調査対象者である原告のプライバシーを違法、不当に侵害するものとして、直ちに乙川警部らの職務上の義務に違反する違法な行為とされるものでないことも、明らかなものというべきである。

 そうすると、乙川警部による本件捜査報告書の作成行為自体を、原告のプライバシーを違法、不当に侵害する違法な行為に該当するものとすることができないことは明らかなものというべきであり、この点に関する乙川警部や伊藤警視、さらには丙山検事らの行為自体を違法なものとする原告の主張は、失当なものという以外ない。

 

三 戌田副検事の行為の違法性の有無について

 本件傷害事件の一件捜査記録に編綴されていた本件捜査報告書が、その後戌田副検事によって丁谷らに対する略式命令請求事件の証拠書類として裁判所に提出されることとなり、その結果、本件傷害事件に関する確定記録の中に保管されて一般の閲覧に供されることとなった本件捜査報告書が、さらにその後、東京地方裁判所民事第五部からの送付嘱託を受けて同裁判所に送付されるに至ったことは、前記引用に係る原判決の認定、説示にあるとおりである。したがって、本件においては、この戌田副検事の本件捜査報告書の裁判所への提出行為が、原告のプライバシーを違法に侵害する不法行為に該当するか否かが問題とされることとなるものというべきである。

 本件において、原告が青年法律家協会に所属しているか否か、あるいは、原告が日本共産党の党員であるか否かということは、本来的に原告の私事に属する事項というべきであり、原告がこれを他に知られたくないと考えることも、一般人の考え方として不合理なものとはいえず、また、これらの点に関する事実が既に一般人の知るところとなっていたり、これらの事実について原告がプライバシーを放棄するに至っていたものとまでは認められず、したがって、本件記載事項に指摘された事実は、原告にとって、法的に保護された利益としてのプライバシーに属するものと考えられることは、原判決がその「事実」欄の「第四 争点に対する判断」の二の3の(二)の項(原判決八五頁四行目から同九三頁一一行目まで)において認定、説示するとおりである。

 このような原告のプライバシーに属する本件記載事項をその内容に含む本件捜査報告書を裁判のための証拠資料として提出するに当たっては、このようにして提出された書類が、事件の終結後は訴訟記録として原則として何人においてもこれを閲覧することができるものとなることからして、本件傷害事件に関する公訴の維持、適正な裁判の実現のためにその提出が必要とされるという公益上の必要が要求されるものというべきである。ところが、戌田副検事は、本件傷害事件について丁谷らを傷害罪で起訴するに当たって、略式命令を請求する際の証拠資料として本件捜査報告書を裁判所に提出したものであることは前記のとおりである。しかしながら、丁谷らが、本件傷害事件に関する犯罪事実を認め、略式手続によって罰金刑を課されることにも異議のない旨を申述していたこととなる右の手続において、前記のような内容からなる本件捜査報告書をその裁判のための証拠資料として裁判所に提出するまでの必要は、特段の事情のない限り、通常は認められないものというべきであり、本件において、そのような特段の事情があったものとすることも困難なものというべきである。もっとも、この点について、被告らは、本件捜査報告書が、丁谷の自白の任意性や信用性を裏付ける資料として、同人について略式命令をすることが相当であることを立証する証拠に該当するから、これを裁判所に提出する必要があったものと主張する。しかし、右の略式命令が請求された時点において、丁谷の捜査官に対する自白の任意性や信用性について特段の疑義等を抱かせるような節があったこともうかがえない本件において、丁谷の弁護を担当していた原告の所属団体等に関する事項であって、右の丁谷の自白の任意性等と直接関係するものとはいえないような事項を内容とする本件捜査報告書が、右のような意味で裁判所に提出することを必要とする資料に該当するものであったとする被告らの主張は、当を得ないものという以外にない。

 そうすると、公訴の維持のために検察官がどのような証拠資料を裁判所に提出するかについては、当該検察官に広い裁量が認められるべきであることを考慮しても、なお、本件において戌田副検事が本件捜査報告書を裁判所に証拠資料として提出したことについては、軽率であったとのそしりを免れないものというべきであり、その結果、前記のとおり、本件捜査報告書が何人においてもこれを閲覧できるという状態に置かれることとなり、原告のプライバシーが侵害されるという結果が生じた以上、戌田副検事の右の行為は、職務上の義務に違背した違法行為とされることとなるものというべきである。

 したがって、被告国は、その主張する刑事確定訴訟記録を第三者の閲覧に供すべきものとしている法の趣旨等の論点について判断するまでもなく、右の戌田副検事の違法行為を理由とする国家賠償責任を免れないものというべきこととなる。

 

 

【最判平成7年9月5日】

要旨

会社が職制等を通じて共産党又はその同調者である従業員を監視し孤立させるなどした行為が、その従業員の思想、信条の自由及びプライバシーなどの人格的利益を侵害する不法行為に当たるとされた事例。

 

事案の概要

会社が安保改定期に予想される破壊活動からの企業防衛を標ぼうして、共産党員及びその同調者の孤立化・排除のために実施した労務対策につき、それが思想の自由及びプライバシーの侵害等に当たり不法行為を構成するとして、原告らが損害賠償及び謝罪広告を求めた事案。

 

判旨

現実には企業秩序を破壊し混乱させるなどのおそれがあるとは認められないにもかかわらず、被上告人らが共産党員又はその同調者であることのみを理由とし、その職制等を通じて、職場の内外で被上告人らを継続的に監視する態勢を採った上、被上告人らが極左分子であるとか、上告人の経営方針に非協力的な者であるなどとその思想を非難して、被上告人らとの接触、交際をしないよう他の従業員に働き掛け、種々の方法を用いて被上告人らを職場で孤立させるなどしたというのであり、更にその過程の中で、被上告人水谷及び同三木谷については、退社後同人らを尾行したりし、特に被上告人三木谷については、ロッカーを無断で開けて私物である「民青手帳」を写真に撮影したりしたというのである。

そうであれば、これらの行為は、被上告人らの職場における自由な人間関係を形成する自由を不当に侵害するとともに、その名誉を毀損するものであり、また、被上告人三木谷らに対する行為はそのプライバシーを侵害するものでもあって、同人らの人格的利益を侵害するものというべく、これら一連の行為が上告人の会社としての方針に基づいて行われたというのであるから、それらは、それぞれ上告人の各被上告人らに対する不法行為を構成するものといわざるを得ない。原審の判断は、これと同旨をいうものとして是認することができる。

プライバシー権(10)東京地裁平成5年11月19日・大阪高裁平成11年11月25日

  目次

 

 

【東京地裁平成5年11月19日】

要旨

一 国立大学教授が国に対し、人事記録その他の文書において教授の旧姓名を使用するよう義務付けを求める訴えが不適当法とされた事例

二 国立大学において人事記録その他の文書に教授の戸籍上の姓名を記載したことが教授の氏名保持権、プライヴァシー、表現の自由、職業活動の自由、学問の自由を侵害しないとされた事例

 

事案の概要

 国立大学教授の原告が、結婚前の旧姓名を用いて研究活動し、大学当局に対して各種文書等に旧姓名を使用することを申し入れていたものの、大学側は原告の氏名について、戸籍上の氏名を利用することとし、原告が戸籍上の氏名でない文書を提出した場合には是正を求めるなどをしていた。

そこで、原告は国に対し、人格権あるいは自己決定権に基づき、人事記録その他の各種文書等にXの旧姓名の使用の義務付け等主張した。

 

判旨

 (1) 定員約一二〇万人を擁する国家公務員の任用関係においては、いかなる人を採用し、採用後いかに処遇する か(担当職務、昇任、降任、転任、給与等)の問題に加えて、現実に公務遂行の外観を呈する行為を行っている者が、真実、国家公務員として任用されたもので あり、かつ、当該公務を担当すべき地位、権限を有しているのかの問題を適正、確実、迅速に解決するためには、公務員の同一性を把握することが必要不可欠である。
 しかして、我が国においては、国民を公に登録し、その親族関係及び動静を公示し、公証するための唯一の身分関係 の公証制度として、戸籍法に基づく戸籍が精緻に編製されており、そこには個人の公証力ある氏名として戸籍名が記載されているところ、戸籍名を変更するため には、やむをえない事由が存する場合に家庭裁判所の許可を得て、その旨を届け出ることを必要としている(戸籍法一〇七条、一〇七条の二、一一九条)。しか も、法律上保護されるべき重要な社会的基礎を構成する夫婦が、同じ氏を称することは、主観的には夫婦の一体感を高める場合があることは否定できず、また、 客観的には利害関係を有する第三者に対し夫婦である事実を示すことを容易にするものといえるから、夫婦同氏を定める民法七五〇条は、合理性を有し、何ら憲 法に違反するものではない。
 したがって、個人の同一性を識別する機能において戸籍名より優れたものは存在しないものというべきであるから、公務員の同一性を把握する方法としてその氏名を戸籍名で取り扱うことは極めて合理的なことというべきである。
 そうであれば、本件取扱文書に定める基準は公務員の同一性を把握するという目的に配慮しながらも、他方、研究、 教育活動においては原告が以前から使用してきた氏名である「関口礼子」を表示することができるようにも配慮されたものであり、その目的及び手段として合理 性が認められ、何ら違法なものではないというべきである。
 (2)イ これに対して、原告は、少数の公務員集団である図情大教職員間においては、原告の公務員としての同一性を把握することは不要であると主張する。
 しかし、原告主張に係る各書類の中には図情大教職員間における書類にとどまらず、文部省あるいは学外の諸機関との間でやりとりされる書類も多数含まれて いることからも明らかなように、公務員の同一性の把握は図情大教職員間においてなされれば足りるというものではなく、原告の右主張は前提を誤っているもの というべきであるから、採用することはできない。
 ロ また、原告は、被告藤川らの所為は、通称名を保持する権利あるいは右通称名をその意思に反して奪われない権利を妨げるものであり、憲法一三条に違反 するものであると主張する。右主張に係る権利とは、要するに他人に通称名の使用を禁止されないという意味において、通称名を専用することができる自由を意 味することに加えて、図情大の人事記録に記載される氏名を含めたあらゆる場面において氏名が通称名で表示されることをも原告が要求していることなどに照ら すと、原告は、その婚姻届出に伴い夫の氏を選択したものの、他人から右変動前の氏名を通称名で表示されることをも意図しているものと解される。
 なるほど、通称名であっても、個人がそれを一定期間専用し続けることによって当該個人を他人から識別し特定する 機能を有するようになれば、人が個人として尊重される基礎となる法的保護の対象たる名称として、その個人の人格の象徴ともなりうる可能性を有する。しかし ながら、本件全証拠をもってしても、公務員の服務及び勤務関係において、婚姻届出に伴う変動前の氏名が通称名として戸籍名のように個人の名称として長期的 にわたり国民生活における基本的なものとして根付いているものであるとは認めることができず、また、右通称名を専用することは未だ普遍的とはいえず、個人 の人格的生存に不可欠なものということはできないものというべきである。
 したがって、立法論としてはともかく、原告主張に係る氏名保持権(右通称名ないし婚姻による変動前の氏名を使用する権利)が憲法一三条によって保障されているものと断定することはできないから、被告藤川らの所為が同法条に違反するものと認めることはできない。
 なお、原告は、氏名を通称名で表示することは個人的な事柄であるから、自己決定権によっても原告主張に係る氏名 保持権は保障されているとも主張するものであるが、氏名は社会において個人を他人から識別し特定する機能をその本質的な機能とするものであり、社会との関 わりあいにおいて、その存在意義を有するものであって、公法上の勤務関係における氏名は極めて社会的な事柄というべきであるから、原告の右主張は採用する ことができない。
 ハ さらに、原告は、被告藤川らの所為は、戸籍名という原告のプライバシーを侵害するものであり、憲法一三条に違反するものであると主張する。
 しかし、戸籍名は、前記の通り、我が国唯一の身分関係の公証制度としての戸籍に記載される公証力ある名称であり、原告がいかなる戸籍名を有する者であるかは専ら公的な事柄であるというべきであるから、戸籍名をもって原告のプライバシーに該当するということはできない。
 もっとも、原告は、戸籍名は身分関係すなわち少なくとも原告が婚姻しており、配偶者は氏を「甲野」と表示する男性であることを一定程度開示する作用を有 している点で、私生活上の事柄といいうるものであるとも主張しているが、原告の氏名を戸籍名で表示することが、当然に右のような身分関係まで開示すること にはならないから、原告の右主張は採用することができない。

 三 本件差止(義務づけ)請求及び損害賠償請求について

 以上の通り、原告主張に係る前記一連の侵害事実については、いずれも被告国(図情大及びその公務員である被告藤川ら)の権限行使として合理的な範囲を逸脱したりその濫用があったものとは認定できないことが明らかであり、したがって、原告の被告国に対する本件差止(義務づけ)請求については、事柄の性質上司法審査の及ばないものであるから、その余の点について論じるまでもなく、いずれも不適法として却下を免れず、また、原告の被告国に対する本件損害賠償請求についても、原告主張に係る前記一連の侵害事実がいずれも憲法に違反したり、著作権法に違反するものではないうえ、世界人権宣言及び国際人権規約B規約に違反するものではなく、国家賠償法の適用上違法と認めることもできないから、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないものというべきである。

 しかも、被告藤川らは、いずれも国家公務員としてその職務を行ったものにすぎず、仮に被告国が国家賠償責任を負う場合であったとしても、公務員個人として原告に対し、民法上不法行為に基づく損害賠償責任を負うべきものではないから、原告の被告藤川らに対する本件損害賠償請求は理由がないものといわなければならない(最高裁昭和三〇年四月一九日第三小法廷判決・民集九巻五号五三四頁、最高裁昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁等参照)。

 

 

 

 

【大阪高裁平成11年11月25日】

事案の概要

西宮市内の市立小中学校の卒業生・在校生六名が、教育委員会に対し、西宮市個人情報保護条例に基づき、調査書・指導要録の開示を求めたが、西宮市教育委員会がこれらを全面非開示とする処分を行い、異議申立をしたものの大半が非開示とされたため、右非開示処分の取消を求めた事案

 

要旨

調査書、指導要録における「所見」欄等の教師の主観的評価を含む記載についても、西宮市個人情報保護条例が自己情報開示請求権の例外として定めた非開示事由に該当するとはいえず、調査書、指導要録は当該本人に全面開示されるべきであるとした事案

 

 

判旨

1 憲法一三条がプライバシー権を保障しているとしても、同条により具体的な情報開示請求権までが保障されているとはいえない。したがって、情報開示請求権は、本件条例によって創設的に認められた権利であると解されるので、当該具体的情報が開示請求権の対象となり得るか否かは、本件条例の趣旨・目的に照らして同情報が開示請求の対象として予定されているか否かによる。

 2(一)ところで、本件条例は、個人情報の取扱いについて必要な事項を定めることにより、行政の適正な執行を確保するとともに、基本的人権の理念に基づき個人情報の保護を図ること(一条)を目的としている。

 (1)そして、実施機関は個人情報を収集する際、収集目的を明確にするとともに、その目的達成に必要な範囲内で行われなければならない(六条一項)として、収集対象・方法に制限(六条二項、七条)を加えるとともに、利用提供の制限(八条)を設けたり、その適正な管理(九条、一〇条)を定めて、職員に対し守秘の義務を課している(三条)。

 (2)市民に対しても相互に個人情報保護の重要性を深く認識し、個人情報の保護に努めるとともに、この条例によって保護された権利を正当に行使しなければならない(四条)ものとしている。

 (3)さらに、事業者が事業活動に伴い個人情報の収集等を行うときにも、個人情報の重要性を深く認識して、個人情報の取扱いについて適切な保護措置を講ずるよう努めなければならない(五条)とする。

 (二) 一方、実施機関が管理する情報に対し、当該本人の自己情報開示請求権を認めて、(1)法令または条例の制定により開示することができないもの、(2)個人の評価、診断、判定等に関するもので、本人に知らせないことが正当であると認められるもの、(3)開示することによって公正かつ適正な行政執行が妨げられることが明らかなもの、(4)実施機関が審議会の意見を聴いて公益上特に必要があると認めたもの、以上(1)ないし(4)に該当しない限りは、開示しなければならないものとしている(一二条)。

 そして、自已情報に誤りのある場合には訂正を求め、制限外の情報が記載されている場合には削除を求め、自己情報の目的外利用が認められる場合には中止請求をすることができるものとしている(一三条)。

 3以上によれば、本件条例は個人情報保護の観点から、実施機関その他が濫りに個人情報を収集することを禁ずるとともに、これを確認、監視」、かつ、誤った情報が収集・集積されることによって生じる不利益を防止するため、市民各人に実施機関が管理する自己情報に近付き、これを訂正・削除等する権利を市民各人の具体的権利として保障したものと解することができる

 四1(一)前記のとおり、本件条例は、自己情報について非開示事由に該当しない限りは開示しなければならないものとしているので、本件調査書及び指導要録の非開示部分が「公正かつ適正な行政執行が妨げられることが明らかであること」、もしくは、「個人の評価、診断、判定等に関するもので、本人に知らせないことが正当であると認められるもの」に該当するか否かが問題となる。

 (二)前記のとおり、本件条例は個人情報保護の観点から、市民各人に実施機関が保有する自己情報を確認、監視させる目的で開示請求権等を認めているものと解されるから、その例外となるべき非開示事由の解釈においては、実施機関の恣意的判断を許し、いたずらに非開示事由を拡大するような解釈をしてはならないことはいうまでもない。とりわけ、前記非開示事由である「公正かつ適正な行政執行が妨げられることが明らかであること」、「本人に知らせないことが正当であると認められるもの」という要件に関しては、その判断を厳格にしなければ実施機関の恣意的な判断を招き、開示請求の範囲を不当に狭める結果となるのでその判断は慎重に行われなければならない。これらの条文の規定の仕方に照らしても、被控訴人が開示を拒むためには開示による弊害が現実的・具体的なもので、客観的に明白であることを要するものと解される。

 2ところで、被控訴人は、「(1)本件調査書の『各教科の学習の評定の記録』の『参考事項』欄、『その他の特記事項』欄、並びに、本件指導要録の『教科所見欄』の記載は生徒に対する全体的・人物的評価にわたり、マイナス面も記載される可能性があるという特徴がある。(2)本件調査書の『特別活動等の記録』欄、『スポーツテストらの『備考』欄、『出欠の記録』の『欠席等の主な理由』欄の記載についても、スポーツテストを受けていない理由は何か、長期欠席の理由が、不登校、登校拒否と認められるかという点を巡り、主観的評価、判断が入る余地がある。(3)本件調査書の『行動及び性格の記録』欄、並びに、本件指導要録の『行動の所見』欄の記載も生徒の人物評価にかかわる。

 したがって、これらの記載を開示すれば、時には生徒や保護者が自尊心を傷つけられたり、教員及び学校に反感や不信感を抱く等して生徒指導に支障を来したり、両者間の信頼関係を喪失してトラブルを生じたりするおそれがあり、また、教師が右トラブル等を恐れてマイナス面をありのままに記載しなくなれば、調査書や指導要録の内容が形骸化・空洞化して、適切な入試選抜資料及び教育指導の資料としての機能を果たさなくなる恐れがある。

 以上のとおり、本件調査書、指導要録の非開示部分を開示すれば、『公正かつ適正な行政執行が妨げられること』が合理的に見込まれるし、このように生徒が自尊心を傷つけられたり、教員や学校に不信感を抱いてトラブルが生じることは生徒及び保護者にとっても不利益なことであるから、被控訴人が『本人に知らせないことが正当であると認められるもの』にも該当する。」旨主張して、証人長澤清、同岡田健作(いずれも原審)らはこれに沿った証言をする。

 3(一)しかし、教育上なされる評価は、今後の当該児童・生徒の教育資料等となるものであるから、たとえ、それが教師の主観的評価・判断でなされるものであっても、恣意に陥ることなく、正確な事実・資料に基づき、本人及び保護者からの批判に耐え得る適正なものでなければならない。教育は、当該児童・生徒の長所を延ばすとともに短所や問題点をも指導・改善して、当該児童・生徒の人格の完成を図るものである。本件調査書及び指導要録の非開示部分に記載される内容は、既にみたとおりのもの(前記第三、二2(三)(2)及び同3(三)(2))であるから、仮に、同部分にマイナス評価が記載されるのであれば、正確な資料に基づくのは勿論、日頃の指導等においても本人あるいは保護者に同趣旨のことが伝えられ、指導が施されていなければならないものというべきである。日頃の注意や指導等もなく、マイナス評価が調査書や指導要録のみに記載されるとすれば、むしろ、そのこと自体が問題であり、これによって生徒と 師の信頼関係が破壊されるなどというのは失当である。確かに、評価それ自体は教師の専権であり他から訂正等を強制されるものではない。しかし、事実誤認に基づく不当な評価は正されなければならない。誤った情報や不正な手段で得られた情報に基づく評価のために、不利益な取り扱いを受けることがないよう防止することにも本件条例の趣旨・目的はあるものと解され、特に、教育は各人の人格形成を目的とするものであるから、誤った記載や不当な評価により教育上の不利益を受けることがあってはならない。したがって、本件条例が本件調査書や指導要録の非開示部分を開示の対象として予定していないとは認め難い。確かに、開示により感情的なトラブルが生じないとはいえないが、開示を求める側も、評価の部分についてはマイナス面の記載もなされることを当然認識しているはずであり、このようなトラブルは適切な表現を心掛けることや、日頃の生徒との信頼関係の構築によって避け得るものであり、これに対処するのも教師としての職責であると考えられる。

 (二)ところで、当裁判所が行った調査嘱託の結果からも、調査書や指導要録を開示している自治 において弊害が生じているとは認められない。

 確かに、右調査嘱託の中にはトラブルを生じたことがあった旨報告している事例もある。しかし、右事例は調査書の総合所見欄に「両親ともに教育熱心」と記載されて問題となった事例等である。同事例は「両親が、娘の私服通学のことで中学に何度話合いを求めても学校が回答しなかった。」にもかかわらず、右のような記載がなされたという場合であるから(弁論の全趣旨)、右両親が前記記載に学校側の悪意を感じてもやむを得ない場合だということができ、当該ケースにおいて、このような記載をする必要や、同表現が妥当であったかが疑わしいといえるものである。したがって、右事例等から調査書や指導要録の開示によって弊害が生じているとは認められない。

 (三)以上の点に、先の調査嘱託の結果から、現に多くの自治体で調査書・指導要録の開示が開始されており、歴史が浅いとはいえ、社会の趨勢を示すものと認められるが、これらの自治体において特に問題が生じているとは認め得ない点等を考慮すれば、「所見」欄等の教師の主観的評価を含む記載を開示することにより、「公正かつ適正な行政執行が妨げられることが『明らか』である」とは到底いえない。

 (四)また、「本人に知らせないことが正当であると認められるもの」という要件についても、既に述べたとおり、教育の性質に照らすと、仮に日頃の指導などに表れない不利益な記載等がなされているとすれば、そのこと自体に問題があるのであり、自己の評価等を知ることを本人が希望しているのに、右記載を開示すれば教師との信頼関係が破壊されるなどといって開示を拒む根拠とはなり得ない。

プライバシー権(9) 指紋押捺 最判平成9年11月17日 再入国不許可処分取消等請求

  目次


最判平成9年11月17日 再入国不許可処分取消等請求

要旨

判示事項

いわゆる協定永住許可を受けていた者に対してされた指紋押なつ拒否を理由とする再入国不拒可処分が違法とはいえないとされた事例

裁判要旨

法務大臣が、日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法一条の規定に基づく許可を受けて本邦で永住することができる地位を有していた者に対し、外国人登録法(昭和六二年法律第一〇二号による改正前のもの)一四条一項に基づく指紋の押なつを拒否していることを理由としてした再入国不許可処分は、当時の社会情勢や指紋押なつ制度の維持による在留外国人及びその出入国の公正な管理の必要性など判示の諸事情に加えて、再入国の許否の判断に関する法務大臣の裁量権の範囲がその性質上広範なものとされている趣旨にもかんがみると、右不許可処分が右の者に与えた不利益の大きさ等を考慮してもなお、違法であるとまでいうことはできない。

 

判旨

  事実の概要

 1 上告人は、昭和三四年一二月一日、大韓民国籍を有する父及び母の長女として本邦において出生した大韓民国国民である。

 2 上告人は、日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定(以下「日韓地位協定」という。)一条1(b)に該当するものとして、昭和四四年一〇月一日付けで日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法(以下「出入国管理特別法」という。)一条の許可を受けて、本邦で永住することができる地位(以下右地位のことを「協定永住資格」という。)を取得した。

 3 上告人は、外国人登録法(昭和五七年法律第七五号による改正前のもの)一四条の規定により指紋の押なつが義務付けられる年齢(一四歳)に達した後の昭和四九年一二月二日及び昭和五二年一二月二日に同法一一条一項所定の確認を申請した際には、いずれも、指紋を押なつの上、新たな登録証明書の交付を受けたが、昭和五六年一月九日に右確認を申請した際、区役所職員の度重なる説得にも応じず、指紋の押なつを拒否したため、昭和五八年五月一四日、同法一八条一項八号に該当するとして告発され、同年一一月二六日、同法違反の罪により起訴されて、昭和六〇年八月二三日、福岡地方裁判所小倉支部において有罪判決を受けた。しかし、上告人は、昭和六一年一月四日に外国人登録法(昭和六二年法律第一〇二号による改正前のもの)一一条一項所定の確認を申請した際にも、同法一四条一項の規定する指紋の押なつを拒否し、その後の区役所職員による説得にも応じなかった。

 4 法務大臣は、上告人が指紋の押なつを拒否するようになって以降、上告人が、旅行目的を親族訪問とし、渡航先を韓国及び米国としてした再入国の許可申請に対しては、昭和五六年四月六日付けで許可処分をしたが、上告人が、旅行目的を女性コーラス団のピアノ伴奏とし、渡航先をカナダとしてした再入国の許可申請に対しては、上告人が指紋の押なつを拒否している事情を考慮して、昭和六〇年三月一三日付けで不許可処分をした。

 5 上告人は、昭和六一年五月三〇日付けで、旅行目的を米国D大学留学、渡航先を米国、出発予定年月日を同年七月一〇日、再入国予定年月日を昭和六二年七月とする再入国の許可申請(以下「本件許可申請」という。)をしたが、法務大臣は、上告人の外国人登録法違反の状態が依然として継続し、しかも、翻意の可能性が認められないことなどから、同年六月二四日付けで右申請に対する不許可処分(以下「本件不許可処分」という。)をした。

 6 上告人は、再入国の許可を受けないまま、同年八月一四日、D大学留学のため米国に向けて本邦から出国した。その結果、上告人は、協定永住資格を喪失するに至った。

 7 上告人は、昭和六三年六月二八日、我が国の査証を受けないで米国から本邦に入国しようとして上陸の申請をしたが、出入国管理及び難民認定法(平成元年法律第七九号による改正前のもの)七条一項一号に規定された上陸のための条件に適合していないと認定されたため、同法一一条に基づいて法務大臣に対し異議の申出をしたところ、法務大臣は、同法一二条一項三号に基づき上告人に対して上陸を特別に許可するとともに、同法四条一項一六号、出入国管理及び難民認定法施行規則(平成二年法務省令第一五号による改正前のもの)二条三号の在留資格及び在留期間一八〇日を付与した。

 8 上告人は、右在留期間の更新を受けた後、平成一年一二月には在留期間六か月を付与され、平成二年六月には定住者として在留期間一年の指定を受け、平成三年九月にも定住者として在留期間一年の指定を受けた。上告人は、平成元年八月及び平成二年一〇月の二回にわたり指紋の押なつを拒否したが、昭和六三年七月、平成元年一月及び平成二年六月の三回にわたり再入国の許可を受けている。

 9 上告人は、出生以来本邦に居住しており、義務教育課程を経て私立の高等学校を卒業後愛知県立E大学F学部G科(ピアノ専攻)に入学し、同大学を卒業後、同大学大学院修士課程I科G科(ピアノ専攻)に進み、昭和六〇年に同大学院を卒業したが、同大学院に在学中、米国インディアナ州立D大学大学院の教授の知遇を得て、その指導を受けることになり、昭和六一年四月に同大学院I科(ピアノ専攻)の入学許可を得た。上告人がした本件許可申請は、D大学における右の留学目的を実現するために行ったものであった。

 10 他方、被上告人においては、当時指紋押なつ拒否者の数が増加する傾向を示していたことから、その対応策として、外国人登録法の一部を改正する法律(昭和五七年法律第七五号)の施行(同年一〇月一日)を機に、指紋押なつ拒否者に対して原則として再入国の許可を与えない方針が打ち出され、本件不許可処分も、右方針に基づいてされたものであった。また、本件不許可処分がされた当時は、指紋押なつ拒否運動が全国的な広がりを見せ、在日外国人団体において、指紋押なつ制度反対の意思の表明方法として、登録証明書の切替交付に際して指紋を押なつしない意向を示し、当局の説得期間中も押なつを拒否する、いわゆる留保運動を展開したため、指紋の押なつを留保する者が続出するという社会情勢にあった。

 11 昭和六二年法律第一〇二号による外国人登録法の改正により、指紋の押なつ義務は原則として最初の一回のみとされ(同法一四条一項、五項)、さらに、平成四年法律第六六号による外国人登録法の改正により、協定永住資格を有する大韓民国国民につき指紋押なつ制度が廃止された(同法一四条一項、日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法三条)。

 

  裁判所の判断

二 右事実関係等に基づいて、本件不許可処分の適否につき検討する。

 1 一般に、出入国に関する事務は国際法上国内事項とされていて、外国人の入国にいかなる条件を課するかは専らその国の立法政策にゆだねられているところ、我が国の出入国管理及び難民認定法は、再入国の許可を受けて本邦から出国した外国人に限って、当該外国人の有していた在留資格のままで本邦に再び入国することを認めるものとしている。そして、再入国の許可の要件について、同法二六条一項は、法務大臣は、本邦に在留する外国人(同法一三条から一八条までに規定する上陸の許可を受けている者を除く。)がその在留期間(在留期間の定めのない者にあっては、本邦に在留し得る期間)の満了の日以前に本邦に再び入国する意図をもって出国しようとするときは、法務省令で定める手続により、その者の申請に基づき再入国の許可を与えることができる旨規定するのみで、右許可の判断基準について特に規定していないが、右は、再入国の許否の判断を法務大臣の裁量に任せ、その裁量権の範囲を広範なものとする趣旨からであると解される。なぜならば、法務大臣は、再入国の許可申請があったときは、我が国の国益を保持し出入国の公正な管理を図る観点から、申請者の在留状況、渡航目的、渡航の必要性、渡航先国と我が国との関係、内外の諸情勢等を総合的に勘案した上、その許否につき判断すべきであるが、右判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う法務大臣の裁量に任せるのでなければ到底適切な結果を期待することができないものだからである。 右のような再入国の許否の判断に関する法務大臣の裁量権の性質にかんがみると、再入国の許否に関する法務大臣の処分は、その判断が全く事実の基礎を欠き、又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして違法となるものというべきである(最高裁昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日大法廷判決・民集三二巻七号一二二三頁参照)。

 2 以上の見地に立って、本件不許可処分に係る法務大臣の判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があったものとして違法であるか否かにつき検討する。

 前記事実関係等によれば、本件不許可処分は、協定永住資格を有する上告人が、渡航先国である米国における大学留学を旅行目的として本件許可申請をしたのに対し、被上告人が指紋押なつ拒否者の増加という事態に対する対応策として打ち出した指紋押なつ拒否者に対しては原則として再入国の許可を与えないという方針に基づき、上告人が外国人登録法(昭和六二年法律第一〇二号による改正前のもの)一四条一項の規定に違反して指紋の押なつを拒否していることを専らその理由としてされたものであって、他に法務大臣が上告人の右許可申請に対する許否の判断に当たり右申請を許可することが相当でない事由として考慮した事情の存在はうかがわれない。

 出入国管理特別法一条の規定に基づき本邦で永住することを許可されている大韓民国国民については、日韓地位協定三条、出入国管理特別法六条一項所定の事由に該当する場合に限って、出入国管理及び難民認定法二四条の規定による退去強制をすることができるものとされていることに加えて、日韓地位協定四条(a)の規定により、日本国政府は我が国における教育、生活保護及び国民健康保険に関する事項について妥当な考慮を払うものとされ、右規定の趣旨に沿って行政運用上日本国民と同等の取扱いがされているのであって、このような協定永住資格を有する者による再入国の許可申請に対する法務大臣の許否の判断に当たっては、その者の本邦における生活の安定という観点をもしんしゃくすべきである。しかるところ、本件不許可処分がされた結果、上告人は、協定永住資格を保持したまま留学を目的として米国へ渡航することが不可能となり、協定永住資格を保持するために右渡航を断念するか又は右渡航を実現するために協定永住資格を失わざるを得ない状況に陥ったものということができるのであって、本件不許可処分によって上告人の受けた右の不利益は重大である。

 しかしながら、そもそも、外国人登録法が定める指紋押なつ制度は、本邦に在留する外国人の登録を実施することによって外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資するという目的を達成するため、戸籍制度のない外国人の人物特定につき最も確実な制度として規定されたものであって、出入国の公正な管理を図るという出入国管理行政の目的にも資するものであるから、法務大臣が、指紋押なつの拒否が出入国管理行政にもたらす弊害にかんがみ、再入国の許可申請に対する許否の判断に当たって、右申請をした外国人が同法の規定に違反して指紋の押なつを拒否しているという事情を右申請を許可することが相当でない事由として考慮すること自体は、法務大臣の前記裁量権の合理的な行使として許容し得るものというべきである。のみならず、その後の推移はともかく、本件不許可処分がされた当時は、指紋押なつ拒否運動が全国的な広がりを見せ、指紋の押なつを留保する者が続出するという社会情勢の下にあって、出入国管理行政に少なからぬ弊害が生じていたとみられるのであり、被上告人において、指紋押なつ制度を維持して在留外国人及びその出入国の公正な管理を図るため、指紋押なつ拒否者に対しては再入国の許可を与えないという方針で臨んだこと自体は、その必要性及び合理性を肯定し得るところであり、その結果、外国人の在留資格いかんを問わずに右方針に基づいてある程度統一的な運用を行うことになったとしても、それなりにやむを得ないところがあったというべきである。他方で、前記事実関係等によれば、上告人は、本件不許可処分の前のみならずその後も指紋押なつの拒否を繰り返しており、上告人が外国人登録制度を遵守しないことを表明し、これを実施したものと被上告人に受け止められても無理からぬ面があったといえなくもない。

 右のような本件不許可処分がされた当時の社会情勢や指紋押なつ制度の維持による在留外国人及びその出入国の公正な管理の必要性その他の諸事情に加えて、前示のとおり、再入国の許否の判断に関する法務大臣の裁量権の範囲がその性質上広範なものとされている趣旨にもかんがみると、協定永住資格を有する者についての法務大臣の右許否の判断に当たってはその者の本邦における生活の安定という観点をもしんしゃくすべきであることや、本件不許可処分が上告人に与えた不利益の大きさ、本件不許可処分以降、在留外国人の指紋押なつ義務が軽減され、協定永住資格を有する者についてはさらに指紋押なつ制度自体が廃止されるに至った経緯等を考慮してもなお、右処分に係る法務大臣の判断が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるとはいまだ断ずることができないものというべきである。したがって、右判断は、裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして違法であるとまでいうことはできない。

プライバシー権(8)・東京高裁平成13年7月18日



  目次

東京高裁平成13年7月18日

 

要旨

一 私人の有するプライバシーの権利の重要性と、マスメディアが国民に対して豊富な情報を提供することが表現の自由の一内容として保障されていることを合わせ考えれば、マスメディアによる報道が少しでも私人のプライバシーを侵害すれば、当然に不法行為となるとすることは相当でなく、当該報道の目的・態様その他の諸要素と当該プライバシー侵害の内容・程度その他の諸要素とを比較衡量して決するほかない。

二 「内紛で分かった常勤理事は『高給取り』!年収1500万円」などと題する週刊誌記事は、右理事の収入のほか、その家計における教育費、住宅ローン・カードローンの返済、生命保険料等の私生活上の事実や個人的情報に不必要に踏み込んでいるが、右法人が交通遺児の援護団体で寄付や善意の募金によって運営されていること、仮名が用いられていること等を考慮すれば、違法性を欠くものと評価すべきである。

三 マスメディアに情報を提供する行為についてまで、その結果他人の権利が侵害されることになるにもかかわらず、その自由が保障されているものとは考えられないから、右理事の個人情報が記載された陳述書の写しを週刊誌記者に交付した者の行為については、違法性を否定する理由はない。

 

判旨

  事案の概要

控訴人文藝春秋は、平成11年9月22日発行の「週刊文春」同月30日号に、「“あしながおじさん”交通遺児育英会内紛でわかった常勤理事は『高給とり』!年収1500万円」との見出しの下に、原判決別紙のとおりの本件記事を掲載した。本件記事には、以下の記述が含まれている。

(一)〈1〉「D理事は、収入が断たれたことによる家計の窮状を、切々と訴えている。」

  〈2〉「『Dさんは、善意の寄付で成り立つ公的機関の責任ある立場の方なんですから、自ずと節度ある生活が求められるはずです。ところが、自分がいかに給与が必要かと訴える理由が、クビを傾げたくなるような内容なんです』(前出・育英会関係者)」

  〈3〉「先の提出資料によれば、1月の主な支出を見ると、

 ・家計・教育費36万円

 ・住宅ローン返済42万円

 ・カードローン返済19万円

 ・生命保険料26万円(全8件)

 ・職業費(書籍代・交際費)約10万円

 などで、合わせて月に138万円余りになるという。」

  〈4〉「結果、常勤の収入があったときでさえ、毎月約40万円も収入が不足し、銀行の当座貸越やカードローンを利用し、ボーナスで家計を埋め合わせていたというのだ。」

  〈5〉「日本の平均的な家計は、世帯人員2.6人で、月収入約49万円、支出が約32万5000円(97年総務庁調べ)だから、D氏の家計の突出ぶりがわかる。」

  〈6〉「D理事の言い分を見てみよう。

 〈住宅ローンについてですが、私は現在住んでおります住宅を昭和56年に3180万円で購入しましたが、頭金150万円の外はすべて住都公団と富士銀行の住宅ローンにしました。現在の残額は両方で約2600万円で月額返済額は約42万円弱です〉〈銀行のカードローンは、月々の不足分や交際費等の支出にあてるために行ったもので、現在、五つの銀行から計1550万円の借入があり、月額の返済は合計で19万円となっております〉〈生命保険料は、知人や友人から頼まれて断り切れなかったものが積み重なって、毎月の支払額が多くなってしまったものです。今回陳述書を書くために整理してみて、支払保険料が随分多くなってしまったと反省しており、今後少し整理していく積もりです〉〈職業費の10万円ですが、普通の会社であれば勤務先の必要経費として認められるようなものも、育英会としての性格上必要経費とすることができず、長年に渡って殆ど全てを自己負担としてきました〉」

  〈7〉「そこで、D理事の家計診断を、家計アナリストのEさんに依頼した。」

 (二) 「まずは、住宅ローンから。『支払残額から推測し、仮に30年ローンで組んだとすると、当時の金利が高かったとしても、月々の返済額は20万円弱で済むはずです。50歳近くで借入しているので、25年ローンということも考えられますが、その場合でも支払残額が2600万円というのはあり得ません』

 保険アナリストも疑問を呈する。

 『一般のサラリーマン家庭で考えると、支払い保険料の家計に占める割合が19パーセント近いのは、多すぎますね。26万円の保険料は、仮に掛け捨て保険とすると、保険金は2億円になってしまいます。ご本人が言うように、支払い保険料を少なくした方がいいでしょうね』

 前出・Eさんが続ける。

 『この家計では、ふつうの家庭では成り立たないでしょうね。98万円も月収があるのに、なぜ、家計のために1500万円も借入があるのか。もう一度、支出を見直すことをお勧めします』」

  争点

 被控訴人は、控訴人文藝春秋に対して、本件記事が被控訴人のプライバシーを侵害するとして慰謝料の支払を求め、控訴人Bに対して、同人が入手した地位保全等の仮処分事件に係る被控訴人作成の本件陳述書を控訴人文藝春秋の記者に交付すれば、被控訴人のプライバシーが侵害されることを認識しつつ、これを交付又は中身を了知できる態様で見せ、被控訴人のプライバシーを侵害したとして慰謝料の支払を求めている。

 なお、被控訴人は、本件記事が被控訴人を仮名扱いにしていることについては、たとえ仮名扱いしているとしても、被控訴人の財団法人交通遺児育英会の在勤年数は約30年に及ぶこと、専務理事を除けば常勤理事は昭和57年以降被控訴人一人であること、しかも、被控訴人以外の常勤理事であるF元専務理事及び現専務理事の控訴人Bについては本文記事中に実名で登場することからすると、育英会の関係者、被控訴人の友人・知人等にとっては、本件記事の対象者が被控訴人であると特定することは容易であって、プライバシーの侵害については、公表の相手方が不特定又は多数である必要はないし、仮名であっても、事情を知る者が容易に当該人物を特定し得る場合には成立すると解するのが相当であると主張する。

 これに対し、控訴人文藝春秋は、本件記事における被控訴人に関する記述は、社会の正当な関心事であり、その表現方法も、被控訴人の名前を実名で報じず、被控訴人を「D2」という仮名で扱っており、一般読者は、本件記事を読んでも、これが被控訴人に関するものであるとは認識し得ないなど妥当なものであるから、被控訴人のプライバシーを侵害することはないと主張し、控訴人Bは、記者の取材に対して本件陳述書を見せたことはあるが交付はしていない、記者は独自の取材をし、独自の判断に基づき記事として掲載するのであるから、控訴人Bの行為と記事の掲載との間に相当因果関係はなく、控訴人Bにおいて被控訴人のプライバシーが侵害されることを認識していた事実もないと主張している。

 

  裁判所の判断

 すなわち、本件記事は被控訴人の家計支出の具体的な使途や金額の記載を含むものであり、一般人を基準にして考えるならば、これらの事実は他人に知られたくない私生活上の事実であるから、本件記事のうち一部の記述は、これをみだりに公表されないとの被控訴人の法的利益(プライバシーの権利)を侵害するものであることを否定することができない。また、これらの事実が、被控訴人が育英会を相手方として申し立てた地位保全等の仮処分事件において自ら作成し、提出した本件陳述書に記載された事実であったからといって、被控訴人がこれを一般に公表することを望んだということができないことはもちろん、これが「一般の人々に知られた事実」であるということもできない。

  (2)  ところで、私人の有するプライバシーの権利(一般に他人に知られたくないであろう私生活上の事実や個人的情報をみだりに公表されない法的利益)は、個人の尊厳を維持するために極めて重要な権利である。しかし、他方で、新聞、出版、放送その他のマスメディアが国民に対して豊富な情報を提供することが国民の知る権利にとってとても大切なことであり、マスメディアが表現の自由の一内容として報道の自由を保障されていることを考えるならば、マスメディアによる報道が少しでも私人のプライバシーを侵害すれば、当然にこれが違法であってその私人に対する不法行為となるとすることは相当ではない。このような場合には、当該報道の目的、態様その他の諸要素と当該プライバシー侵害の内容、程度その他の諸要素とを比較衡量して、当該事案においてはいずれの権利を優先させるべきかを決するほかはない。

 この比較衡量において重要な考慮要素となり得るのは、報道については、当該報道の意図・目的(公益を図る目的か、興味本位の私事暴露が目的かなど)、これとの関係で私生活上の事実や個人的情報を公表することの意義ないし必要性(これをしなければ公益目的を達成することができないかなど)、情報入手手段の適法性・相当性(例えば盗聴などの違法な手段によって入手したものかなど)、記事内容の正確性(真実に反する記述を含んでいるかなど)、当該私人の特定方法(実名・仮名・匿名の別など)、表現方法の相当性(暴露的・侮蔑的表現か、謙抑的表現かなど)等であり、プライバシー侵害については、公表される私生活上の事実や個人的情報の種類・内容(どの程度に知られたくない事実・情報なのか、既にある程度知られている事実・情報なのかなど)、当該私人の社会的地位・影響力(いわゆる公人・私人の別、有名人か無名人かなど)、その公表によって実際に受けた不利益の態様・程度(どの範囲の者に知られたか、どの程度の精神的苦痛を被ったかなど)等である。

  (3)  これを本件について検討すると、次のようにいうことができる。

   ア 本件記事が報道の目的としているのは、その論旨からすれば、育英会が交通遺児の援護団体で寄附や善意の募金によって運営されている公益法人であるのに、その常勤理事が年収1500万円という高給を得ていることの妥当性についての問題提起であるということが一応できる。本件記事には興味本位的な要素も存在することは指摘し得るところであるが、その論旨による限り、これが公益を図る目的に出たものでないとはいえないであろう。

   イ 本件記事に記載された被控訴人の家計に関する個人的情報は、被控訴人が自ら作成した本件陳述書に基づくものである。控訴人文藝春秋は、G記者が控訴人Bから写しの交付を受けてこれを入手した(その詳細は、原判決がその「事実及び理由」欄の「第三 争点に対する判断」の二の項の1、2(原判決39頁1行目から42頁6行目まで)で説示するところと同一であるから、この説示を引用する。)。控訴人Bのこの行為の適否については後記2(1) に述べるが、控訴人文藝春秋(G記者)が違法な手段でこれを入手したということはできない。また、本件記事に記載された上記の個人的情報には本件陳述書の内容と特段異なるところはなく、本件陳述書の内容が真実である限りは、正確な情報であるということになる。

   ウ 本件記事の上記アの論旨のためには、育英会常勤理事の報酬額を明らかにすることは必須であるが、これが不相当な「高給」であるかどうかを判断するための材料は、常勤理事の勤務形態、職務内容とその困難性、当該理事の育英会での経歴、功績、他の同種公益法人における理事の報酬の実態、一般企業における同程度の役職者の給与・報酬の水準等であるはずであるが、本件記事においては、わずかに国家公務員の給与や日本の平均家計における月収が約49万円であることに触れるだけで、上記の情報には乏しい内容となっている。その反面、常勤理事が支給された報酬をどのような使途で支出するかの点には、上記論旨からすればさしたる重要性があるとは考えられないが、本件記事は、被控訴人の家計における教育費、住宅ローン・カードローンの返済、生命保険料等の具体的な金額を公表するもので、しかも、「家計アナリスト」や「保険アナリスト」によるこれが多いとか少ないとかの論評まで紹介するものとなっており、上記論旨には必ずしもそぐわない内容となっている。この点で、本件記事は、被控訴人の私生活上の事実や個人的情報に不必要に踏み込んでいるといわざるを得ないことは、原判決がその「事実及び理由」欄の「第三 争点に対する判断」の一の項の3(原判決28頁9行目から35頁7行目まで)で説示するとおりであるから、この説示も引用する。

   エ 本件記事は、被控訴人の実名を記載せず、また、その頭文字を記載するといった方法も採らず、「D2」というそれ自体では被控訴人を特定する手掛かりとなり得ない仮名を仮名と断って用いている。これは、本件記事が被控訴人のプライバシーの保護に一定の配慮をしたものと評価することができる。また、本件記事が上記のように被控訴人の家計内容を公表しているのは、被控訴人の作成した本件陳述書の記載に基づくものであるが、本件陳述書には、それ以外にも、食費、衣服費等の明細や、家族構成、二男の在学校名、妻の病歴、被控訴人の資産状況その他多くの個人的情報が記載されているが、本件記事がこれらを採り上げていないのは、当然のこととはいいながら、やはり被控訴人のプライバシーの保護に一定の配慮をしたものと評価することができよう。

   オ 本件記事は、被控訴人の「高給」と家計支出についての批判的な見方が基礎となっており、これを週刊誌の記事によく見られるやや冷笑的・揶揄的な文章表現によって記述しており、被控訴人にとっては不快なものであると思われるが、殊更に侮蔑的な文章表現が用いられているというわけではなく、表現方法の相当性という点では特段の問題がない。

   カ 本件記事によって公表された被控訴人の家計に関する個人的情報は、一般にも被控訴人にとっても、他人に知られたくない性質のものであると考えられる。しかし、これが公表されることによって、極度の羞恥、当惑のあまり、人の顔が見られなくなるというほどのものでもないであろう。その意味で、本件記事による被控訴人のプライバシー侵害が最高度のものであるとまではいうことができない。

   キ 被控訴人は、財団法人交通遺児育英会という著名な公益法人の常勤理事であり、その意味でいわゆる公人たる性格を有することを否定することはできないであろうが、世間的には全くの無名人であって、そのプライバシーがある程度さらけ出されることを甘受しなければならないほどの公的地位にあるとまではいうことができない。

   ク 本件記事は被控訴人について「D2」という仮名を用いているが、「D2・常任理事(仮名=66)」と記載されているので、本名がこれと異なる66歳の常勤の常任理事であることが記事自体から判明する。そして、育英会の常勤理事は外には専務理事である控訴人Bのみであり、控訴人Bは本件記事に実名で登場するから、少し調査をすれば、あるいは育英会の内部事情を多少知る者であれば直ちに、「D2」が被控訴人を指すことが判明する。しかし、多くの発行部数を有する著名な週刊誌である「週刊文春」の読者の大多数にとっては、本件記事を閲読しても、被控訴人は実名を伴わない仮名の存在のままで終わるのであり、本件記事によって実名を伴う存在である被控訴人を識別してそのプライバシーを知るのは、不特定でも多数でもない特定の少数の者に限られる。したがって、実名報道がされた場合に比べれば、被控訴人の被る精神的苦痛ははるかに少ないということができよう。もっとも、本件記事から直ちに被控訴人を特定することができない者でも、少し調査をすれば容易に被控訴人を特定することができるのであるから、仮名報道であるからといって、被控訴人の被る精神的苦痛を軽視することも相当ではない。

  (4)  本件記事の目的、態様その他の諸要素とこれによる被控訴人のプライバシー侵害の内容、程度その他の諸要素については、上記(3) のようにいうことができる。これに基づく比較衡量によって、いずれの権利を優先させるべきかを決すべきである。

 そうすると、本件記事は、公益を図る目的に出たものでないとはいえず(上記(3) ア)、違法な手段で入手した個人的情報を記載するものではなく(同イ)、被控訴人の私生活上の事実や個人的情報に不必要に踏み込んでいるが(同ウ)、記載する個人的情報の取捨選択の点で一定の配慮がされており(同エ)、記事内容の正確性や表現方法の相当性の点でも特段の問題がない(同イ、オ)、そして、被控訴人は、そのプライバシーがある程度さらけ出されることを甘受しなければならないほどの公的地位にあるとまではいえないが(同キ)、本件記事によって最高度のプライバシーに属する個人的情報を公表されたとまではいえず(同カ)、仮名が用いられたことによって、精神的苦痛が実名報道がされた場合に比べてはるかに少なかった(同ク)のである。

 これらの諸事情に基づいて、本件記事による報道の自由を保障する必要性と本件記事によって公表された被控訴人のプライバシーを保護する必要性とを比較衡量すると、本件においては、プライバシーの侵害は決して無視してよいようなものではないが、いずれかといえば報道の自由を保障する必要性が優先し、控訴人文藝春秋が本件記事を掲載した行為は、報道の自由を保障するという観点から違法性を欠くものと評価すべきであり、被控訴人に対する不法行為とならないと解するのが相当である。ちなみに、仮に本件記事において、仮名ではなく被控訴人の実名が用いられていたとすれば、比較衡量の結果、違法性の有無について上記とは異なる結論に達するであろう。

プライバシー権(7)・
大阪高裁平成12年2月29日 堺通り魔殺人事件名誉毀損訴訟


  目次


【大阪高裁平成12年2月29日 堺通り魔殺人事件名誉毀損訴訟 】

要旨

一 少年犯罪の実名報道についての表現の自由と名誉権の侵害との調整においては、少年法61条の存在を尊重しつつも、なお表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・方法が不当なものでない場合には、その表現行為は違法性を欠くものと解すべきである。

二 幼稚園児等が当時19歳の少年に殺害された通り魔事件について写真入りで実名報道する本件月刊誌記事については、社会の正当な関心事であり、その内容は真実であると認められるから、右表現行為は違法性を欠くというべきである。

 

 

判旨

第二 事案の概要

 本件は、平成一〇年一月八日早朝、当時一九歳の少年であった被控訴人が、大阪府堺市内において、シンナー吸引中幻覚に支配された状態で自宅から文化包丁を持ち出し、登校途中の女子高校生を刺して重症を負わせた後、幼稚園の送迎バスを待っていた母子らを襲い、逃げまどい転倒した五歳の幼女に馬乗りになって背中を突き刺して殺害し、さらに娘を守ろうとして蔽いかぶさった母親の背中にも包丁を突き立てて重症を負わせた、いわゆる堺通り魔殺人事件について、控訴人会社が発行する月間誌「新潮45」に、被控訴人の実名、顔写真等により被控訴人本人であることが特定される内容の「ルポルタージュ『幼稚園児』虐殺犯人の起臥」と題する本件記事が掲載されたため、被控訴人がプライバシー権、氏名肖像権、名誉権等の人格権ないし実名で報道されない権利が侵害されたとして、右記事の執筆者、雑誌の編集長及び発行所に対し、不法行為による損害賠償と謝罪広告を求めた事案

  裁判所の判断

  1 いわゆるプライバシー権、肖像権及び名誉権は、その権利ないし法益の内容・性質及び対象が異なることから、これらを一律に論じることができないとしても、いずれも一般的には憲法一三条にその根拠を求めることができ、公共の福祉に反しない限り、最大限に尊重されるべきものと解されている。これらの権利を人格権とみるか人格的利益とみるかの違いはあっても、正当な理由がなくこれを侵害された場合には、不法行為に基づく損害賠償等の請求が認められるといわなければならない。

 一方、憲法二一条一項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と規定しており、この表現の自由には、国民が自らその担い手として思想信条等を表現する自由と、その受け手として新聞・テレビ・書籍・雑誌等を通じて表現行為を享受することを含むといわれている。そして、表現の自由は、それ自体内在的な制約を含むとはいえ、民主主義の存立基盤であるから、憲法の定める基本的人権の体系中において優越的地位を占めるものではあるが、常に他の基本的人権に優越するものとまではいえない。そこで、表現行為によって個人のプライバシー権、肖像権及び名誉権が侵害された場合、表現の自由とプライバシー権等の侵害との調整においては、表現の自由の憲法上の右の地位を考慮しながら慎重に判断されなければならない。

 このような観点からすれば、表現の自由とプライバシー権等の侵害との調整においては、表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・方法が不当なものでない場合には、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー権等の侵害とはならないと解するのが相当である。

 そして、社会の正当な関心事であるか否かは、対象者の社会的地位や活動状況と対象となる事柄の内容によって決まるものというべきところ、犯罪容疑者については、犯罪の内容・性質にもよるが、犯罪行為との関連においてそのプライバシーは社会の正当な関心事となり得るものであり、また逆に、正当な関心事であっても、表現行為がその内容・方法において不当なものであれば、その表現行為は違法性を欠くとすることはできない。

  2 次に、実名報道されない人格的利益ないし実名報道されない権利について検討するに、人格権には、社会生活を営む上において自己に不利益な事実に関し、みだりに実名を公開されない人格的利益も含まれているということができる。しかし、プライバシー権等の侵害、特に人に知られたくない私生活上の事情や情報の公開については、実名報道ないしそれに類する報道を前提としているから、人格権ないしプライバシーの侵害とは別に、みだりに実名を公開されない人格的利益が法的保護に値する利益として認められるのは、その報道の対象となる当該個人について、社会生活上特別保護されるべき事情がある場合に限られるのであって、そうでない限り、実名報道は違法性のない行為として認容されるというべきである。

 ところで、少年法六一条には、「家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない」旨規定されている。この規定は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うことを目的とする少年法の目的に沿って、将来性のある少年の名誉・プライバシーを保護し、将来の改善更生を阻害しないようにとの配慮に基づくものであるとともに、記事等の掲載を禁止することが再犯を予防する上からも効果的であるという見地から、公共の福祉や社会正義を守ろうとするものである。すなわち、少年法六一条は、少年の健全育成を図るという少年法の目的を達成するという公益目的と少年の社会復帰を容易にし、特別予防の実効性を確保するという刑事政策的配慮に根拠を置く規定であると解すべきである。

 したがって、少年法六一条が、新聞紙その他の出版物の発行者に対して実名報道等を禁じていることによって、その報道の対象となる当該少年については社会生活上特別保護されるべき事情がある場合に当たることになるといえるにしても、そもそも同条は、右のとおり公益目的や刑事政策的配慮に根拠を置く規定なのであるから、同条が少年時に罪を犯した少年に対し実名で報道されない権利を付与していると解することはできないし、仮に実名で報道されない権利を付与しているものと解する余地があるとしても、少年法がその違反者に対して何らの罰則も規定していないことにもかんがみると、表現の自由との関係において、同条が当然に優先するものと解することもできない。

 少年法六一条の違反者に対して何らの罰則も規定されていないことは、憲法における「言論出版等の自由」の規定への顧慮及び少年法の社会的機能に照らして、このような規定の遵守をできる限り社会の自主規制に委ねたものであり、新聞紙その他の出版物の発行者は、本条の趣旨を尊重し、良心と良識をもって自己抑制することが必要であるとともに、表現行為を享受する受け手の側にも、本条の趣旨に反する新聞紙その他の出版物ないしそれらの発行者に対しては厳しい批判が求められているものというべきである。

 したがって、前記のとおり、表現の自由とプライバシー権等の侵害との調整においては、少年法六一条の存在を尊重しつつも、なお、表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・方法が不当なものでない場合には、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー権等の侵害とはならないといわなければならない。

  3 以上を前提として本件をみるに、本件事件は、早朝、通学、通園途中の女子高生及び幼稚園児と園児の母親が路上で殺傷されるという悪質重大な事件であり、被疑者として逮捕された被控訴人がシンナー吸引中で、被害者らとは何の因縁もない者であったこともあいまって、被害者及び犯行現場の近隣にとどまらず、社会一般に大きな不安と衝撃を与えた事件であり、社会一般の者にとっても、いかなる人物が右のような犯罪を犯し、またいかなる事情からこれを犯すに至ったのであるかについて強い関心があったものと考えられるから、本件記事は、社会的に正当な関心事であったと認められる。

4 そこで、本件記事の表現内容・方法が不当なものでないか否かについて検討する。

(一) 一般に、犯罪の被疑者ないし被告人の姓名が市民の知る権利の対象であるか否かについては争いがあるが、犯罪の被疑者ないし被告人は未だ犯人とは決まっていないという推定無罪の原則と、犯人であったとしても家族などに影響があり、本人のスムーズな社会復帰の妨げになるという理由から、犯罪事実の報道においては、匿名であることが望ましいことは明らかであり、これは犯人が成人であるか少年であるかによって差異があるわけではない。

 他方、社会一般の意識としては、右報道における被疑者等の特定は、犯罪ニュースの基本的要素であって犯罪事実と並んで重要な関心事であると解されるから、犯罪事実の態様、程度及び被疑者ないし被告人の地位、特質、あるいは被害者側の心情等からみて、実名報道が許容されることはあり得ることであり、これを一義的に定めることはできないが、少なくとも、凶悪重大な事件において、現行犯逮捕されたような場合には、実名報道も正当として是認されるものといわなければならない。

(二) これを本件についてみるに、本件犯罪事実は、前記のとおり極めて凶悪重大な事犯であり、被控訴人が右犯罪事実について現行犯逮捕されていることと、被控訴人とは何の因縁もないにもかかわらず無残にも殺傷された被害者側の心情をも考慮すれば、実名報道をしたことが直ちに被控訴人に対する権利侵害とはならないといわなければならない。

(三) 被控訴人は、実名等で少年が特定されるような報道をすることは、少年の将来の更生を阻害するものであって常に許されない旨主張する。

 確かに、事件関係者以外ほとんど知られていない犯罪事実について、実名及び写真等で少年と特定される報道がされると、いずれ地域に帰り地域の中で生活することになる少年にとっては、犯罪報道により「非行少年」又は「犯罪者」であるとのレッテルを貼られると、更生の妨げになることがあり得ることは被控訴人の主張のとおりである。

 しかしながら、本件犯罪事実は、前記のとおり、極めて凶悪重大であり、実名での報道はなかったものの、被控訴人の犯行事実を目撃した者も多く、しかも新聞やテレビ等のマスコミに連日報道されており、口コミで伝えられることも多いと思われるから、少年の居住する地域住民にとっては、本件記事が出る前から被控訴人の実名や本件犯罪事実を知悉しているとみるのが相当である。また、地域住民以外の一般市民は、本件記事によって被控訴人の実名を知ったと思われるが、仮にそうであるとしても、被控訴人を知らない一般市民が被控訴人の実名を永遠に記憶しているとも思えないし、仮に一部の市民が被控訴人の名前を記憶していたとしても、そのことによって直ちに被控訴人の更生が妨げられることになるとは考え難い。

 そもそも、本件のように重大な犯罪を犯した被控訴人が社会に復帰した場合に、いかなる生き方をしようとしているのか不明である上、その生き方が真に被控訴人の更生に繋がるものとしても、その場合に本件記事に実名が記載されたことが何ゆえにその更生の妨げになるかについては、被控訴人は何ら主張立証していない。

 したがって、本件記事に被控訴人の実名が記載されたことによって、被控訴人が社会復帰した後の更生の妨げになる可能性が抽象的にはあるとしても、そして更生の妨げになる抽象的な可能性をも排除することが少年法六一条の立法趣旨であるとしても、そのことをもって控訴人らに対する損害賠償請求の根拠とすることはできないといわなければならない。

(四) 本件記事は、控訴人らの主張によれば、本件事件の「表層を切り裂き、被疑者とされている被控訴人の姿を、その生育歴、境遇、家族や周辺との関係の中から浮き彫りにしようとする」目的で行った「調査報道」であると解されるところ、控訴人高山文彦こと工藤雅康(以下「控訴人高山」という。)の取材方法の適否は別として、被控訴人も本件記事の内容が虚偽であってそのため被控訴人の名誉が傷つけられた旨の主張をしていないから、本件記事の内容は事実に反するものではないと認められ、また、本件記事には被控訴人の親族に関する記載もあるが、それらの者に対するプライバシーの侵害があるか否かはさておくとして、こと被控訴人に関する限りは、その成育歴、境遇、家族や周辺との関係を自らの足で取材した材料に基づいて記されたものであって、表現方法において特に問題視しなければならないところも見受けられない。

 もっとも、控訴人らは、控訴人高山が本件事件について実名報道を行おうと決めたのは、「少年」の尊厳を認め、匿名性の中に埋没させずすべてを事実として書き、「少年」に自分のしたことを明確に認識させた上で、分からせるべきであると考えたためである旨主張し、控訴人高山は、乙第五号証の記載及び原審における本人尋問の結果中においても同様のことを述べている。確かに、本件事件の重大性ばかりでなく被控訴人の成育歴等に接した控訴人高山が、匿名性の中に埋没させずすべてを事実として書くことを思い立ったことは理解できなくはないが、本件記事において、実名によって被控訴人と特定する表現がなかったとしても、その記事内容の価値に変化が生じるものとは思われず、控訴人らが本件記事のあとがきで述べるように、本件事件の本質が隠されてしまうものとも考えられない。しかも、本件記事によって被控訴人に自分のしたことを認識させ分からせることができるかどうかは不明というべきであるし、そもそも控訴人らにそれをする権利があるとも解されないから、この点に関する控訴人らの主張は理由がない。

(五) そこで、さらに、本件記事が被控訴人の主張するプライバシー権、氏名肖像権、名誉権を侵害するものであるか否かについて検討する。

 プライバシーの権利は、みだりに私生活へ侵入されたり、他人に知られたくない私生活上の事実、情報を公開されたりしない権利であるが、前記のとおり、表現の自由とプライバシー権の侵害との調整においては、表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・方法が不当なものでない場合には、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー権の侵害とはならないと解すべきところ、本件においては、前記のとおり、本件記事は、表現行為が社会の正当な関心事であり、その表現内容・方法も不当なものとはいえないから、被控訴人に対する権利侵害とはならない。

 また、被控訴人の主張する氏名肖像権は、いわゆる肖像権と同義と思われるが、肖像権は、何人もみだりにその容貌・姿態を撮影されたり、撮影された肖像写真を公表されない権利であり、表現の自由と肖像権の侵害との調整においては、プライバシー侵害と同様に、表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・方法が不当なものでない場合には、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー権の侵害とはならないと解すべきである。これを本件についてみるに、前記のとおり、本件記事は、表現行為が社会の正当な関心事であるが、本件犯罪事実の被疑者が一九歳とはいえ少年であり、本件記事において、顔写真によって被控訴人と特定し得る表現がなかったとしても、その記事内容の価値に変化が生じるものとは解されず、しかも用いられた写真が被控訴人の中学卒業時のアルバム写真であって、本件犯行時のかなり前のものであることからすると、本件記事に当該写真を掲載しなければならなかった必要性については疑問を感じざるを得ないところであるが、前記のとおり、犯罪報道における被疑者等の特定は、犯罪ニュースの基本的要素であって犯罪事実と並んで重要な関心事であると解されることと、本件事件の重大性にかんがみるならば、当該写真を掲載したことをもって、その表現内容・方法が不当なものであったとまではいえず、それは被控訴人に対する権利侵害とはならないといわなければならない。

 さらに、名誉権は、人がその品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な評価、すなわち社会的名誉であるが、表現の自由との調整において、一般的には、その行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為に違法性がないとされているが、公共の利害に関する事実とは社会の正当な関心事であり、公共の利害に関する事実に係る報道は公益を図る目的でされるのが通常であるから、表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容が真実であれば、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー権の侵害とはならないと解すべきである。これを本件についてみるに、前記のとおり、本件記事は、社会の正当な関心事であり、本件記事の内容は真実であると認められるから、右表現行為に違法性はない。

プライバシー権(6)最判平成14年9月24日 石に泳ぐ魚

 

 目次

 

最判平成14年9月24日 石に泳ぐ魚

判示事項

名誉,プライバシー等の侵害に基づく小説の出版の差止めを認めた原審の判断に違法がないとされた事例

裁判要旨

甲をモデルとし,経歴,身体的特徴,家族関係等によって甲と同定可能な乙が全編にわたって登場する小説において,乙が顔面にしゅようを有すること,これについて通常人が嫌う生物や原形を残さない水死体の顔などに例えて表現されていること,乙の父親が逮捕された経歴を有していることなどの記述がされていることなど判示の事実関係の下では,公共の利益にかかわらない甲のプライバシーにわたる事項を表現内容に含む同小説の出版により公的立場にない甲の名誉,プライバシー及び名誉感情が侵害され,甲に重大で回復困難な損害を被らせるおそれがあるとして,同小説の出版の差止めを認めた原審の判断には,違法がない。

 

判旨

  事実の概要

 1 本件は,原審控訴人D(以下「D」という。)が執筆し,上告人A1(以下「上告人A1」という。)が編集兼発行者となって上告人株式会社A2社(以下「上告人A2社」という。)が発行した雑誌において公表された小説「E」によって名誉を毀損され,プライバシー及び名誉感情を侵害されたとする被上告人が,D及び上告人らに対して慰謝料の支払を求めるとともに,D及び上告人A2社に対し,同小説の出版等の差止めを求めるなどしている事案である。原審が適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。

 (1) 被上告人は,昭和44年に東京都で生まれた韓国籍の女性であり,同55年以降韓国に居住してきたが,韓国ソウル市内のF大学を卒業した後の平成5年に来日し,G大学の大学院に在籍していた。被上告人は,幼少時に血管奇形に属する静脈性血管腫にり患し,幼少時からの多数回にわたる手術にもかかわらず完治の見込みはなく,その血管奇形が外ぼうに現れている。また,被上告人の父は,日本国内の大学の国際政治学の教授であったが,昭和49年に講演先の韓国においてスパイ容疑で逮捕され,同53年まで投獄された。

 Dは,昭和43年生まれの著名な劇作家,小説家であり,平成9年にはH賞を受賞するなどしている。 被上告人とDは,平成4年8月にDが訪韓した際に知り合い,交友関係を持つようになり,Dが日本に帰国した後も手紙等のやり取りをしていた。

 (2) Dは,「E」と題する小説(以下「本件小説」という。)を執筆し,これを,上告人A1が編集兼発行者で,上告人A2社が発行する雑誌「I」平成6年9月号において公表した。本件小説には,被上告人をモデルとする「J」なる人物が全編にわたって登場する。本件小説中の「J」は,小学校5年生まで日本に居住していた日本生まれの韓国籍の女性で,被上告人が卒業した韓国ソウル市内のF大学を卒業し,被上告人が在籍しているG大学の大学院に在籍して被上告人の専攻と同一の学科を専攻しており,その顔面に完治の見込みのない腫瘍がある。また,「J」の父は,日本国内の大学の国際政治学の教授をしていたが,講演先の韓国でスパイ容疑により逮捕された経歴を持っていることなど,「J」には被上告人と一致する特徴等が与えられている。一方で,本件小説中において,「J」が高額の寄附を募る問題のあるかのような団体として記載されている新興宗教に入信したとの虚構の事実が述べられている。さらに,本件小説中において,「J」の顔面の腫瘍につき,通常人が嫌う生物や原形を残さない水死体の顔などに例えて描写するなど,異様なもの,悲劇的なもの,気味の悪いものなどと受け取られるか烈な表現がされている。

 (3) 被上告人は,上記雑誌において本件小説が公表されたことを知ってこれを読むまで,Dが被上告人をモデルとした人物が登場する本件小説を執筆していたことを知らず,また,本件小説の公表を知った後も,Dに対し,本件小説の公表を承諾したことはなかった。

 被上告人は,本件小説を読み,本件小説に登場する「J」が自分をモデルとしていることを知るとともに,Dを信頼して話した私的な事柄が本件小説中に多く記述されていること等に激しい憤りを感じ,これにより,自分がこれまでの人生で形成してきた人格がすべて否定されたような衝撃を覚えた。

 (4) 上告人A2社は,本件小説の日本語版の販売等を行う権利を有している。

■原審の判断

 2 以上の事実関係の下で,原審は,次のとおり判断し,D,上告人A2社及び上告人A1に対して100万円の慰謝料並びにこれに対する遅延損害金の連帯支払を命じ,また,D及び上告人A2社らに対し,本件小説の出版等の差止めを命じるべきものであるなどとした。

 (1) 本件小説中の「J」と被上告人とは容易に同定可能であり,本件小説の公表により,被上告人の名誉が毀損され,プライバシー及び名誉感情が侵害されたものと認められる。

 (2) 本件小説の公表により,被上告人は精神的苦痛を被ったものと認められ,その賠償額は,1審判決が肯認し,被上告人が不服を申し立てていない金額である100万円を下回るものではないと認められる。D及び上告人らは,被上告人に対し,連帯して100万円及びこれに対する遅延損害金の支払義務がある。

 (3) 人格的価値を侵害された者は,人格権に基づき,加害者に対し,現に行われている侵害行為を排除し,又は将来生ずべき侵害を予防するため,侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である。どのような場合に侵害行為の差止めが認められるかは,侵害行為の対象となった人物の社会的地位や侵害行為の性質に留意しつつ,予想される侵害行為によって受ける被害者側の不利益と侵害行為を差し止めることによって受ける侵害者側の不利益とを比較衡量して決すべきである。そして,侵害行為が明らかに予想され,その侵害行為によって被害者が重大な損失を受けるおそれがあり,かつ,その回復を事後に図るのが不可能ないし著しく困難になると認められるときは侵害行為の差止めを肯認すべきである。

 被上告人は,大学院生にすぎず公的立場にある者ではなく,また,本件小説において問題とされている表現内容は,公共の利害に関する事項でもない。さらに,本件小説の出版等がされれば,被上告人の精神的苦痛が倍加され,被上告人が平穏な日常生活や社会生活を送ることが困難となるおそれがある。そして,本件小説を読む者が新たに加わるごとに,被上告人の精神的苦痛が増加し,被上告人の平穏な日常生活が害される可能性も増大するもので,出版等による公表を差し止める必要性は極めて大きい。

 以上によれば,被上告人のD及び上告人A2社らに対する本件小説の出版等の差止め請求は肯認されるべきである。

  最高裁の判断

 3 【要旨】原審の確定した事実関係によれば,公共の利益に係わらない被上告人のプライバシーにわたる事項を表現内容に含む本件小説の公表により公的立場にない被上告人の名誉,プライバシー,名誉感情が侵害されたものであって,本件小説の出版等により被上告人に重大で回復困難な損害を被らせるおそれがあるというべきである。したがって,人格権としての名誉権等に基づく被上告人の各請求を認容した判断に違法はなく,この判断が憲法21条1項に違反するものでないことは,当裁判所の判例(最高裁昭和41年(あ)第2472号同44年6月25日大法廷判決・刑集23巻7号975頁,最高裁昭和56年(オ)第609号同61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁)の趣旨に照らして明らかである論旨はいずれも採用することができない。

プライバシー権(5)最判平成13年12月18日 レセプト情報公開請求事件・最判昭和63年12月20日 囚われの聴衆 伊藤正巳補足意見

  目次

【最判平成13年12月18日 レセプト情報公開請求事件】

要旨

判示事項

公文書の公開等に関する条例(昭和61年兵庫県条例第3号)に基づき個人情報の記録された公文書の公開請求を本人及びその配偶者が共同でした場合に当該情報が個人情報に関する非公開事由を定めた同条例8条1号に該当するとしてされた非公開決定が違法とされた事例

裁判要旨

公文書の公開等に関する条例(昭和61年兵庫県条例第3号)に基づき個人情報の記録された公文書の公開請求を本人及びその配偶者が共同でした場合に,当該公開請求自体から本人自身による請求であることが明らかであり,同条例には自己の個人情報の開示を請求することを許さない趣旨の規定等は存在せず,当時,兵庫県では個人情報保護制度が採用されていなかったという事実関係の下においては,当該情報が個人情報に関する非公開事由を定めた同条例8条1号に該当するとしてされた非公開決定は違法である。

 

判旨

  事実の概要

 (1) 被上告人B1とその夫である被上告人B2は,平成5年9月7日,公文書の公開等に関する条例(昭和61年兵庫県条例第3号。以下「本件条例」という。なお,本件条例は平成12年兵庫県条例第6号により廃止された。)5条に基づき,本件条例の実施機関である上告人に対し,被上告人B1の平成5年5月7日の分娩に関する診療報酬明細書(以下「本件文書」という。)の公開を請求した(以下「本件公開請求」という。)。

 (2) 本件条例8条は,「実施機関は,次の各号のいずれかに該当する情報が記録されている公文書については,公文書の公開を行わないことができる。」とした上で,その1号において,「個人の思想,宗教,健康状態,病歴,住所,家族関係,資格,学歴,職歴,所属団体,所得,資産等に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)であって,特定の個人が識別され得るもののうち,通常他人に知られたくないと認められるもの」と規定している。

 (3) 上告人は,平成5年9月20日,被上告人らに対し,本件文書に記録されている情報は,個人の健康状態等心身の状況等に関する情報であって,特定の個人が識別され得るもののうち,通常他人に知られたくないものであり,本件条例8条1号に該当するとして,これを公開しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。

 (4) 本件処分がされた当時,兵庫県には,その機関が保有する個人情報を本人に開示する制度等を定めた条例はなかった(なお,その後,個人情報の保護に関する条例(平成8年兵庫県条例第24号。以下「個人情報保護条例」という。)が制定され,平成9年4月1日に施行された。)。

■ 最高裁の判断

 2 本件条例は,兵庫県においていわゆる情報公開制度を採用し,広く県民等に公文書の公開を請求する権利を認めることなどにより,地方自治の本旨に即した県政の推進と県民生活の向上に寄与することを目的として制定されたものである(本件条例1条)。一方,後に制定された個人情報保護条例は,同県において,いわゆる個人情報保護制度を採用し,個人情報の開示及び訂正を求める権利を認めることなどにより,個人の権利利益を保護することを目的として制定されたものである(個人情報保護条例1条)。上記の二つの制度は,本来,異なる目的を有するものであって,公文書を公開ないし開示する相手方の範囲も異なり,請求を拒否すべき場合について配慮すべき事情も異なるものである。そして,地方公共団体が公文書の公開に関する条例を制定するに当たり,どのような請求権を認め,その要件や手続をどのようなものとするかは,基本的には当該地方公共団体の立法政策にゆだねられているところである。したがって,広く県民等に公文書の公開を請求する権利を認める条例に基づいて公文書の公開を請求する場合には,本来は,請求者は,県民等の1人として所定の要件の下において請求に係る公文書の公開を受けることができるにとどまり,そこに記録されている情報が自己の個人情報であることを理由に,公文書の開示を特別に受けることができるものではない。

 しかしながら,情報公開制度も個人情報保護制度も,広く地方公共団体において採用され,又は近い将来における採用が検討されているものであって,兵庫県においても,昭和61年に本件条例が制定されて情報公開制度が採用され,平成8年に個人情報保護条例が制定されて個人情報保護制度が採用されたものであるところ,

 本件処分がされたのは,本件条例制定後個人情報保護条例制定前の平成5年のことであったというのである。このように,情報公開制度が先に採用され,いまだ個人情報保護制度が採用されていない段階においては,被上告人らが同県の実施機関に対し公文書の開示を求める方法は,情報公開制度において認められている請求を行う方法に限られている。また,情報公開制度と個人情報保護制度は,前記のように異なる目的を有する別個の制度ではあるが,互いに相いれない性質のものではなく,むしろ,相互に補完し合って公の情報の開示を実現するための制度ということができるのである。とりわけ,本件において問題とされる個人に関する情報が情報公開制度において非公開とすべき情報とされるのは,個人情報保護制度が保護の対象とする個人の権利利益と同一の権利利益を保護するためであると解されるのであり,この点において,両者はいわば表裏の関係にあるということができ,本件のような情報公開制度は,限定列挙された非公開情報に該当する場合にのみ例外的に公開請求を拒否することが許されるものである。これらのことにかんがみれば,個人情報保護制度が採用されていない状況の下において,情報公開制度に基づいてされた自己の個人情報の開示請求については,そのような請求を許さない趣旨の規定が置かれている場合等は格別,当該個人の上記権利利益を害さないことが請求自体において明らかなときは,個人に関する情報であることを理由に請求を拒否することはできないと解するのが,条例の合理的な解釈というべきである。もっとも,当該地方公共団体において個人情報保護制度を採用した場合に個人情報の開示を認めるべき要件をどのように定めるかが決定されていない時点において,同制度の下において採用される可能性のある種々の配慮をしないままに情報公開制度に基づいて本人への個人情報の開示を認めることには,予期しない不都合な事態を生ずるおそれがないとはいえないが,他の非公開事由の定めの合理的な解釈適用により解決が図られる問題であると考えられる。

  3 このような観点から,本件処分の適否を検討する。本件処分は,本件文書が個人の健康状態等心身の状況に関する情報であって本件条例8条1号に該当するとしてされたものであるところ,当該個人というのが公開請求をした被上告人B1であることは,本件公開請求それ自体において明らかであったものと考えられる。そして,同号が,特定の個人が識別され得る情報のうち,通常他人に知られたくないと認められるものを公開しないことができると規定しているのは,当該個人の権利利益を保護するためであることが明らかである。また,本件条例には自己の個人情報の開示を請求することを許さない趣旨の規定等は存しない。そうすると,当該個人が自ら公開請求をしている場合には,当該個人及びこれと共同で請求をしているその配偶者に請求に係る公文書が開示されても,当該個人の権利利益が害されるおそれはなく,当該請求に限っては同号により非公開とすべき理由がないものということができる。これらによれば,【要旨】個人情報保護制度が採用されていない状況においては,本件公開請求については同号に該当しないものとして許否を決すべきであり,同号に該当することを理由に本件文書を公開しないものとすることはできないと解さざるを得ない。本件処分が違法であるとした原審の判断は,結論において正当であり,原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

 

 

【最判昭和63年12月20日 囚われの聴衆 伊藤正巳補足意見】

 裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。

 私もまた、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、上告人の本訴請求を棄却すべきものとした原判決は是認することができると考える。しかし、本件は、聞きたくないことを聞かない自由を法的利益としてどのように把握するか、また地下鉄の車内のようないわば閉ざされた場所における情報伝達の自由をどのように考えるかという問題にかかわるものであるから、これらの問題について若干の意見を述べておくことにしたい。

 一 原判決の説示によれば、人は、法律の規定をまつまでもなく、日常生活において見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない自由を本来有しているとされる。私は、個人が他者から自己の欲しない刺戟によって心の静穏を乱されない利益を有しており、これを広い意味でのプライバシーと呼ぶことができると考えており、聞きたくない音を聞かされることは、このような心の静穏を侵害することになると考えている。このような利益が法的に保護を受ける利益としてどの程度に強固なものかについては問題があるとしても、現代社会においてそれを法的な利益とみることを妨げないのである。

 論旨(上告理由第一点)は、右の聞きたくない音を聞かない自由をもって精神的自由権に属するものとし、それが本件商業宣伝放送を行うという経済的自由権に優越するものであるにもかかわらず、原判決がそれを看過していることは憲法の解釈を誤ったものであるという。しかし、私見によれば、他者から自己の欲しない刺戟によって心の静穏を害されない利益は、人格的利益として現代社会において重要なものであり、これを包括的な人権としての幸福追求権(憲法一三条)に含まれると解することもできないものではないけれども、これを精神的自由権の一つとして憲法上優越的地位を有するものとすることは適当ではないと考える。それは、社会に存在する他の利益との調整が図られなければならず、個人の人格にかかわる被侵害利益としての重要性を勘案しつつも、侵害行為の態様との相関関係において違法な侵害であるかどうかを判断しなければならず、プライバシーの利益の側からみるときには、対立する利益(そこには経済的自由権も当然含まれる。)との較量にたって、その侵害を受忍しなければならないこともありうるからである。この相関関係を判断するためには、侵害行為の具体的な態様について検討を行うことが必要となる。右のような観点にたって、聞きたくない音を聞かない自由について考えてみよう。

 わが国において、騒音規制法が制定されており、工場や建設工事による騒音や自動車騒音について規制がされ、さらに深夜の騒音や拡声器による放送に係る騒音について地方公共団体が必要な措置を講ずるものとされている。しかし、一般的には、音による日常生活への侵害に対して鋭敏な感覚が欠除しており、静穏な環境の重要性に関する認識が乏しいことを否定できず、この音の加害への無関心さが音響による高い程度の生活妨害を誘発するとともに、通常これらの妨害を安易に許容する状況を生み出している。街頭や多数の人の来集する場所において、常識を外れた音量で、しかも不要と思われる情報の流されることがいかに多いかは、常に経験するところである。上告人の主張は、通常人の許容する程度のものをあえて違法とするものであり、余りに静穏の利益に敏感にすぎるといわれるかもしれないが、わが国における音による生活環境の侵害の現状をみるとき意味のある問題を提起するものといわねばなるまい。

 しかし、法的見地からみるとき、すでにみたように、聞きたくない音によって心の静穏を害されないことは、プライバシーの利益と考えられるが、本来、プライバシーは公共の場所においてはその保護が希薄とならざるをえず、受忍すべき範囲が広くなることを免れない。個人の居宅における音による侵害に対しては、プライバシーの保護の程度が高いとしても、人が公共の場所にいる限りは、プライバシーの利益は、全く失われるわけではないがきわめて制約されるものになる。したがって、一般の公共の場所にあっては、本件のような放送はプライバシーの侵害の問題を生ずるものとは考えられない。

 二 問題は、本件商業宣伝放送が公共の場所ではあるが、地下鉄の車内という乗客にとって目的地に到達するため利用せざるをえない交通機関のなかでの放送であり、これを聞くことを事実上強制されるという事実をどう考えるかという点である。これが「とらわれの聞き手」といわれる問題である。

 人が公共の交通機関を利用するときは、もとよりその意思に基づいて利用するのであり、また他の手段によって目的地に到着することも不可能ではないから、選択の自由が全くないわけではない。しかし、人は通常その交通機関を利用せざるをえないのであり、その利用をしている間に利用をやめるときには目的を達成することができない。比喩的表現であるが、その者は「とらわれ」た状態におかれているといえよう。そこで車内放送が行われるときには、その音は必然的に乗客の耳に達するのであり、それがある乗客にとって聞きたくない音量や内容のものであってもこれから逃れることができず、せいぜいその者にとってできるだけそれを聞かないよう努力することが残されているにすぎない。したがって、実際上このような「とらわれの聞き手」にとってその音を聞くことが強制されていると考えられよう。およそ表現の自由が憲法上強い保障を受けるのは、受け手が多くの表現のうちから自由に特定の表現を選んで受けとることができ、また受けとりたくない表現を自己の意思で受けとることを拒むことのできる場を前提としていると考えられる(「思想表現の自由市場」といわれるのがそれである。)。したがって、特定の表現のみが受け手に強制的に伝達されるところでは表現の自由の保障は典型的に機能するものではなく、その制約をうける範囲が大きいとされざるをえない。

 本件商業宣伝放送が憲法上の表現の自由の保障をうけるものであるかどうかには問題があるが、これを経済的自由の行使とみるときはもとより、表現の自由の行使とみるとしても、右にみたように、一般の表現行為と異なる評価をうけると解される。もとより、このように解するからといって、「とらわれの聞き手」への情報の伝達がプライバシーの利益に劣るものとして直ちに違法な侵害行為と判断されるものではない。しかし、このような聞き手の状況はプライバシーの利益との調整を考える場合に考慮される一つの要素となるというべきであり、本件の放送が一般の公共の場所においてプライバシーの侵害に当たらないとしても、それが本件のような「とらわれの聞き手」に対しては異なる評価をうけることもありうるのである。

 三 以上のような観点にたって本件をみてみると、試験放送として実施された第一審判決添付別紙(一)のような内容であるとすると違法と評価されるおそれがないとはいえないが、その後被上告人はその内容を控え目なものとし、駅周辺の企業を広告主とし、同別紙(四)の示す基準にのっとり同別紙(五)のような内容で実施するに至っているというのであり、この程度の内容の商業宣伝放送であれば、上告人が右に述べた「とらわれの聞き手」であること、さらに、本件地下鉄が地方公営企業であることを考慮にいれるとしても、なお上告人にとって受忍の範囲をこえたプライバシーの侵害であるということはできず、その論旨は採用することはできないというべきである。


プライバシー権(4)最判平成20年3月6日・住基ネット訴訟・続


  目次

プライバシー権(4-1)最判平成20年3月6日・住基ネット訴訟・高裁の判断

  最高裁の判断

しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は次のとおりである。

(1) 憲法13条は,国民の私生活上の自由が公権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものであり,個人の私生活上の自由の一つとして,何人も,個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由を有するものと解される(最高裁昭和40年(あ)第1187号同44年12月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁参照)。

そこで,住基ネットが被上告人らの上記の自由を侵害するものであるか否かについて検討するに,住基ネットによって管理,利用等される本人確認情報は,氏名,生年月日,性別及び住所から成る4情報に,住民票コード及び変更情報を加えたものにすぎない。このうち4情報は,人が社会生活を営む上で一定の範囲の他者には当然開示されることが予定されている個人識別情報であり,変更情報も,転入,転出等の異動事由,異動年月日及び異動前の本人確認情報にとどまるもので,これらはいずれも,個人の内面に関わるような秘匿性の高い情報とはいえない。これらの情報は,住基ネットが導入される以前から,住民票の記載事項として,住民基本台帳を保管する各市町村において管理,利用等されるとともに,法令に基づき必要に応じて他の行政機関等に提供され,その事務処理に利用されてきたものである。そして,住民票コードは,住基ネットによる本人確認情報の管理,利用等を目的として,都道府県知事が無作為に指定した数列の中から市町村長が一を選んで各人に割り当てたものであるから,上記目的に利用される限りにおいては,その秘匿性の程度は本人確認情報と異なるものではない。

また,前記確定事実によれば,住基ネットによる本人確認情報の管理,利用等は,法令等の根拠に基づき,住民サービスの向上及び行政事務の効率化という正当な行政目的の範囲内で行われているものということができる。住基ネットのシステム上の欠陥等により外部から不当にアクセスされるなどして本人確認情報が容易に漏えいする具体的な危険はないこと,受領者による本人確認情報の目的外利用又は本人確認情報に関する秘密の漏えい等は,懲戒処分又は刑罰をもって禁止されていること,住基法は,都道府県に本人確認情報の保護に関する審議会を,指定情報処理機関に本人確認情報保護委員会を設置することとして,本人確認情報の適切な取扱いを担保するための制度的措置を講じていることなどに照らせば,住基ネットにシステム技術上又は法制度上の不備があり,そのために本人確認情報が法令等の根拠に基づかずに又は正当な行政目的の範囲を逸脱して第三者に開示又は公表される具体的な危険が生じているということもできない。

 なお,原審は,① 行政個人情報保護法によれば,行政機関の裁量により利用目的を変更して個人情報を保有することが許容されているし,行政機関は,法令に定める事務等の遂行に必要な限度で,かつ,相当の理由のあるときは,利用目的以外の目的のために保有個人情報を利用し又は提供することができるから,行政機関が同法の規定に基づき利用目的以外の目的のために保有個人情報を利用し又は提供する場合には,本人確認情報の目的外利用を制限する住基法30条の34に違反することにならないので,同法による目的外利用の制限は実効性がないこと,② 住民が住基カードを用いて行政サービスを受けた場合,行政機関のコンピュータに残った記録を住民票コードで名寄せすることが可能であることなどを根拠として,住基ネットにより,個々の住民の多くのプライバシー情報が住民票コードを付されてデータマッチングされ,本人の予期しないときに予期しない範囲で行政機関に保有され,利用される具体的な危険が生じていると判示する。しかし,上記①については,行政個人情報保護法は,行政機関における個人情報一般についてその取扱いに関する基本的事項を定めるものであるのに対し,住基法30条の34等の本人確認情報の保護規定は,個人情報のうち住基ネットにより管理,利用等される本人確認情報につきその保護措置を講ずるために特に設けられた規定であるから,本人確認情報については,住基法中の保護規定が行政個人情報保護法の規定に優先して適用されると解すべきであって,住基法による目的外利用の禁止に実効性がないとの原審の判断は,その前提を誤るものである。また,上記②については,システム上,住基カード内に記録された住民票コード等の本人確認情報が行政サービスを提供した行政機関のコンピュータに残る仕組みになっているというような事情はうかがわれない。上記のとおり,データマッチングは本人確認情報の目的外利用に当たり,それ自体が懲戒処分の対象となるほか,データマッチングを行う目的で個人の秘密に属する事項が記録された文書等を収集する行為は刑罰の対象となり,さらに,秘密に属する個人情報を保有する行政機関の職員等が,正当な理由なくこれを他の行政機関等に提供してデータマッチングを可能にするような行為も刑罰をもって禁止されていること,現行法上,本人確認情報の提供が認められている行政事務において取り扱われる個人情報を一元的に管理することができる機関又は主体は存在しないことなどにも照らせば,住基ネットの運用によって原審がいうような具体的な危険が生じているということはできない。

(2) そうすると,行政機関が住基ネットにより住民である被上告人らの本人確認情報を管理,利用等する行為は,個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表するものということはできず,当該個人がこれに同意していないとしても,憲法13条により保障された上記の自由を侵害するものではないと解するのが相当である。また,以上に述べたところからすれば,住基ネットにより被上告人らの本人確認情報が管理,利用等されることによって,自己のプライバシーに関わる情報の取扱いについて自己決定する権利ないし利益が違法に侵害されたとする被上告人らの主張にも理由がないものというべきである。以上は,前記大法廷判決の趣旨に徴して明らかである。

プライバシー権(4)最判平成20年3月6日・住基ネット訴訟

  目次

【最判平成20年3月6日・住基ネット訴訟】

判旨

  事実の概要

本件は,被上告人らが,行政機関が住民基本台帳ネットワークシステム(以下「住基ネット」という。)により被上告人らの個人情報を収集,管理又は利用(以下,併せて「管理,利用等」という。)することは,憲法13条の保障する被上告人らのプライバシー権その他の人格権を違法に侵害するものであるなどと主張して,被上告人らの住民基本台帳を保管する上告人に対し,上記の人格権に基づく妨害排除請求として,住民基本台帳からの被上告人らの住民票コードの削除を求める事案である。

原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

(1) 住民基本台帳法(以下「住基法」という。)は,平成11年法律第133号により改正され,住基ネットが導入された。住基ネットの概要は,次のとおりである。

ア 目的

従前,各市町村の保有する住民基本台帳の情報は当該市町村内においてのみ利用されていたが,住基ネットは,市町村長に住民票コードを記載事項とする住民票を編成した住民基本台帳の作成を義務付け,住民基本台帳に記録された個人情報のうち,氏名,住所など特定の本人確認情報を市町村,都道府県及び国の機関等で共有してその確認ができる仕組みを構築することにより,住民基本台帳のネットワーク化を図り,住民基本台帳に関する事務の広域化による住民サービスの向上と行政事務の効率化を図ることを目的とするものである(住基法6条,7条13号,30条の5~30条の8等)。

イ 住民票コード

市町村長は,個人を単位とする住民票を世帯ごとに編成して,住民基本台帳を作成しなければならず(住基法6条1項),その住民票には住民票コードを記載しなければならない(同法7条13号)。都道府県知事は,総務省令で定めるところにより,あらかじめ他の都道府県知事と協議して重複しないよう調整を図った上,当該都道府県の区域内の市町村の市町村長ごとに,当該市町村長が住民票に記載することのできる住民票コードを指定し,これを当該市町村長に通知する(同法30条の7第1項,2項)。上記総務省令に当たる同法施行規則においては,住民票コードの指定は,都道府県知事が,無作為に作成された10けたの数字及び1けたの検査数字を組み合わせて定めた数列のうちから無作為に抽出することにより行うものとされている(同法施行規則1条,14条)。市町村長は,いずれの市町村においても住民基本台帳に記録されたことがない者について新たに住民票の記載をする場合は,都道府県知事から指定された上記の住民票コードのうちから一を選択して住民票に記載し(同法30条の2第2項),いずれかの市町村において住民基本台帳に記録された者について住民票の記載をする場合は,直近に住民票の記載をした市町村長が記載した住民票コードを記載する(同条1項)。

ウ 本人確認情報

住基ネットによって管理,利用等される個人情報である本人確認情報は,住民票の記載事項(住基法7条)のうち,①氏名(1号),②生年月日(2号),③性別(3号),④住所(7号)(以上①~④を併せて,以下「4情報」という。)に,住民票コード(13号)及び住民票の記載に関する事項で政令で定めるもの(以下「変更情報」という。)を加えたものである(同法30条の5第1項)。変更情報とは,具体的には,異動事由(「転入」,「出生」,「転出」,「死亡」等),異動年月日及び異動前の本人確認情報である(同法施行令30条の5)。

エ 住基ネットの仕組み

市町村には,既存の住民基本台帳電算処理システム(以下「既存住基システム」という。)のほか,既存住基システムと住基ネットを接続し,その市町村の住民の本人確認情報を記録,管理するシステムであるコミュニケーションサーバが設置され,本人確認情報は,既存住基システムから上記サーバに伝達されて保存される。都道府県には,区域内の全市町村のコミュニケーションサーバから送信された本人確認情報を記録,管理するシステムである都道府県サーバが設置されている。都道府県知事は,総務大臣の指定する者(以下「指定情報処理機関」という。)に本人確認情報処理事務を行わせることができ(住基法30条の10第1項柱書き),指定情報処理機関には,全都道府県の都道府県サーバから送信された本人確認情報を記録,管理する全国サーバが設置されている。都道府県知事から指定情報処理機関に送信された本人確認情報は,全国サーバに保存される(同法30条の11)。オ本人確認情報の管理,利用等

() 市町村長は,住民票の記載,消除又は4情報及び住民票コードの記載の修正を行った場合,本人確認情報を都道府県知事に通知する(住基法30条の5第1項)。都道府県知事は,通知された本人確認情報を磁気ディスクに記録し,これを原則として5年間保存しなければならない(同法30条の5第3項,同法施行令30条の6)。

() 市町村長は,条例で定めるところにより,他の市町村の市町村長その他の執行機関から事務処理に関し求めがあったときは,本人確認情報を提供する(同法30条の6)。

() 都道府県知事は,同法別表に掲げる国の機関等,区域内の市町村の市町村長その他の執行機関又は他の都道府県の執行機関等から,法令又は条例によって規定された一定の事務の処理に関し求めがあったときは,政令又は条例で定めるところにより,本人確認情報を提供する(同法30条の7第3項~6項)。

() 都道府県知事は,統計資料の作成など法令に規定する一定の事務を遂行する場合には,本人確認情報を利用することができる(同法30条の8第1項)。

() 同法別表の改正等により,住基ネットの利用による本人確認情報の提供及び利用が可能な行政事務は,平成17年4月1日現在で275事務となっている。現行法上,これらの行政事務において取り扱われる個人情報を一元的に管理することができる機関又は主体は存在しない。また,指定情報処理機関は,行政機関等に対してその求めに応じ本人確認情報を提供することが予定されているが(同法30条の10),指定情報処理機関には行政機関等からその保有する他の個人情報を収集する権限は付与されていないから,指定情報処理機関がこれらの個人情報を本人確認情報と結合することはできない。

カ 本人確認情報の目的外利用

() 住基法別表に規定する事務等を行うため法令等の規定に基づき本人確認情報の提供を受けた市町村長その他の受領者(同法30条の33)は,当該事務処理の遂行に必要な範囲内で,受領した本人確認情報を利用し,又は提供するものとされ,当該事務の処理以外の目的のための利用又は提供は禁止されている(同法30条の34)。

() 行政機関は,特定された利用目的の達成に必要な範囲を超えて個人情報を保有してはならず(行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律〔以下「行政個人情報保護法」という。〕3条2項),行政機関の長は,法令に基づく場合を除き,保有個人情報を目的外に利用し,又は提供してはならないとされている(同法8条1項)。

() 本人確認情報を保有する行政機関が,上記()で許される範囲を超えて,住民票コードをマスターキーとして用いて本人確認情報を他の個人情報と結合すること(以下「データマッチング」という。)は,住基法30条の34に規定する職務上の義務に違反する行為に当たり,懲戒処分の対象となる(国家公務員法82条,地方公務員法29条)。

行政機関の職員が,データマッチングなど上記()の範囲を超える利用のために個人の秘密に属する事項が記録された文書等を収集した場合には,「その職権を濫用して,専らその職務の用以外の用に供する目的で」行ったとき(行政個人情報保護法55条)に当たり,刑罰の対象となる。

指定情報処理機関の役員及び職員(住基法30条の17第3項),本人確認情報の提供を受けた市町村,都道府県又は国の機関等の職員が,その知り得た本人確認情報に関する秘密を他の機関等に漏えいした場合には,公務員の守秘義務違反に該当し,刑罰の対象となる(国家公務員法109条12号,100条1項,2項及び地方公務員法60条2号,34条1項,2項)。本人確認情報の電子計算機処理等に関する事務に従事する市町村の職員等(住基法30条の31第1項,2項)が,その事務に関して知り得た本人確認情報に関する秘密等を漏えいする行為は,住基法42条に規定する刑罰の対象となる。また,行政機関の職員等が,正当な理由がないのに,個人の秘密に属する事項が記録された個人情報ファイルを第三者に提供する行為も,刑罰の対象となる(行政個人情報保護法53条)。

キ 監視機関

住基法は,都道府県に本人確認情報の保護に関する審議会を設置し(同法30条の9第1項,2項),また,指定情報処理機関に本人確認情報保護委員会を設置すること(同法30条の15第1項,2項)を定め,上記審議会又は委員会において,それぞれ当該都道府県又は指定情報処理機関における本人確認情報の保護に関する事項を調査審議させることとしている。

ク 住基カード

住民基本台帳に記録されている者は,当該市町村の市町村長に対し,自己に係る氏名及び住民票コードその他政令で定める事項が記録された住民基本台帳カード(以下「住基カード」という。)の交付を求めることができる(住基法30条の44第1項)。市町村長その他の市町村の執行機関は,住基カードを,条例の定めるところにより,条例に規定する目的のために利用することができる(同法30条の44第8項)。

(2) 住基ネットの導入により,住民にとっては,① 一定の要件のもとで住基カードを添えて転入届を行う場合,従来必要とされていた転出証明書の添付が不要となり転出地の市役所等に出向く必要がなくなること(住基法24条の2第1項),② 全国のどの市町村でも住民票の写しを入手できるようになること(同法12条の2第1項),③ 婚姻届及び離婚届の提出,旅券の交付申請,戸籍抄本の交付請求,所得税の確定申告など一定の場合に,従来必要とされていた住民票の写しの提出が不要となること(行政手続等における情報通信の技術の利用に関する法律3条,関係行政機関が所管する法令に係る行政手続等における情報通信の技術の利用に関する法律施行規則4条1項,7項)などの利点がある。他方,市町村にとっては,市町村間の通信を郵送に代えて電気通信回線を通じて行うことにより事務の効率化を図ることができるほか,上記①~③に対応して,住民票の交付事務等に伴う負担の軽減及び行政経費の削減を図ることができるなどの利点がある。

(3) 本人確認情報の漏えい防止等の安全確保の措置として,技術的側面では,住基ネットシステムの構成機器等について相当厳重なセキュリティ対策が講じられ,人的側面でも,人事管理,研修及び教育等種々の制度や運用基準が定められて実施されており,現時点において,住基ネットのセキュリティが不備なため本人確認情報に不当にアクセスされるなどして本人確認情報が漏えいする具体的な危険はない。

 

  原審の判断

原審は,次のとおり判断して,被上告人らの上告人に対する住民票コードの削除請求を認容した。

(1) 自己の私的事柄に関する情報の取扱いについて自ら決定する利益(自己情報コントロール権)は,人格権の一内容であるプライバシーの権利として,憲法13条によって保障されていると解すべきである。一般的には秘匿の必要性の高くない4情報や数字の羅列にすぎない住民票コードについても,その取扱い方によっては,情報主体たる個人の合理的期待に反してその私生活上の自由を脅かす危険を生ずることがあるから,本人確認情報は,いずれもプライバシーに係る情報として法的保護の対象となり,自己情報コントロール権の対象となる。

(2) 本人確認情報の管理,利用等は,正当な行政目的の実現のために必要であり,かつ,その実現手段として合理的である場合には,自己情報コントロール権の内在的制約又は公共の福祉による制約により,原則として自己情報コントロール権を侵害するものではないが,本人確認情報の漏えいや目的外利用などにより住民のプライバシーないし私生活上の平穏が侵害される具体的な危険がある場合には,上記の実現手段としての合理性がなく,自己情報コントロール権を侵害するものというべきである。

(3) 現行法上,データマッチングは,本人確認情報の目的外利用に当たり,罰則をもって禁止される。しかし,行政個人情報保護法は,行政機関の裁量により利用目的を変更して個人情報を保有することを許容しており(同法3条3項),この場合には本人確認情報の目的外利用を制限する住基法30条の34に違反することにはならない。また,行政機関は,法令に定める事務等の遂行に必要な限度で,かつ,相当の理由のあるときは,利用目的以外の目的のために保有個人情報を利用し又は提供することができるから(行政個人情報保護法8条2項2号,3号),住基法による目的外利用の制限は実効性を欠く。さらに,住民が住基カードを使って行政サービスを受けた場合,その記録が行政機関のコンピュータに残り,それらを住民票コードで名寄せすることが可能である。

これらのことを考慮すれば,行政機関において,個々の住民の多くのプライバシー情報が住民票コードを付されて集積され,それがデータマッチングされ,本人の予期しないときに予期しない範囲で行政機関に保有され,利用される具体的な危険が生じているということができる。したがって,住基ネットは,その行政目的実現手段として合理性を有しないから,その運用に同意しない被上告人らに対して住基ネットを運用することは,被上告人らのプライバシー権ないし自己情報コントロール権を侵害するものである。

(4) 被上告人らに対する住基ネットの運用は,制度自体の欠陥により被上告人らの人格権を違法に侵害するものであって,その人格的自律を脅かす程度も相当大きいと評価でき,それが続く場合には被上告人らに回復し難い損害をもたらす危険がある。このような場合には,権利を侵害されている者は侵害行為の差止めを求めることができると解するのが相当であるところ,大阪府知事に対する通知の差止めは,行政機関の行為であるが,事実行為であり,民事訴訟において差止めを求めることができると解される。そして,住民票コードの削除請求は,実質は差止めを実効あるものとするための原状回復行為であるから,差止請求と同様に許されるものと解される。

 

プライバシー権(3)最判平成15年9月12日・早稲田大学江沢講演会名簿提出事件・最判平成15年3月14日 長良川リンチ殺人事件報道訴訟

 

  目次


【最判平成15年9月12日・早稲田大学江沢講演会名簿提出事件】

要旨

裁判要旨

1 大学が講演会の主催者として学生から参加者を募る際に収集した参加申込者の学籍番号,氏名,住所及び電話番号に係る情報は,参加申込者のプライバシーに係る情報として法的保護の対象となる。

2 大学が講演会の主催者として学生から参加者を募る際に収集した参加申込者の学籍番号,氏名,住所及び電話番号に係る情報を参加申込者に無断で警察に開示した行為は,大学が開示についてあらかじめ参加申込者の承諾を求めることが困難であった特別の事情がうかがわれないという事実関係の下では,参加申込者のプライバシーを侵害するものとして不法行為を構成する。

(2につき反対意見がある。)

 

判旨

  事実の概要

 1 原審の確定した事実関係の概要は,次のとおりである。

 (1) 被上告人は,D大学等を設置する学校法人である。D大学は,かねてより,諸外国の要人が来日した際,同大学へ招いて,その講演会を開催してきた。D大学は,平成10年7月下旬ころ,中華人民共和国大使館から,同国のE国家主席が,同年秋ころに来日する際,同大学を訪問したい旨の連絡を受け,同主席の講演会を開催することを計画し,警視庁,外務省,同大使館等と打ち合わせた上,同年11月28日に同大学のF講堂において同主席による本件講演会を開催することを決定し,同大学の学生に対し参加を募ることにした。

 (2) 本件講演会の参加の申込みは,平成10年11月18日から同月24日までの間にD大学の各学部事務所,各大学院事務所及びGセンターに備え置かれた本件名簿に,希望者が氏名等を記入してすることとされた。本件名簿の用紙には,最上段の欄外に「中華人民共和国主席E閣下講演会参加者」との表題が印刷され,その下に,横書きで学籍番号,氏名,住所及び電話番号の各記入欄が設けられ,参加申込者が1人ずつ記入できるよう,1行ごとに横線が引かれて各欄が囲われていた。上記用紙には,1枚につき,15名の参加申込者が記入できるよう,15行の欄が設けられていた。そして,本件名簿に氏名等を記入して本件講演会に参加を申し込んだ学生に対しては,参加証等が交付された。

 (3) 上告人らは,当時D大学の学生であったが,本件講演会への参加を申し込み,本件簿にその氏名等を記入して,参加証等の交付を受けた。

 (4) D大学は,本件講演会を準備するに当たり,警視庁,外務省,中華人民共和国大使館等から,警備体制について万全を期すよう要請されていた。そこで,D大学の職員,警視庁の担当者,外務省及び中華人民共和国大使館の各職員らの間において,平成10年7月下旬ころから,数回にわたり,打合せが行われた。その中で,D大学は,警視庁から,警備のため,本件講演会に出席する者の名簿を提出するよう要請された。

 (5) このような要請を受けて,D大学は,内部での議論を経て,本件講演会の警備を警察にゆだねるべく,本件名簿を提出することとした。そこで,総務部管理課において,平成10年11月25日までに各事務所等から学生部に届けられた本件名簿の写しの提供を受け,同課の職員が,同日又は翌26日の夜,その本件名簿の写しを,D大学の教職員,留学生,プレス関係者等その他のグループの参加申込者の各名簿と併せて,警視庁戸塚署に提出した。D大学は,このような本件名簿の写しの提出について,上告人らの同意は得ていない。

 (6) 上告人らは,本件講演会に参加したが,E主席の講演中に座席から立ち上がって「中国の核軍拡反対」と大声で叫ぶなどしたため,私服の警察官らにより,身体を拘束されて会場の外に連れ出され,建造物侵入及び威力業務妨害の嫌疑により現行犯逮捕された。その後,上告人らは,本件講演会を妨害したことを理由としてD大学からけん責処分に付された。

 2 本件は,上告人らが,被上告人に対し,違法な逮捕に協力し無効なけん責処分をしたことを理由とする損害賠償,同処分の無効確認並びに謝罪文の交付及び掲示を求めるとともに,被上告人が上告人らを含む本件講演会参加申込者の氏名等が記載された本件名簿の写しを無断で警視庁に提出したことが,上告人らのプライバシーを侵害したものであるとして,損害賠償を求めた事案である。

 

  原審の判断

 3 原審は,前記事実関係の下で,プライバシーの侵害を理由とする損害賠償請求について,次のとおり判示し,同請求を含めて上告人らの本件請求をいずれも棄却すべきものとした。

 (1) 本件名簿は,氏名等の情報のほかに,「本件講演会に参加を希望し申し込んだ学生である」との情報をも含むものであるところ,このような本件個人情報は,プライバシーの権利ないし利益として,法的保護に値するというべきであり,本件名簿は,そのような情報価値を具有するものであったことが認められる。

 (2) D大学による本件名簿の警察に対する提出行為については,同大学が本件講演会参加申込者の同意を得ていたと認めるに足りる証拠はない。しかし,私生活上の情報を開示する行為が,直ちに違法性を有し,開示者が不法行為責任を負うことになると考えるのは相当ではなく,諸般の事情を総合考慮し,社会一般の人々の感受性を基準として,当該開示行為に正当な理由が存し,社会通念上許容される場合には,違法性がなく,不法行為責任を負わないと判断すべきであるところ,本件個人情報は,基本的には個人の識別などのための単純な情報にとどまるのであって,思想信条や結社の自由等とは無関係のものである上,他人に知られたくないと感ずる程度,度合いの低い性質のものであること,上告人らが本件個人情報の開示によって具体的な不利益を被ったとは認められないこと,D大学は,本件講演会の主催者として,講演者である外国要人の警備,警護に万全を期し,不測の事態の発生を未然に防止するとともに,その身辺の安全を確保するという目的に資するため本件個人情報を開示する必要性があったこと,その他,開示の目的が正当であるほか,本件個人情報の収集の目的とその開示の目的との間に一応の関連性があること等の諸事情が認められ,これらの諸事情を総合考慮すると,同大学が本件個人情報を開示することについて,事前に上告人らの同意ないし許諾を得ていないとしても,同大学が本件個人情報を開示したことは,社会通念上許容される程度を逸脱した違法なものであるとまで認めることはできず,その開示が上告人らに対し不法行為を構成するものと認めることはできない。

 4 上告人らは,原判決のうちプライバシーの侵害を理由とする損害賠償請求に関する部分を不服として,本件上告受理の申立てをした。

 

  最高裁の判断

 5 原審の前記判断のうち,前記3の(1)は是認することができるが,同(2)は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

 (1) 本件個人情報は,D大学が重要な外国国賓講演会への出席希望者をあらかじめ把握するため,学生に提供を求めたものであるところ,学籍番号,氏名,住所及び電話番号は,D大学が個人識別等を行うための単純な情報であって,その限りにおいては,秘匿されるべき必要性が必ずしも高いものではない。また,本件講演会に参加を申し込んだ学生であることも同断である。しかし,このような個人情報についても,本人が,自己が欲しない他者にはみだりにこれを開示されたくないと考えることは自然なことであり,そのことへの期待は保護されるべきものであるから,【要旨1】本件個人情報は,上告人らのプライバシーに係る情報として法的保護の対象となるというべきである。

 (2) このようなプライバシーに係る情報は,取扱い方によっては,個人の人格的な権利利益を損なうおそれのあるものであるから,慎重に取り扱われる必要がある。本件講演会の主催者として参加者を募る際に上告人らの本件個人情報を収集したD大学は,上告人らの意思に基づかずにみだりにこれを他者に開示することは許されないというべきであるところ,【要旨2】同大学が本件個人情報を警察に開示することをあらかじめ明示した上で本件講演会参加希望者に本件名簿へ記入させるなどして開示について承諾を求めることは容易であったものと考えられ,それが困難であった特別の事情がうかがわれない本件においては,本件個人情報を開示することについて上告人らの同意を得る手続を執ることなく,上告人らに無断で本件個人情報を警察に開示した同大学の行為は,上告人らが任意に提供したプライバシーに係る情報の適切な管理についての合理的な期待を裏切るものであり,上告人らのプライバシーを侵害するものとして不法行為を構成するというべきである。原判決の説示する本件個人情報の秘匿性の程度,開示による具体的な不利益の不存在,開示の目的の正当性と必要性などの事情は,上記結論を左右するに足りない。

 6 以上のとおり,原審の前記判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法

令の違反があり,論旨は理由がある。原判決中プライバシーの侵害を理由とする損

害賠償請求に関する部分は破棄を免れない。そして,同部分について更に審理判断

させる必要があるから,本件を原審に差し戻すこととする。

 よって,裁判官亀山継夫,同梶谷玄の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意

見で,主文のとおり判決する。

 

  反対意見

【裁判官亀山継夫,同梶谷玄の反対意見】は,次のとおりである。

 D大学が本件個人情報を警視庁に開示したことは,上告人らに対する不法行為を構成しない。その理由は,次のとおりである。

 本件個人情報は,プライバシーに係る情報であっても,専ら個人の内面にかかわるものなど他者に対して完全に秘匿されるべき性質のものではなく,上告人らが社会生活を送る必要上自ら明らかにした情報や単純な個人識別情報であって,その性質上,他者に知られたくないと感じる程度が低いものである。また,本件名簿は,本件講演会の参加者を具体的に把握し,本件講演会の管理運営を円滑に行うために作成されたものである。

 他方,本件講演会は,国賓である中華人民共和国国家主席の講演会であり,その警備の必要性は極めて高いものであったのであるから,その警備を担当する警視庁からの要請に応じてD大学が本件名簿の写しを警視庁に交付したことには,正当な理由があったというべきである。また,D大学が本件個人情報を開示した相手方や開示の方法等をみても,それらは,本件講演会の主催者として講演者の警護等に万全を期すという目的に沿うものであり,上記開示によって上告人らに実質的な不利益が生じたこともうかがわれない。

 これらの事情を考慮すると,D大学が本件個人情報を警察に開示したことは,あらかじめ上告人らの同意を得る手続を執らなかった点で配慮を欠く面があったとしても,社会通念上許容される限度を逸脱した違法な行為であるとまでいうことはできず,上告人らに対する不法行為を構成するものと認めることはできない。

 よって,上告人らの請求をいずれも棄却すべきものとした原審の判断は正当として是認することができ,本件上告は理由がないものとして棄却すべきである。

(裁判長裁判官 滝井繁男 裁判官 福田 博 裁判官 北川弘治 裁判官 亀山

継夫 裁判官 梶谷 玄)

 

 

【最判平成15年3月14日 長良川リンチ殺人事件報道訴訟】

要旨

裁判要旨

1 少年法61条が禁止しているいわゆる推知報道に当たるか否かは,その記事等により,不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知することができるかどうかを基準にして判断すべきである。

2 犯行時少年であった者の犯行態様,経歴等を記載した記事を実名類似の仮名を用いて週刊誌に掲載したことにつき,その記事が少年法61条に違反するとした上,同条により保護される少年の権利ないし法的利益より明らかに社会的利益の擁護が優先する特段の事情がないとして,直ちに,名誉又はプライバシーの侵害による損害賠償責任を肯定した原審の判断には,被侵害利益ごとに違法性阻却事由の有無を個別具体的に審理判断しなかった違法がある。

 

 

判旨

■ 事案の概要

(1) 被上告人(昭和50年10月生まれ)は,平成6年9月から10月にかけて,成人又は当時18歳,19歳の少年らと共謀の上,連続して犯した殺人,強盗殺人,死体遺棄等の4つの事件により起訴され,刑事裁判を受けている刑事被告人である。

 上告人は,図書及び雑誌の出版等を目的とする株式会社であり,「週刊文春」と題する週刊誌を発行している。

 (2) 上告人は,名古屋地方裁判所に上記各事件の刑事裁判の審理が係属していた平成9年7月31日発売の「週刊文春」誌上に,第1審判決添付の別紙二のとおり,「『少年犯』残虐」「法廷メモ独占公開」などという表題の下に,事件の被害者の両親の思いと法廷傍聴記等を中心にした記事(以下「本件記事」という。)を掲載したが,その中に,被上告人について,仮名を用いて,法廷での様子,犯行態様の一部,経歴や交友関係等を記載した部分がある。

■ 原審の判断

 2 原審は,次のとおり判示し,被上告人の損害賠償請求を一部認容すべきもの

とした。

  (1) 本件記事で使用された仮名乙'は,本件記事が掲載された当時の被上告人の実名乙と類似しており,社会通念上,その仮名の使用により同一性が秘匿されたと認めることは困難である上,本件記事中に,出生年月,出生地,非行歴や職歴,交友関係等被上告人の経歴と合致する事実が詳細に記載されているから,被上告人と面識を有する特定多数の読者及び被上告人が生活基盤としてきた地域社会の不特定多数の読者は,乙'と被上告人との類似性に気付き,それが被上告人を指すことを容易に推知できるものと認めるのが相当である。

(2) 少年法61条は,少年事件情報の中の加害少年本人を推知させる事項についての報道(以下「推知報道」という。)を禁止する規定であるが,これは,憲法で保障される少年の成長発達過程において健全に成長するための権利の保護とともに,少年の名誉,プライバシーを保護することを目的とするものであり,同条に違反して実名等の報道をする者は,当該少年に対する人権侵害行為として,民法709条に基づき本人に対し不法行為責任を負うものといわなければならない。

 (3) 少年法61条に違反する推知報道は,内容が真実で,それが公共の利益に関する事項に係り,かつ,専ら公益を図る目的に出た場合においても,成人の犯罪事実報道の場合と異なり,違法性を阻却されることにはならず,ただ,保護されるべき少年の権利ないし法的利益よりも,明らかに社会的利益を擁護する要請が強く優先されるべきであるなどの特段の事情が存する場合に限って違法性が阻却され免責されるものと解するのが相当である。

 (4) 本件記事は,少年法61条が禁止する推知報道であり,事件当時18歳であった被上告人が当該事件の本人と推知されない権利ないし法的利益よりも,明らかに社会的利益の擁護が強く優先される特段の事情を認めるに足りる証拠は存しないから,本件記事を週刊誌に掲載した上告人は,不法行為責任を免れない。

■ 最高裁の判断

 3 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

 (1) 原判決は,本件記事による被上告人の被侵害利益を,() 名誉,プライバシーであるとして,上告人の不法行為責任を認めたのか,これらの権利に加えて() 原審が少年法61条によって保護されるとする「少年の成長発達過程において健全に成長するための権利」をも被侵害利益であるとして上記結論を導いたのか,その判文からは必ずしも判然としない。

 しかし,被上告人は,原審において,本件記事による被侵害利益を,上記()権利,すなわち被上告人の名誉,プライバシーである旨を一貫して主張し,()権利を被侵害利益としては主張していないことは,記録上明らかである。 このような原審における審理の経過にかんがみると,当審としては,原審が上記()の権利の侵害を理由に前記結論を下したものであることを前提として,審理判断をすべきものと考えられる。

(2) 被上告人は,本件記事によって,乙'が被上告人であると推知し得る読者に対し,被上告人が起訴事実に係る罪を犯した事件本人であること(以下「犯人情報」という。)及び経歴や交友関係等の詳細な情報(以下「履歴情報」という。)を公表されたことにより,名誉を毀損され,プライバシーを侵害されたと主張しているところ,本件記事に記載された犯人情報及び履歴情報は,いずれも被上告人の名誉を毀損する情報であり,また,他人にみだりに知られたくない被上告人のプライバシーに属する情報であるというべきである。そして,被上告人と面識があり,又は犯人情報あるいは被上告人の履歴情報を知る者は,その知識を手がかりに本件記事が被上告人に関する記事であると推知することが可能であり,本件記事の読者の中にこれらの者が存在した可能性を否定することはできない。そして,これらの読者の中に,本件記事を読んで初めて,被上告人についてのそれまで知っていた以上の犯人情報や履歴情報を知った者がいた可能性も否定することはできない。

 したがって,上告人の本件記事の掲載行為は,被上告人の名誉を毀損し,プライバシーを侵害するものであるとした原審の判断は,その限りにおいて是認することができる。

 なお,【要旨1】少年法61条に違反する推知報道かどうかは,その記事等により,不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知することができるかどうかを基準にして判断すべきところ,本件記事は,被上告人について,当時の実名と類似する仮名が用いられ,その経歴等が記載されているものの,被上告人と特定するに足りる事項の記載はないから,被上告人と面識等のない不特定多数の一般人が,本件記事により,被上告人が当該事件の本人であることを推知することができるとはいえない。したがって,本件記事は,少年法61条の規定に違反するものではない。

  (3) ところで,本件記事が被上告人の名誉を毀損し,プライバシーを侵害する内容を含むものとしても,本件記事の掲載によって上告人に不法行為が成立するか否かは,被侵害利益ごとに違法性阻却事由の有無等を審理し,個別具体的に判断すべきものである。すなわち,名誉毀損については,その行為が公共の利害に関する事実に係り,その目的が専ら公益を図るものである場合において,摘示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があるとき,又は真実であることの証明がなくても,行為者がそれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは,不法行為は成立しないのであるから(最高裁昭和37年(オ)第815号同41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118頁参照),本件においても,これらの点を個別具体的に検討することが必要である。また,プライバシーの侵害については,その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由とを比較衡量し,前者が後者に優越する場合に不法行為が成立するのであるから(最高裁平成元年(オ)第1649号同6年2月8日第三小法廷判決・民集48巻2号149頁),本件記事が週刊誌に掲載された当時の被上告人の年齢や社会的地位,当該犯罪行為の内容,これらが公表されることによって被上告人のプライバシーに属する情報が伝達される範囲と被上告人が被る具体的被害の程度,本件記事の目的や意義,公表時の社会的状況,本件記事において当該情報を公表する必要性など,その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情を個別具体的に審理し,これらを比較衡量して判断することが必要である。

 (4) 【要旨2】原審は,これと異なり,本件記事が少年法61条に違反するものであることを前提とし,同条によって保護されるべき少年の権利ないし法的利益よりも,明らかに社会的利益を擁護する要請が強く優先されるべきであるなどの特段の事情が存する場合に限って違法性が阻却されると解すべきであるが,本件についてはこの特段の事情を認めることはできないとして,前記(3)に指摘した個別具体的な事情を何ら審理判断することなく,上告人の不法行為責任を肯定した。この原審の判断には,審理不尽の結果,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。この趣旨をいう論旨第一点の二は理由があり,原判決中上告人の敗訴部分は破棄を免れない。

 そこで,更に審理を尽くさせるため,前記部分につき本件を原審に差し戻すこととする。

 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 北川弘治 裁判官 福田 博 裁判官 亀山継夫 裁判官 梶谷

 玄 裁判官 滝井繁男)

プライバシー権(2) 最判平成6年2月8日・ノンフィクション逆転事件・最判昭和63年7月15日 麹町中学校内申書事件



 目次

 

【最判平成6年2月8日・ノンフィクション逆転事件】

要旨

判示事項

ある者の前科等にかかわる事実が著作物で実名を使用して公表された場合における損害賠償請求の可否

裁判要旨

ある者の前科等にかかわる事実が著作物で実名を使用して公表された場合に、その者のその後の生活状況、当該刑事事件それ自体の歴史的又は社会的な意義その者の事件における当事者としての重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性を併せて判断し、右の前科等にかかわる事実を公表されない法的利益がこれを公表する理由に優越するときは、右の者は、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができる。

 

判旨

 一 被上告人の請求は、上告人の著作に係る「逆転」と題する出版物(以下「本件著作」という。)で被上告人の実名が使用されたため、その刊行により、被上告人が後記の刑事事件につき被告人となり有罪判決を受けて服役したという前科にかかわる事実が公表され、精神的苦痛を被ったと主張して、上告人に対し、慰謝料三〇〇万円の支払を求めるものである。

 二 これに対して、原審は、概要、後記1ないし3の事実関係を確定した上、要するに、本件著作が出版されたころには、被上告人は、右の事実を他人に知られないことにつき人格的利益を有し、かつ、その利益は、法的保護に値する状況にあったというべきところ、上告人が本件著作で被上告人の実名を使用してその前科にかかわる事実を公表したことを正当とする理由はなく、また、上告人が本件著作で被上告人の実名を使用しても違法でないと信ずることに相当な理由もないとして、上告人の被上告人に対する不法行為責任を認め、本件請求を慰謝料五〇万円の支払を求める限度で認容した一審判決を正当とし、上告人の控訴を棄却した。

 1 本件著作は、昭和三九年八月一六日午前三時ころ、当時アメリカ合衆国の統治下にあった沖縄県宜野湾市aで発生した被上告人ら四名とアメリカ合衆国軍隊に所属するD一等兵及びE伍長との喧嘩が原因となって、Dが死亡し、Eが負傷した事件につき、被上告人ら四名が、同年九月四日、アメリカ合衆国琉球列島民政府高等裁判所の起訴陪審の結果、Dに対する傷害致死及びEに対する傷害の各罪(適条は我が国の刑法二〇五条及び二〇四条による。)で起訴され、陪審評議の結果、Dに対する関係では、傷害致死の公訴事実については無罪であるが、これに含まれる傷害の公訴事実については有罪、Eに対する関係では、無罪であると答申され、同年一一月六日、Dに対する傷害の罪で、被上告人ほか二名が懲役三年の実刑判決、他の一名が懲役二年、執行猶予二年の有罪判決を受けた裁判を素材とするものである。

 2 被上告人は、本件裁判で服役し、昭和四一年一〇月に仮出獄した後、沖縄でしばらく働いていたが、本件事件のこともあってうまくいかず、やがて沖縄を離れて上京し、昭和四三年一〇月から都内のバス会社に運転手として就職した。被上告人は、その後、結婚したが、会社にも、妻にも、前科を秘匿していた。本件事件及び本件裁判は、当時、沖縄では大きく新聞報道されたが、本土では新聞報道もなく、東京で生活している被上告人の周囲には、その前科にかかわる事実を知る者はいなかった。

 3 上告人は、本件裁判の陪審員の一人であったが、その体験に基づき、本件著作を執筆し、本件著作は、昭和五二年八月、株式会社Fから刊行され、ノンフィクション作品として世上高い評価を受け、昭和五三年にはG賞を受賞した。

 三 所論は、前記の理由で上告人の被上告人に対する不法行為責任を認めた原判決には、憲法違反、判決に影響を及ぼす法令違反、理由不備ないし理由齟齬の違法があるというので、以下、検討する。

 1 ある者が刑事事件につき被疑者とされ、さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け、とりわけ有罪判決を受け、服役したという事実は、その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから、その者は、みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有するものというべきである(最高裁昭和五二年(オ)第三二三号同五六年四月一四日第三小法廷判決・民集三五巻三号六二〇頁参照)。この理は、右の前科等にかかわる事実の公表が公的機関によるものであっても、私人又は私的団体によるものであっても変わるものではない。そして、その者が有罪判決を受けた後あるいは服役を終えた後においては、一市民として社会に復帰することが期待されるのであるから、その者は、前科等にかかわる事実の公表によって、新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益を有するというべきである。

  もっとも、ある者の前科等にかかわる事実は、他面、それが刑事事件ないし刑事裁判という社会一般の関心あるいは批判の対象となるべき事項にかかわるものであるから、事件それ自体を公表することに歴史的又は社会的な意義が認められるような場合には、事件の当事者についても、その実名を明らかにすることが許されないとはいえない。また、その者の社会的活動の性質あるいはこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判あるいは評価の一資料として、右の前科等にかかわる事実が公表されることを受忍しなければならない場合もあるといわなければならない(最高裁昭和五五年(あ)第二七三号同五六年四月一六日第一小法廷判決・刑集三五巻三号八四頁参照)。さらにまた、その者が選挙によって選出される公職にある者あるいはその候補者など、社会一般の正当な関心の対象となる公的立場にある人物である場合には、その者が公職にあることの適否などの判断の一資料として右の前科等にかかわる事実が公表されたときは、これを違法というべきものではない(最高裁昭和三七年(オ)第八一五号同四一年六月二三日第一小法廷判決・民集二〇巻五号一一一八頁参照)。

   そして、ある者の前科等にかかわる事実が実名を使用して著作物で公表された場合に、以上の諸点を判断するためには、その著作物の目的、性格等に照らし、実名を使用することの意義及び必要性を併せ考えることを要するというべきである。

 要するに、前科等にかかわる事実については、これを公表されない利益が法的保護に値する場合があると同時に、その公表が許されるべき場合もあるのであって、ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表したことが不法行為を構成するか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができるものといわなければならない。なお、このように解しても、著作者の表現の自由を不当に制限するものではない。けだし、表現の自由は、十分に尊重されなければならないものであるが、常に他の基本的人権に優越するものではなく、前科等にかかわる事実を公表することが憲法の保障する表現の自由の範囲内に属するものとして不法行為責任を追求される余地がないものと解することはできないからである。この理は、最高裁昭和二八年(オ)第一二四一号同三一年七月四日大法廷判決・民集一〇巻七号七八五頁の趣旨に徴しても明らかであり、原判決の違憲をいう論旨を採用することはできない。

 なお、このように解しても、著作者の表現の自由を不当に制限するものではない。けだし、表現の自由は、十分に尊重されなければならないものであるが、常に他の基本的人権に優越するものではなく、前科等にかかわる事実を公表することが憲法の保障する表現の自由の範囲内に属するものとして不法行為責任を追求される余地がないものと解することはできないからである。この理は、最高裁昭和二八年(オ)第一二四一号同三一年七月四日大法廷判決・民集一〇巻七号七八五頁の趣旨に徴しても明らかであり、原判決の違憲をいう論旨を採用することはできない。 2 そこで、以上の見地から本件をみると、まず、本件事件及び本件裁判から本件著作が刊行されるまでに一二年余の歳月を経過しているが、その間、被上告人が社会復帰に努め、新たな生活環境を形成していた事実に照らせば、被上告人は、その前科にかかわる事実を公表されないことにつき法的保護に値する利益を有していたことは明らかであるといわなければならない。しかも、被上告人は、地元を離れて大都会の中で無名の一市民として生活していたのであって、公的立場にある人物のようにその社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として前科にかかわる事実の公表を受忍しなければならない場合ではない。

    所論は、本件著作は、陪審制度の長所ないし民主的な意義を訴え、当時のアメリカ合衆国の沖縄統治の実態を明らかにしようとすることを目的としたものであり、そのために本件事件ないしは本件裁判の内容を正確に記述する必要があったというが、その目的を考慮しても、本件事件の当事者である被上告人について、その実名を明らかにする必要があったとは解されない。本件著作は、陪審評議の経過を詳細に記述し、その点が特色となっているけれども、歴史的事実そのものの厳格な考究を目的としたものとはいえず、現に上告人は、本件著作において、米兵たちの事件前の行動に関する記述は周囲の人の話や証言などから推測的に創作した旨断っており、被上告人に関する記述についても、同人が法廷の被告人席に座って沖縄へ渡って来たことを後悔し、そのころの生活等を回顧している部分は、被上告人は事実でないとしている。その上、上告人自身を含む陪審員については、実名を用いることなく、すべて仮名を使用しているのであって、本件事件の当事者である被上告人については特にその実名を使用しなければ本件著作の右の目的が損なわれる、と解することはできない。

   さらに、所論は、本件著作は、右の目的のほか、被上告人ら四名が無実であったことを明らかにしようとしたものであるから、本件事件ないしは本件裁判について、被上告人の実名を使用しても、その前科にかかわる事実を公表したことにはならないという。しかし、本件著作では、上告人自身を含む陪審員の評議の結果、被上告人ら四名がDに対する傷害の罪で有罪と答申された事実が明らかにされている上、被上告人の下駄やシャツに米兵の血液型と同型の血液が付着していた事実など、被上告人と事件とのかかわりを示す証拠が裁判に提出されていることが記述され、また、陪審評議において、喧嘩両成敗であるとの議論がされた旨の記述はあるが、被上告人ら四名が正当防衛として無罪であるとの主張がされた旨の記述はない。したがって、本件著作は、被上告人ら四名に対してされた陪審の答申と当初の公訴事実との間に大きな相違があり、また、言い渡された刑が陪審の答申した事実に対する量刑として重いという印象を強く与えるものではあるが、被上告人が本件事件に全く無関係であったとか、被上告人ら四名の行為が正当防衛であったとかいう意味において、その無実を訴えたものであると解することはできない。

   以上を総合して考慮すれば、本件著作が刊行された当時、被上告人は、その前科にかかわる事実を公表されないことにつき法的保護に値する利益を有していたところ、本件著作において、上告人が被上告人の実名を使用して右の事実を公表したことを正当とするまでの理由はないといわなければならない。そして、上告人が本件著作で被上告人の実名を使用すれば、その前科にかかわる事実を公表する結果になることは必至であって、実名使用の是非を上告人が判断し得なかったものとは解されないから、上告人は、被上告人に対する不法行為責任を免れないものというべきである。

 3 以上説示したとおり、上告人の被上告人に対する不法行為責任を認めた原審の判断は、正当として是認することができ、所論は採用することができない。

 

 

【最判昭和63年7月15日 麹町中学校内申書事件】

 所論は、教師が教育関係において得た生徒の思想、信条、表現行為及び信仰に関する情報は、調査書に記載することによつて志望高等学校に開示することができないものであるにもかかわらず、この情報の本件調査書の記載を適法とした原判決は、憲法二六条、一三条に違反する旨を主張するのであるが、本件調査書の備考欄等の記載は、上告人の思想、信条そのものの記載でもなく、外部的行為の記載も上告人の思想、信条を了知させ、また、それを評価の対象とするものとはみられないのみならず、その記載に係る行為は、いずれも調査書に記載して入学者の選抜の資料として適法に記載し得るものであるから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、採用できない。

 また、所論の憲法二六条のほか一三条違反をも主張する趣旨が本件調査書の記載が教育上のプライバシーの権利を侵害するものであるとするならば、本件調査書の記載による情報の開示は、入学者選抜に関係する特定小範囲の人に対するものであつて、情報の公開には該当しないから、本件調査書の記載が情報の公開に該当するものとして憲法一三条違反をいう所論は、その前提を欠き、採用することができない。