憲法重要判例六法F

憲法についての条文・重要判例まとめ

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 目次


第3章 国民の権利及び義務 私人間効力(2)

 

【私人間効力】

・最判昭和49年7月19日 昭和女子大事件

要旨

一、私立大学において、その建学の精神に基づく校風と教育方針に照らし、学生が政治的目的の署名運動に参加し又は政治的活動を目的とする学外団体に加入するのを放任することは教育上好ましくないとする見地から、学則等により、学生の署名運動について事前に学校当局に届け出るべきこと及び学生の学外団体加入について学校当局の許可を受けるべきことを定めても、これをもつて直ちに学生の政治的活動の自由に対する不合理な規制ということはできない。

二、学校教育法施行規則一三条三項四号により学生の退学処分を行うにあたり、当該学生に対して学校当局のとつた措置が本人に反省を促すための補導の面において欠けるところがあつたとしても、それだけで退学処分が違法となるものではなく、その点をも含めた諸般の事情を総合的に観察して、退学処分の選択が社会通念上合理性を認めることができないようなものでないかぎり、その処分は、学長の裁量権の範囲内にあるものというべきである。

三、学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向の私立大学の学生が、学則に違反して、政治的活動を目的とする学外団体に無許可で加入し又は加入の申込をし、かつ、無届で政治的目的の署名運動をした事案において、これに対する学校当局の措置が、学生の責任を追及することに急で、反省を求めるために説得に努めたとはいえないものであつたとしても、他方、右学生は、学則違反についての責任の自覚歩うすく、学外団体からの離脱を求める学校当局の要求に従う意思はなく、説諭に対して終始反発したうえ、週刊誌や学外集会等において公然と学校当局の措置を非難するような行動をしたなど判示の事情があるときは、学校教育法施行規則一三条三項四号により右学生に対してされた退学処分は、学長に認められた裁量権の範囲内にあるものとしてその効力を是認すべきである。

 

 

判旨

右生活要録の規定は、その文言に徴しても、被上告人大学の学生の選挙権若しくは請願権の行使又はその教育を受ける権利と直接かかわりのないものであるから、所論のうち右規定が憲法一五条、一六条及び二六条に違反する旨の主張は、その前提において既に失当である。また、憲法一九条、二一条、二三条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障することを目的とした規定であつて、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和四三年(オ)第九三二号同四八年一二月一二日判決・裁判所時報六三二号四頁)の示すところである。したがつて、その趣旨に徴すれば、私立学校である被上告人大学の学則の細則として

の性質をもつ前記生活要録の規定について直接憲法の右基本権保障規定に違反する

かどうかを論ずる余地はないものというべきである。

 

 ところで、大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有するものと解すべきである。

特に私立学校においては、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによつて社会的存在意義が認められ、学生もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生としてもまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならない。

もとより、学校当局の有する右の包括的権能は無制限なものではありえず、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものであるが、具体的に学生のいかなる行動についていかなる程度、方法の規制を加えることが適切であるとするかは、それが教育上の措置に関するものであるだけに、必ずしも画一的に決することはできず、各学校の伝統ないし校風や教育方針によつてもおのずから異なることを認めざるをえないのである。

れを学生の政治的活動に関していえば、大学の学生は、その年令等からみて、一個の社会人として行動しうる面を有する者であり、政治的活動の自由はこのような社会人としての学生についても重要視されるべき法益であることは、いうまでもない。

しかし、他方、学生の政治的活動を学の内外を問わず全く自由に放任するときは、あるいは学生が学業を疎かにし、あるいは学内における教育及び研究の環境を乱し、本人及び他の学生に対する教育目的の達成や研究の遂行をそこなう等大学の設置目的の実現を妨げるおそれがあるのであるから、大学当局がこれらの政治的活動に対してなんらかの規制を加えること自体は十分にその合理性を首肯しうるところであるとともに、私立大学のなかでも、学生の勉学専念を特に重視しあるいは比較的保守的な校風を有する大学が、その教育方針に照らし学生の政治的活動はできるだけ制限するのが教育上適当であるとの見地から、学内及び学外における学生の政治的活動につきかなり広範な規律を及ぼすこととしても、これをもつて直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない。

 そこで、この見地から被上告人大学の前記生活要録の規定をみるに、原審の確定するように、同大学が学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向の私立学校であることをも勘案すれば、右要録の規定は、政治的目的をもつ署名運動に学生が参加し又は政治的活動を目的とする学外の団体に学生が加入するのを放任しておくことは教育上好ましくないとする同大学の教育方針に基づき、このような学生の行動について届出制あるいは許可制をとることによつてこれを規制しようとする趣旨を含むものと解されるのであつて、かかる規制自体を不合理なものと断定することができないことは、上記説示のとおりである。

 

 思うに、大学の学生に対する懲戒処分は、教育及び研究の施設としての大学の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律作用であつて、懲戒権者たる学長が学生の行為に対して懲戒処分を発動するにあたり、その行為が懲戒に値いするものであるかどうか、また、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格及び平素の行状、右行為の他の学生に与える影響、懲戒処分の本人及び他の学生に及ぼす訓戒的効果、右行為を不問に付した場合の一般的影響等諸般の要素を考慮する必要があり、これらの点の判断は、学内の事情に通暁し直接教育の衝にあたるものの合理的な裁量に任すのでなければ、適切な結果を期しがたいことは、明らかである(当裁判所昭和二八年(オ)第五二五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一四六三頁、同昭和二八年(オ)第七四五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一五〇一頁参照)。

 もつとも、学校教育法一一条は、懲戒処分を行うことができる場合として、単に「教育上必要と認めるとき」と規定するにとどまるのに対し、これをうけた同法施行規則一三条三項は、退学処分についてのみ四個の具体的な処分事由を定めており、被上告人大学の学則三六条にも右と同旨の規定がある。

これは、退学処分が、他の懲戒処分と異なり、学生の身分を剥奪する重大な措置であることにかんがみ、当該学生に改善の見込がなく、これを学外に排除することが教育上やむをえないと認められる場合にかぎつて退学処分を選択すべきであるとの趣旨において、その処分事由を限定的に列挙したものと解される。

この趣旨からすれば、同法施行規則一三条三項四号及び被上告人大学の学則三六条四号にいう「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものとして退学処分を行うにあたつては、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要することはもちろんであるが、退学処分の選択も前記のような諸般の要素を勘案して決定される教育的判断にほかならないことを考えれば、具体的事案において当該学生に改善の見込がなくこれを学外に排除することが教育上やむをえないかどうかを判定するについて、あらかじめ本人に反省を促すための補導を行うことが教育上必要かつ適切であるか、また、その補導をどのような方法と程度において行うべきか等については、それぞれの学校の方針に基づく学校当局の具体的かつ専門的・自律的判断に委ねざるをえないのであつて、学則等に格別の定めのないかぎり、右補導の過程を経由することが特別の場合を除いては常に退学処分を行うについての学校当局の法的義務であるとまで解するのは、相当でない。

したがつて、右補導の面において欠けるところがあつたとしても、それだけで退学処分が違法となるものではなく、その点をも含めた当該事案の諸事情を総合的に観察して、その退学処分の選択が社会通念上合理性を認めることができないようなものでないかぎり、同処分は、懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を否定することはできないものというべきである。

 以上の事実関係からすれば、上告人らの前記生活要録違反の行為自体はその情状が比較的軽微なものであつたとしても、本件退学処分が右違反行為のみを理由として決定されたものでないことは、明らかである。

前記()()のように、上告人らには生活要録違反を犯したことについて反省の実が認められず、特に大学当局ができるだけ穏便に解決すべく説諭を続けている間に、上告人らが週刊誌や学外の集会等において公然と大学当局の措置を非難するような挙に出たことは、同人らがもはや同大学の教育方針に服する意思のないことを表明したものと解されてもやむをえないところであり、これらは処遇上無視しえない事情といわなければならない。

つとも、前記()の事実その他原判示にあらわれた大学当局の措置についてみると、説諭にあたつた関係教授らの言動には、上告人らの感情をいたずらに刺激するようなものもないではなく、補導の方法と程度において、事件を重大視するあまり冷静、寛容及び忍耐を欠いたうらみがあるが、原審の認定するところによれば、かかる大学当局の措置が上告人らを反抗的態度に追いやり、外部団体との接触を深めさせる機縁になつたものとは認められないというのであつて、そうである以上、上告人らの前記()()のような態度、行動が主して被上告人大学の責に帰すべき事由に起因したものであるということはできず、大学当局が右の段階で上告人らに改善の見込がないと判断したことをもつて著しく軽卒であつたとすることもできない。

また、被上告人大学が上告人らに対してD同からの脱退又はそれへの加入申込の取消を要求したからといつて、それが直ちに思想、信条に対する干渉となるものではないし、それ以外に、同大学が上告人らの思想、信条を理由として同人らを差別的に取り扱つたものであることは、原審の認定しないところである。

これらの諸点を総合して考えると、本件において、事件の発端以来退学処分に至るまでの間に被上告人大学のとつた措置が教育的見地から批判の対象となるかどうかはともかく、大学当局が、上告人らに同大学の教育方針に従つた改善を期待しえず教育目的を達成する見込が失われたとして、同人らの前記一連の行為を「学内の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものであるとはいいがたく、結局、本件退学処分は、懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を是認すべきである。

 

・東京地裁判平成7年3月23日

要旨

ゴルフクラブの会員及び法人会員の登録者にいわゆる国籍要件を課すことは、ゴルフクラブが、私的かつ任意の団体であることを前提にしても、今日の社会通念の下では合理的理由を見出し難い

 

判旨

そもそも、ゴルフクラブは、娯楽施設としてのゴルフ場の利用を通じて、会員の余暇活動の充実や会員相互の親睦を目的とする私的かつ任意の団体であるから、その内部関係については、私的自治の原則か広く適用される場面であるということができる。しかし、他方、今日ゴルフが特定の愛好家の間でのみ嗜まれる特殊な遊技であることを離れ、多くの国民が愛好する一般的なレジャーの一つとなっていることを背景として、会員権が市場に流通し、会員募集等にも公的規制がなされていることなどからみれば、ゴルフクラブは、一定の社会性をもった団体であることもまた否定できない。そうすると、ゴルフクラブは、自らの運営について相当広範な裁量権を有するものではあるが、いかなる者を会員にするかという点について、完全に自由な裁量を有するとまでいうことはできず、その裁量には一定の限界が存すると解すべきであり、その裁量を逸脱した場合には違法との評価を免れないというべきである。

 そこで、本件についてみるに、前記認定事実によれば、本件ゴルフクラブでは日本国籍を有しない者は原則として会員及び法人会員の登録者となることができない取扱いをしていたところ、原告らは、法人会員である丸名工芸の登録者は原告であることの確認等を求める前訴を提起したが、原告がプレーイング・メンバーとして特典的施設利用を受けられる旨勧誘されて契約した経緯に照らして、原告のプレーイング・メンバーとしての地位を確認する本件和解が成立したものである。しかるに、丸名工芸は、登録者を武内からプレーイング・メンバーである原告に変更することを申請してきたため、本件ゴルフクラブの理事会は、本件和解成立以後特段の事情変更のないこと及び原告が日本国籍を有していないことを考慮して、右変更を承認しないとの結論に至り、被告がこれを拒否したものと認められる。

 右の不承認の理由であるが、まず、本件和解成立以後特段の事情変更がないとの点については、なる程、登録者が原告であることの確認等を求めて提起した前訴が、原告のプレーイング・メンバーとしての地位を確認する本件和解の成立により終了してから一年を経ずして、本件の登録者変更申請がなされたものであるから、いささか蒸し返しの感は免れないけれども、本件和解においてプレーイング・メンバーである原告を登録者へ変更申請することを封じたものであれば格別、先に判示したとおり、本件和解は将来同一法人内の登録者変更申請がなされる余地を残したものと認めざるを得ないことからすれば、本件和解成立以後特段の事情変更がなかったからといって、変更申請を不承認とする合理的理由になると解することはできない。

 次いて、原告が日本国籍を有しないとの点については、まず、憲法の法の下の平等の規定(一四条)は、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人間の法律関係に直接適用されるものではないと解すべきである。そして、私人間における権利の調整は、原則として私的自治にゆだねられるが、個人の基本的な自由や平等が侵害され、その侵害の態様、 度が右憲法の規定の趣旨に照らして社会的に許容し得る限界を超えるときは、民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等によって適切な調整が図られるべきである。

 この観点から本件をみるに、本件ゴルフクラブの会員及び法員会員の登録者の資格条件として日本国籍者であることを課すことについては、ゴルフクラブの前記特質を前提にしても、今日の社会通念の下ては合理的理由を見出し難く、いわゆる在日韓国人である原告の生い立ちと境遇に思いを至すとき、日本国籍を有しないことを理由に原告を登録者とする変更申請を承認しなかったことは、憲法一四条の規定の趣旨に照らし、社会的に許容し得る限界を超えるものとして、違法との評価を免れないというべきである。

 以上、要するに、本件の登録者の変更を認めなかった被告の判断には、裁量を逸脱した違法があると断ぜざるを得ない。

 

札幌池判平成14年11月11日

要旨

1 公衆浴場の経営会社が外国人の入浴を一律に拒否するという方法により外国人及び外国人に見える者の入浴を拒否することは,人種差別にあたるとして,前記経営会社の不法行為の成立が肯定された事例

2 前記入浴拒否が地方公共団体の地域内で行われている場合に,判示認定の諸活動を行った当該地方公共団体の不法行為の成立が否定された事例

 

判旨

(1) 原告らは,被告Aによる本件入浴拒否は,憲法14条1項,国際人権B規約26条,人種差別撤廃条約5条(f),6条及び公衆浴場法に反して違法である旨主張する。しかし,憲法14条1項は,公権力と個人との間の関係を規律するものであって,原告らと被告Aとの間のような私人相互の間の関係を直接規律するものではないというべきであり,実質的に考えても,同条項を私人間に直接適用すれば,私的自治の原則から本来自由な決定が許容される私的な生活領域を不当に狭めてしまう結果となる。また,国際人権B規約及び人種差別撤廃条約は,国内法としての効力を有するとしても,その規定内容からして,憲法と同様に,公権力と個人との間の関係を規律し,又は,国家の国際責任を規定するものであって,私人相互の間の関係を直接規律するものではない。そして,公衆浴場法は,公衆衛生を保持するために公衆浴場の配置基準を定め,公衆浴場業の営業を許可制とするものであって,本件入浴拒否のような,公衆浴場の公衆衛生の保持とは直接関係のない行為についての適法性を判断する根拠とはなりえない。したがって,原告らの上記主張は採用することができない。

(2) 私人相互の関係については,上記のとおり,憲法14条1項,国際人権B規約,人種差別撤廃条約等が直接適用されることはないけれども,私人の行為によって他の私人の基本的な自由や平等が具体的に侵害され又はそのおそれがあり,かつ,それが社会的に許容しうる限度を超えていると評価されるときは,私的自治に対する一般的制限規定である民法1条,90条や不法行為に関する諸規定等により,私人による個人の基本的な自由や平等に対する侵害を無効ないし違法として私人の利益を保護すべきである。そして,憲法14条1項,国際人権B規約及び人種差別撤廃条約は,前記のような私法の諸規定の解釈にあたっての基準の一つとなりうる。

これを本件入浴拒否についてみると,本件入浴拒否は,Oの入口には外国人の入浴を拒否する旨の張り紙が掲示されていたことからして,国籍による区別のようにもみえるが,外見上国籍の区別ができない場合もあることや,第2入浴拒否においては,日本国籍を取得した原告Jが拒否されていることからすれば,実質的には,日本国籍の有無という国籍による区別ではなく,外見が外国人にみえるという,人種,皮膚の色,世系又は民族的若しくは種族的出身に基づく区別,制限であると認められ,憲法14条1項,国際人権B規約26条,人種差別撤廃条約の趣旨に照らし,私人間においても撤廃されるべき人種差別にあたるというべきである。

ところで,被告Aには,Oに関して,財産権の保障に基づく営業の自由が認められている。しかし,Oは,公衆浴場法による北海道知事の許可を受けて経営されている公衆浴場であり,公衆衛生の維持向上に資するものであって,公共性を有するものといえる。そして,その利用者は,相応の料金の負担により,家庭の浴室にはない快適さを伴った入浴をし,清潔さを維持することができるのであり,公衆浴場である限り,希望する者は,国籍,人種を問わず,その利用が認められるべきである。もっとも,公衆浴場といえども,他の利用者に迷惑をかける利用者に対しては,利用を拒否し,退場を求めることが許されるのは当然である。したがって,被告Aは,入浴マナーに従わない者に対しては,入浴マナーを指導し,それでも入浴マナーを守らない場合は,被告小樽市や警察等の協力を要請するなどして,マナー違反者を退場させるべきであり,また,入場前から酒に酔っている者の入場や酒類を携帯しての入場を断るべきであった。たしかに,これらの方法の実行が容易でない場合があることは否定できないが,公衆浴場の公共性に照らすと,被告Aは,可能な限りの努力をもって上記方法を実行すべきであったといえる。そして,その実行が容易でない場合があるからといって,安易にすべての外国人の利用を一律に拒否するのは明らかに合理性を欠くものというべきである。しかも,入浴を希望した原告らについては,他の利用者に迷惑をかけるおそれは全く窺えなかったものである。

したがって,外国人一律入浴拒否の方法によってなされた本件入浴拒否は,不合理な差別であって,社会的に許容しうる限度を超えているものといえるから,違法であって不法行為にあたる。

被告Aは,原告らがOを訪れたのは,入浴拒否の事実をマスコミを通じて世間にアピールし,又は,被告Aに抗議するためであったから,原告らが本件入浴拒否により侵害された利益の実体に照らして被告Aの経済的自由と比較衡量すれば,本件入浴拒否が社会的に許容される限界を超えていたとまではいえない旨主張するが,原告らは,被告Aの入浴拒否に抗議し,その事実を社会に認知してもらうという目的をもっていたとしても,拒否されずに入浴することを望んでいたことに変わりはなく,本件入浴拒否によって不合理な差別を受けたことは否定できないから,原告らが上記のような目的をもっていたことによって本件入浴拒否の違法性がなくなるわけではない。

 

 

・最判平成3年6月21日修徳高校パーマ退学訴訟

要旨

(私立)高校間の在学関係を右のように解した場合、憲法の自由権的基本権保障規定の効力が右在学関係にも及ぶかが問題となるが、憲法の自由権的基本権保障規定は国又は公共団体と個人との関係を規律するものであるから、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものではないが、私立学校は、現行法制上、公教育の一翼を担う重要な役割を果たし、その公的役割にかんがみて国又は地方公共団体から財政的な補助を受けているのであるから、一般条項である民法一条、同法九〇条等に照らして同校の校則の効力を判断する際に、憲法の趣旨は私人間においても保護されるべき法益を示すものとして尊重されなければならない。

 しかし、それと同時に、子どもと親は私学選択の自由を有し、それに対応する私学設置の自由及び私学教育の自由が尊重されるべきことも法の要求するところであるから、両者の調和は、私立学校の性質、在学関係の性格、制約される利益の性質等に応じて具体的に検討する必要があるのであり、原告の主張が私立学校の在学関係においても国公立学校と全く同様の形で基本的人権保障の効力が貫かれるべきであるとの趣旨とすれば、それは採用できない。

 

 

判旨

() 裁判所の判断

 (1) 校則制定の法的根拠

 高等学校は、生徒の教育を目的とする団体として、その目的を達成するために必要な事項を学則等により制定し、これによって在学する生徒を規律する権能を有し、他方、生徒は、当該学校に入学し、生徒としての身分を取得することによって、自らの意思に基づき当該学校の規律に服することを承認することになる。勿論、学校設置者の右権能に基づく学則等の規定は、在学関係を設定する目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的なものであることを要し、学則等の規定の内容が合理的なものであるときは、その違反に対しては、教育上必要と認められるときに限り制裁を科すことができ(学校教育法一一条)、これによって学則等の実効性を担保することも許されるのであり、制裁が生徒の権利や自由を制限するというだけで、直ちに右規定が無効になるということはできない。

 本件においては、原告は、修徳高校に入学することで、包括的に自己の教育を同校に託し、その生徒としての地位を取得したのであり、修徳高校は、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによって在学する生徒を規律する包括的権能を有するものと解され、右包括的権能は、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的といえる範囲において認められる。

 (2) 私人間における憲法の自由権的基本権保障規定の効力

 原告、修徳高校間の在学関係を右のように解した場合、憲法の自由権的基本権保障規定の効力が右在学関係にも及ぶかが問題となるが、憲法の自由権的基本権保障規定は国又は公共団体と個人との関係を規律するものであるから、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものではないが、私立学校は、現行法制上、公教育の一翼を担う重要な役割を果たし、その公的役割にかんがみて国又は地方公共団体から財政的な補助を受けているのであるから、一般条項である民法一条、同法九〇条等に照らして同校の校則の効力を判断する際に、憲法の趣旨は私人間においても保護されるべき法益を示すものとして尊重されなければならない。

 しかし、それと同時に、子どもと親は私学選択の自由を有し、それに対応する私学設置の自由及び私学教育の自由が尊重されるべきことも法の要求するところであるから、両者の調和は、私立学校の性質、在学関係の性格、制約される利益の性質等に応じて具体的に検討する必要があるのであり、原告の主張が私立学校の在学関係においても国公立学校と全く同様の形で基本的人権保障の効力が貫かれるべきであるとの趣旨とすれば、それは採用できない。

 (3) パーマ禁止校則の効力

 パーマを掛けることを禁止する校則について検討するに、右校則の目的は、高校生にふさわしい髪型を維持し、また、非行を防止することにあると認められるが、修徳高校は、内外両面とも清潔・高潔な品性を備えた人物を育てることを目的とし、そのために清潔かつ質素で流行を負うことなく、華美に流されない生徒にふさわしい態度を保持することを目指しているのであるから、高校生にふさわしい髪型を確保するためにパーマを禁止することは、右目的実現に不必要な措置とは断言できず、右のような私立学校における独自の校風と教育方針は私学教育の自由の一内容として尊重されるべきである。

 もっとも、個人の髪型は、個人の自尊心あるいは美的意識と分かちがたく結びつき、特定の髪型を強制することは、身体の一部に対する直接的な干渉となり、強制される者の自尊心を傷つける恐れがあるから、髪型決定の自由が個人の人格価値に直結することは明らかであり、個人が頭髪について髪型を自由に決定しうる権利は、個人が一定の重要な私的事柄について、公権力から干渉されることなく自ら決定することができる権利の一内容として憲法一三条により保障されていると解される。しかし、右校則は特定の髪型を強制するものではない点で制約の度合いは低いといえるのであり、また、原告が修徳高校に入学する際、パーマが禁止されていることを知っていたことを併せ考えるならば、右髪型決定の自由の重要性を考慮しても、右校則は、髪型決定の自由を不当に制限するものとはいえない。

 右のとおり、一方、在学関係設定の目的の実現のために右校則を制定する必要性を否定できず、他方で、右校則は髪型決定の自由を不当に制限するものとまではいえないのであるから、これを無効ということはできない。

 (4) 運転免許取得制限校則の効力

 運転免許の取得を制限する校則について検討するに、右校則の目的は交通事故から生徒の生命身体を守り、非行化を防止し、もって勉学に専念する時間を確保するところにあると認められ、生徒が自ら死傷し、あるいは他人を死傷させた場合、在学関係設定の目的の実現に重大な支障をきたすことは明らかであり、しかも、運転免許の取得を制限すれば事故発生率が減少することは期待できるのであるから、在学関係設定の目的の実現のために、右校則を制定する必要性は否定できない。

 もっとも、普通自動車の運転免許を取得して、自動車を運転することは、社会生活上尊重されるべき法益ということができる。しかし、運転免許取得の自由と個人の人格との結びつきは間接的なものにとどまるのであるし、学校は就職希望者で免許の必要な者には個別的に免許を取得する余地を認め、また、原告は修徳高校に入学する際、運転免許取得につき制限があることを知っていたのであるから、右校則は運転免許取得の自由を不当に制限するものとはいえない。

 右のとおり、一方、在学関係設定の目的の実現のために右校則を制定する必要性を否定できず、他方で、右校則は運転免許取得の自由を不当に制限するものとはいえないのであるから、これを無効ということはできない。

 なお、原告は、道路交通法が一八歳以上の国民に運転免許を取得する権利を与えていることを理由に、修徳高校の運転免許の取得制限が越権的規制である旨主張するが、道路交通法規が一定の年齢以上の者に運転免許の取得を許容している趣旨は、道路における交通の円滑性と安全性を保持するためであるのに対し、本件の運転免許取得制限は、生徒の教育のためであって、両者の各規定は、規制の趣旨、目的を異にするものであるから、両者を同一に論ずることはできず、原告の主張は採用できない。

 (5) その他の原告の主張に対する判断

 原告は、生活指導の領域における決定は、第一次的には子どもと親が自己決定権の一内容として決定権限を留保しているのであり、また、生活指導は、教育実践の中で専門的能力を形成されていく教育活動であるから、教師による生活指導は基本的に指導助言活動でなければならないとの理解に立ち、生活指導の領域にわたる運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則の無効を主張し、加えて、運転免許取得制限校則については学校は校外生活を直接規制できないとして、その無効を主張する。

 確かに、運転免許取得制限及びパーマ禁止は、教育的専門事項ではなく、生活指導としての面を有するが、生活指導は生徒の人格の完成に資するものであり、かつ、家庭あるいは地域社会の教育機能が低下している今日においては、学校が家庭等での生活指導の不十分な面を補わざるを得ない面があることも否定できなのであるから、教科教育のみならず生活指導についても、子どもあるいは親の権能を不当に侵害しない限り、学校がそれを行う権限を有するものと解される。

 しかも、本件においては、原告及び原告の父親は入学に際し、内容は若干異なるにせよ運転免許の取得が制限されていること及びパーマが禁止されていることを認識していたのであるし、前記のとおり、本件運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則は運転免許取得の自由あるいは髪型決定の自由を不当に制限したものとはいえないから、右各校則が子どもあるいは親の権能を不当に侵害したとは認められず、したがって原告の主張は採用できない。

 また、専門的能力の観点からする生活指導の適格性については、生活指導が教育的専門事項ではないことは勿論であるが、学校内の事情に加え、生徒の家庭環境等を含む学校外の教育事情についても専門的な知識と経験を有する学校、教師にその適格性を認めることができる。

 原告は、生徒に対する懲戒は、当該行為が生徒集団に対する教育、指導の成立を危うくし、他の生徒の学習権を侵害するような場合及び当該行為を懲戒の対象とすることが本人の利益を確保するために必要な場合にのみ正当化され、後者の場合は何が本人の利益かの判断が困難であるから非強制的な助言指導により目的を達成すべきであるとの理解に立ち、本件運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則に違反することは、他の生徒の権利を侵害するものではないから、懲戒の根拠たり得ないと主張し、また、校則違反を懲戒処分に直結させていること自体が違法である旨主張する。

 しかし、懲戒処分及び事実上の懲戒は、学校の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律作用であるから、教育目的を達成するために必要かつ合理的な制約であるなら、右制約に違反したことを理由に懲戒を行うことができるというべきであって、前記のとおり、本件運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則は無効ということはできないのであるから、右各校則に違反することは、懲戒の根拠となり得るものというべきである。

 また、いかなる行為によって教育目的の達成が阻害されるかの判断は各学校の判断に委ねられ、学校の規律の弛緩自体がひいては生徒の学習権等を阻害することにつながるとの判断に立って、現実の学習権侵害等が発生する以前の段階において懲戒権を行使することも、同様に一つの選択として是認される。


 目次


第3章 国民の権利及び義務 私人間効力(1)

 

【私人間効力】

最大判昭和48年12月12日 三菱樹脂本採用拒否事件

要旨

憲法19条や同法14条の規定は、直接私人相互間の関係に適用されるものではないが、私人間における相互の社会的力関係の相違から生ずる事実上の私的支配関係において、右規定の保障する自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、場合により、私的自治に対する一般的制限規定である民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で右侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存する。

 

判旨

 一、まず、本件本採用拒否の理由とされた被上告人の秘匿等に関する上記第一の一の()の事実につき、これが被上告人の思想、信条に関係のある事実といいうるかどうかを考えるに、労働者を雇い入れようとする企業者が、労働者に対し、その者の在学中における右のような団体加入や学生運動参加の事実の有無について申告を求めることは、上告人も主張するように、その者の従業員としての適格性の判断資料となるべき過去の行動に関する事実を知るためのものであつて、直接その思想、信条そのものの開示を求めるものではないが、さればといつて、その事実がその者の思想、信条と全く関係のないものであるとすることは相当でない。

元来、人の思想、信条とその者の外部的行動との間には密接な関係があり、ことに本件において問題とされている学生運動への参加のごとき行動は、必ずしも常に特定の思想、信条に結びつくものとはいえないとしても、多くの場合、なんらかの思想、信条とのつながりをもつていることを否定することができないのである。

企業者が労働者について過去における学生運動参加の有無を調査するのは、その者の過去の行動から推して雇入れ後における行動、態度を予測し、その者を採用することが企業の運営上適当かどうかを判断する資料とするためであるが、このような予測自体が、当該労働者の過去の行動から推測されるその者の気質、性格、道徳観念等のほか、社会的、政治的思想傾向に基づいてされる場合もあるといわざるをえない。

件において上告人が被上告人の団体加入や学生運動参加の事実の有無についてした上記調査も、そのような意味では、必ずしも上告人の主張するように被上告人の政治的思想、信条に全く関係のないものということはできない。

しかし、そうであるとしても、上告人が被上告人ら入社希望者に対して、これらの事実につき申告を求めることが許されないかどうかは、おのずから別個に論定されるべき問題である。

 二、原判決は、前記のように、上告人が、その社員採用試験にあたり、入社希望者からその政治的思想、信条に関係のある事項について申告を求めるのは、憲法一九条の保障する思想、信条の自由を侵し、また、信条による差別待遇を禁止する憲法一四条、労働基準法三条の規定にも違反し、公序良俗に反するものとして許されないとしている。

 () しかしながら、憲法の右各規定は、同法第三章のその他の自由権的基本権の保障規定と同じく、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もつぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。

このことは、基本的人権なる観念の成立および発展の歴史的沿革に徴し、かつ、憲法における基本権規定の形式、内容にかんがみても明らかである。

のみならず、これらの規定の定める個人の自由や平等は、国や公共団体の統治行動に対する関係においてこそ、浸されることのない権利として保障されるべき性質のものであるけれども、私人間の関係においては、各人の有する自由と平等の権利自体が具体的場合に相互に矛盾、対立する可能性があり、このような場合におけるその対立の調整は、近代自由社会においては、原則として私的自治に委ねられ、ただ、一方の他方に対する侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超える場合にのみ、法がこれに介入しその間の調整をはかるという建前がとられているのであつて、この点において国または公共団体と個人との関係の場合とはおのずから別個の観点からの考慮を必要とし、後者についての憲法上の基本権保障規定をそのまま私人相互間の関係についても適用ないしは類推適用すべきものとすることは、決して当をえた解釈ということはできないのである。

 () もつとも、私人間の関係においても、相互の社会的力関係の相違から、一方が他方に優越し、事実上後者が前者の意思に服従せざるをえない場合があり、このような場合に私的自治の名の下に優位者の支配力を無制限に認めるときは、劣位者の自由や平等を著しく侵害または制限することとなるおそれがあることは否み難いが、そのためにこのような場合に限り憲法の基本権保障規定の適用ないしは類推適用を認めるべきであるとする見解もまた、採用することはできない。

何となれば、右のような事実上の支配関係なるものは、その支配力の態様、程度、規模等においてさまざまであり、どのような場合にこれを国または公共団体の支配と同視すべきかの判定が困難であるばかりでなく、一方が権力の法的独占の上に立つて行なわれるものであるのに対し、他方はこのような裏付けないしは基礎を欠く単なる社会的事実としての力の優劣の関係にすぎず、その間に画然たる性質上の区別が存するからである。

すなわち、私的支配関係においては、個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、これに対する立法措置によつてその是正を図ることが可能であるし、また、場合によつては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によつて、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存するのである。

そしてこの場合、個人の基本的な自由や平等を極めて重要な法益として尊重すべきことは当然であるが、これを絶対視することも許されず、統治行動の場合と同一の基準や観念によつてこれを律することができないことは、論をまたないところである。

 () ところで、憲法は、思想、信条の自由や法の下の平等を保障すると同時に、他方、二二条、二九条等において、財産権の行使、営業その他広く経済活動の自由をも基本的人権として保障している。

それゆえ、企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできないのである。

憲法一四条の規定が私人のこのような行為を直接禁止するものでないことは前記のとおりであり、また、労働基準法三条は労働者の信条によつて賃金その他の労働条件につき差別することを禁じているが、これは、雇入れ後における労働条件についての制限であつて、雇入れそのものを制約する規定ではない。

また、思想、信条を理由とする雇入れの拒否を直ちに民法上の不法行為とすることができないことは明らかであり、その他これを公序良俗違反と解すべき根拠も見出すことはできない。

   右のように、企業者が雇傭の自由を有し、思想、信条を理由として雇入れを拒んでもこれを目して違法とすることができない以上、企業者が、労働者の採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事項についての申告を求めることも、これを法律上禁止された違法行為とすべき理由はない。

もとより、企業者は、一般的には個々の労働者に対して社会的に優越した地位にあるから、企業者のこの種の行為が労働者の思想、信条の自由に対して影響を与える可能性がないとはいえないが、法律に別段の定めがない限り、右は企業者の法的に許された行為と解すべきである。

また、企業者において、その雇傭する労働者が当該企業の中でその円滑な運営の妨げとなるような行動、態度に出るおそれのある者でないかどうかに大きな関心を抱き、そのために採否決定に先立つてその者の性向、思想等の調査を行なうことは、企業における雇傭関係が、単なる物理的労働力の提供の関係を超えて、一種の継続的な人間関係として相互信頼を要請するところが少なくなく、わが国におけるようにいわゆる終身雇傭制が行なわれている社会では一層そうであることにかんがみるときは、企業活動としての合理性を欠くものということはできない。

のみならず、本件において問題とされている上告人の調査が、前記のように、被上告人の思想、信条そのものについてではなく、直接には被上告人の過去の行動についてされたものであり、ただその行動が被上告人の思想、信条となんらかの関係があることを否定できないような性質のものであるというにとどまるとすれば、なおさらこのような調査を目して違法とすることはできないのである。

・最判昭和56年3月24日 日産自動車事件

要旨

会社がその就業規則中に定年年齢を男子60歳、女子55歳と定めた場合において、担当職務が相当広範囲にわたつていて女子従業員全体を会社に対する貢献度の上がらない従業員とみるべき根拠はなく、労働の質量が向上しないのに実質賃金が上昇するという不均衡は生じておらず、少なくとも60歳前後までは男女とも右会社の通常の職務であれば職務遂行能力に欠けるところはなく、一律に従業員として不適格とみて企業外へ排除するまでの理由はないなど、原判決の事情があつて、会社の企業経営上定年年齢において女子を差別しなければならない合理的理由が認められないときは、右就業規則中の定年年齢を男子より低く定めた部分は、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法90条の規定により無効である。

 

判旨

上告会社の就業規則は男子の定年年齢を六〇歳、女子の定年年齢を五五歳と規定しているところ、右の男女別定年制に合理性があるか否かにつき、原審は、上告会社における女子従業員の担当職種、男女従業員の勤続年数、高齢女子労働者の労働能力、定年制の一般的現状等諸般の事情を検討したうえ、上告会社においては、女子従業員の担当職務は相当広範囲にわたつていて、従業員の努力と上告会社の活用策いかんによつては貢献度を上げうる職種が数多く含まれており、女子従業員各個人の能力等の評価を離れて、その全体を上告会社に対する貢献度の上がらない従業員と断定する根拠はないこと、しかも、女子従業員について労働の質量が向上しないのに実質賃金が上昇するという不均衡が生じていると認めるべき根拠はないこと、少なくとも六〇歳前後までは、男女とも通常の職務であれば企業経営上要求される職務遂行能力に欠けるところはなく、各個人の労働能力の差異に応じた取扱がされるのは格別、一律に従業員として不適格とみて企業外へ排除するまでの理由はないことなど、上告会社の企業経営上の観点から定年年齢において女子を差別しなければならない合理的理由は認められない旨認定判断したものであり、右認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができる。そうすると、原審の確定した事実関係のもとにおいて、上告会社の就業規則中女子の定年年齢を男子より低く定めた部分は、専ら女子であることのみを理由として差別したことに帰着するものであり、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法九〇条の規定により無効であると解するのが相当である(憲法一四条一項、民法一条ノ二参照)。

 

・最判平成18年3月17日

要旨

入会部落の慣習に基づく入会集団の会則のうち,入会権者の資格を原則として男子孫に限定し,同入会部落の部落民以外の男性と婚姻した女子孫は離婚して旧姓に復しない限り入会権者の資格を認めないとする部分は,遅くとも平成4年以降においては,性別のみによる不合理な差別として民法90条の規定により無効である。

 

判旨

入会権は,一般に,一定の地域の住民が一定の山林原野等において共同して雑草,まぐさ,薪炭用雑木等の採取をする慣習上の権利であり(民法263条,294条),この権利は,権利者である入会部落の構成員全員の総有に属し,個々の構成員は,共有におけるような持分権を有するものではなく(最高裁昭和34年(オ)第650号同41年11月25日第二小法廷判決・民集20巻9号1921頁,最高裁平成3年(オ)第1724号同6年5月31日第三小法廷判決・民集48巻4号1065頁参照),入会権そのものの管理処分については入会部落の一員として参与し得る資格を有するのみである(最高裁昭和51年(オ)第424号同57年7月1日第一小法廷判決・民集36巻6号891頁参照)。

他方,入会権の内容である使用収益を行う権能は,入会部落内で定められた規律に従わなければならないという拘束を受けるものの,構成員各自が単独で行使することができる(前掲第一小法廷判決参照)。

このような入会権の内容,性質等や,原審も説示するとおり,本件入会地の入会権が家の代表ないし世帯主としての部落民に帰属する権利として当該入会権者からその後継者に承継されてきたという歴史的沿革を有するものであることなどにかんがみると,各世帯の構成員の人数にかかわらず各世帯の代表者にのみ入会権者の地位を認めるという慣習は,入会団体の団体としての統制の維持という点からも,入会権行使における各世帯間の平等という点からも,不合理ということはできず,現在においても,本件慣習のうち,世帯主要件を公序良俗に反するものということはできない。

しかしながら,本件慣習のうち,男子孫要件は,専ら女子であることのみを理由として女子を男子と差別したものというべきであり,遅くとも本件で補償金の請求がされている平成4年以降においては,性別のみによる不合理な差別として民法90条の規定により無効であると解するのが相当である。

その理由は,次のとおりである。

男子孫要件は,世帯主要件とは異なり,入会団体の団体としての統制の維持という点からも,入会権の行使における各世帯間の平等という点からも,何ら合理性を有しない。

このことは,A部落民会の会則においては,会員資格は男子孫に限定されていなかったことや,被上告人と同様に杣山について入会権を有する他の入会団体では会員資格を男子孫に限定していないものもあることからも明らかである。

上告人においては,上記1(4)エ,オのとおり,女子の入会権者の資格について一定の配慮をしているが,これによって男子孫要件による女子孫に対する差別が合理性を有するものになったということはできない。

そして,男女の本質的平等を定める日本国憲法の基本的理念に照らし,入会権を別異に取り扱うべき合理的理由を見いだすことはできないから,原審が上記3(3)において説示する本件入会地の入会権の歴史的沿革等の事情を考慮しても,男子孫要件による女子孫に対する差別を正当化することはできない。

東京地判昭和41年12月20日 住友セメント事件

要旨

女子労働者の結婚退職制を定めた労働協約、就業規則、労働契約は、労働法の公序を構成する性別による差別待遇の禁止ならびに公序を構成する結婚の自由の保障に違反し、いずれも民法九〇条違反として無効である。

 

判旨

一、雇傭関係及び結婚退職制

 原告主張一及び三の事実は当事者間に争がない。

 成立に争のない乙第二号証(念書の様式)及び<証拠>によれば、被告が昭和三三年四月会社の方針として爾後の女子職員の採用処遇につき被告主張の結婚退職制を定め、これに基き女子労働者を採用したことが認められ、この認定を左右すべき確証はない。原告が、本採用される前である昭和三五年八月一〇日「結婚したときは退職する。」旨の念書を差入れたことは当事者間に争がない。これによれば、被告は原告が結婚したときこれを解雇し得る旨の労働契約が成立したというべきである。右は労働者の退職に関する事項であるから、労基法にいう労働条件に該当する。

二、結婚退職制と公序との関係

 被告の主張によれば、結婚退職制は、慣行であつて、組合の承認により労働協約と同等の効力を有し、しからずとするも、労働者の規範意識に支持されて就業規則と同等の効力を有するから、被告はこれに基き原告と右契約をなしたというにある。

(一) 結婚退職制の法的内容

 このような労働協約又は就業規則と同等の効力を有する規範準則が存在するとしても、その内容は性別による差別待遇と結婚の自由に対する制限とを含むものである。

1 (性別による差別待遇)結婚退職制によると、結婚は男子労働者の解雇事由でなく、女子労働者のみの解雇事由であるから、右は労働条件につき性別による差別待遇をしたことに帰着する。

2 (結婚の自由の制限)結婚退職制によれば、女子労働者は雇傭関係継続中結婚しない旨を約したことに帰着するのであり、換言すれば、結婚に際しなお雇傭関係の継続を望んでいる女子労働者に対しても使用者からその終了を求め得るのである。右は女子労働者の結婚の自由を制限するものというべきである。その理由は次のとおりである。

 結婚後も主婦として活動するだけではなく、なお賃金労働者として職場にとどまり労働を継続する意思を有する女子労働者が多く存することは顕著な事実である。統計をみると、成立に争のない乙第七号証の二(労働省婦人少年局発行「婦人労働の実情・一九六二年」三八、三九頁)によれば、女子労働者の中に占める有夫者の割合は逐年上昇し昭和三七年において二一・七%を占め、なお昭和三六年一月から昭和三七年九月までの単純平均によれば非農林業就業者中雇傭者であつて配偶者のある女子は二一九万人に及ぶことが明らかである。かように多数の既婚女子労働者がなおその労働を継続する主たる理由が、自己の才能を生かし社会人としての経験を積み社会に貢献するにあると、生活費を得るにあるとを問わず、その労働を継続しようとする意思は尊重されるべきである。

 我国の現状にあつては、男子労働者の労働賃金のみによつてその妻子等の通常の生活の資をまかなえないことが屡々あるから、この場合この男子労働者と結婚した女子労働者はなお労働を継続する経済的必要がある。女子労働者はこの場合結婚退職制により解雇されても直ちに生活の資を求めて再就職せざるを得ない。ところが、前示乙第七号証の二(五八頁から六三頁まで)によると、既婚、したがつて学校新卒者に比し高年である女子労働者の就職の機会は狭められる一方、賃金額の決定についても、当該企業における勤続期間が重要な要素をなす年功賃金制の下では、仮に再就職の機会が得られたとしても、その労働条件は従前に比し著しく低下することが明らかである。したがつて、女子労働者は結婚に際しこの事実を予想すべきものといわなければならない。以上のような次第で女子労働者は結婚退職制の下では、結婚によりその意に反して労働賃金収入を全部失うか又は運がよくてもその相当部分を失うものである。かくして、結婚を退職事由と定めることは、女子労働者に対し結婚するか、又は自己の才能を生かしつつ社会に貢献し生活の資を確保するために従前の職に止まるかの選択を迫る結果に帰着し、かかる精神的、経済的理由により配偶者の選択、結婚の時期等につき結婚の自由を著しく制約するものと断ずべきである。

 近年若年労働力の需給関係が変化し全国的にみて求人数が求職数を大幅に上廻り、中学、高校新卒の女子もその例に洩れないことは顕著な事実である。しかし、この事実から推してかかる女子は結婚退職制を採用する企業とそうでない企業とを選択する自由があるとして前示結論を左右することはできない。すなわち、若年女子の労働力の需給関係は、地域及び企業により差があり、求職者はその意思に関係なく適性その他の精神的肉体的諸条件、住宅。家庭事情等により、求職の範囲を自ら制限されるのである。また、成立に争のない乙第六号証の二(労働省婦人少年局発行「女子事務職員実態調査報告。一九六一年五月」二六頁)によれば、女子の結婚退職規定を有する事業所は総数の八%(内訳。製造業は七・三%、金融保険業は二〇・二%)に及ぶことが明らかである。かような要因を考えるとき、女子求職者が前示のような選択の自由を有するとは到底いえない。また使用者が女子労働者の雇入に際し結婚退職制を明示した場合もこの結論を左右しない。

(二) 公の秩序

1 (性別による差別待遇の禁止)両性の本質的平等を実現すべく、国家と国民との関係のみならず、国民相互の関係においても性別を理由とする合理性なき差別待遇を禁止することは、法の根本原理である。憲法一四条は国家と国民との関係において、民法一条の二は国民相互の関係においてこれを直接明示する。労基法三条は国籍、信条又は社会的身分を理由とする。差別を禁止し、同法四条は性別を理由とする賃金の差別を禁止する。ところで、労基法上性別を理由として賃金以外の労働条件の差別を禁止する規定はなく、却つて、同法一九条、六一条ないし六八条等は女子の保護のため男子と異なる労働条件を定めている。したがつて、労基法は性別を理由とする労働条件の合理的差別を許容する一方、前示の根本原理に鑑み、性別を理由とする合理性を欠く差別を禁止するものと解せられる。以上述べたことから明らかなとおり、この禁止は労働法の公の秩序を構成し、労働条件に関する性別を理由とする合理性を欠く差別待遇を定める労働協約、就業規則、労働契約は、いずれも民法九〇条に違反しその効力を生じないというべきである。

2 (結婚の自由の保障)家庭は、国家社会の重要な一単位であり、法秩序の重要な一部である。適時に適当な配遇者を選択し家庭を建設し、正義衡平に従つた労働条件のもとに労働しつつ人たるに値する家族生活を維持発展させることは人間の幸福の一つである。かような法秩序の形成並びに幸福追求を妨げる政治的経済的社会的要因のうち合理性を欠くものを除去することも、また法の根本原理であつて、憲法一三条、二四条、二五条、二七条はこれを示す。したがつて、配偶者の選択に関する自由、結婚の時期に関する自由等結婚の自由は重要な法秩序の形成に関連しかつ基本的人権の一つとして尊重されるべく、これを合理的理由なく制限することは、国民相互の法律関係にあつても、法律上禁止されるものと解すべきである。以上の理由により、この禁止は公の秩序を構成し、これに反する労働協約、就業規則、労働契約はいずれも民法九〇条に違反し効力を生じないというべきである。

(三) 合理的理由による差別又は制限

1 (非能率)被告主張のように、男子職員と女子職員との職種を截然区別し女子職員を被告主張のような補助的事務のみに従事させることが合理的差別といえるか否かはしばらくおく。本件において被告の主張の前提として、既婚女子労働の非能率の責を一般的に女子のみに帰せしめるには、女子は結婚後労働能率が結婚前に比し一般に低下すること、その低下の程度は同一の条件の下における男子よりも甚しいこと、その原因は少くとも使用者側及び国家社会の側に存せず、専ら女子労働者の結婚という事実のみに存することを立証すべきである。この認定に当り、労基法四条の立法趣旨により、女子労働者は一般的平均的に低能率であるとの社会的偏見の排除が要請されること、同法六五条、六六条により既婚女子労働者は出産育児に関し休業請求権を有し、その限度での労務の不提供すなわち、使用者側からみれば非能率が許されていることは充分に尊重されなければならない。しかるとき、本件にあつては、<証拠>によるも右各事実を肯認するに足らず、その他この事実を認めるに足る証拠がない。しかも、前示の補助的事務の内容に徴すると、これに従事する女子労働者が結婚したからとて労働能率が当然に低下するとは推認できない。

 もし、既婚女子労働者の一部に労働能率の低下した者が生ずれば、監督者その他被告側において遅滞なくこれを発見確認できるものと推認される。この場合、被告は能率低下の原因を探究し、その責が被告に存せず、もつぱら当該女子労働者に存するときは、かかる者に対して労働協約又は、就業規則等に定める所要の処置を個別的にとれば足りるものと解される。

 したがつて、既婚女子労働者の非能率を理由に、勤務成績の優劣を問わず一律にこれを企業から排除することは合理性がない。

2 (賃金)結婚退職制の根拠として被告の主張する事実、すなわち被告において男女同一賃金制に徹しているので、補助的事務に従事する長期勤続の既婚、高年の女子職員に対し、より責任の重い事務に従事する男子職員と比較して不相当に高額の賃金を支払つているとの事実につき判断する。結婚退職制採用後である昭和三五年以降被告主張の年令別最低基本給及び中途採用者初任給につき約三割の男女の賃金格差が設けられたことは被告の自陳するところである。右の格差が勤務時間又は労務内容等の差に基く合理的なものであることの立証はない。したがつて、この点についての被告の主張は事実関係について前提を欠くものというべきである。しかも、仮に、被告主張のように長期勤続既婚女子職員がより責任の重い男子職員に比し高額の賃金を得、しかもこれにつき男子職員からその是正を求められるとの事態が存するとしても、右は主として勤続年数により機械的な昇給を伴う年功賃金制のもたらした結果であるから、むしろその是止のためには、男女を問わず各職員の職務ないし労働の価値に応じた合理的な賃金体系を制定することが適当であるといわなければならない。労基法三条の趣旨は、女子労働者が一般的平均的に低能率であること等過去の社会的偏見によつて不利益待遇をすることを禁止するけれども、性別によらず、職務、技能、能率等の差に応じた賃金格差を否定するものではない。かかる措置をとらないで、年功賃金制の有する若干の短所を理由として女子労働者を結婚と同時に一律に企業から排除し、もつて前示差別待遇を行ない、結婚の自由を制限することは、なんら合理性がない。

3 (その他の合理性)前示補助的事務の内容自体に徴しても、特定宗教における聖職者、巫女等と異なり、これに従事する者を独身者に限定しなければならない理由はない。その他結婚退職制に合理性を認めるに足りる資料はない。

(四) 結婚退職制は公の秩序に反する。

 以上述べたとおり、女子労働者のみにつき結婚を退職事由とすることは、性別を理由とする差別をなし、かつ、結婚の自由を制限するものであつて、しかもその合理的根拠を見出し得ないから、労働協約、就業規則、労働契約中かかる部分は、公の秩序に違反しその効力を否定されるべきものといわなければならない。

 結婚退職制につき、組合がこれを承認し多数の女子労働者がこれに賛同して退職し、原告もまたこれを熟知して雇傭されたとの被告の主張はそれ自体理由がない。けだし、民法九〇条は公の秩序等に反する一切の法律行為の効力を否定するものであつて、関係当事者がこれに同意したか否かを問わないからである。(法例二条参照)。

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