法人の人権享有主体性(2)

【宗教団体における信教の自由】

最判平成8年1月30日 宗教法人オウム真理教解散命令事件

 

【マスメディアの報道・取材の自由】

最大決昭和44年11月26日 博多駅取材フィルム提出事件


▼ 目次


 

【宗教団体における信教の自由】

最判平成8年1月30日 宗教法人オウム真理教解散命令事件

要旨

宗教法人法八一条一項一号及び二号前段に規定する事由があるとしてされた宗教法人の解散命令が憲法二〇条一項に違反しないとされた事例

 

大量殺人を目的として計画的、組織的にサリンを生成した宗教法人について、宗教法人法八一条一項一号及び二号前段に規定する事由があるとしてされた解散命令は、専ら宗教法人の世俗的側面を対象とし、宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に容かいする意図によるものではなく、右宗教法人の行為に対処するには、その法人格を失わせることが必要かつ適切であり、他方、解散命令によって宗教団体やその信者らが行う宗教上の行為に何らかの支障を生ずることが避けられないとしても、その支障は解散命令に伴う間接的で事実上のものにとどまるなど判示の事情の下においては、必要でやむを得ない法的規制であり、憲法二〇条一項に違反しない。

 

判旨

 本件解散命令は、宗教法人法(以下「法」という。)の定めるところにより法人格を付与された宗教団体である抗告人について、法八一条一項一号及び二号前段に規定する事由があるとしてされたものである。

 法は、宗教団体が礼拝の施設その他の財産を所有してこれを維持運用するなどのために、宗教団体に法律上の能力を与えることを目的とし(法一条一項)、宗教団体に法人格を付与し得ることとしている(法四条)。すなわち、法による宗教団体の規制は、専ら宗教団体の世俗的側面だけを対象とし、その精神的・宗教的側面を対象外としているのであって、信者が宗教上の行為を行うことなどの信教の自由に介入しようとするものではない(法一条二項参照)。法八一条に規定する宗教法人の解散命令の制度も、法令に違反して著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為(同条一項一号)や宗教団体の目的を著しく逸脱した行為(同項二号前段)があった場合、あるいは、宗教法人ないし宗教団体としての実体を欠くに至ったような場合(同項二号後段、三号から五号まで)には、宗教団体に法律上の能力を与えたままにしておくことが不適切あるいは不必要となるところから、司法手続によって宗教法人を強制的に解散し、その法人格を失わしめることが可能となるようにしたものであり、会社の解散命令(商法五八条)と同趣旨のものであると解される。

 したがって、解散命令によって宗教法人が解散しても、信者は、法人格を有しない宗教団体を存続させ、あるいは、これを新たに結成することが妨げられるわけではなく、また、宗教上の行為を行い、その用に供する施設や物品を新たに調えることが妨げられるわけでもない。すなわち、解散命令は、信者の宗教上の行為を禁止したり制限したりする法的効果を一切伴わないのである。もっとも、宗教法人の解散命令が確定したときはその清算手続が行われ(法四九条二項、五一条)、その結果、宗教法人に帰属する財産で礼拝施設その他の宗教上の行為の用に供していたものも処分されることになるから(法五〇条参照)、これらの財産を用いて信者らが行っていた宗教上の行為を継続するのに何らかの支障を生ずることがあり得る。このように、宗教法人に関する法的規制が、信者の宗教上の行為を法的に制約する効果を伴わないとしても、これに何らかの支障を生じさせることがあるとするならば、憲法の保障する精神的自由の一つとしての信教の自由の重要性に思いを致し、憲法がそのような規制を許容するものであるかどうかを慎重に吟味しなければならない。

 

 このような観点から本件解散命令について見ると、法八一条に規定する宗教法人の解散命令の制度は、前記のように、専ら宗教法人の世俗的側面を対象とし、かつ、専ら世俗的目的によるものであって、宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に容かいする意図によるものではなく、その制度の目的も合理的であるということができる。そして、原審が確定したところによれば、抗告人の代表役員であったD及びその指示を受けた抗告人の多数の幹部は、大量殺人を目的として毒ガスであるサリンを大量に生成することを計画した上、多数の信者を動員し、抗告人の物的施設を利用し、抗告人の資金を投入して、計画的、組織的にサリンを生成したというのであるから、抗告人が、法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められ、宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたことが明らかである。抗告人の右のような行為に対処するには、抗告人を解散し、その法人格を失わせることが必要かつ適切であり、他方、解散命令によって宗教団体であるオウム真理教やその信者らが行う宗教上の行為に何らかの支障を生ずることが避けられないとしても、その支障は、解散命令に伴う間接的で事実上のものであるにとどまる。したがって、本件解散命令は、宗教団体であるオウム真理教やその信者らの精神的・宗教的側面に及ぼす影響を考慮しても、抗告人の行為に対処するのに必要でやむを得ない法的規制であるということができる。また、本件解散命令は、法八一条の規定に基づき、裁判所の司法審査によって発せられたものであるから、その手続の適正も担保されている。

 宗教上の行為の自由は、もとより最大限に尊重すべきものであるが、絶対無制限のものではなく、以上の諸点にかんがみれば、本件解散命令及びこれに対する即時抗告を棄却した原決定は、憲法二〇条一項に違背するものではないというべきであり、このように解すべきことは、当裁判所の判例(最高裁昭和三六年(あ)第四八五号同三八年五月一五日大法廷判決・刑集一七巻四号三〇二頁)の趣旨に徴して明らかである。

 

 

 

 

【マスメディアの報道・取材の自由】

最大決昭和44年11月26日 博多駅取材フィルム提出事件

 

要旨

判示事項

一 報道および取材の自由と憲法二一条

二 報道機関の取材フイルムに対する提出命令の許容される限度

裁判要旨

一 報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにあり、報道のための取材の自由も、同条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない。

二 報道機関の取材フイルムに対する提出命令が許容されるか否かは、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、これによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度、これが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合でも、それによつて受ける報道機関の不利益が必要な限度をこえないように配慮されなければならない。

 

 

判旨

 所論は、憲法二一条違反を主張する。すなわち、報道の自由は、憲法が標榜する民主主義社会の基盤をなすものとして、表現の自由を保障する憲法二一条においても、枢要な地位を占めるものである。報道の自由を全うするには、取材の自由もまた不可欠のものとして、憲法二一条によつて保障されなければならない。これまで報道機関に広く取材の自由が確保されて来たのは、報道機関が、取材にあたり、つねに報道のみを目的とし、取材した結果を報道以外の目的に供さないという信念と実績があり、国民の側にもこれに対する信頼があつたからである。然るに、本件のように、取材フイルムを刑事裁判の証拠に使う目的をもつてする提出命令が適法とされ、報道機関がこれに応ずる義務があるとされれば、国民の報道機関に対する信頼は失われてその協力は得られず、その結果、真実を報道する自由は妨げられ、ひいては、国民がその主権を行使するに際しての判断資料は不十分なものとなり、表現の自由と表裏一体をなす国民の「知る権利」に不当な影響をもたらさずにはいないであろう。結局、本件提出命令は、表現の自由を保障した憲法二一条に違反する、というのである。

 よつて判断するに、所論の指摘するように、報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。したがつて、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにあることはいうまでもない。また、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法二一条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない。

 ところで、本件において、提出命令の対象とされたのは、すでに放映されたフイルムを含む放映のために準備された取材フイルムである。それは報道機関の取材活動の結果すでに得られたものであるから、その提出を命ずることは、右フイルムの取材活動そのものとは直接関係がない。もつとも、報道機関がその取材活動によつて得たフイルムは、報道機関が報道の目的に役立たせるためのものであつて、このような目的をもつて取材されたフイルムが、他の目的、すなわち、本件におけるように刑事裁判の証拠のために使用されるような場合には、報道機関の将来における取材活動の自由を妨げることになるおそれがないわけではない。

 しかし、取材の自由といつても、もとより何らの制約を受けないものではなく、たとえば公正な裁判の実現というような憲法上の要請があるときは、ある程度の制約を受けることのあることも否定することができない。

 本件では、まさに、公正な刑事裁判の実現のために、取材の自由に対する制約が許されるかどうかが問題となるのであるが、公正な刑事裁判を実現することは、国家の基本的要請であり、刑事裁判においては、実体的真実の発見が強く要請されることもいうまでもない。このような公正な刑事裁判の実現を保障するために、報道機関の取材活動によつて得られたものが、証拠として必要と認められるような場合には、取材の自由がある程度の制約を蒙ることとなつてもやむを得ないところというべきである。しかしながら、このような場合においても、一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、他面において、取材したものを証拠として提出させられることによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合においても、それによつて受ける報道機関の不利益が必要な限度をこえないように配慮されなければならない。

 以上の見地に立つて本件についてみるに、本件の付審判請求事件の審理の対象は、多数の機動隊等と学生との間の衝突に際して行なわれたとされる機動隊員等の公務員職権乱用罪、特別公務員暴行陵虐罪の成否にある。その審理は、現在において、被疑者および被害者の特定すら困難な状態であつて、事件発生後二年ちかくを経過した現在、第三者の新たな証言はもはや期待することができず、したがつて、当時、右の現場を中立的な立場から撮影した報道機関の本件フイルムが証拠上きわめて重要な価値を有し、被疑者らの罪責の有無を判定するうえに、ほとんど必須のものと認められる状況にある。他方、本件フイルムは、すでに放映されたものを含む放映のために準備されたものであり、それが証拠として使用されることによつて報道機関が蒙る不利益は、報道の自由そのものではなく、将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるというにとどまるものと解されるのであつて、付審判請求事件とはいえ、本件の刑事裁判が公正に行なわれることを期するためには、この程度の不利益は、報道機関の立場を十分尊重すべきものとの見地に立つても、なお忍受されなければならない程度のものというべきである。また、本件提出命令を発した福岡地方裁判所は、本件フイルムにつき、一たん押収した後においても、時機に応じた仮還付などの措置により、報道機関のフイルム使用に支障をきたさないよう配慮すべき旨を表明している。以上の諸点その他各般の事情をあわせ考慮するときは、本件フイルムを付審判請求事件の証拠として使用するために本件提出命令を発したことは、まことにやむを得ないものがあると認められるのである。

 前叙のように考えると、本件フイルムの提出命令は、憲法二一条に違反するものでないことはもちろん、その趣旨に牴触するものでもなく、これを正当として維持した原判断は相当であり、所論は理由がない。