憲法重要判例六法F

憲法についての条文・重要判例まとめ

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【高松高裁平成2年2月19日】

要旨

校則に違反して原動機付自転車の運転免許を取得したことを理由にされた高等学校生徒に対する自宅謹慎の措置が違法でないとされた事例

 

判旨

4 本件校則は憲法一三条が保障する国民の幸福追及の自由を阻害する点で違法であるとの控訴人の主張について

 (一)憲法一三条が保障する国民の私性活における自由の一つとして、何人も原付免許取得をみだりに制限禁止されないというべきである。そして、高等学校の生徒は、一般国民としての人権享受の主体である点では、高校生でない一六才以上の同年輩の国民と同じであり、この観点だけからすると、高校生の原付免許取得の自由を全面的に承認すべきである。

 しかし、、高等学校程度の教育を受ける過程にある生徒に対する懲戒処分の一環として、生徒の原付免許取得の自由が制限禁止されても、その自由の制約と学校の設置目的との聞に、合理的な関連性があると認められる限り、この制約は憲法一三条に違反するものでないと解すべきである。けだし、高等学校における生徒の懲戒処分は、生徒の教育について直接に権限をもち責任を負う校長や教員が、学校教育の一環として行うのであり、処分の適切な結果を期待するためには、学校内の事情はもとより、生徒の家庭環境を含む学校外の教育事情についても、専門的な知識と経験を有する処分権者の広範な裁量に委ねるのが相当であると認められるからである。

 (二) 本件校則は本件学校の校長が学校の設置目的を達成するために制定したもの(内規)であること及び本件校則と学校の設置目的との間に合理的な関連性があることは後述のとおりである。

 (三)したがって、控訴人の右主張は採用することができない。

 5本件校則は法令相互間の効力の優劣関係上、優位な法律でみとめられている原付免許取得の自由を侵害する点で違法であるとの控訴人の主張について

 しかし、道路交通法規が一定の年齢以上の者に運転免許の取得を許容している趣旨は、道路における交通の円滑性と安全性を保持するためであるのに対し、本件校則が右法定年齢以上の生徒につき免許取得を制限禁止しているのは、学校の設置目的すなわち生徒の教育のためであって、両者の各規定は、その規制の趣旨目的を異にするものであることが明らかである。

 したがって、生徒の教育を目的とする本件校則の規制が道路交通法令違反して違法であるという問題は生じないから、控訴人の右主張は採用できない。

 

 

【東京高裁平成4年3月19日】

要旨

判示事項

運転免許の取得及びバイク乗車を禁止する校則に違反したことを理由としてされた私立高校生に対する退学処分が違法であるとされた事例

裁判要旨

運転免許の取得及びバイク乗車を禁止する校則に反して、私立高校生が運転免許を取得したうえ自動二輪車を購入して退転したことなどを理由に退学処分にした場合において、生徒側が学校の退学勧告を拒否し、退学処分を求める旨の書面を提出するなとの事情の下に右退学処分がされたものであるとしても、学校側はその処分の過程において生徒の今後の改善の可能性を確かめるなど他の懲戒処分をする余地がないかどうかについて配慮した形跡がなく、教育的配慮供に欠けるところがあったこと、生徒はバイク問題以外には普段の学校生活上で問題のある者とはされておらず、適切な指導監督により今後の違反行為を絶つ二とが期待できなかったとはいえないことなど判示の事情があるときは、右退学処分は、処分権者に認められた合理的裁量の範囲を超え、違法である。

 

 

判旨

 四 本件退学処分の裁量権の逸脱の有無

 1 学校が生徒に対して行う懲戒処分が処分権者の合理的裁量に任されていることは、原判決の説示(原判決三八枚目表二行目から同三九枚目裏二行目)するとおりであり、また、懲戒処分が教育的措置であることに鑑み、処分を行うに当たって教育上必要な配慮をしなければならないことは、学校教育法施行規則一三条一項の規定するところである。

 2 前記認定のとおり、第一審原告は、本件高校において運転免許の取得及びバイク乗車が校則により禁止されていることを十分承知しながら、昭和六一年一二月に自動二輪車の運転免許を取得したうえ、昭和六二年四月に自動二輪車を購入してこれを運転していたが、同年一二月に免許証をD教諭に提出した際、同教諭から、バイクに乗らないように注意されたにもかかわらず、昭和六三年一月上旬から中旬にかけて免許証不携帯のまま数回バイクに乗車したものであり、第一審原告の本件生活指導規定違反の態様が軽いということはできない。また、第一審原告の両親が本件高校のバイク禁止の方針を認識し、これを遵守する旨の誓約書を提出しながら、第一審原告の免許取得及び自動二輪車購入を容認していたことや、本件のバイク乗車が学校に発覚してからの母親の事実を否定するような対応等に照らせば、家庭での指導が難しい状況にあると学校側が判断したことも無理からぬところであると認められる。

 これらの点からすると、バイク禁止の教育方針を重視する学校側が、退学勧告を拒否し退学処分に異議がない旨の書面を提出した第一審原告に対して、退学処分をするのが相当と判断したことも、あながち首肯できないことではない。

 3 ところで、前記原判決の説示のとおり、退学処分は、生徒の身分を剥奪する重大な措置であるから、当該生徒に改善の見込みがなく、これを学外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って選択すべきものである(学校教育法施行規則一三条三項及び本件高校の学則一九条はこの趣旨の規定と解される。)。とくに、被処分者が年齢的に心身の発育のバランスを欠きがちで人格形成の途上にある高校生である場合には、退学処分の選択は十分な教育的配慮の下に慎重になされることが要求されるというべきである。 これを本件についてみれば、次のとおりである。

 (一) 本件バイク問題は、昭和六三年一月二〇日の匿名の電話通報によって表面化し、翌月三日に本件退学処分が行われている。この十日余りの間に、学校側では、違反事実を確認した後に早々と退学しかないとの態度を決めて第一審原告に退学勧告をし、母親が自主退学を拒否して退学処分にするよう求める意向を示すと、すぐ退学処分に異議がない旨の書面の提出を求め、その書面の提出をまって本件退学処分を決定したものであり、第一審原告が退学勧告に応じないときは退学処分をする以外にはないとの姿勢であったと認められる。その過程において、できるだけ退学という事態を避けて他の懲戒処分をする余地がないかどうか、そのために第一審原告や両親に対して実質的な指導あるいは懇談を試み、今後の改善の可能性を確かめる余地がないかどうか等について、慎重に配慮した形跡は認められない。こうした学校側の対応は、いささか杓子定規的で違反行為の責任追及に性急であり、退学処分が生徒に与える影響の重大性を考えれば、教育的配慮に欠けるところがあったといわざるを得ない。

 この点に関し、第一審原告の母親が学校側に対しバイク乗車を否定するような態度をとつたこと、及び第一審原告の自主退学を拒否して退学処分を求め、退学処分に異議がない旨の書面を学校に送付したことは、前記のとおりである。しかしながら、母親の右違反行為否定のような態度も、学校側と対立して事実を争うというほど強いものであったとはうかがわれず、学校側が退学処分を行うに当たつて教育的配慮をすることを無意味ならしめる事情であったとは認められない。また、両親が自主退学を拒否して退学処分を求め、その旨の書面を送付した真の理由は証拠上は明白でないが、前記認定の経過とその記載内容からすると、学校側が退学しかないとの方針で接したために、これを前提にした対応であったと認められるのであり、右書面が提出されたことに基づいて退学処分を選択することは、本末顛倒の嫌いがあるといわなければならない。

 (二)第一審原告の本件バイク禁止違反行為は、一回だけではないし、教諭の注意にも背いたものである。

 しかし、学校側の評価によれば、第一審原告は、やや気が弱く、調子に乗りやすい面があるが、他人に優しく、明るく素直な性格で、高校一学年の成績は中位よりやや下であり、出席状況も悪くなく、本件のバイク問題以外には学校から注意や処分を受けたことはなく、普段の学校生活上で問題のある生徒とはされていなかった(甲第一号証、原審証人D、同Eの各証言)。また、第一審原告は、学校の最初の免許証提出の呼びかけには応じなかったものの、その後D教諭の発言に沿って任意に免許証を提出し、自動二輪車も処分し、D教諭らの本件の事情聴取に対しても素直に応じてバイク乗車の事実を認めていたものである。

 このような第一審原告の性格及び行状等に照らすと、本件の違反行為が、あくまでも校則に従わずバイク乗車を続けようという反抗的態度の表れであるとまでみるのは厳しすぎるものであり、本件の発覚を機に適切な訓戒と指導監督が施されるならば、第一審原告に反省させ、これを善導して、今後の違反行為を断つことを期待することができなかったとはいえない。第一審原告の家庭にも、学校側の指導監督への協力をどうしても期待できない格別の事情があったとは認められない。

 もっとも、第一審原告の原審における供述をみると、学外でのバイク乗車を禁止する本件生活指導規定は効力がない、悪いことをしたとは思っていない等と述べているが、訴訟提起後における当事者としての揚言であって、第一審原告が本件退学処分当時から、本件生活指導規定の効力に疑問をもち、これに従う意思がなく、反抗的態度をとっていたものでないことは、前記認定の経過から明らかである。

 (三) 本件高校では、バイク禁止を重要な教育方針として徹底を図っており、それなりの成果を上げてきたものである。そして、これに違反した生徒に対しては退学を勧告し、これに応じて自主退学した生徒も過去に数名いたことが認められる(原審証人Eの証言)。

 しかし、他方、本件高校が生徒に対して運転免許証の提出を呼びかけ、これに応じた生徒に対しては何らの処分を行わない取扱いをしたことがあったことはすでに認定したとおりであるし、また、昭和六二年ころに運転免許の取得が発覚したが乗車が確認できなかった生徒に対して無期停学処分をした例もあることが認められる(原審証人D、同Eの各証言)。更に、バイク禁止を重要な教育方針として維持するにしても、一方でこれに対する社会的評価が時代の推移とともに変化しつっあることも前記認定のとおり無視し難い事実である。

 これらの点を考えると、第一審原告の違反行為に対して退学処分をもって臨むのでなければ、本件高校の教育方針を損ない、他の生徒に対する訓戒的効果を失わせ、本件高校の教育上看過できない悪影響を及ぼすことになるとはたやすく認められない。

4 以上に検討したところを総合して判断すれば、第一審原告の校則違反行為は軽微なものとはいえないけれども、当時の状況下において、第一審原告に対し適切な教育的配慮を施してもなお、もはや改善の見込みがなく、これを学外に排除することが教育上やむを得ないものであったとは認めることができないというべきである。したがって、E校長が本件高校の学則一九条四号に基づいて行った本件懲戒処分は、処分権者に認められた合理的裁量の範囲を超えた違法な行為であると認めるべきである。

第一審被告は、退学処分に異議がない旨の書面を提出した第一審原告は本件退学処分の違法性を主張することができないと主張するが、右書面が提出された経緯は前記のとおりであって、第一審原告側が自発的に退学を望んだものとは認められないから、右主張は採用できない。

 

 

【最判平成8年7月18日】

要旨

判示事項

普通自動車運転免許の取得を制限しパーマをかけることを禁止する校則に違反するなどした私立高等学校の生徒に対する自主退学の勧告に違法があるとはいえないとされた事例

裁判要旨

普通自動車運転免許の取得を制限し、パーマをかけることを禁止し、学校に無断で運転免許を取得した者に対しては退学勧告をする旨の校則を定めていた私立高等学校において、校則を承知して入学した生徒が、学校に無断で普通自動車運転免許を取得し、そのことが学校に発覚した際にも顕著な反省を示さず、三年生であることを特に考慮して学校が厳重注意に付するにとどめたにもかかわらず、その後間もなく校則に違反してパーマをかけ、そのことが発覚した際にも反省がないとみられても仕方のない態度をとったなど判示の事実関係の下においては、右生徒に対してされた自主退学の勧告に違法があるとはいえない。

 

 

判旨

 私立学校は、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針によって教育活動を行うことを目的とし、生徒もそのような教育を受けることを希望して入学するものである。原審の適法に確定した事実によれば、() D高校は、清潔かつ質素で流行を追うことなく華美に流されない態度を保持することを教育方針とし、それを具体化するものの一つとして校則を定めている、() D高校が、本件校則により、運転免許の取得につき、一定の時期以降で、かつ、学校に届け出た場合にのみ教習の受講及び免許の取得を認めることとしているのは、交通事故から生徒の生命身体を守り、非行化を防止し、もって勉学に専念する時間を確保するためである、 () 同様に、パーマをかけることを禁止しているのも、高校生にふさわしい髪型を維持し、非行を防止するためである、というのであるから、本件校則は社会通念上不合理なものとはいえず、生徒に対してその遵守を求める本件校則は、民法一条、九〇条に違反するものではない。これと同旨の原審の判断は是認することができる。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するか、又は原判決を正解しないでこれを論難するものであり、採用することができない。

 

 その余の上告理由について

 所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、その過程に所論の違法はない。右事実によれば、() D高校は、本件校則を定め、学校に無断で運転免許を取得した者に対しては退学勧告をすることを定めていた、() 上告人の入学に際し、上告人もその父親も本件校則を承知していたが、上告人は、学校に無断で普通自動車の運転免許を取得し、そのことが学校に発覚した際も顕著な反省を示さなかった、() しかし、学校は、上告人が三年生であることを特に考慮して今回に限り上告人を厳重注意に付することとし、上告人に対し本来であれば退学勧告であるが今回に限り厳重注意としたことを告げ、さらに、校長が自ら上告人と父親に直々に注意し、今後違反行為があったら学校に置いておけなくなる旨を告げ、二度と違反しないように上告人に誓わせた、() 上告人は、それにもかかわらず、その後間もなく本件校則に違反してパーマをかけ、そのことが発覚した際にも、右事実を隠ぺいしようとしたり、学校の教諭らに対して侮辱的な言辞をろうしたりする等反省がないとみられても仕方のない態度をとった、() 上告人は、本件校則違反前にも種々の問題行動を繰り返していたばかりでなく、平素の修学態度、言動その他の行状についても遺憾の点が少なくなかった、というのである。これらの上告人の校則違反の態様、反省の状況、平素の行状、従前の学校の指導及び措置並びに本件自主退学勧告に至る経過等を勘案すると、本件自主退学勧告に所論の違法があるとはいえない。

未成年者の人権(2)・熊本地裁昭和60年11月13日 丸刈り訴訟


▼ 目次


【熊本地裁昭和60年11月13日 丸刈り訴訟】

要旨

1 町立中学校長が制定した男子生徒の髪形を「丸刈,長髪禁止」と定める校則の無効確認の訴えにつき,同中学校を卒業した者及びその両親は,訴えの利益を有しないとした事例 

2 町立中学校を卒業した者及びその両親が,同校校長に対し,同校校長が制定した男子生徒の髪形を「丸刈,長髪禁止」と定める校則に違反したことを理由として右卒業者に対して不利益処分を行うことの禁止を求める訴えが,不適法であるとされた事例 

3 町立中学校長が制定した男子生徒の髪形を「丸刈,長髪禁止」と定める校則は,憲法14条,21条,31条に違反しないとした事例 

4 町立中学校長が男子生徒の髪形を「丸刈,長髪禁止」と定める校則を制定,公布したことは,裁量権を逸脱したとはいえず,違法ではないとした事例

 

判旨

憲法違反の主張について

(一) 憲法一四条違反の主張について

原告らは、原告aは、校区制のため本件中学に通学したが、通学可能な地域に丸刈を強制していない中学校が三校存在するから、原告aは、住居地により差別的取扱いを受けていると主張するが、服装規定等校則は各中学校において独自に判断して定められるべきものであるから、それにより差別的取扱いを受けたとしても、合理的な差別であつて、憲法一四条に違反しない。

次に原告らは、本件校則は、髪の長さについて女子生徒と、男子生徒とで異なる規定をおいているから、性別による差別であると主張するが、男性と女性とでは髪形について異なる慣習があり、いわゆる坊主刈については、男子にのみその習慣があることは公知の事実であるから、髪形につき男子生徒と女子生徒で異なる規定をおいたとしても、合理的な差別であつて、憲法一四条には違反しない。

(二) 憲法三一条違反の主張について

原告らは、本件校則は頭髪という身体の一部について法定の手続によることなく切除を強制するものであるから、憲法三一条に違反すると主張するが、成立に争いのない乙第三号証及び被告校長本人尋問の結果によれば、本件校則には、本件校則に従わない場合に強制的に頭髪を切除する旨の規定はなく、かつ、本件校則に従わないからといつて強制的に切除することは予定していなかつたのであるから、右憲法違反の主張は前提を欠くものである。

(三) 憲法二一条違反について

原告らは、本件校則は、個人の感性、美的感覚あるいは思想の表現である髪形の自由を侵害するものであるから憲法二一条に違反すると主張するが、髪形が思想等の表現であるとは特殊な場合を除き、見ることはできず、特に中学生において髪形が思想等の表現であると見られる場合は極めて希有であるから、本件校則は、憲法二一条に違反しない。

裁量権の逸脱の主張について

中学校長は、教育の実現のため、生徒を規律する校則を定める包括的な権能を有するが、教育は人格の完成をめざす(教育基本法第一条)ものであるから、右校則の中には、教科の学習に関するものだけでなく、生徒の服装等いわば生徒のしつけに関するものも含まれる。もつとも、中学校長の有する右権能は無制限なものではありえず、中学校における教育に関連し、かつ、

その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものであるが、具体的に生徒の服装等にいかなる程度、方法の規制を加えることが適切であるかは、それが教育上の措置に関するものであるだけに、必ずしも画一的に決することはできず、実際に教育を担当する者、最終的には中学校長の専門的、技術的な判断に委ねられるべきものである。従つて、生徒の服装等について規律する校則が中学校における教育に関連して定められたもの、すなわち、教育を目的として定められたものである場合には、その内容が著しく不合理でない限り、右校則は違法とはならないというべきである。

そこでまず本件校則の制定目的についてみると、証人hの証言及び被告校長本人尋問の結果によれば、本件校則は、生徒の生活指導の一つとして、生徒の非行化を防止すること、中学生らしさを保たせ周囲の人々との人間関係を円滑にすること、質実剛健の気風を養うこと、清潔さを保たせること、スポーツをする上での便宜をはかること等の目的の他、髪の手入れに時間をかけ遅刻する、授業中に櫛を使い授業に集中しなくなる、帽子をかぶらなくなる、自転車通学に必要なヘルメツトを着用しなくなる、あるいは、整髪料等の使用によつて教室内に異臭が漂うようになるといつた弊害を除却することを目的として制定されたものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。してみると、被告校長は、本件校則を教育目的で制定したものと認めうる。

次に、本件校則の内容が著しく不合理であるか否かを検討する。確かに、原告ら主張のとおり、丸刈が、現代においてもつとも中学生にふさわしい髪形であるという社会的合意があるとはいえず、スポーツをするのに最適ともいえず、又、丸刈にしたからといつて清潔が保てるというわけでもなく、髪形に関する規制を一切しないこととすると当然に被告町の主張する本件校則を制定する目的となつた種々の弊害が生じると言いうる合理的な根拠は乏しく、又、頭髪を規制することによつて直ちに生徒の非行が防止されると断定することもできない。更に弁論の全趣旨により真正に作成されたと認められる乙第五号証、証人iの証言および原告b本人尋問の結果によれば、熊本県内の公立中学校二〇九校中長髪を許可しているのは三二校であるが、これを熊本市内に限つてみると二六校中二一校が長髪を許可しており、本件中学に隣接し、かつて本件中学の教頭であつた証人hが現に教頭として勤務している中学校においても長髪が許可されていること、最近長髪を禁止するに至つた学校が数校あるが、全体の傾向としては長髪を許可する学校が増えつつあることが認められる。してみると、本件校則の合理性については疑いを差し挾む余地のあることは否定できない。

しかしながら、本件校則の定めるいわゆる丸刈は、前示認定のとおり時代の趨勢に従い特に都市部では除々に姿を消しつつあるとはいえ、今なお男子児童生徒の髪形の一つとして社会的に承認され、特に郡部においては広く行われているもので、必らずしも特異な髪形とは言えないことは公知の事実であり、前出乙第三号証、証人hの証言及び被告校長本人尋問の結果によれば、本件中学において昭和四〇年の創立以来の慣行として行われてきた男子丸刈について昭和五六年四月九日に至り初めて校則という形で定めたものであること、本件校則には、本件校則に従わない場合の措置については何らの定めもなく、かつ、被告校長らは本件校則の運用にあたり、身体的欠陥等があつて長髪を許可する必要があると認められる者に対してはこれを許可し、それ以外の者が違反した場合は、校則を守るよう繰り返し指導し、あくまでも指導に応じない場合は懲戒処分として訓告の措置をとることとしており、たとえ指導に従わなかつたとしてもバリカン等で強制的に丸刈にしてしまうとか、内申書の記載や学級委員の任命留保あるいはクラブ活動参加の制限といつた措置を予定していないこと、被告中学の教職員会議においても男子丸刈を維持していくことが確認されていることが認められ、他に右認定に反する証拠はなく、又、弁論の全趣旨によれば現に唯一人の校則違反者である原告aに対しても処分はもとより直接の指導すら行われていないことが認められる。右に認定した丸刈の社会的許容性や本件校則の運用に照らすと、丸刈を定めた本件校則の内容が著しく不合理であると断定することはできないというべきである。

以上認定したところによれば、本件校則はその教育上の効果については多分に疑問の余地があるというべきであるが、著しく不合理であることが明らかであると断ずることはできないから、被告校長が本件校則を制定・公布したこと自体違法とは言えない。

 

・・・

第一本案前の判断

一本件校則の無効確認請求について

無効確認の訴は、当該処分に続く処分により損害を受けるおそれのある者その他当該処分の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者で、当該処分を前提とする現在の法律関係に関する訴によつて目的を達することができないものに限り、提起することができるところ、原告aが昭和五九年三月本件中学を卒業したことについては当事者間に争いがなく、原告b及び同cは原告aの両親であるというにすぎず本件中学の生徒でないことはもちろんであるから、原告らが本件校則の制定、公布に続く処分を受けるおそれはないというベきである。そして、原告らは、原告aの人格権に対する侵害は同原告の卒業後も続いている、原告aの弟がおり、本件中学に昭和六一年に入学予定であるから、同人に対する人格権侵害を予防する必要があると主張するが、人格権に対する侵害については、損害賠償等現在の法律関係に関する訴によつてその目的を達成しうるし、本件中学に入学予定の原告aの弟がいることは、本件校則の無効確認を求める法律上の利益とはいえず、その他原告らに、本件校則の無効確認を求める法律上の利益があると認めるべき事情は見出せない。したがつて、原告らは、いずれも本件校則の無効確認を求める訴について原告適格あるいは訴の利益を有しないものというべきであり、原告らの本件無効確認の訴はいずれも不適法な訴として却下すべきものである。

二 無効であることの周知手続を求める請求について

原告らの本件請求は、被告校長に対し、本件校則が無効であることを関係者に周知させることを求めるものであり、一見被告校長に対し一定の給付を求めているかに見えるが、その実質は本件校則が無効であることの確認を求めているものに他ならない。してみると、原告らは、本件請求についても前示のとおり原告適格あるいは訴の利益を有しないものというべきであるから、原告らの本件請求はいずれも不適法な訴として却下を免れない。

三 不利益処分の禁止を求める請求について

原告らは、被告校長に対し、原告aに対し本件校則違反を理由とする不利益処分をしないことを求めるものであるが、原告らが禁止を求める右処分は、行政庁たる被告校長がこれをなすべきものであるから、結局、原告らは行政庁に対し不作為を求めるものであると解される。ところで、行政庁に対して作為又は不作為を求める訴訟は、(1)行政庁が当該分をなすべきこと又はなすべからざることについて法律上羈束されており、行政庁に自由裁量の余地が全く残されていないために第一次的な判断権を行政庁に留保することが必らずしも重要ではないと認められ、しかも(2)事前審査を認めないことによる損害が大きく、事前の救済の必要が顕著であり、(3)他に適切な救済方法がない等、事前の救済をめないことを著しく不相当とする特段の事情がある場合でない限り、訴の利益を欠き不適法であると解すべきところ、原告aが本件中学入学以来、終始本件校則にしたがわなかつたが、そのことを理由とする処分を何ら受けないまま同中学を卒業したことは、弁論の全趣旨に徴し当事者間に争いがなく、右事実によれば、将来、原告らに重大な権利侵害をもたらすような何らかの処分がなされるおそれがあると認めることはできず、その他前示のごとき特段の事情の存在は見出せないから、原告らの本件不利益処分の禁止を求める請求は、訴の利益を欠き、いずれも不適法として却下すべきものである。

未成年者の人権(1) 在学関係・在校関係 ・最判昭和49年7月19日 昭和女子大事件

 

▼ 目次

【最判昭和49年7月19日 昭和女子大事件】

要旨

 

判示事項

一、私立大学における学生の政治的活動に対する規制の合理性

二、学生の退学処分と学長の裁量権

三、私立大学の学生に対する退学処分の効力が是認された事例

裁判要旨

一、私立大学において、その建学の精神に基づく校風と教育方針に照らし、学生が政治的目的の署名運動に参加し又は政治的活動を目的とする学外団体に加入するのを放任することは教育上好ましくないとする見地から、学則等により、学生の署名運動について事前に学校当局に届け出るべきこと及び学生の学外団体加入について学校当局の許可を受けるべきことを定めても、これをもつて直ちに学生の政治的活動の自由に対する不合理な規制ということはできない。

二、学校教育法施行規則一三条三項四号により学生の退学処分を行うにあたり、当該学生に対して学校当局のとつた措置が本人に反省を促すための補導の面において欠けるところがあつたとしても、それだけで退学処分が違法となるものではなく、その点をも含めた諸般の事情を総合的に観察して、退学処分の選択が社会通念上合理性を認めることができないようなものでないかぎり、その処分は、学長の裁量権の範囲内にあるものというべきである。

三、学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向の私立大学の学生が、学則に違反して、政治的活動を目的とする学外団体に無許可で加入し又は加入の申込をし、かつ、無届で政治的目的の署名運動をした事案において、これに対する学校当局の措置が、学生の責任を追及することに急で、反省を求めるために説得に努めたとはいえないものであつたとしても、他方、右学生は、学則違反についての責任の自覚歩うすく、学外団体からの離脱を求める学校当局の要求に従う意思はなく、説諭に対して終始反発したうえ、週刊誌や学外集会等において公然と学校当局の措置を非難するような行動をしたなど判示の事情があるときは、学校教育法施行規則一三条三項四号により右学生に対してされた退学処分は、学長に認められた裁量権の範囲内にあるものとしてその効力を是認すべきである。

 

 

判旨

 論旨は、要するに、学生の署名運動について事前に学校当局に届け出てその指示を受けるべきことを定めた被上告人大学の原判示の生活要録六の六の規定は憲法一五条、一六条、二一条に違反するものであり、また、学生が学校当局の許可を受けずに学外の団体に加入することを禁止した同要録八の一三の規定は憲法一九条、二一条、二三条、二六条に違反するものであるにもかかわらず、原審が、これら要録の規定の効力を認め、これに違反したことを理由とする本件退学処分を有効と判断したのは、憲法及び法令の解釈適用を誤つたものである、と主張する。

 しかし、右生活要録の規定は、その文言に徴しても、被上告人大学の学生の選挙権若しくは請願権の行使又はその教育を受ける権利と直接かかわりのないものであるから、所論のうち右規定が憲法一五条、一六条及び二六条に違反する旨の主張は、その前提において既に失当である。また、憲法一九条、二一条、二三条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障することを目的とした規定であつて、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和四三年(オ)第九三二号同四八年一二月一二日判決・裁判所時報六三二号四頁)の示すところである。したがつて、その趣旨に徴すれば、私立学校である被上告人大学の学則の細則としての性質をもつ前記生活要録の規定について直接憲法の右基本権保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はないものというべきである。所論違憲の主張は、採用することができない。

 ところで、大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有するものと解すべきである。特に私立学校においては、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによつて社会的存在意義が認められ、学生もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生としてもまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならない。もとより、学校当局の有する右の包括的権能は無制限なものではありえず、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものであるが、具体的に学生のいかなる行動についていかなる程度、方法の規制を加えることが適切であるとするかは、それが教育上の措置に関するものであるだけに、必ずしも画一的に決することはできず、各学校の伝統ないし校風や教育方針によつてもおのずから異なることを認めざるをえないのである。これを学生の政治的活動に関していえば、大学の学生は、その年令等からみて、一個の社会人として行動しうる面を有する者であり、政治的活動の自由はこのような社会人としての学生についても重要視されるべき法益であることは、いうまでもない。しかし、他方、学生の政治的活動を学の内外を問わず全く自由に放任するときは、あるいは学生が学業を疎かにし、あるいは学内における教育及び研究の環境を乱し、本人及び他の学生に対する教育目的の達成や研究の遂行をそこなう等大学の設置目的の実現を妨げるおそれがあるのであるから、大学当局がこれらの政治的活動に対してなんらかの規制を加えること自体は十分にその合理性を首肯しうるところであるとともに、私立大学のなかでも、学生の勉学専念を特に重視しあるいは比較的保守的な校風を有する大学が、その教育方針に照らし学生の政治的活動はできるだけ制限するのが教育上適当であるとの見地から、学内及び学外における学生の政治的活動につきかなり広範な規律を及ぼすこととしても、これをもつて直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない。 そこで、この見地から被上告人大学の前記生活要録の規定をみるに、原審の確定するように、同大学が学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向の私立学校であることをも勘案すれば、右要録の規定は、政治的目的をもつ署名運動に学生が参加し又は政治的活動を目的とする学外の団体に学生が加入するのを放任しておくことは教育上好ましくないとする同大学の教育方針に基づき、このような学生の行動について届出制あるいは許可制をとることによつてこれを規制しようとする趣旨を含むものと解されるのであつて、かかる規制自体を不合理なものと断定することができないことは、上記説示のとおりである。

 

 

 論旨は、要するに、大学が学生に対して退学処分を行うにあたつては、教育機関にふさわしい手続と方法により本人の反省を促す補導の過程を経由すべき法的義務があると解すべきであるのに、原審が右義務のあることを認めず、適切な補導過程を経由せずに行われた本件退学処分を徴戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして有効と判断したのは、学校教育法一一条、同法施行規則一三条三項、被上告人大学の学則三六条の解釈適用を誤つたものである、と主張する。

 思うに、大学の学生に対する懲戒処分は、教育及び研究の施設としての大学の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律作用であつて、懲戒権者たる学長が学生の行為に対して懲戒処分を発動するにあたり、その行為が懲戒に値いするものであるかどうか、また、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格及び平素の行状、右行為の他の学生に与える影響、懲戒処分の本人及び他の学生に及ぼす訓戒的効果、右行為を不問に付した場合の一般的影響等諸般の要素を考慮する必要があり、これらの点の判断は、学内の事情に通暁し直接教育の衝にあたるものの合理的な裁量に任すのでなければ、適切な結果を期しがたいことは、明らかである(当裁判所昭和二八年(オ)第五二五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一四六三頁、同昭和二八年(オ)第七四五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一五〇一頁参照)。

 もつとも、学校教育法一一条は、懲戒処分を行うことができる場合として、単に「教育上必要と認めるとき」と規定するにとどまるのに対し、これをうけた同法施行規則一三条三項は、退学処分についてのみ四個の具体的な処分事由を定めており、被上告人大学の学則三六条にも右と同旨の規定がある。これは、退学処分が、他の懲戒処分と異なり、学生の身分を剥奪する重大な措置であることにかんがみ、当該学生に改善の見込がなく、これを学外に排除することが教育上やむをえないと認められる場合にかぎつて退学処分を選択すべきであるとの趣旨において、その処分事由を限定的に列挙したものと解される。この趣旨からすれば、同法施行規則一三条三項四号及び被上告人大学の学則三六条四号にいう「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものとして退学処分を行うにあたつては、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要することはもちろんであるが、退学処分の選択も前記のような諸般の要素を勘案して決定される教育的判断にほかならないことを考えれば、具体的事案において当該学生に改善の見込がなくこれを学外に排除することが教育上やむをえないかどうかを判定するについて、あらかじめ本人に反省を促すための補導を行うことが教育上必要かつ適切であるか、また、その補導をどのような方法と程度において行うべきか等については、それぞれの学校の方針に基づく学校当局の具体的かつ専門的・自律的判断に委ねざるをえないのであつて、学則等に格別の定めのないかぎり、右補導の過程を経由することが特別の場合を除いては常に退学処分を行うについての学校当局の法的義務であるとまで解するのは、相当でない。したがつて、右補導の面において欠けるところがあつたとしても、それだけで退学処分が違法となるものではなく、その点をも含めた当該事案の諸事情を総合的に観察して、その退学処分の選択が社会通念上合理性を認めることができないようなものでないかぎり、同処分は、懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を否定することはできないものというべきである。

 

 ところで、原審の確定した本件退学処分に至るまでの経過は、おおむね次のとおりである。

 () 被上告人大学では、昭和三六年一〇月下旬ごろ前記のような上告人らの生活要録違反の行為を知り、それが同大学の教育方針からみて甚だ不当なものであるとの考えから、上告人らに対してD同との関係を絶つことを強く要求し、事実上その登校を禁止する等原判示のような措置をとつたが、この間の大学当局の態度を全体として評すれば、同大学の名声のために上告人らの責任を追及することに急で、同人らの行為が校風に反することについての反省を求めて説得に努めたものとは認めがたいものがあつた。

 () 他方、上告人らは、生活要録に違反することを知りながらD同に加入し又は加入の申込をしたものであつて、右違反についての責任の自覚はうすく、D同に加入することが不当であるとは考えず、これからの離脱を求める被上告人大学の要求にも真実従う意思はなく(加入申込中であつた上告人A2は同年一二月に正式に加入した。)、関係教授らの説諭に対しては終始反発していた。しかし、同年一二月当時までは、大学当局としてはできるだけ穏便に事件を解決する方針であつた。 () ところが、昭和三七年一月下旬、某週刊誌が「良妻賢母か自由の園か」と題して本件の発端以来被上告人大学のとつた一連の措置を批判的に掲載した記事中に、上告人A1が仮名を用いて大学当局から受けた取調べの状況についての日記を発表し、次いで、都内の公会堂で開かれた各大学自治会及びD同等主催の「戦争と教育反動化に反対する討論集会」において、上告人らがそれぞれ事件の経過を述べ、更に、同年二月九日「荒れる女の園」という題名で本件を取り上げたラジオ放送のなかで、上告人らが大学当局から取調べを受けた模様について述べたので、被上告人大学では、これを上告人らが学外で同大学を誹謗したものと認め、ここに至つて、上告人らの一連の行動、態度が退学事由たる「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものに該当するとして、同年二月一二日付で本件退学処分をした。

 以上の事実関係からすれば、上告人らの前記生活要録違反の行為自体はその情状が比較的軽微なものであつたとしても、本件退学処分が右違反行為のみを理由として決定されたものでないことは、明らかである。前記()()のように、上告人らには生活要録違反を犯したことについて反省の実が認められず、特に大学当局ができるだけ穏便に解決すべく説諭を続けている間に、上告人らが週刊誌や学外の集会等において公然と大学当局の措置を非難するような挙に出たことは、同人らがもはや同大学の教育方針に服する意思のないことを表明したものと解されてもやむをえないところであり、これらは処遇上無視しえない事情といわなければならない。もつとも、前記()の事実その他原判示にあらわれた大学当局の措置についてみると、説諭にあたつた関係教授らの言動には、上告人らの感情をいたずらに刺激するようなものもないではなく、補導の方法と程度において、事件を重大視するあまり冷静、寛容及び忍耐を欠いたうらみがあるが、原審の認定するところによれば、かかる大学当局の措置が上告人らを反抗的態度に追いやり、外部団体との接触を深めさせる機縁になつたものとは認められないというのであつて、そうである以上、上告人らの前記()()のような態度、行動が主して被上告人大学の責に帰すべき事由に起因したものであるということはできず、大学当局が右の段階で上告人らに改善の見込がないと判断したことをもつて著しく軽卒であつたとすることもできない。また、被上告人大学が上告人らに対してD同からの脱退又はそれへの加入申込の取消を要求したからといつて、それが直ちに思想、信条に対する干渉となるものではないし、それ以外に、同大学が上告人らの思想、信条を理由として同人らを差別的に取り扱つたものであることは、原審の認定しないところである。これらの諸点を総合して考えると、本件において、事件の発端以来退学処分に至るまでの間に被上告人大学のとつた措置が教育的見地から批判の対象となるかどうかはともかく、大学当局が、上告人らに同大学の教育方針に従つた改善を期待しえず教育目的を達成する見込が失われたとして、同人らの前記一連の行為を「学内の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものであるとはいいがたく、結局、本件退学処分は、懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を是認すべきである。

 

 したがつて、右と結論を同じくする原審の判断は相当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

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